やって来たおばあちゃん

 結構前から季節は夏になってたけど、八月に入ってからは更に暑苦しくなってきた。一度冷房の効いた部屋に慣れるともう外へは出られん。

 そして今は望むなら一日中涼しい部屋にいられるんやけど、それが無収入という状態とセットとなると話は変わってくる。毎年この時期は本当に心細い。


「ただいまです~」

「あ、お帰り~」


 夕方、冬ならとっくに日没の時刻にお雪さんが帰ってきた。今月に入ってからは、平日のほぼ全てにバイトを入れてもらってる。お雪さん曰く、去年までの状態に戻っただけらしい。

 最近は狐の姿でいることも珍しくなくなってきた美尾ちゃんが、とてとてと四つ足を動かして玄関までお出迎えしに行った。今日のお銀ちゃんは、俺の料理の手伝いをしてもらってるせいで台所からは動けんままや。


「今日の晩ご飯は……そうめんですか」

「おかえり~。連日これだけ暑いと、やっぱり冷たいもんがほしいからなぁ」

「卵焼きはわしが頼んで作ってもらったんじゃ」


 食卓の中央に大量のそうめんと一口サイズに切った多数の卵焼きが皿に盛ってある。そうめんは早めに湯がいて冷ましてから冷蔵庫に入れておいた。そしてお雪さんが帰ってくるのを見計らって冷水に入れてから、氷と一緒に大皿へと移したんや。ちなみに、大皿へと移す作業は美尾ちゃんとお銀ちゃんにやってもらった。もちろん俺は後ろから見ていたけど、途中かなりひやひやしたな。


「お雪はん、早う手を洗っといで」

「わかりました。すぐに戻ってきますね」


 いつも通りにこやかな笑顔と共にお雪さんは洗面所へと向かう。


「義隆、食器とつゆと薬味の用意は終わったぞ!」

「それじゃ席に着こか」


 お銀ちゃんから晩ご飯の用意ができたことを告げられて、俺は台所の流しで軽く手を洗ってから席に着いた。あー腹減ったな。

 しかしそのとき、玄関のチャイムが鳴った。


「え、お客さん?」

「誰じゃろ? 宅配か?」

「うち、行こか?」

「いや、俺が行ってくる。美尾ちゃんは座ってて」


 珍しいな。まだいくらか明るいとはいえ、こんな時間に誰やろ?

 玄関に着くと突っかけを履いて扉に手をかける。そしてそのまま何も考えずに開けた。


「はい、どちら様です……か?」

「ほほほ。久しいの、義隆や」


 目の前に現れたのは、人の姿をした玉尾さんやった。え、なんで?




 和服美人の突然の訪問に驚いた俺やったけど、他の三人の様子はそれぞれやった。美尾ちゃんは大喜びし、お銀ちゃんはさして驚かず、お雪さんはそもそも玉尾さんと初対面やから反応のしようがなかった。


「義隆さん、そちらの方は?」

「玉尾と申す。美尾の祖母じゃ」

「ああ、あなたがですか。私はお雪、雪女です」

「美尾から話を聞いておる。随分と世話になっておるそうな。礼を申す」


 人の姿に変身済みの美尾ちゃんが抱きついたままの状態であったが、玉尾さんはお雪さんに一礼する。


「良いところに来たの。今から晩ご飯をいただくところなんじゃ。一緒にどうか?」

「お銀か。これはそうめんと卵を焼いた物か? ほほほ、うまそうじゃな。いただくとしようかの」


 俺が話を聞いてる限りでは、お銀ちゃんと玉尾さんは出会ってまだ二度目のはずなんやけど、やりとりを見ている限り旧知の仲っぽく見えるな。

 一体どんな用事でやって来たんかは知らんけど、お客さんには違いない。俺はお雪さんにもう一人分の食器の用意を頼むと、椅子をもうひとつ用意して美尾ちゃんの隣に置いた。とりあえず食べながら話すとしよか。

 玉尾さんの話は一旦後回しにして、みんなでそうめんを食べ始めた。結果論やけど、大量に作っておいて正解やったな。明日の昼ご飯の用意を省こうとしたおかげやろう。たまには手抜き的な発想も役に立つなぁ。


「おお、よう冷えておるのう。外はやたらと暑かった故にこれは何よりの馳走じゃ」

「今日は特に暑いと聞いておったからな。わしは外に出んようにしておったわ」

「私なんて溶けそうでしたよ」

「お雪はんは雪女やもんね~。あ、溶けると小さくなるん?」

「そうなると、さしずめ小雪になるんかな?」


 意外とゆうか当たり前とゆうんか、玉尾さんは食卓を囲む一人として実に良く馴染んでいらっしゃる。なんか前からこの家に住んでるみたいや。


「この卵焼きは誰が作ったんじゃ? 味はともかく形は少し歪じゃのう」

「あ、それ義隆が作ったんやで!」

「普段なら問題はないが、客人に出すのは少し不出来じゃな」

「ふふふ、今度練習しないといけませんね」

「みんな好き勝手ゆうてくれんな。俺が練習せなあかんねやったら、お銀、お前もや!」

「なんでわしだけなんじゃ!? 美尾もじゃろう!」


 卵の評価は玉尾さんが事の発端やけど、怖いからお銀ちゃんに矛先を向けた。尚、美尾ちゃんに矛先を向けると玉尾さんに跳ね返されるんがわかってるから触れんことにした。いやぁ、後ろ盾の大切さを実感できるよな!

