第12話 サワタリから来たトミージェイ
アタシたち、アタシとユリアは、空港行きのバスに乗っている。でも、目的地は空港じゃない。その近辺にあるという、ふたつの道の駅。ひとつは高速道路のパーキングエリア内にあって、もうひとつは少し行った先の湖畔にあるはず。どちらでもいい、風景に見覚えを感じたら、そこで降りてみると決めていた。そうすればきっと、なにか思い出せるはず。たったそれだけの、あやふやな思いつき、なんとも心もとない道行きだった。
2031年、初冬だけど陽射しは暖かい、小春日和の月曜日のことだった。
都市間長距離バスの代金は、М山市民スキー場で面会したとき、YKセンセイからもらった。階段登行で上っては、やっとやっとのボーゲンターンで下る。それを三回も繰り返したので、もうヘトヘトになった。脳内は酸欠気味、モヤが立ち込めて一歩先も見えない感じ。YKセンセイの笑顔を見上げたら、アタシの口が勝手に動いて、考えてもいなかったコトバがこぼれ出た。
「おカネをください」
YKセンセイは、これ以上はムリってくらい目を見開いて、のけぞった。
「ほう。カネ。いくら要る?何に使う?」
「道の駅とかサワタリ地区とか行って、帰れるくらいのバス代。いくら要るのかわからない、乗ったことがないから。ホントは貸してって言いたいけど、返せるアテがなくて言えないの。くれますか?ユリアと二人分のバス代」
「バス代くらい、あげるのはちっとも構わないんだが。しかしね、そのサワタリ地区って何だい?リツコさんには、内緒で行くつもりなのかい?」
「リツコさんは引っ越しの準備とかで忙しいし、たぶん、困っちゃうと思うの。サワタリ地区って、アタシたちみたいな赤ちゃんが、いたところだから」
「ほう。赤ちゃんが。キミは、そこへ、なぜ行きたい?」
「よくわかんないけど。小さいときに、行ったことがあるような気がして」
「そこのところを、確かめたい?」
「そんな感じ。こういうのって、なんか、ヘンですか?」
「いや、ヘンじゃない。むしろ、至極もっともだ。自分がどこから来たのか、だれだって知りたいと思うのが自然だ。そこを踏まえた上で、自分はどこへ行くべきなのかを、考えられるからね」
「YKセンセイは、自分のことを、ちゃんと知ってる?」
「どうかな。ちゃんと知っていたいと、願ってはいるけど」
照れたように、にっこりしたYKセンセイを、案外正直な人かも知れないとアタシは思った。そう思える大人に出会えたのは、とても珍しいことだ。そのことを、伝えたくなった。
「きょう、YKセンセイに会えてよかったです。スキーも習えてよかった」
「そうか。ボクもよかったよ、想像したよりは、ずっと」
そう言ってYKセンセイは手袋を脱ぎ、胸ポケットから携帯を取り出した。
ネックストラップと保護ケースで二重に守られた携帯の側面を、サングラスの目元に近づけてまじまじと見、ホッとしたように微笑んだ。携帯本体と保護ケースの隙間から指先で摘まみ出したのは、小さく折りたたんだ紙幣だった。そっと広げると、一万円札が二枚あるとわかった。
「よかった。ちゃんとあった。ずいぶん前、財布を持つのをやめたときに、なんとなく不安な気がして、万札を二枚だけ入れておいたんだ。ついさっきまで、すっかり忘れていた。現金は持っていないつもりだったから、おカネをくださいと言われたとき、実はちょっと焦ったよ。これで、足りるだろうか?あー、足りないと言われても、どうしようもないんだが」
アタシはそのとき、本物のお札というものを初めて見た。重々しい光沢といい、精緻な文様といい、他には知らないレベルの美に圧倒された。その美しくて立派な紙に、きっちりと深い折り皺が複数刻まれた有り様は、なんとも無残な感じがした。それでも、二枚の万札はYKセンセイの掌で、独特の威厳を放っていた。
「きれい」
アタシが思わずつぶやいたら、YKセンセイはわが意を得たりとばかりに、長広舌を振るい始めた。
「そうだ。わがニッポン国のお札は芸術的に美しい。同感だ。あー、しかしだからといって、必要なときに、使わずにすまそうなんて考えちゃいけない。こいつの代わりは、他にもたくさんある。昔ほどじゃないにしても、けっこうな枚数が流通している。手放しても、巡り巡っていつかまた、きっと手に入る。だから、大事に取っておこうなんて、思わなくてもいいんだ」
語りながらYKセンセイは、二枚のお札を元通りに折りたたんだ。そしてアタシの左腕を取り、LibertyBellの袖に設えられた小ポケットのファスナーを引き開け、お札をそっと収めて閉じた。そんなところにポケットがあったなんて、知らなかったアタシは、右手を伸ばしてファスナーを開き、指先でお札の感触を確かめた。
YKセンセイの長広舌は、のろのろボーゲンで斜面を下る間も続いた。
まさか家出なんか、しないよな?ジョークめかして念を押した後、YKセンセイは、ふいに真顔になった。ヒッチハイクってわかるかい?相手が親切そうに見える人物でも、自分たちがもう一歩も歩けないくらい疲れていても、絶対に、他人のクルマに乗っちゃいけない。乗っていいのは、まともな行燈をつけたホンモノのタクシーだけ、緊急の場合はあのカネでタクシー代に乗るんだよ、約束してくれるかい?
