婿入りしたら、あざと可愛い異母妹の方だった
完菜
第一話
初めて婚約者に会った時、僕はとても驚いた。愛らしくて可憐で、物凄く可愛い女性だったから。「ジュスト様」って上目遣いで呼ばれておねだりされたら、僕はどんな願いでも叶えてしまいそうだった。
だって、夜会で会ったら絶対に僕なんかが声をかけたらいけないような、高嶺の花だったのだ。こんな子が、僕の妻になってくれるのかと心の中で歓喜した。
僕は、男爵家の三男でジュスト・ブライアント24歳。どこにでもいるような、取り立てて特徴のない男。
茶色の髪に茶色の目。女の子からキャーキャー言われるような格好良さも持ってない。男爵家の三男なので、どこかに婿入りするようなことが無い限り爵位とは無縁の貴族。
僕のような境遇の男性は、婿入り先を見つけるか、安定した収入を見込める職に就くか、もしくは自分で商売を始めるしかない。
僕は、武器にできる容姿を持っていないし、女性を口説くのも上手な訳ではないので安定した職に就いた。
自分が唯一誇れることは、ワインが大好きだと言うこと。ワインに囲まれて生活できたら幸せだと思って、王都で一番大きなワインの専門店に就職した。
幼い頃からどこかに就職することを考えていたので、商売のことについて学べるコースで学校に通った。
僕の国にある貴族の子息向けの学校は、いくつかのコースに分かれている。爵位継承者コース。商業科コース。花嫁修業コース。教育者コース。
商業向けコースを選択する令息たちは、僕と同じような境遇の生徒が多かったから沢山の友達ができた。
そのコースの生徒たちは、ここで培った人脈を生かして商売につなげることが多い。
そんな平凡な僕の婚約者になった女性は、チェーリア・ラッセルといい伯爵家の次女。彼女と婚約するに至った経緯は、学生時代の友人から、様々な業種に就く人々が集まる集会があるから来ないかと、誘われたことがきっかけだった。
開催者は、確か王都で有名な宝石店で招待客の紹介さえあれば行くことができた。夜会と言えばパートナーが必要だ。
だけどこの集会は、若い人向けに商業的な人脈を築くことを目的としていて、一人での参加も許されていた。
当時の僕は、23歳になっても婚約者がいない寂しい独身男性で夜会から足が遠のいていた。偶にはいいかも知れないとその集会に足を運んだ。そこで、チェーリアの父親であるクラーク・ラッセル伯爵と出会ったのだ。
チェーリアの父親は、ワインが好きで僕が勤めている店にもよく来るという話になって意気投合した。
何度かその集会で話をするうちに、気に入ってもらえて我が家の婿になってくれないかとお誘いを受けた。
僕からしてみたら、まさか男爵家の三男が伯爵家へ婿入りするなんて奇跡だった。クラーク様さえ良ければ是非とその場で快諾した。
僕はこの時、婿入りする相手のことを何も考えていなかった。婿入りするという話に舞い上がってしまい、相手のことを調べることもせずに返事をしてしまった。
家に帰ってよくよく考えてみると、そう言えばどんな相手と結婚するのだろう? という疑問が頭に浮かんだ。
でも僕は、まさか自分がどこかの家に婿入りできるなんて考えていなかったので、高望みするつもりはなかった。
どんな女性でも、僕と結婚してくれるのだから精一杯大切にして温かくて幸せな家庭を築きたい。そう思った。
そうは言っても、婚約の話が本格的に進む前に一度ラッセル伯爵家について調べた。ラッセル伯爵には、娘が二人いて長女が19歳でアマンダ。次女が、18歳でチェーリアだった。
ラッセル伯爵は、前妻を病気で亡くしており今の奥方は後妻だ。前妻が亡くなったのが3年前。子供を連れての再婚の為、貴族男性によくある愛人を後釜に据えたのではと推測する。
僕が調べられる範囲では、特に問題のある家には見受けられなかった。
後妻と姉のアマンダの折り合いが悪いようだという話しだったが、それはよくあることだったので別段気にしない。どうせ姉の方も、そこまで時間を置くことなく結婚して家を出ていくだろうと思ったから。
姉妹仲は良くも悪くもないという話だったし、問題ないと僕は見なした。
ラッセル伯爵からは、僕との結婚を望んだ方と婚約させると聞いていた。僕も希望してくれた方と結婚できるならそれに越した事はない。
快くそれでお願いしますと返事をした。
そして迎えた初顔合わせ。チェーリアの可愛さに、一目で恋に落ちてしまったのは仕方ないことだと思う。
だって本当に可愛い子だったのだ。銀色のウェーブかかった髪はフワフワで、サイドを編み込みハーフアップにしていた。
パッチリした目は、ウルウルとしていてピンク色をしている。小さくて細くて、僕が守ってあげなければと強く感じた。
「はじめまして、チェーリア・ラッセルと申します。ジュスト様、お会いできてうれしいです」
そう言ったチェーリアの声は、鈴が鳴るような可愛さだった。僕に向かって向けられた笑顔が、花が一斉に咲き誇るかのようで胸のドキドキが加速した。
その場には、姉のアマンダもラッセル伯爵の妻もいた筈なのだが僕の記憶には残っていない。
挨拶を交わした僕らは、ラッセル伯爵によって二人きりの時間を与えられた。チェーリアをエスコートしながら、ラッセル家の庭園を並んで歩く。
流石は伯爵家の庭で、とても見応えがある。季節は春で、沢山の花々が咲いていた。だけど僕は、花を愛でている場合じゃない。
チェーリアの腕が、僕の腕に絡んでいてかなり体が密着している。細くって壊れてしまいそうだけど、柔らかくてずっと触っていたいと思う。
そればっかりに意識がいってしまい、胸のドキドキが全く止まらない。そんな僕のことはお構いなしに、チェーリアは無邪気に甘えてくる。
「ふふふ。ジュスト様。私、今日がとっても楽しみだったの。ジュスト様と婚約できてとっても嬉しいから」
チェーリアは、顔を僕の腕に近づけて上目遣いに見上げてくる。こんな可愛い子に、こんなことを言われて喜ばない男なんていない。
「僕も、チェーリア嬢に会えて嬉しいよ。これからよろしくね」
僕は、高鳴る胸を抑えてできるだけ優しく返事をした。
「もう婚約者なのだから呼び捨てで呼んで」
チェーリアが、にっこり微笑んで僕にお願いする。
「わかった。チェーリア、では僕のこともジュストと呼んで」
僕は、もうすでにチェーリアにメロメロだった。今まで女性とまともに付き合ってこなかったのだ、女性に免疫なんてない。
一応貴族男性なので、女性との嗜み的なことは経験済みだ。でも、それとこれとは全く違う。
