Lv.4 甲虫の殻(後)

「もう少しだけ、奥を見てきます。大きな虫が、いるかもしれない」


 シュウ君は、森の奥へと走りだしてしまいました。勇気と無謀は違うのに。


「おい、シュウッ。オフェンさんっ」


「ああ」


 オフェンさんが、巨体を揺らして、シュウ君を追いかけます。シド様は、あたしを振り返りました。


「俺も追うが、リオンはどうする? 馬車に戻ってても良いんだぞ?」


「こんな時だけ、名前で呼ばないでくださいよ」


 シド様の覚悟を決めた目に、迷ったのは一瞬の間だけでした。


「あたしも行きます。シュウ君を見捨てるわけにはいきませんし、いざとなったら要りますよね? あたしの魔法」


「ああ。頼りにしてる」


 お世辞なんかじゃない。心から信頼してるっていう笑顔。

 そんな顔で『頼りにしてる』だなんて言われて、嬉しくない後輩なんていません。


「自分で飛ぶので、引っ張ってもらわなくても大丈夫です。存分に、剣を振るってください」


「ああ」


 森の奥へは、獣道が続いています。先に2人が、特に大柄なオフェンさんが通った後です。脇に生えた草が掻き分けられ、進みやすくなっています。小枝や蜘蛛の巣に引っ掛かることもありません。

 しばらく進むと、シュウ君の「うわぁっ」という声が聞こえてきました。歓喜の声なのか、悲鳴なのか。姿が見えないので、判別が難しいところです。


「シュウッ」


 シド様の歩く速度が上がったので、あたしも進む速度を上げます。1本道ではありますが、はぐれないに越したことはありません。

 前方が、にわかに明るくなってきました。もうあと少しで、森が開けるようです。


「来るな、リー坊っ」


 オフェンさんの叫び声が聞こえます。なぜ、あたし限定なんでしょう? 来るなと言われても、行かないわけにもいかないんですけど。


「なんだ、これ?」


 珍しく、シド様が立ち尽くしています。驚くのも、無理はありません。森が開けた先にいたのは、人の背丈の3倍もある、巨大な虫だったんです。

 ぴんっと伸びた2本の触覚。

 棘のような毛が、関節を守るように生えた足。

 黒々とした光沢があり、何層にも塗り重ねたような深みのある濃茶色をした羽。

 巨大化した名前を呼びたくない茶羽が、後ろ足2本だけで直立しているんです。


「き、気絶しそうです」


「俺も、これはちょっとなぁ」


 さすがにシド様も、名前を呼びたくない茶羽から目を逸らし気味です。これを真正面から見ていられるのは、興奮して飛び跳ねているシュウ君くらいです。


「うわぁ、すごいっ。これだけ大きければ、色々と使えそうっ」


 虫好きとは到底思えないことを口走ってますけど。


『また、凝りもせずに来たのか、人間。すぐに逃げ出さないことを褒めてやろう』


 偵察に出たお城の人達が、なぜ逃げ帰ってきてしまうのか。今なら理解できます。


「ひ、人の言葉が、喋れるんですか?」


『我は、魔王だぞ? 人の言語を操るなど、容易いことだ』


「想像してた魔王と、だいぶ姿が違うな」


 困惑するように言うシド様に、あたしも同意見です。喋るたびに、触覚の先が左右に振れます。でも実際には、どこから声が出て、どこに耳があるんでしょう。

 疑問には思えど、尋ねることはしません。なるべく、だみ声を聞きたくはないので。

 そう望んでも、名前を呼びたくない茶羽は、容赦なく声を掛けてきます。あたしに。


『ん? そこの小娘。相当な魔力の持ち主だな。人並を、優に超えているのではないか?』


 触覚の先が丸くなって、あたしに近付いてきます。あたしは思わず、シド様の背中に隠れました。「おいっ」と抗議するような声が聞こえましたが、そんなものは虫です。出掛ける前に、盾にしても良いって言ったのは、本人なんですから。