もちろんだった。約束するくらい、お安い御用というものだ。その上で、アタシはもうひとつおねだりをした。YKセンセイが架けていた、濃い色のサングラス。アタシの明るすぎて冷ややかに見えるアイスブルーの目を、すっかり隠してくれそうなサングラスだ。それ、架けてみたい。
YKセンセイは、次のボーゲンターンの途中でサングラスを外した。眩しそうに目を細めながらアタシのすぐそばに滑り込んできて、両方の耳にサングラスのフレームをそっと架けてくれた。
ふむ。たしかに、キミのほうが似合ってるかも知れない。サングラスを手放す名残り惜しさを思い切るように、ささやいてくれたのだった。
それから間もなくのこと、アタシたち、アタシとユリアとリツコさんは山の〈家〉を追われ、かつては段田南海市長の両親が住んでいた家に、移ると決まった。〈国際経済総合研究所〉の代理人によって、アタシたちが〈家〉から持ち出せる荷物は厳しく制限され、リツコさんを気落ちさせた。でもそんなことはもう、なんでもないことになった。なにしろアタシたちが移り住む家は、物が一杯であり過ぎるくらい、溢れ返っていたからだ。リツコさんはすっかり元気を取り戻し、いつものリツコさんに戻った。
運ぶ荷物は少なめだったけど、引っ越し当日には、大きめのワンボックスカーがやって来た。もしやと思ったが、スライドドアが開いて現れたのは、やっぱりエレナちゃんだった。なんてうれしいサプライズ、アタシはダッシュ&ハイタッチで出迎えた。
なんと言ってもエレナちゃんは、アタシを〈家〉に連れて来てくれた。身元不明で引き取り手がいなかったアタシのために、総務課第三係長だったリツコさんに頼み込み、役所のややこしい手続きに必要な書類を揃えて、アタシを〈家〉の子どもたちの中に潜り込ませてくれたのだ。その後も時々こんなふうに、サプライズでやって来ては、アタシたちの助けになってくれるのだった。
エレナちゃんて、保護ネコをケアするボランティアの人みたいだね。ユリアはそんなふうに感想を述べた。まあ、そんな感じかも。うなずいておいたけど、アタシはボランティアどころじゃなく、もっと深い繋がりを感じていた。
三人分のマットレスと衣類と身の回り品を詰め込んだワンボックスに、アタシとエレナちゃんが乗り込んだ。運転したのは、トミージェイという人だ。今日初めて会ったトミージェイは力持ちで、アタシたちのマットレスを軽々と運び、ワンボックスに収めた。黙々と行ったり来たりを繰り返し、アタシたちがお喋りしていたちょっとの間に、積み込み作業を終えてしまった。
トミージェイは大人同士としても、エレナちゃんよりだいぶ若いように見えた。何歳かなんて、見当もつかないけど。でもそれは、あまり大柄じゃない体格と、長めの前髪と、モミジ色のパーカーのせいだったかも知れない。ちなみに、淡いイチョウ色のチノパンとのコーデが、なかなかオシャレで似合っていた。そして、リツコさんとユリアが乗って先行するパジェロミニに、ひたすら付き従うトミージェイの運転ぶりは、滑らかで巧みだった。
山の〈家〉にあっさりとお別れした後、エレナちゃんと一緒のドライブが嬉しくて、アタシはすっかりピクニック気分だ。ワンボックスに詰め込んだ三枚のマットレスが暴れないように、エレナちゃんと手分けして支えながら、やっぱり楽しくて、ワクワクするのだった。
「お別れはもういいの?〈家〉を見るのも、きっとこれが最後だよ」
エレナちゃんはつまらない大人みたいに、ありきたりなセリフを吐いた。でもそれは、ある意味しょうがないことなのだ。長年にわたって、営業部員としてクルマを売る仕事を続けて来たエレナちゃんは、立派な大人の顔を持っている。この世界で生きてゆく以上、それは大切なことなのだと、見ているだけのアタシにも、なんとなくわかった。
