Lv.2 草の鎧(前)
朝日は、明るいものとばかり思っていました。
冬の空気は、冷たいものとばかり思っていました。
小鳥は、楽しげに鳴くものとばかり思っていました。
今日は、何もかもが違います。
東の空は暗いし、風は生暖かいし、小鳥は悲鳴のような鳴き声です。
「フハハハハハッ。ついに、魔王が現れたらしいな。これで、うちは大儲けだっ」
どうして神様は、1番叶えちゃいけない願いを叶えてしまうのでしょうか。
◆◆◆
社長は、朝からずっと笑っています。会ったことのない魔王よりも、よっぽど悪役っぽい笑い方です。
「とりあえず、お城から調査隊が出るって」
マキナさんが、ため息混じりに教えてくれました。
「社長の言うことはともかく、武器や防具が売れることは確かね。素材集めも忙しくなるでしょうから、そのつもりで」
「マキナの言う通りよ。さっそく注文が入ったわ」
紙を振りながら、ルルカさんがやってきました。後ろには、あたしの同期のシュウ君も付いてきています。
「マキナの力を借りたいの。お題が、お題だから」
「どんなお題なの?」
「これよ」
ルルカさんが広げた注文書を見て、その場に居合わせた全員が目を丸くしました。
「草の鎧?」
「そうよ」
「正気ですか? これ、注文した人」
つい、眉が寄っちゃいます。あたしのリボン付きケープだって、特殊な糸で織られているんです。マキナさんだって、危ないところへ向かう時は、服の下に鎖帷子を着こんでいます。
それでも、ルルカさんは頷きました。
「本人は、いたって正気よ。注文を受けた以上、私達はなるべく死なせない防具を作る必要がある」
「そうは言うけど、どうするの? 厚手の皮でも鉄でもなく、わざわざ草を選ぶ。ということは、軽さが欲しいんでしょう?」
首を傾げるマキナさんにも、ルルカさんは頷きます。
「依頼主と直接会ったけど、ほっそい人だったわ。『ちゃんと食べてる?』って、聞きたくなるくらい」
「そんな人が、どうして鎧なんて」
「好きな人が言ったんですって。『強い人が良い』って」
「そんな。強い人と無謀な人は、違うはずですよ?」
「リオンちゃんの言う通りね。でも、世の中がもっと荒れてこれば、こういうのも量産せざるを得ないのよ。魔物が襲うのは、金持ちばかりじゃない。お金を持っていない人達が買える防具と言えば、布の服かこれくらいでしょうね」
素材の数が限られ、工程数も多い皮や金属は、高値になりやすいんです。これが、その辺りに自生している草で作ることができれば、安価に繋がります。
「近い未来のためにも、良いものを作らないと。てことで、マキナ。協力して」
「分かった。できる限りのことは協力する」
すぐに、マキナさんとルルカさん、シュウ君による話し合いは開始されました。マキナさん以外の素材班の人達は、それぞれに他の仕事をこなします。あたしはシド様と一緒に、鍛冶屋さんのお使いを済ませることになりました。
鍛冶屋さんは、あたし達がいる本社の道向かいに工房を構えています。会社の名前の由来にもなった大黒柱です。今日も、煙突からは煙が上がり、トッテンカンっていう音が響いています。
「こんにちはー」
火入れをしている時の鍛冶屋さんは、とても暑いです。暖気が、冷えた頬を撫で上げます。新人さんを見ていたルエさんが、あたし達に気付いて入り口まで来てくれました。冬だというのに、ルエさんも新人さんも薄着で、額には汗をかいています。
「やあ、シドにリー坊。お使いを頼まれてくれるって?」
「ああ。何が足りないんだ?」
「炭が心もとないのと、鉄だね。城から急な発注があって、予定より早く切れそうなんだ。重いけど、大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。あたしには、魔法がついてますから」
見た目で舐めちゃいけません。ふふっと笑うと、ルエさんも笑顔になりました。筋骨隆々な中年男性なんですが、笑うと子供のような愛嬌があります。
「そうだったね。じゃあ、頼んだよ」
「ああ。任された」
今日は荷馬車が出払っちゃってるので、荷車をシド様が引いています。あたしは杖にまたがって、シド様の隣りをふよふよと浮いていきます。杖には綿と布を巻きつけてあるので痛くありません。見た目よりも実用性重視です。
炭と鉄は、それぞれ別の場所で生産されています。どちらもトッテンカン工房の支所です。
「まず、炭から貰いに行くか」
シド様の提案に、素直に従います。炭の製作場はシジュウカラの西の郊外にあって、東にある本社とは街を挟んだ反対側となります。
街中は、今日も賑やかです。井戸端会議をしているおばさん達もいれば、飲食店の呼び込みの声も聞こえてきます。一見すると、普段と変わらない光景に見えるのですが。
「なにか、街の空気がいつもと違う気がするんですよね」
はて? と首を傾げていると、「そりゃ、ピリピリしてるからだろ」というシド様の返事がありました。
「魔王が現れたって、もうみんな知ってるだろ? 実際に、東の空は暗いままだしさ。城から偵察隊だって出てる。多くの人間が、不安に思うのも無理ねえよ」
「シド様も、怖いですか?」
あたしの問いに、シド様は「うーん」と唸りました。
「正直なところ、まだわっかんねーな。仕事は普通にできてるし、実感が湧かないっていうか。ただ、この間の魔物のこともあるから剣はなるべく傍に置くようにしてる」
この間の魔物とは、宿屋の1件のことでしょう。あの後、マキナさんも「平和ボケしてたわ」とため息を吐いて、以降、事務所にも常に弓をお置いています。
「そう言うおまえは……不安とか無さそうだな」
「そうですね。今のところは」
幸いにも、あたしには魔法がついています。杖があれば体力的に楽ですが、無くても使えることは使えます。寝るか食べるかすれば、回復しますし。
「敵なしだな、おまえ」
「敵ですか。そういえば、考えたこと無かったですね」
「そりゃ、幸せなこった」
「シド様は、あるんですか?」
「まあ、無きゃ剣士なんて目指さねえだろ」
「ですね」
シド様は、そこらの剣士より、よっぽど強いと言われています。そうならざるを得ない過去があった、ということでしょうか。
「なんだか意外です」
「あ? 今、馬鹿にしたか?」
「いや、してません」
「いや、しただろ」
「してませんって」
このやり取りが、炭の製作場まで延々続きました。こんなだから意外に思うって、なんで分からないんでしょうか。
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