『それだけ魔力が強ければ、人の世界では生きづらかろう?』


 そんなことは、ありません。しっかり者のマキナさんに、優しいオフェンさん。物知りで、おいしいご飯も作ってくれるシズルさん。今も、なんだかんだ背に庇ってくれているシド様。それなりに、楽しくやっているんです。

 否定の言葉は、出てこなかったですけど。茶羽相手に、返事をしたくなくて。


『どうだ? 私の味方につけば、世界の半分をおまえにやろう』


 ぷちっと、耳元で何かが切れる音がしました。茶羽の味方ってなんですか。もはや、我慢の限界ってやつです。


「おまえと半分にするような世界なんて無いですっ」


 杖の頭を茶羽に向けると、杖に付いた魔法石が眩く光りました。すると、元々薄暗い森の一画に、更に巨大な影が落ちます。


「なん、だーっ!?」


 空を見上げたシド様は、一瞬で状況を判断したようです。あたしを抱えると、茶羽から距離を取りました。オフェンさんが、慌てふためいてかえって身動きが取れなくなっているシュウ君の首根っこを掴んで、後ろに退けます。

 上空に突如現れたのは、青い炎に包まれた巨大な岩でした。徐々に落下速度を上げた岩は、容赦なく茶羽を潰してしまいました。断末魔さえ、ありません。


「い、隕石? リー坊が作ったのか?」


「みたいですが、覚えてません」


 魔法で作られた隕石もどきは、程なくして消えてしまいました。残されたのは大きな穴と、焦げ跡だけ。茶羽の姿は、どこにもありません。


「あああ、巨大な羽が……」


 シュウ君は、膝から崩れ落ちました。ちょっとかわいそうですが、相手は魔物。どのみち、塵となって消える運命です。


「霧が晴れてきたな」


 オフェンさんの言葉に、空を仰ぎます。大森林の上に立ち込めていた黒い霧は見る間に薄れ、澄んだ青さが広がっていきました。


「そういえば、魔王でしたね。さっきの茶羽」


「そうだな」


「減給ですかね、あたし達」


「俺は、倒してないぞ?」


「でも、倒そうとしてたでしょう? 今も、手が柄に掛かったままですよ?」


 シド様は柄に掛かった手を見下ろすと、苦笑しました。


「あー、これは。まあ、あんまりにも一方的な言い分だったから、つい、な」


「隕石が落ちた、と素直に言えば良い。真実を知っているのは、4人しかいない」


 オフェンさんは穏やかに笑うと、あたしとシド様の肩をぽんっと叩きました。


「さあ、帰ろうか。使えそうな素材は、また見つければ良いさ」


「そうですね」


 立ち上がったシュウ君は、まだしょんぼりとしています。


「帰りましょう。ルルカさんには、素材になるような甲虫はいなかったと報告します」


 そう言ったシュウ君は、笑顔でした。


「それがいい。と言いたいところだが、あれを見ろ」


 オフェンさんは、一際太い木を指さしました。樹齢3桁はいきそうな、大きな木です。その幹にあるものを見つけた瞬間に、あたしはさっとシド様の後ろに隠れました。


「おまえ、抜け殻もダメなのか?」


 そう。そこにあったのは、人の幼児ほどの大きさもある蝉の抜け殻だったんです。


「ち、小さいのなら、まだ見れなくもないですけど。ていうか、あれ、魔物の抜け殻じゃないんですか? なんで残ってるんですか?」


「死骸じゃないから消えないのかもしれないね。新発見だ」


 シュウ君は、嬉しそうです。


「まあ、あんまり気持ちの良い見た目じゃねえよな。引っ張ってってやるから、リー坊は目を閉じてろ。シュウは、回収してこい」


「抜け殻でも重そうだな。手伝おう」


「ありがとうございます」


 目の輝きを取り戻したシュウ君は、オフェンさんと一緒に抜け殻の回収に向かいました。羽のような軽い足取りとは、ああいいうのを言うんでしょう。

 まあ、良いんですけどね。丸く収まったんですから。

 あたしは大きなため息を吐くと、目を閉じました。

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