「〈家〉とサヨナラするのは、寂しいけど、エレナちゃんとドライブするほうがずっと楽しいから、全然OKだよ」
「なんてポジティブ。ねえ、ドライブっていえば、ずっと前にもしたよね、キーラと初めて会った日、あれからもう、十年くらい経ったのかな」
アタシはアタマの奥のほうで、何かがムズムズするのを感じている。なにか、固く閉じていた蓋のようなもの、それがゆっくりとゆるみ始めているような感じ。十年くらい昔の出来事の断片が、次々と浮かび上がって来ては、目の前にチラついた。どことなく、腑に落ちないような気持が湧いてくる。
「ほんのちょっとだけ、だったよ」
「そうだっけ?サワタリ地区から帰りの長いドライブ、キーラと一緒だったんじゃない?」
「長いドライブしたときは、エレナちゃんとアタシ、一緒じゃなかったと思うけど。ねえ、そのサワタリ地区って、街からだいぶ遠いの?」
「まあ、そうだね。遠かったような気がするけど、実際はどうだか。なんせ広かったから、サワタリ地区って。こっちの端っこか、あっちの端っこかで、だいぶ違ったと思うよ」
エレナちゃんの記憶があやふやなのは、十年という歳月のせいだろうかとアタシは考える。エレナちゃんの十年は、外の世界で生き抜くために奮闘を続けた歳月だ。〈家〉とリツコさんとユリアに守られて、ウジウジしていたアタシの十年とは、中身の濃さが段違いだ。
〈家〉の中だけの、小さな世界に閉じこもって、ただひたすら発育と成長のもたらす結果を待っていた、アタシの薄っぺらな十年。そんな日々を送っていたせいで、きっとアタシはあれやこれや、余計なことばかり思い出してしまうのだ。そしてそのたび、うわの空になる。これからどうしようかなんて、まるで考えられない。
それからアタシは、YKセンセイとスキー場で面会したことを、エレナちゃんに報告した。とてもプライベートなことだから、トミージェイの耳を憚り、顔を寄せ合ってひそひそと話した。大丈夫。ワンボックスカーの走行音は、けっこう喧しい。トミージェイの運転ぶりは、揺るぎなく滑らかだ。たぶん、聞こえやしない。そんな心配、しなくていい。
〈国際経済総合研究所〉に買収されてしまった〈あっちの山のビル〉、そこのデータベースに残されていた精子提供者たちの記録。アタシのDNAと片っ端から付き合わせた結果、たどり着いたのがYKセンセイの記録だった。こうしてアタシの精子提供者は、あっけなく判明した。その上、段田南海市長からのアプローチに、すんなりと応じてくれて、面会が実現したのだった。するとエレナちゃんは、なにやら腑に落ちない様子で言った。
「キーラ、スキーなんて贅沢な遊び、いつ覚えたの?」
「覚えてない、全然出来なかったよ。いまだって、ほんのちょっとしか出来ない。ねえ、スキーって贅沢な遊びなの?」
「そうだよ。やたらとおカネがかかるって、わかったでしょ。小学校にスキー教室があったのは、前世紀バブル時代のことでね、いまじゃ、地元の10パーセントセレブリティと、外来富裕ツーリストくらいのもんでしょ、スキーなんてやりたがるのは」
「へえ。それじゃ、YKセンセイっておカネ持ちなのかな?」
「どうだか。育ちがよかったのか、ただの見栄っ張りか、または両方かも」
エレナちゃんの言ってるイミは、よくわからなかった。育ちがいい?見栄っ張り?なにそれ?だからアタシとユリアのバス代として、YKセンセイからお札で二万円もらったことは、言いそびれてしまった。
「スキー上手だったし、教え方もわかりやすかったよ」
「あら。感じよかったってこと?意外にも、カレは」
「わるくはなかった。けど、カレでもカレシでもないからね」
「そうだね。じゃあ、いっそパパとか?」