 そうやって和気あいあいと晩ご飯を食べてある程度腹が膨れると、箸の動きが鈍くなる。それを見計らってお雪さんが全員にお茶を出して回った。さて、そろそろええかなぁ。


「話は変わりますけど、玉尾さん、今日はどういった用件で来はったんですか?」

「美尾の様子を見に来ただけじゃよ。先月、お銀と共に妾の元へやって来た美尾から話を聞いてな、顔を見せようと思ったんじゃ」


 何を話したんか気になるけど、なんか藪蛇になりそうな気がしたので触れんことにした。


「そうなると、単に遊びに来たってことですか?」

「うむ、春に人里を案内してもらって以来、妾もたまに山を下りるようになった。今日はその帰りに寄ったんじゃ」

「お婆さま、今日はどこに行ってはったん?」

「平等院じゃよ」


 玉尾さんとどんな縁があるんかは知らんけど、引きこもりから抜け出しつつあるんはええことやと思う。こんなこと面と向かってゆうたらお仕置きされそうやけど。


「あ、そうや。これ、お返ししときます」


 俺は椅子の脇にかけてあった巾着袋から金の板を取り出して玉尾さんの前に置いた。以前、美尾ちゃんとお銀ちゃんから受け取ったやつや。


「これは?」

「以前、美尾ちゃんから渡された金の板です。支度金として玉尾さんが用意してくれはったそうですね。換金できひんのでお返しします」

「換金できぬとな? なぜじゃ?」


 ここで俺は、以前他の三人にした説明を玉尾さんにも聞いてもらった。面倒なことになる可能性が高い以上、使わない方がいいということもや。


「生活を支援してくれはることは嬉しいんですけど、ちょっと俺ではどうにもならんことですんで、気持ちだけ受け取っときます」

「ふむ、単に換金すればよいわけではないのか。面倒じゃな」

「欲に目がくらんで罪を犯す者もいますからね。そういった手合いを寄せ付けないための手続きなんだと思いますよ」

「これのためには平気で人を殺める輩もおるしな。なかなか厄介な物じゃよ」

「しかしそうなると、こちらが一方的に世話になりっぱなしで心苦しいのう」


 脅迫する形で美尾ちゃんを預けたくせに何を今更と思わんでもないけど、やっぱり怖いからそうゆうことは黙ってる。ただ、人里に不慣れな玉尾さんが経済的な援助をするのは難しいと思うんやけどなぁ。


「お婆さま、それは心配せんでもええで。今度うちとお銀ちゃんが働くさかい!」

「おお、そうじゃった! お隣の亜真女から仕事を回してもらえるかもしれんのじゃよ!」

「ああ、確かそんな話をしていましたよね~」

「何その話?」

「亜真女とは誰のことじゃ?」


 玉尾さんはともかく、俺はそんな話を聞いとらんぞ。お雪さんは聞いてたんか。俺が風呂に入ってるときにでも話をしてたんかな。

 それはともかく、まずはお隣さんである川谷亜真女さんについて玉尾さんに説明した。ご先祖様が雨女を嫁に迎えてから、代々女の子は雨女になってしまうということころで苦笑してはったな。それから亜真女さんがライターの仕事をしていて、機会があったら美尾ちゃんとお銀ちゃんにも仕事を回してくれるという話に移る。まさかそんな話をしてたとはなぁ。


「ほほう、そうかそうか。美尾はそうやって恩を返そうとしておったのじゃな」

「うん、ぎょうさん働いてうちも生活を支えるんや!」

「わしも義隆に出費ばかりを強いておっては座敷童の名が廃るしの!」

「それで、どんなお手伝いをするんですか?」

「まだそれは決まってへんねん。確か、仕事相手になんか提案するってゆうてたから、それが決まってからとちゃうかなぁ」


 俺は思わず、お雪さんと玉尾さんの三人と視線を交わした。それ、なんも決まってへんやん。仕事があったとしてもかなり先の話のような気がするぞ。


「使えぬのならこの金の板は返してもらうことにしよう。支度金についてはまた形を変えて渡すとする。今度はちゃんと使える物にする故に、しばし待て」

「あ、はい。わかりました」


 恐らくわざとなんやろうけど、玉尾さんは話の流れをぶった切って支度金の件について話をまとめた。せっかく美尾ちゃんがやる気になってんのに、仕事がすぐ回ってくるわけやないことを知って、しょげ返させたくないんやろうな。


「お婆さま、大丈夫やって。義隆の生活費はうちとお銀ちゃんでなんとかするさかい」

「おう、わかった。何かあれば妾にも相談するといいぞ。義隆に恩を返さねばならぬのは妾も同じじゃからの」

「できれば自分たちで何とかしたいものじゃけどな」


 金の板を胸元にしまう玉尾さんの姿を見て、一応この件は話がついたと思って俺は内心胸をなで下ろした。


「それで、玉尾さんは今晩どうされるんです? 泊まっていきます?」

「そうじゃの。久しぶりに美尾と一緒に過ごすか」

「わーい! お婆さま、一緒にお風呂に入ろ! お銀ちゃんと三人で背中を洗いっこしような!」

「いや、わしが一緒にはいるのは無粋じゃろう」

「それじゃ、お銀ちゃんは私と一緒に入りましょうか」

「水風呂にか!? 夏とはいえ冷たすぎるじゃろう!」


 重要な話が終わったとゆうことで、食卓は再びいつものような団欒を取り戻しつつあった。

 その日の晩、玉尾さんは美尾ちゃんと一緒に寝た。部屋の中を見たわけやないから具体的にどうやったかはわからへんけど、たぶんぴったりくっついて寝てたんとちがうんかな。

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