僕に向けられた純粋な好意が、新鮮で甘い。自分に自信のなかった僕が、こんな可愛い子と結婚できるなんて人生何が起こるかわからない。
青空を見上げてこの幸運を神様に感謝した。
それから僕らは、一年間の婚約期間を経て結婚式を挙げた。婚約期間中は、夢のような時間だった。
婚約者のできた僕は、ここぞとばかりにチェーリアを連れて様々な夜会に出席した。僕を知る友人たちは、羨ましがってくれたしお祝いもしてくれた。
チェーリアは、少しわがままな部分もある娘だったが、自分に気を許しているのだろうとそんなところも可愛く感じた。
デートで街に出掛けると、高価な物を強請られたりもした。僕にできる範囲でできるだけ希望にそったプレゼントを贈った。
そんな楽しい時間を過ごしていた筈なのに、結婚式を皮切りに違和感を覚えるようになる。
後に僕は、可愛さに目がくらんでなんて馬鹿な男だったのだろうと反省する。
始まりは、結婚初夜だった。それまで僕らは、清い関係を貫いていた。キスさえもしていない。
チェーリアは、可愛く甘えてきたり体を密着させてきたが僕からは何もさせて貰えなった。
一度だけ、キスをしようと試みたことがあった。その時に、頬を染めて俯きがちに言われてしまったのだ。
「ジュスト……あのね、ファーストキスは結婚式にとっておきたいの。結婚式でファーストキスってロマンティックでしょ?」
そんな風に可愛くおねだりされた僕は、頷くしかなかった。
そして迎えた結婚式で、感動のファーストキスをした。僕の方が嬉しくて涙ぐんでしまったと思う。
その日の夜、シャワーを浴びながらいよいよだと今までにないくらいドキドキしていた。もう結婚式も終わって、チェーリアの旦那になったのだ。しっかりしろと自分に渇を入れる。
真っ白なバスローブを着て、夫婦の寝室に向かった。ノックをすると、チェーリアの声がする。
「どうぞ」
ドアを開けて中に入ると、チェーリアがベッドの中に入って休んでいた。
「どうしたんだい? 疲れた?」
恥ずかしかったのかな? と思いながらもチェーリアの近くに寄った。
「ごめんなさい。なんだが、体が熱っぽくて。今日まで忙しかったから疲れが出たのかも……。ジュストどうしよう」
チェーリアは、とても申し訳なさそうで泣きそうになっていた。僕は、そんな彼女が愛おしくて優しく声をかける。
「大丈夫だよ。じゃあ、今夜はゆっくりお休み。僕は自分の部屋で寝るよ」
体調が悪いのに気を遣わせたら悪いと思ってそう言った。だけど、チェーリアは何だが残念そうな顔をしている。
「ジュスト、ありがとう。お言葉に甘えさせてもらうね。でも、寂しいからキスだけして?」
チェーリアが、布団から腕を出して僕のバスローブを引っ張る。僕は、そんなチェーリアの可愛さに身悶える。
今日は残念だったけど、これからは毎日一緒なのだからと自分を押しとどめる。僕は、ベッドの端に腰かけてチェーリアの唇に自分のそれを重ねた。
「ありがとう。おやすみ、ジュスト」
そう言って、頬を染めてにっこり笑うチェーリアが可愛いかった。
その日は何もなかったけれど、すぐに身も心も一つになって名実ともに夫婦になれると思っていた。
だけど、初夜の日を境に何かと理由をつけて一緒に寝ることはなかった。
結婚してからの僕は、ラッセル伯爵の後継として領地運営の勉強をしなければならなかった。後継と言っても当主代理という位置づけではあるが……。でも僕が、業務をやることになるので後継と同じようなものだ。
当分の間は、ラッセル伯爵の仕事をそばで見て勉強させてもらうことになった。だから僕は、結婚と同時にワイン専門店は辞めてしまった。同時にチェーリアにも、本格的にラッセル家の女主人としての教育が始まった。
年老いた両親の場合だと、結婚と同時に爵位を譲り受け両親が引退することもある。だけど、僕達二人は未熟だった。
義両親二人も、まだまだ現役だ。数年は両親の下で勉強させてもらって、認めてもらうことができたら爵位をチェーリアに譲り受ける運びとなった。
僕も、正直その方が有難かった。学校では、領地運営のことについては全く学んでこなかった。
意図することなく婿に入る話になったので、きちんと勉強してから継がせてもらいたいと思った。
代々築いてきた爵位を、僕の代で残念なものにする訳にはいかなかったから。
そんなことで、僕はチェーリアに構ってやれる時間がなくなり自分自身にも余裕がなくなった。
結婚したのだから、いくらでも時間はあるのだし今は勉強することが大事だ。それがチェーリアとの幸せにつながるのだと信じて疑わなかった。
義父の仕事を手伝うようになって、チェーリアの姉のアマンダと一緒にいることが増えた。アマンダは、チェーリアと正反対の女性だ。
チェーリアは、明るくて可憐な花が似合う女の子。対してアマンダは、物静かでひっそりと咲く美しい花が似合う女性だった。
真っ直ぐで艶のある黒髪。目元がシャープでいつも無表情。笑っている顔を見たことがない。でも立ち姿がとても綺麗だった。
アマンダには、まだ婚約者がいない。義父が探しているようだが、中々お眼鏡に叶う男性が見つからないようだ。
事前情報通り、アマンダと義母の仲は良いように見えなかった。会話しているところを見たことがない。
どちらかと言うと、義母の方が突っかかっていることが多い気がする。義父は、娘二人とも平等に接していた。
過分に甘やかしているようにでもなく、よくある親子関係といって差し障りがなかった。
貴族の令嬢と言えば、昼間はお茶会に出掛けたり本を読んだり刺繍をしたりといったイメージがある。
チェーリアは、よくお茶会に出掛けているようで余り屋敷で日中見かけることがない。それなのに、アマンダは好きで父親の仕事を手伝っていた。
父親の秘書のようなことをしていたので、僕は疑問に思い訊ねたことがあった。僕に与えられた執務室で、偶々アマンダと二人きりになったのだ。
「アマンダ嬢は、どうしてクラーク様の仕事の手伝いをしているのかい?」
アマンダは、整理していた書類の手を止めて僕の顔を見た。相変わらずの無表情で、何を考えているのがわからない。
「私、お仕事に興味があって……。商業科のコースに進んだの。本当は、どこかにお勤めしてみたかったのだけどお父様の許可が出なくて……。その代わり、自分の仕事を手伝うのではどうか? って言われて。それでなの」
アマンダは、纏め終わった書類を机にトントンと当てて整える。
「へー、女性で働いてみたいだなんて珍しいね」
僕は、感心してそう言ったつもりだった。