「もっとヤダ、パパなんて。だれのこと?って感じ」
「だよねー。じゃあ、何て呼ぶの?また会うことある?」
「だから、YKセンセイだよ。一応、アドレスもらったし。エレナちゃん、おカネ持ちがキライなの?エレナちゃんからクルマ買ってくれる人たちって、だいたいおカネ持ちでしょ?」
「そう、例外なくおカネ持ちだよ。もちろん、キライじゃないけどね、ごくごくたまにウンザリして、ムカついちゃうことがあるだけ。ところで、YKセンセイって、なんのセンセイなの?」
「ええと、なんだっけ。ユリアに訊けば、ちゃんとわかると思うけど」
「なんでそこに、ユリアちゃんが出てくるのよ?」
「ニュースチャンネル、よく見てるから。アタシなんかより、ずっと詳しく知ってるよ、YKセンセイのこと」
ユリアは前々から、YKセンセイが大好き。でもいまは言わないでおこうと思う、ハナシがややこしくなってしまうから。
「どんなニュース?画面に出て、コメントしたりする人?」
「さてと。って、しゃべり始めるんだよ、飛行機や潜水艦のこと」
「飛行機って、スクランブルかかったら、飛んで行くやつだったりする?」
「そんなような」
「軍事力とか作戦とかの解説する、コメンテーターでしょ。見たことある気がしてきた。えっ?えっ?あの人が、キーラのパパなの?」
「だから。パパじゃないって」
エレナちゃんがニュースチャンネルを見ているとは、意外だった。朝早くから夜遅くまで、一日中外を走り回って大忙しのエレナちゃんに、そんな時間があるとは思えなかったのだ。そこで初めて、アタシはふっと気になった。
「エレナちゃんのランコさんとセイシさんって、どんな人たちなの?」
「わたしのこと?そんなの、どうだっていいじゃない」
「よくない、知りたいもん。どんなふうに〈家〉に来たのか、とか」
「わたしの場合はみんなとだいぶ違ってた。保護施設で育ったので、その頃から係だったリツコさんと知り合いだったの。両親は観光ビザで入国した後、行方不明になったので、出身地と名前はわかってるし、顔もうっすら覚えてる。けど、わたしに会おうとしたことは、ただの一度もなかった、以上」
「ごめん、エレナちゃん。聞かれてイヤだった?」
「そうでもない。案外ヘイキだったかも。キーラとユリアみたいに、オヤと呼べないオヤがいるのと、どっちがマシか、わかんないけどね」
そういえばエレナちゃんは十年くらい前、アタシを〈家〉に潜り込ませるために、必要な書類を揃え、ややこしい手続きをしてくれた人だった。もしかすると誰より、当時の状況をよく知っているかも知れない。もしも、ちゃんと覚えていてくれたら。
「アタシもみんなと違ってたんでしょ?だって、〈あっちの山〉にデータがあったのに、五歳より前は〈家〉にいないはずの子どもだった。どうして?エレナちゃんなら、知ってるんじゃない?」
「ああ。それはね、つまりキーラが、行ったり来たりしたからじゃないかな」
「ハンナさんのところへ行って、また戻ってきたっていうイミ?」
「なんだ。やっぱり覚えてるんだね。キーラの記憶力なら、覚えてないはずないと思ったけど、当たりだったね」
「ハンナさんは、アタシを自分で育てようとした。けど、アタシが五歳になったときに、育てるのをやめちゃった。そういうことだよね?」
「そう。そして、ヨーロッパへ旅立った。フランスだっけ?恋人と一緒に住みたいから、キーラを置いて行ったとか、言ってた人がいたような気がする」
「半分くらいは、恋人のせいかも知れないけど。あとの半分は、アタシがバレエのレッスンを、全然しなかったせいだと思うよ」
「あら。それは初耳。知らなかった情報だわ。キーラ、バレエが好きじゃなかったの?ハンナさんは、有名なバレリーナでしょ」
