Lv.4 甲虫の殻(前)

 この世には、どうしても譲れない、というものがあります。

 もしも、それを理不尽にも壊されようとしたならば。

 嘆き悲しむ人もいれば、怒り狂う人もいるでしょう。

 おまえは、どうするのかって?

 あたしなら、必死に抵抗しますよ。


「さあ、さっさと行ってこい。俺達の稼ぎのためにもなぁっ!」


 たとえ、あしらわれたとしても、最後まで。


 ◆◆◆


 昼の空とは思えないほどに、黒い霧が立ち込めています。深い森に近付くごとに、霧も濃くなっているみたいです。

 なんだって、あたしがこんな所に来なければならないんでしょう。

 不貞腐れながらも、馬車に揺られています。興味の無い話は、右の耳から左の耳へ。それでも、気分は悪くなるってもんです。

 なんで逃げないのかって聞かれたら、仕事だから、としか答えられません。

 いえ、本当は行く前こそ抵抗したんですけど。いざとなれば、シド様が盾になってくれるって言いましたし。マキナさん、怖いですし。

 あたし達は今、ヤコクチョウの森、という大森林に向かっています。なんでも、その近くで巨大な甲虫が目撃されている、というのです。企画班は、この虫の殻で何か作れないか、と考えたんです。まったく、余計なことを。

 というわけで、今回は特別に、企画班からシュウ君も素材集めに参加しています。代わりに、最近働き過ぎのマキナさんはお休みです。仕事に厳しいマキナさんですが、基本的には優しくて心配性。あたしのこともちゃんと考えてくれていて、出掛け前に虫の忌避剤をたくさん持たせてくれました。眠くて頭が回っていないことが、よく分かります。


「森に入ったら、忌避剤、使っても良いでしょうか? あたしは、使いたくて仕方がないんですけど」


「シュウ的には、ダメだろうな」


 あたしとシド様は、小声で話します。というのも、さっきからシュウ君が気持ち良さそうに語っているからです。甲虫の殻の使い道について。げんなりです。


「こっそりだったら良いですかね?」


「まあ、こっそりだったら良いんじゃねえか?」


 シド様、あたしとのやり取りが面倒になってきてますね。眠いみたいで、大あくびをしています。

 忌避剤は勝手に使うことにして、あたしも寝ることにしました。これ以上、シュウ君の話を聞いてたら、馬車に寄っちゃいそうなので。休息は、魔力回復にもなりますし。

 その後、現地に着くまで、ずっとシュウ君はしゃべり続けたそうです。唯一まじめに起きていたオフェンさんが、疲れた顔で教えてくれました。ちなみに、オフェンさんが、素材班の班長さんです。よく、マキナさんが班長じゃないかって勘違いされるので、念のため。


「森の中に入ると、更に暗いですね。灯り、つけましょうか?」


「ああ、頼む」


 あたしはランタンに火を入れるついでに、忌避剤にも火をつけました。これは、煙でいぶす種類のものです。肌に付ける用の液体は、滴るほどたっぷりと振りかけておきます。


「その煙は?」


「馬車の場所を見失わないように、狼煙を焚いているんですよ」


 首を傾げたシュウ君は、あたしの嘘に納得したみたいでした。実際に、馬車は狭い所を通れないので、置いていかなければいけませんからね。

 あたしは、これ幸いとばかりに、進むたびに火のついた忌避剤を置いていくことにしました。


「虫、いないな」


「見間違いだったんじゃないですか? それか、たまたまこっちに来ていただけで、生息地は別にあるとか」


 いそいそと先頭を歩くシュウ君には悪いですが、虫は出ませんよ。マキナさん特製の忌避剤があるんですから。


「その可能性もあるけど。もう少しだけ、奥を探しても良いかな?」


「どうぞ、どうぞ」


 あたしは笑顔で答えながら、後ろ手に火のついた忌避剤をまた一つ、道に落としました。シド様が呆れた顔をして振り返りますが、あたしは気にしませんよ。危険は、回避するべきです。

 ところが、です。虫が、顔を見せやがったんです。あたしの足元に、虫が。


「シシシ、シド様っ。虫ーっ」


 あたしは涙目になって、シド様に飛びつきます。シド様は、背中にあたしを貼り付けたまま、剣の先で虫を追い払ってくれました。


「小さい甲虫だったけどな。どれだけ怖いんだよ?」


「小さくても、無理なものは無理ですっ。あたしを連れてきたことを謝ってくださいっ」


「指示したのは俺じゃねえんだけど、悪かったな。引っ張ってってやるから、目を閉じて浮いてろ」


 あたしがまたがった杖の先を持って引っ張ってくれるものの、無情にも前に進むみたいです。辛い。


「マキナさん特製の忌避剤も効かないだなんて」


「普通の虫じゃねえかもな」


「普通の虫じゃ、ない?」


「これだけ暗いからな。奥は、魔物の巣かもしれねえってこと」


 頭から、血の気が引いていきます。


「虫の魔物って、最悪ですよ」


「おまえとは、たぶんズレがあるだろうが同意だ。浮かれて近付いて良いとこじゃねえな」


 シド様は立ち止まると、前を行く2人に呼びかけました。


「オフェンさんも、シュウも、止まってくれ。たぶん奥に、魔物の巣がある」


 2人は立ち止まると、こっちを振り返りました。


「魔物の巣だと?」


「そうです。こいつを見てほしいんですが」


 シド様は、あたし達に向かって飛んできた虫を叩き落とすと、切っ先でひくついている虫を示しました。


「普通の虫じゃありません。異形です」


 あたしは勇気を出して、地に落とされた虫を見下ろしました。その虫には、普通の虫には無いものがあります。


「き、牙っ?」


 確かに、体は虫です。でも、口と思わしきところだけ鋭い歯が並んでいます。獰猛な深海魚、といった感じです。と言っても、あたしは深海魚だなんて、絵でしか見たことないんですけど。

 こっちに戻ってきたオフェンさんも、呆然と虫のようなものを見下ろしています。


「確かに、異形だ。よく見抜いたな」


「そりゃ、マキナさんの忌避ざ……いえ、さっき追い払った虫が、ちょっと気になって」


 オフェンさんは、「ふむ」と頷きました。シド様の失言は、あえて聞かなかったことにしてくれるみたいです。とっくに、気付いていたのかもしれませんけど。

 動きを止めた虫は、塵となって消えてしまいました。明らかに魔物の特徴です。


「となると、既に俺達は、魔物の巣に踏み入っている可能性もあるな」


「ええ。てわけで、戻るぞ、シュウ。俺等はともかく、慣れてない奴がいて良い場所じゃねえ」


 シュウ君は、怯んだ様子で、こっちを見ていました。でも、ぐっと奥歯を噛みしめたかと思うと、背を向けてしまったんです。

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