「女の癖に生意気でしょ? いつもそう言われるのよ……」
アマンダが珍しく、ツンとした表情を忍ばせる。
「いや。一緒に働いて思ったけど、そこら辺の男性よりもちゃんとしているよ。僕も一応勤め人だったから色んな人を見たけれど、アマンダの仕事の仕方は丁寧だし、正確だしとても助かる。いつもありがとうって思っているよ」
僕は、いい機会だと思って感謝の気持ちを述べた。街に出れば、適当な仕事をする奴はいくらでもいる。
自分が働いていた店には、平民だったが女性店員もいた。彼女たちは、男性と比べても遜色ない。
だから、アマンダが働きたいという気持ちもわからなくもなかった。
「そんなこと初めて言われたわ。こちらこそ、ありがとう。じゃあこれ、お父様の所に持って行くから」
そう言って、アマンダは扉を出て執務室から出て行った。僕は、アマンダが出て行った扉を見ながら思う。
アマンダの照れた顔なんて初めて見た。チェーリアとは違った魅力の持ち主だと思った。
チェーリアと結婚してから半年が経とうとしている。相変わらず、夫婦としての関係に進展はない。
流石の僕も、そろそろチェーリアとの甘い時間を過ごしてもいいのでは? と思う。仕事の方も一段落着きつつある。
まだまだ教えて貰うことは多いが、一月の流れは理解できたので後は何かあった時に、その都度教えて貰えれば大丈夫だった。
チェーリアの方はと言えば、婚約期間の時に比べてやけに派手になっている。ラッセル家の女主人としての仕事を義母に教わっているはずだが、殆ど家にいることがない。
何故か、女主人の仕事までアマンダがしている。一度チェーリアに聞いたら、姉から将来の為に勉強したいと言われたのだとか。
自分はいつでも母親から教えて貰えるから、今はお姉様に譲っているのよと楽しそうに教えてくれた。
僕は、アマンダならどこにいってもきちんと女主人の仕事はできるのでは? と内心では疑問だった。
だって僕から見たアマンダは、義母から仕事を教えて貰っているのを見たことがない。寧ろ、義母もアマンダに仕事を押し付けて、日中はお茶会に夜は夜会や観劇に出掛けていたりと好きに生活を送っていた。
最近のチェーリアと義母の二人は、殆どラッセル家にいることがない。チェーリアとの距離が縮まらない変わりに、僕は自然とアマンダと仲良くなっていった。
最初の頃のアマンダは、表情が無く何を考えているのかわからない女性だった。だけどよくよく観察していると、ふと小さな笑顔を溢すこともある。
仕事を褒めたりすると、ほんのりと頬が赤くなったりする。それに、とても気が付く女性で、万年筆のインクやメモ帳がなくなりそうだとすぐに足してくれていた。
僕がラッセル家で、居心地よく暮らせるように常に動いてくれる。そんなアマンダを見ていたら、お嫁さんに貰える男性はさぞ幸せだろうとそんな風に考えていた。
ある日、久しぶりに夫婦で夜会に出席することになった。結婚してすぐの頃は、挨拶回りも兼ねて二人で出席することもよくあったのだが……。
最近では、チェーリアと母親が二人で夜出掛けることが多かった。自分も義父に付き合って、仕事の付き合いをしていたので夜会に出席する機会が減っていた。
今日のチェーリアは、新しいドレスを新調したらしくとても嬉しそうだった。レモン色で凝ったレースを沢山使った、可愛いデザインのドレスに身を包んでいる。
パッと目を引く程、可愛らしいチェーリアだった。そんな彼女を見ると、僕も自然と笑顔が零れる。
久しぶりの夜会に、僕も嬉しくて胸が高鳴る。ドキドキしながらチェーリアをエスコートして、馬車に乗り込んだ。
隣り合って座り、チェーリアが僕の肩に頭をもたせる。
「ジュスト、一緒に夜会に行くの久しぶりね。とっても嬉しい。最近、あまり構ってもらえないから寂しかった」
チェーリアが、可愛く僕に甘える。僕は、チェーリアの可愛らしい手を握りしめて優しい眼差しを向けた。
「ごめんよ。でも仕事の方も一段落できたから、これからはチェーリアとの時間を過ごせるはずだよ」
僕は、そう言ってチェーリアの手の甲にチュッとキスを落とす。チェーリアは、照れながらも嬉しそうに笑顔を溢す。
「嬉しい。今日は、二人で楽しみましょうね」
そして僕らは、最近の距離を埋めるように色々な話をして楽しんだ。
夜会会場に着くと、可愛いチェーリアは男の目を引いていた。僕は、自分が夫として変な男からチェーリアを守らなくてはと強い使命感に燃える。
できるだけ離れないようにしよう、そう決心する。見知った顔を見つけて挨拶を終えると、久しぶりにダンスを踊った。
チェーリアは、余りダンスが上手ではない。何度も足を踏まれたが、僕は可愛いものだと笑い飛ばす。
その度に、チェーリアが恥ずかしそうな顔をして謝るから、そんなところも可愛いなと単純な僕は思っていた。
ダンスが終わると、チェーリアが僕に可愛く言った。
「ねえ、ジュスト。あっちに学園時代のお友達がいたから、おしゃべりしに行って来ていい?」
今もチェーリアに視線を送る男はたくさんいる。できれば一人で行って欲しくなかった。
「チェーリアのお友達なら僕も挨拶したいんだけど、駄目かな?」
チェーリアは、頬を膨らませて抗議する。
「もう、ジュスト。女性は、女だけの会話があるものなの! すぐに戻ってくるから。行ってくるわね」
そう言うと、僕の返事も待たずに招待客の中に消えてしまった。僕は、やれやれと思うものの夫に聞かれたくない話もあるかと納得する。
休憩にワインでも飲もうと、飲物を取りに行った先で、自分も学園時代の友人と会い話が盛り上がってしまった。
気付くと30分以上経過している。そろそろチェーリアを、探しに行かなくてはと友人と別れた。
僕は、チェーリアが向かった方を探し始める。キョロキョロしながら探すが、レモン色のドレスを着た女性が見当たらない。
なかなか目立つ色なので、いればすぐに分かりそうなのだが……。
会場を一周するも見当たらす、もしかしたら庭園に出てしまったのかもと思った。夜の庭はライトアップされてとても綺麗だ。
女性達にも人気の場所になっている。ただ余分なライトは極力減らされているので、男女の逢瀬にもよく使われる。
奥の方まで入り込んでいないといいなと思いながら、僕は庭園へと急いだ。
外に出る扉を開けると、足元がライトアップされていてとても綺麗だった。所々にランプも配置されていて、ぼんやりと明かりが灯り外で談笑している人々の影が揺れ動いている。