「うん、キライだった。トゥシューズ履かされたらムカついてきて、ゲロしそうになった。いまだって、全然キョーミないし、センスもないよ」
「わお」
エレナちゃんはひと言だけ発して、マットレスを支えた片手を伸ばし、アタシのアタマをぐりぐり撫でた。するとマットレスがずり落ちて、アタシの肩にのしかかってきた。二人して力を合わせ、マットレスを押し戻そうと踏ん張った。騒ぎに気づいたトミージェイが、ワンボックスカーを路肩に寄せ、手を貸してくれた。アタシはマットレスの下敷き状態から、脱出することができた。
トミージェイはにっこりして、また運転席に戻り、軽快に走り出した。一緒に力仕事をしたせいか、トミージェイを交えた車内の空気が和んだ。訊きにくかったことが、訊きやすくなった。
「エレナちゃんて、全然怒ってないんだね、オヤたちに」
「そう見える?」
見えるけど、ただ、見えるだけかも知れない、とも思った。
「エレナちゃんの怒った顔、見たことないから」
「あら。ねえ、トミージェイは見たことあるよね?わたしの怒った顔」
「ええと。オレは毎日、見てたっすね。なんせ毎日、怒られたもんで」
運転席から、トミージェイが声高に答えた。思いのほか高いトーンで、よく透る声だ。アタシたちの会話を、初めから聞いていたような気がした。
「なにやって怒られたの?エレナちゃんは、なんで怒ったの?」
そこのところを是非知りたかったので、アタシは二人それぞれに訊いた。
「ええと。オレってよくドジるし、人よりちょっと覚えるのがのろいし」
「トミージェイは週に三日、ウチの会社で働いてるの。一応わたしが指導役だから、ビシビシ言わなきゃならなかったのよ、初めのうちは。でも、もうすっかり慣れたよね?」
「まあ、そうっすね」
トミージェイのモミジ色のパーカーとイチョウ色のチノパンのコーデは、鮮やかすぎて最初はびっくり、目に染みた。でも、だんだん目に馴染んでくると、きれいな色合いだと思えてきた。アタシはこんなにきれいな派手色の服を、着たことが一度もなかった。歴代の〈家〉にいた子どもたちはみんな、着古したお下がり服で育った。うんと小さいときにちょっとだけ、ピンク系の派手色の服を着せられた覚えがあるけど、あれはこんなにきれいじゃなかった。
だからやっぱり、アタシはこんなにきれいな派手色の服を、一枚も持っていないのだ。いまだって、〈家〉にあったタートルネックとチェックのネルシャツを着ていた。もとは何色だったかなんて、言う気もしない。
アタシの目は、トミージェイのモミジ色とイチョウ色のコーデに惹きつけられ、離せなくなっている。そして、直接トミージェイに話しかけた。
「週のほかの四日間て、何曜日のこと?なんかやってるの?」
「オレ?金土日、会社へ行くからさ。月火水木は、ウチでブタ飼ってる」
「ブタって、あの、お肉やベーコンになる、ブタのこと?」
「それそれ。ウチのブタは、サワタリで一番美味いベーコンになるからさ」
「サワタリって言った?」
「言った。オレんち、住所はサワタリじゃないけど、養豚組合の括りはザックリでアバウトだから、一番美味いサワタリベーコンて、言っていいのさ」
そう言うトミージェイは得意げで、なんだかうれしそうでもあった。
今日は月曜日、だからモミジ色とイチョウ色のトミージェイは、空港近辺にあるふたつの道の駅どちらかで、サワタリベーコンを売っているはずだ。トミージェイのおかげで、アタシたちのあやふやな思いつきは、ほんの少しだけ力を得た。空港行きのバスの中で、ゆらゆらしているアタシたちの心もとない道行きに、サワタリベーコンという実体のある、あてができたと思えるのだった。
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