Lv.3 逃走用煙幕(後)

「ちょ、ちょっと、シュウ君。どうしたんですか、あれ?」


 部屋の隅でおろおろとしているシュウ君を、手招きして呼び寄せます。シュウ君は、あたし達と言い争う2人を交互に見ました。


「その、2人とも寝不足で、気が立ってるみたいで。朝からずっと、こんな調子なんだ」


 マキナさんもルルカさんも、普段では見ることがない剣幕で言い合っています。議題こそ防具のことみたいですが、ぱっと見ただけでは喧嘩しているとしか思えません。


「他のみんなは?」


「素材集めに出ていったり、企画班の書類整理に駆り出されたりしてます。シズルさんは、いつの間にかいなくなってて」


「逃げたな」


 ぼそりと呟くシド様に、思わず頷いてしまいました。シズルさんは最年長ということもあってか、何かと要領が良いんです。


「さっき、社長が来たんだけど。それで、更に2人の機嫌が悪くなっちゃって」


 よく見ると、部屋の角地で社長が三角座りをしています。きっと余計なことを言って、返り討ちにされたんでしょう。


「僕達はただ、草の鎧に次ぐ新しい装備品を考えられないか相談に来ただけだったんですけど」


「素材のことならともかく、装備品自体は企画班が考えることじゃねえのか?」


「それは、そうなんですけど。いつも僕達だけで考えてると偏るから、たまには違う方向から案を出してもらった方が良いって、ルルカさんが」


「それ自体は悪くねえが。頼る先がマキナさんじゃ、結局いつもと一緒だろ?」


「確かに、そうなんですよね。たぶん、仲が良いから相談もしやすいんだと思います」


 マキナさんとルルカさんは、休日でも一緒に出掛けたり、飲みに行ったりするほど仲が良いんだそうです。仕事熱心で、お客さんのこともきちんと考えてるって共通点もあります。

 だからこそ、お互いに一歩も譲らないといいますか。信頼しているがゆえに、遠慮もしないところがあるといいますか。


「向いてる方向は、同じなんだがなぁ」


 珍しく、シド様がため息を吐いています。でも、ため息を吐いてしまうのも理解できます。というのも、2人はさっきから、同じようなことを繰り返し言ってるんです。

 なるべく死人を出さないために、どうするか。


「あれじゃ、埒が明かねえだろ。無理やりにでも、1回、頭冷やさせるか」


「ですね」


 あたしは魔法で、部屋に冷気を送り込みました。ちょっと、冷やしすぎちゃったかも。


「さっむっ」


 2人は震えあがると、こっちを振り返りました。さすがに、風の出所が分かったみたいです。


「あ、ああ。あたしちゃんにバッタ君。おかえり。どうだった?」


「育ててくれるそうですよ。これなら難しくないだろうって」


 あたしの答えに、マキナさんがほほ笑みます。唇が震えてますけど。


「そ、そう。それは良かった」


「ついでに、携帯食の試食もさせてもらいましたよ。うまかったんで、2人もどうですか?」


 シド様が、貰ってきた試作品を2人に差し出しました。


「なるべく死なせないってのは、働いてるみんな、同意見ですよ。ただ、それって装備品だけに限った話じゃねえかなって思いまして」


 2人は少し戸惑う様子を見せた後、試作品に手を伸ばしました。


「食、か。確かに、無いと困るものだわ。世の中が荒れれば荒れるほど、手に入りにくくなるものだし」


「まさか、シド君に私的されるとはねぇ」


 マキナさんは思案気に首を傾げ、ルルカさんは苦笑して肩をすくめました。


「俺だって、色々と考えてるんですよ」


「みたいね。うん。この団子、おいしいわ」


 ルルカさんは唇を舐めてから、あたしとシド様を交互に見ました。


「ちょうど良いわ。あんた達なら、窮地に立たされた時、どうする?」


「窮地に?」


「そう。リオンちゃんだったら、虫に襲われるとか」


「逃げます」


 即答です。


「逃げる?」


 目を丸くするルルカさんに、力強く頷きました。


「その虫、こっちを殺しにきてるんですよね? 逃げます。無理はしません」


「虫はともかく、俺も逃げるな」


「シド君でも?」


 首を傾げるルルカさんに、シド様は頷きました。


「危ない時は一旦退いて、出直した方が良い。無理してやられたら、元も子もないでしょ?」


「逃げる、ね」


「完全に、頭から抜けてたわ」


 マキナさんとルルカさんは、顔を見合わせました。


「確かに、そうね。戦う術のない人は、逃げるしかないんだもの」


「そういう人の方が、人数も多いしね」


「じゃあ、今回はより逃げやすくするにはどうするかって方向で、話を進めましょう。2人なら、どうやって逃げるの?」


「飛びます。魔法で」


「飛ぶ。脚力で」


 あたしとシド様の意見に、なぜかルルカさんは長いため息を吐きました。


「なんの参考にもならないわ」


「普通の人は、縦方向に逃げるのは難しいものね。横方向に逃げやすくするとなると、障害物を作るか何かしないと」


「だったら、攪乱するのは、どうですか?」


「攪乱?」


 目を丸くするマキナさんに、こくこくと頷きます。


「森の中だったら、木の葉を舞わせたりとか。水辺だったら、水しぶきを上げるとか。砂場だったら、砂を撒き散らすとか。相手の視界が悪くなれば、その分逃げやすくなると思いますよ」


「なるほどね」


「でも、逃げる場所は、森や水辺や砂場とは限らない。特徴の無い平地でも同じように攪乱させるには、どうしたら良いのかしら?」


 うーんと唸る2人に、シュウ君が本社の外を指さしました。


「だったら、あれはどうでしょう?」


 全員で外を見ますが、見慣れた光景しかありません。鍛冶屋さんに、食堂。今日も、トッテンカンって音が聞こえています。


「何もないけど?」


「あるじゃないですか。煙が」


「煙?」


「みんな、言ってるじゃないですか。風の強い日は、煙で前が見えづらいから大変だって」


 少しの沈黙の時間の後、一斉にシュウ君を褒めたたえました。


「なるほど。確かに」


「やるわね、シュウ」


 特にルルカさんに褒められて、シュウ君は嬉しそうです。ルルカさんは、シュウ君にとって、憧れの存在ですから。


「風が無くても、幕が張ったみたいになれば良いのね? いくつか素材の候補を考えてみるわ」


「こっちも、より前が見えづらい煙の色を割り出してみる。行くわよ、シュウ」


「はいっ」


 ルルカさんとシュウ君は、慌ただしく自分の事務所に戻っていきました。と言っても、廊下を挟んで向かい側なんですけど。


「煙を出すには、これとこれ……あれも良いかもね。あたしちゃん、バッタ君。書き出したから、ちょっとこれ、取りに行ってくれる?」


「了解です」


「いってきます」


 2人して栽培場に逆戻りですが、喧嘩をしているよりはよっぽど良いです。シド様と顔を見合わせると、笑いました。


 完成した逃走用の煙幕は、好調な売れ行きです。魔物から逃げるため。獣から逃げるため。中には、怖い奥さんから逃げるためって理由もあるみたいです。

 あたしも、いくつか買いましたよ。なんでかって?

 これを焚くと、しばらく周辺から虫がいなくなるんですよね。

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