夜は肌寒い季節になってしまったので少し寒い。女性同士で、ガーデンテーブルの椅子に腰かけて、楽しそうにおしゃべりしているグループがあった。でも残念ながらチェーリアの姿はない。
僕は、段々と奥へと足を踏み入れる。会場にいなかったし、ここにもいないとなるとどこか休憩室にでも行ってしまったのだろうか? そんな風に考えていたら、聞き覚えのある声がした。
「もう、アランったらー。んっ、ダメ」
その声を聞いた瞬間、僕の胸に衝撃が走った。さっきまで聞いていた、鈴が鳴るような可愛らしい声だったから。
そんなまさか、違って欲しいと心の中で叫びながら、声のする方に足音を立てないように進んだ。
大きな木で囲まれた、さも密会に使って下さいと言いたげな場所が出現する。中から男女の楽しそうな話し声が聞こえ、女性の甘い声が混ざる。
僕は見たくない、聞きたくないと思いながらも確かめなくてはいけないと自分を奮い立たせた。
「こんなことして、旦那に見つかっても知らないぞ」
「もう、ジュストのことは言わないで。今日なんて久しぶりに妻を演じて疲れているんだからー」
「初夜も仮病で乗り切ったんだろ? お前マジで酷い女だよな」
「あんっ、もう。だってあんな冴えない男、私嫌いだもん」
「あはは。女主人の仕事は姉に押し付けて、昼間は俺と遊んでいるんだもんな」
「アランはそんな酷い女が好きな癖に。キャッ、あっ」
僕は、中を覗こうと思って囲んでいる木に近寄ったら会話を聞いてしまった。間違いなく僕の名前を呼んだ。
木と木の隙間から中を覗くと、レモン色のドレスを着た女性が知らない男に抱き着いてキスをしている。
僕は、自分の口を手で覆って衝撃の余り目を見開いた。ゆっくりと、後ずさり音を立てないようにその場を後にする。
呆然としながら庭園から出て、夜会会場の壁際に寄った。立っているのがやっとで、今見聞きしたことが頭から離れない。
結婚してからの半年、おかしいと思ったことは沢山あった。一緒に寝室を共にしないこと。顔を合わせるのは、朝食と夕食の時だけ。
洋服を選んでくれたり、見送りや出迎えといった妻らしいことをしてもらった記憶もない。
スキンシップを取ろうとしても、視線を逸らされたり距離を取られたり考えればキリがない。でも、僕はチェーリアが好きだったし幸せにしたいと思っていたから、考えないふりをしたのだ。
だって、義父は婚約する時に言ったんだ。「君との結婚を望んだ娘と婚約させる」って。それを信じた僕が馬鹿だったのか……。
その後の僕は、どうやってラッセル家の屋敷に戻ったのか覚えていない。気が付いたら、自室で夜会服のままベッドに突っ伏して泣いていた。
きっと逢瀬を終えたチェーリアと合流して、そのまま馬車に乗って帰ってきたのだと思う。チェーリアと何を話したのか全く覚えていない。
それからの僕は、抜け殻みたいだった。毎日、やらなければいけないことを淡々とこなす日々。溜息ばかりついて、情けない姿をさらしていたと思う。
チェーリアから、冴えない男だと言われたことがショックだった。最初から嫌われていたなんて……。妻を演じていただけだなんて、もう僕は何を信じればいいのかわからない。
あの僕に向けてきた笑顔が、可愛く甘える仕草が、全部演技だったのだと思うとやるせなくて許せなかった……。
それなのに義父は、変わらずに僕に良くしてくれる。こんな仕事ができる婿がきてくれて、私は幸せ者だと笑っていた。そんな義父に、今更離縁したいなどと言える訳がない。
それに男爵家の三男が、伯爵家に婿入りしたのならこんなことには目をつぶるべきだ。もうこんなチャンスはきっと僕には巡ってこない……。
貴族社会ではよくあることだと、割り切ってお互いが愛人を抱え仮面夫婦を演じる。それが一番、波風立てずに生きて行けるはずだ。
だけどやっぱりいくら考えても、僕にそんなことができると思えない。僕は、平凡でも幸せな家族になりたかったんだ。
妻を愛して、家族を増やして、ずっと一緒に楽しく暮らす未来を目指していた……。
あれからチェーリアのことは、直視できなくなった。あんなに可愛いと思っていたのに、僕に見せる顔は全部演技なのだと思ったら吐き気がした。
鬱々と過ごしていたある日、執務室で仕事をしている僕にアマンダが声をかけた。
「あの、ジュスト様……。最近、元気がないようですが、何かありましたか?」
アマンダは、僕が好きな紅茶の銘柄を知っていていつも決まった時間に出してくれる。今日も、いつもの時間にお茶を淹れてくれた時だった。
「ああ、すまないね。何でもないんだ……。ちょっとプライベートなことだから……」
僕は、言葉を濁す。だって異母姉妹とはいえ、妹が浮気をしているだなんて言える訳がない。
「そう……ですか……。私がお力になれることなら、言って下さいね」
アマンダ、ほろりと微笑を零す。僕は、不意に熱いものが込み上げてきて涙が出そうになった。目元を隠してやり過ごす。
ずっとアマンダに聞いてみたいことがあった。今、聞いてしまおうと思い切って訊ねた。
「あのさ……。僕との結婚は、どうやってチェーリアに決まったのかな?」
僕は、カップに手を伸ばしてお茶を一口飲んだ。
「お父様の執務室にチェーリアと呼ばれて、ジュスト様の釣書を見させられたんです。お父様ったら、どうだ? っていきなり聞くんです」
アマンダが、ふふふと思い出しながら話して聞かせる。
「結婚相手ですよ? そんなすぐに返事できるはずないですよね? でも妹が、すぐに手をあげたんです。この人と結婚したらこの家を継げるの? って」
僕は、それを聞いてやっぱりかと思った。きっとラッセル伯爵家の爵位が欲しかっただけなのだ。
自分の実家で婿を取れば、嫁入りするよりもずっと楽だ。実の母親と父親がずっと一緒にいるのだから。
「そっか……。チェーリアぐらい可愛ければ、いくらでもいい男と結婚できたのに」
言うつもりはなかった言葉が、勝手に零れ出ていた。本当にそう思ったから。わざわざ浮気なんてしなくたって、好きな男と結婚すれば良かったのだ。
「あの……。妹と何かありました? いつもご迷惑ばかりかけてごめんなさい」
アマンダが、至極申し訳ないといった表情を浮かべる。僕は、アマンダの優しさに甘えて愚痴を言ってしまった。これではいけないと気を引き締める。
「いや。僕の方こそごめん。アマンダ嬢が、気にすることじゃないから大丈夫だよ。いつも美味しいお茶をありがとう」
僕がそう言ったら、アマンダは嬉しそうに笑ってくれた。僕は、浮気現場で聞いた話を思い出す。
女主人の仕事を姉に押し付けていると言っていた。アマンダにも申し訳なくてやるせない。一度、チェーリアと話をしなくてはと決意した。
それから数日後、やっとチェーリアと話す機会が巡って来た。
「チェーリア、少しいいかい?」
今日の夜は珍しく予定がなく、チェーリアが居間でゆっくりしていた。今しかないと話を切り出した。
「ジュストったら、改まってどうしたの?」
僕の顔が深刻そのものだったからか、チェーリアが首を傾げている。
「はっきり言うよ。チェーリアが浮気しているところを見たよ。これから君は、僕との結婚生活をどうしていくつもりなの?」
チェーリアが、どんな反応をするのか怖かった。結婚してまだ一年も経っていないのに、なぜこんなことを言わなければいけないのか……。本当に辛い。
「なんだ、最近様子がおかしいって思っていたけどバレちゃったの。でも、知られちゃった方が楽でいいかな。私、ジュストと夫婦関係築くの無理だから。ジュストも他に愛人作ったら?」
チェーリアが、あっけらかんと悪びれもせずとんでもないことを言う。
「それなら最初から僕と結婚なんてしなければ良かったじゃないか! 君ならいくらでも相手がいただろう?」
僕は、あまりのことに言葉を荒げてしまう。
「やだ。そんなに怒らなくてもいいじゃない。よくあることでしょ? だって、私が付き合っている人って身分が良い訳じゃなの。顔と体の相性がいいだけで。その彼ともずっと付き合うかわからないし? 好きにお金も使えて、好きに誰かと付き合えるからジュストが丁度良かったの」
喋らなければ妖精みたいに可愛い子なのに、悪魔みたいな性格の女だった。僕は愕然として、言葉が出てこない。
「そう言うことだから、今後もこんな感じでよろしく。家のことは、しっかりしたお義姉ちゃんがやるし、お父様にもジェストは認められているし悪くないでしょ?」
そう言ってチェーリアは、にっこり微笑む。僕が何も言えずに立ち尽くしていると、ソファーから立ちあがった。
「じゃあ、おやすみなさい」
そう言ってチェーリアは、居間から出て行った。今までの僕の人生で、こんなに悪意に満ちた人間に出会ったことがなくて強い衝撃を受ける。
今、チェーリアが言った言葉は、全部僕を傷つけることだった。それなのに、終始笑いながら話していた。
こんな子と一生を共にしなくてはいけない僕は、一体何を生きがいに生きていけばいいのだろう? 答えが出る訳もなく、絶望だけが僕の胸に重く残った。
それからも僕は、淡々と仕事をこなす日々を送っている。離縁してもう一回一から人生を始められれば、一番良いのかもしれない。
でも現実は、好きだった職場も辞めてしまっている。色々な人から祝福してもらって結婚したばかりで、離縁を言い出すのは簡単なことではない。
義父との関係は良好で、どんどん仕事を任せてもらっている。僕さえ我慢すれば、全てが丸く収まると思うと離縁を口にすることができなかった。
暴言を吐かれたあの日から、チェーリアとは殆ど口を聞くことがなくなった。バレて開き直ったようで、僕に隠すことなく遊び回っている。
義母も同じように外に男がいるのか殆ど家にいなかった。義両親の関係もどうなっているのか疑問だ。
義父は、チェーリアのことも義母のことも最近はいない者のように扱っている。ラッセル家の日常は、僕と義父とアマンダの三人でいることが多くなった。
こうなってしまうと、僕の目は自然とアマンダに向いてしまうようになっていった。
アマンダは、義父の秘書としてラッセル家の女主人として細々しく動き回っていた。義妹に押し付けられている仕事の筈なのに、嫌な顔一つせずに楽しそうにしている。
時より僕に向けてくれる控えめな笑顔が、僕の心を癒してくれて何度思ったことかわからない。どうして僕の結婚相手が、アマンダじゃなかったんだろうと……。
アマンダとだったら、きっと僕が思い描いていた家庭が築けたんじゃないか? でも、これは僕が勝手に思っていることだ。もしかしたらアマンダも、チェーリアのように本当は嫌っているのかもしれない。
義弟にあたるから、仕方なく良くしてくれるのかもしれない。信じて良いのかもわからないのに、アマンダに惹かれていく自分をどうすることもできない。
気になる女性が目の前にいるのに、何もできない自分がもどかしくて切なかった。
意気地のない僕は、何もできないまま時が過ぎ結婚してからもう少しで一年になろうとしていた。
ある日の夕食時に、義父から思いもよらない質問をされる。その場にいるのは、いつものラッセル家の三人だった。
「ジュストとチェーリアは、どうなっているんだい? 悪い噂ばかり耳にするんだが?」
ジュストの胸は、ドキンと嫌な音を立てる。流石の義父も見過ごせない段階にきているのかもしれない……。
「申し訳ありません。僕が不甲斐ないばかりに……」
僕は、冷や汗を垂らしながら必死で言葉を絞り出した。
「いや、君はよくやってくれているよ。どうしてあんな娘になってしまったのか……。私は、アマンダと同じように育てたつもりなんだがな……。やはり母親の気性を継いでいるのか……。選択を誤ってしまって悪かったよ。私も考えていることがあるんだ。もうしばらく我慢して欲しい」
義父が、僕に向かって頭を下げた。僕は驚いて、必死に頭を振った。
「いえっ。ラッセル家で、本当に良くしてもらっていますから」
「ありがとう。では、私は先に失礼するよ」
義父は、これ以上は気まずかったのだろう、席を立って食堂を出て行った。僕とアマンダの二人が残される。
どちらも会話の切っ先が見つからないのか、暫しの沈黙だった。それを破ったのは、アマンダの消え入りそうな声だった。
「ジュスト様……。本当に義妹がごめんなさい……」
アマンダは俯きながら、やっと声に出したみたいだった。アマンダが悪いところなんてこれっぽっちもないのに……。どうしてこんなに姉妹で違うのだろうと複雑な心境だった。
「アマンダ嬢が謝ることではないですよ。クラーク様に何か考えがあるのかもしれないし大丈夫です。僕の結婚相手が、アマンダ嬢だったら良かったのかも知れないですね? でも、アマンダ嬢も僕なんか嫌ですよね」
僕は、冗談交じりに笑って言った。
「そっ、そんなことありません! 嫌だなんて! 私も、なんであの時に私が手を挙げなかったんだろうって、ずっと後悔しているんです!」
アマンダが膝の上で手を握りしめながら、力強く言い放つ。僕は、びっくりしてアマンダを凝視してしまう。
それってつまり……。僕と同じ気持ちだと思っていいのだろうか?
「アマンダ嬢……。それは、僕のことを……その……」
僕は、何て言って確認すればいいのか言葉を濁してしまう。
「あの……、突然、すみません……。でも、そう思って頂いて構いません」
アマンダが、僕の顔を見て恥ずかしそうに呟く。頬が赤くて、嘘を言っているようには見えなかった。
僕と同じように思ってくれていたことが嬉しくて、胸が一杯で目元に熱がこもる。泣いている場合なんかじゃないと覚悟を決めた。
「わかりました。それ以上は、今はまだ言わないで下さい。僕も同じ気持ちです。僕が何とかします。待っていて頂けますか?」
今度は僕が、アマンダに向かって力強く言った。アマンダの目が潤んでいる。今はまだ、その涙を拭ってあげることはできない。
でも、義姉と義弟という関係を取っ払ってやると心に決めた。
そして僕は、すぐに情報収集を始めた。すると、学園時代の友人から呼び出されて忠告を受けた。
最近のチェーリアは、人目をはばかることなく浮気相手と一緒にいるらしい。最初のうちはわからないようにしていたが、僕にバレてから行動がさらにエスカレートしていったようだ。
「君の奥さん、最近まずい噂のパーティーに浮気相手と出席しているみたいだぞ。まだ結婚してやっと一年経つくらいだろ? 行動が派手すぎてみんなジュストを心配しているよ。手遅れになる前に、何とかした方がいい」
僕は、この話を聞いてもってこいの情報じゃないかと喜んだ。これを使ってチェーリアを、ラッセル家から追い出してしまおうと計画を立てる。
僕も、チェーリアのことを言えないくらい酷い人間なのかもしれない。でも、誰だって自分が幸せになる為に一生懸命なんだ。
人にやったことは必ず返ってくる。チェーリアには悪いが、手加減するつもりはない。
「心配させて悪いな。今度、そのパーティーが開かれることがあったら教えてもらえないか?」
僕は、友人にそう頼んだ。友人は、快く頭を縦に振ってくれた。失敗しないようにことを運ばなくてはと、僕は慎重に行動に移した。
そしてその日は、案外すぐにやってきた。問題のパーティーが開かれる日、いつものようにチェーリアは、豪華なドレスを身にまといパーティーに行く支度を整えていた。
僕は、チェーリアの部屋のドアをノックする。
「はい。誰? 今、準備で忙しいのだけど?」
部屋の中から声がして、僕は扉を開けずに返事をした。
「僕だけど。今日の用事はどうしても行くのかい?」
ガチャっと音がして、チェーリアが扉から顔だけ覗かせた。
「何? お説教? 今日はお母様と一緒に行く日なのだから。行かない訳ないじゃない。ジュストの癖に、文句でも言うつもり?」
チェーリアが、イライラしながら僕に言葉を投げつける。どうして僕が、ここまで言われなければいけないのか理解ができない。
チェーリアが引き返す、最後のチャンスだったけど僕はもうこれで完全に吹っ切ることができた。
「わかった。忙しいところ悪かったよ。気を付けて」
そう言って、僕は自分の部屋に戻った。今日のパーティーのことは、前もって事前に情報を掴んでいた。
国の事件を担当する司法局に、匿名で情報を流してある。このパーティーは、国で禁止されている薬物を使って好きに遊んでいるらしい。
義母も一緒とは、一石二鳥だと思った。間違いなく二人は、捕まることになる。そうしたら、ラッセル家を一番大切に思っている義父は、きっと許さないだろう。
義母は離縁される。チェーリアも修道院に行かされるか、義母と一緒に家を追い出されるかどっちかだ。
もちろん僕もチェーリアとは離縁する。こんな醜聞をさらした女性と、婚姻を続けることは無理だ。きっと社交界では、僕らの離縁は仕方のないことになる。
その後に、姉のアマンダと婚姻を結び直せば格好の話のネタにされるだろう。でも、僕には頼もしい友人たちが沢山いる。今回のことを聞いたら、きっと力になってくれる筈だ。
社交界なんて常に面白おかしい話が、消えては現われることを繰り返す場所だ。時間さえ経って、僕らが幸せそうにしていればきっと周りは何も言わなくなる。
それに、何を言われても今度の僕は気にしないだろう。ずっと我慢していた気持ちを開放できるのだから。
アマンダと夫婦として生きていく、その事実が僕を強くする。
その日の夜遅く、司法局からの通達によりチェーリアと義母は逮捕された。
僕が思った以上に義父の怒りは凄まじく、ラッセル家の信用と信頼を失うことを恐れた。夜のうちに僕とアマンダは、義父の執務室に呼ばれた。
「もう家令から伝わっていると思うが、カーラとチェーリアが逮捕された。このままでは、ラッセル家の信用と信頼を失う。そんなことを、私は許すことができない。カーラとは、すぐに離縁する。ジュスト、君には申し訳ないがチェーリアも許すことはできない」
義父の、娘に対する強い言葉だった。
「はい。わかっています。僕も、申し訳ありませんがチェーリアに未練はないので離縁するつもりです」
義父は、はぁーと大きく溜息をついた。
「そうか……。君には本当に良くしてもらったのに……。それで、私もずっと考えていたのだが……。君をラッセル家から出すのは惜しいんだ。もう色々な仕事を教えてしまっているし。できれば、アマンダと婚姻を結び直してもらうことはできないだろうか? 実は、前もってアマンダには聞いてあるんだ」
義父が、アマンダの方を見て言った。アマンダは、照れくさそうな表情をしている。いつのまにそんな話合いをしていたのだろう? 僕は驚いてしまった。
「クラーク様、実は僕もアマンダ嬢との婚姻をお許し願おうと思っていました」
義父が、僕の答えを恐々聞いていたが一瞬でパッと顔が明るくなる。
「本当か? 良かった。本当に良かった」
義父が、アマンダの方を見て涙ぐんでいる。
「最初からこうすれば良かったんだ。チェーリアを信用してしまい本当に申し訳ない……。君のような真面目な男と婚姻させれば、変わってくれるかと思っていたんだ……」
義父が、肩を落として残念な表情を浮かべる。ポツリ、ポツリと義父が話出す。
ずっと愛人として囲っていた義母も、娘のチェーリアも素行に問題があることに引っ掛かりは覚えていた。
義母との出会いも明白ではなく、記憶を無くすほど酔った勢いでそう言う関係になってしまったらしい。
その一回で義母が妊娠してしまい、しつこく責任をとってくれと迫られ無理やり愛人の座に収まった。
生まれた娘は自分に似ているところがなかった。それでも、アマンダと同じように接していたが、いつもせがまれるのはドレスやお小遣いばかり。
教養や礼儀作法を身に着けて欲しくて、その為の金銭も渡していたが全くそれに使われることがなかった。日々の贅沢の為のお金として消えていた。
今回の二人の結婚も、チェーリアの意思によるものだったから許可をしたつもりだった。まさか結婚してから、他の男と遊びまわるなんて夢にも思わなかった。
カーラも同じで愛人関係だった頃は、自分に尽くしていた癖に再婚した途端に他に男を作って遊び始めた。
最近の二人は、目に余る行動が多くもう潮時だと考えていた。最後にチャンスを与えて改心しなければ、離縁しようと思っていた。
チェーリアのことも、アマンダさえ良ければ婚姻を結び直す許可を二人に貰おうと考えていた。二人で一緒に働いている様子を見て、感じるものがあったらしい。
「結果的に、二人に言い訳させる隙もなくなってしまって……。これで良かったのかも知れないな」
義父は、寂しそうにそう言って笑った。
アマンダと僕は、義父の執務室を後にする。廊下を歩きながらアマンダに話しかけた。
「アマンダ嬢、二人で少し話せないかな?」
アマンダは、僕の顔を見て頷いてくれた。それを見て僕は、月明かりが綺麗な庭に誘った。ラッセル家の夜の庭は、ライトアップされていてとても綺麗だ。
もうすぐ春という今の季節は、夜になると少し外は冷える。僕は、自分が羽織っていたジャケットをアマンダにかけてあげた。
「ジュスト様、ありがとう」
アマンダが、僕のジャケットの身ごろの端を持って落ちないようにした。その時のアマンダの顔が、何だか幸せそうな顔で好きだなって思った。
庭の中ほどまで歩いて来て、僕はアマンダに向き合う。アマンダも、僕の顔を見てくれた。
「アマンダ嬢、僕は、君のことが好きです。一緒に働いていて、とても気の付くところや、ふとした時に零す笑顔が綺麗で幸せにしたいって思うようになって……。無事に離縁できたら結婚してもらえますか?」
僕の心臓の鼓動が早く、緊張でどうにかなりそうだった。でも、今度はちゃんと自分でプロポーズをして返事を貰いたかったんだ。
「私も、ジュスト様のことが好きです。ちょっとしたことなのに褒めてくれるところとか、一々お礼を言ってくれるところとか、夜会で苦手な人に絡まれているところを自然に助けてくれたり。あげ出したらキリがないの。妹の旦那さんを好きになってしまうなんてって、自分を責めたこともあったけど……。私、嬉しい。こちらこそ、よろしくお願いします」
アマンダが、深く頭を下げる。僕はもう、これ以上ないくらい嬉しかった。もしかしたらやっぱり無理ですと言われる覚悟も少なからずしていた。
ホッとして、嬉しくてアマンダを抱き締めたくてたまらなかった。
「嬉しいよ。ありがとう。遠回りしてしまったけれど、絶対に幸せにするよ」
僕は、アマンダの手をギュっと握る。
「本当は抱きしめたいけど、離縁するまでは我慢するね。チェーリアと同じになりたくないんだ」
アマンダも僕の手をギュっと握り返してくれた。
「そんな真面目なところも好きですよ」
そう言ってはにかんで笑った笑顔が、最高に可愛くて僕は力の限り我慢する。我慢すると言った手前、ギリギリで踏みとどまった。
翌日、義父と二人で司法局に二人を迎えに行った。決められた罰金を払えば釈放される。僕は昨晩、アマンダと話をした後に離縁書を作成してサインをした。
後はこれに、チェーリアのサインを貰えば離縁が成立する。義父は、使用人に頼んで二人の荷物も用意させていた。もうこのまま、屋敷に戻ることなく追い出す形になる。
二人が大人しく納得するとは思わなかったが、釈放と引き換えに離縁書にサインを書かせることになっている。
そうすれば、嫌々ながらもサインするしかないだろう。僕は、義父と二人で馬車に乗り司法局までの道すがら、この一年程の結婚生活を思い返していた。
最初は、可愛らしい容姿に釣られて簡単に心を奪われた自分だった。それでも、最初からどんな子であろうとも大切にしようと言う決意は本物だったのだ。
僕なりに、チェーリアに対して真摯に向かい合っていたと思う。婚約期間中の一年間は楽しいものだった筈なのに、それは僕だけだったのだろうと寂しさを覚える。
最初からアマンダとの結婚だったら、こんな辛い気持ちを抱えることもなかったのだろう。
起こってしまったものは、もうどうにもならない。チェーリアに対して、これから彼女に起こることは仕方がないことだと思う。いくらでも、正しい道に行くタイミングはあったはず。
僕だって昨日の夕方、最後のチャンスだと部屋を訪れたのだ。あの時に、もう僕からチェーリアに対する情は消え失せてしまった。
僕ももう、先に進みたい。チェーリアのことは今日で終止符を打ち、これからのアマンダとの生活に夢を見たい。
ガタンッと馬車が止まる。窓の外を見ると、司法局に到着したところだった。義父と二人、其々面会をお願いした。
一対一で最後に話をして、離縁書にサインをしてもらう手はずになっている。義父と別れて、僕は面会室の一室に通された。
白いテーブルと椅子だけがある、質素な部屋だった。
椅子に座って待っていると、ノックの音がした。僕が「はい」と声を掛けると扉が開いて、憔悴しきったチェーリアと司法局員が室内に入室した。
すぐにチェーリアは、僕に近寄り手を握ってくる。
「ジュスト、良かった。絶対に来てくれるって信じてた」
チェーリアは、一体何を根拠にそんなことを言うのだろう? 僕は呆れかえってしまう。
「チェーリア、とりあえず椅子に座って。話をしよう」
僕は、チェーリアに握られた手を引き離して言った。思っていたよりも落ち着いている自分に驚く。
「もう、ジュストったら。話なんていらないわよ。早く家に帰りましょう」
そう言いながらもチェーリアは、渋々ながら椅子に腰かけた。
「何でこんなことになっているか、自分で分かっているよね?」
僕は、できるだけ優しく言ったつもりだった。
「何よ? こんなところでお説教なの? 分かってるわよ。運が悪かっただけよ」
相変わらずチェーリアは、悪びれた表情一つ出さずにむくれている。期待はしていなかったが、謝罪の言葉一つないのだなと心底呆れてしまう。
早く済ませてしまおうと、僕は鞄から一枚の紙を取り出す。
「チェーリア、釈放してもらいたいならこれにサインしてもらいたい」
僕は、インクを滲ませたペンを出してチェーリアの前に置いた。チェーリアは、書類を目にすると声を荒げた。
「何よこれ! 離縁なんてお父様が許す訳ないじゃない! 大体、誰のおかげで男爵家の三男が、伯爵家の当主代理になれると思っているのよ!」
僕は、表情を変えずに冷静に言葉を返した。
「もうクラーク様には、許可を貰っているよ。寧ろ、クラーク様の希望だ。サインしないのなら、残念だけど釈放はできない。わかっていないみたいだけど、君はそれだけのことをしてしまったんだ」
チェーリアは、僕を睨みつけて悔しそうな表情だった。ここまで来て、やっと少しは自分の状況がわかってきたのかもしれない。
でも僕に言わせれば、こんなのは序章でしかない。これからチェーリアの生活は、恐ろしく惨めな物になるだろう。
「わかったわよ。書けばいいんでしょ。言っとくけど、損をするのはジュストよ。こんな条件の良い婿入りなんて、あんたごときには絶対にもう無理なんだから!」
悔し紛れなのか、チェーリアは僕に暴言を浴びせる。僕は何を言われても、もう何も響く事はない。
頭の中では、さっさとサインを書いて欲しいそれだけだった。
チェーリアが、ペンを持って渋々書類にサインを書いた。僕は、すぐにその書類を鞄の中にしまう。ペンを受け取り、席を立った。
「何よ。さっきからジュストの癖に、生意気じゃない? 私に対して心配の言葉とかないの?」
よくそんなことを言えるなと、僕はこれでもかと冷たい視線を送った。もう何も言うつもりはなかったけれど、一言だけ言いたくなった。
「じゃあ言うけど、君は僕に対して一度も謝罪の言葉を言ったことはないよね。じゃあ、さようなら」
僕は、それだけ言うと面会室のドアを開けて部屋を出た。物凄い不快感が心を占めるが、こんな毎日とはこれで終わりなのだと自分に言い聞かせる。
できるだけ早く、離縁書を提出しなければ。
釈放する手続きを終えて、義父と二人で待っていた。司法局員に連れられて二人が、待合室までやってくる。
義父と僕は、二人を担って外に出た。無言のまま、馬車乗り場まで歩く。馬車乗り場には、ラッセル家の馬車と義父が頼んだ貸し馬車が待ち構えていた。
義父は、最後に一言二人に向かって言った。
「では、元気で。行先はカーラの実家にしておいた。あれだけラッセル家からお金の融資を受けていたんだ、出戻りの娘と孫ぐらい引き受けてくれるだろう」
義父は、それだけ言うとラッセル家の馬車に乗り込む。僕は、もう何も言うつもりもなかったので義父の後について馬車に乗ろうとした。
だけどチェーリアが凄い形相で僕の腕を掴んで叫ぶ。
「ちょっと、どういうことなの? 私は家に帰れないの?」
喋らなけば本当に可愛い娘なのに、今は醜い女にしか見えない。
「クラーク様が言った通りだ。カーラ様も離縁したからね。もうラッセル家の人間ではないから、仕方がないのでは?」
僕は、チェーリアの腕を振り払う。チェーリアは、馬車の中の父親に抗議をしていた。
「お父様! 私はお父様の娘なのよ? お母様と離縁したって、私は関係ないじゃない!」
義父は、落ち着いた様子で淡々と返していた。
「チェーリア、ラッセル家の醜聞になるような娘はいらないんだ。私は何度となく注意してきた。もうお前は、ラッセル家から籍を抜いた。一人で生きていけないのなら、母親の世話になるしかないだろう?」
呆然と立ち尽くすチェーリアを横目に、僕は馬車に乗り込んだ。義母の方をチラッと見たが、彼女はもう諦めているようで貸し馬車の方に向かっていた。
「ほら、チェーリアも向こうの馬車に乗った方がいいよ。カーラ様にも置いて行かれたら大変だよ」
チェーリアは、ハッとしたように義母の方を振り返った。咄嗟に、本当に置いて行かれると思ったのだろう。迷うようなそぶりを見せたが、貸し馬車の方に走って行った。
僕は、やれやれと馬車の扉を閉める。すぐに義父が、御者に合図を送る。馬車は、貸し馬車とは反対の方向に走っていった。
この後のチェーリアたちは、僕がそうなるだろうなと思っていた通りになる。カーラ様の実家が、二人を引き受けてくれる訳もなく門前払いをくらう。
義父からもらった金銭で、何とかしようとあがいたようだが失敗して、貴族としての生活から落ちた。
馬車の中で僕は、ホッと息を吐き出した。これでようやく区切りが着いた。
馬車の行先は王宮で、離縁書を提出しに行き無事に受理される。これで、僕は晴れて自由の身になった。アマンダに早く会いたいと、気持ちが逸る。
ラッセル家の屋敷に戻ると、心配顔のアマンダが僕らの帰りを待っていてくれた。玄関まで出迎えてくれて、「お疲れ様でした」と僕ら二人に声をかけた。
「アマンダ、お前にも色々な迷惑をかけて申し訳なかった。これからは、この三人でラッセル家を盛り立てていこう」
アマンダは、目に涙を貯めて父親に向かって頷いている。僕はそっと隣に寄り添って、ハンカチを出した。
アマンダは、僕の顔を見て「ありがとう」と言ってハンカチを受け取った。義父は、疲れてしまったようでそのまま自室に引き上げていった。
僕とアマンダは、僕の執務室に向かった。荷物を置いて、ジャケットをハンガーに掛けるとアマンダが僕の好きなお茶を淹れてくれていた。
僕はゆっくり歩いてソファーに向かう。
ソファーに深く腰かけて僕は思った。こんな日常に憧れていたんだ。疲れて帰って来たら、妻が帰りを待っていてくれて玄関で出迎えてくれる。
一息着こうとすると、それを見計らったように僕の好きなお茶を妻が淹れてくれる。まだ、アマンダは僕の妻ではないけれど、そうやって妄想に浸る僕を今日だけは許して欲しい。
僕は、アマンダを見た。
「ありがとう。アマンダも、こっちに座って」
僕は、思い切って呼び捨てで呼んでみた。アマンダが、嬉しそうに歩いて来て僕の横に座ってくれた。僕は、コテンッとアマンダの肩に寄りかかる。
「アマンダを幸せにするよ」
僕は、ポツリと呟く。言ってから、寄りかかりながら言うことじゃないなと反省する。
「ごめん、なんか甘えているみたいだね。流石にちょっと疲れてしまったかな」
あははと笑いながら、体勢を戻すとアマンダがちょっと照れながら言ってくれた。
「いいんです。ジュスト様が甘えてくれたら、私も甘えられますから……」
とんでもなく可愛いことを言われて、僕は身悶える。もう、今日は我慢しなくていいと思った。そのまま、アマンダを引き寄せてギュっと優しく抱きしめる。
アマンダの、甘くて優し気な匂いがしてホッとする。
「うん。アマンダもいつでも甘えて。アマンダだって、妹と母親のこと色々複雑だよね……。こんなことになっちゃって、大丈夫?」
ぎこちなかったけれど、アマンダも僕を抱き締め返してくれた。それが本当に嬉しくて離れがたかった。
でもアマンダの顔を見たかったので、ゆっくりと手を緩めて彼女の顔を覗き込む。
アマンダの顔が、ゆでだこみたいに真っ赤になっていて恐ろしく可愛い。自分でも自覚しているようで、顔に手を添えて恥ずかしがっている。
「私、こんなこと言ったら嫌な女だってわかっているのだけど……。二人のことは、好きではなくて……。今までのことを思えば、仕方がないってしか思えないの。それよりも、ジュスト様とこうやって時間を共にすることができてドキドキの方が強くて……。性格悪いって嫌わないでね……」
アマンダが頬を赤くして潤んだ瞳で僕を見つめてくる。もしかしたら、また僕は騙されているのだろうか? そんなことを思う。だけど、こんなに可愛い表情を向けられて突き放す男なんている訳がない。
「嫌うはずないだろ? どんどん好きになってもう絶対に離せないよ」
アマンダが、ちょっとびっくりしてそしてフワッと笑った。最後にそっと目を閉じる。キスの許可が出ると思わなかった僕は、動揺が走る。
こんな大胆な一面を見せるアマンダに、僕はまいってしまいそう。
僕の好きな、お茶の匂いがほのかに薫る執務室。ゆっくりと顔を近づけて、アマンダの柔らかい唇にキスをした。僕の甘い妄想が、実現するのは少し先の話。
婿入りしたら、あざと可愛い異母妹の方だった 完菜 @happytime_kanna
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