冬以外はどうしてはんの?
玉尾さんのお願いという名の命令で美尾ちゃんと一緒に住むようになったけど、生活を始めて一日目に致命的な問題を思い出した。
「俺が働いてる間はどうしたらええんや」
俺は美尾ちゃんの後ろ姿を眺めながら呟いた。
美尾ちゃんは今、文明の利器であるテレビを熱心に視聴中や。人の姿で行儀良く正座をしてるが、夢中になるあまり多少前のめりな姿勢になってる。普段滅多に見ない着物姿が珍しい。そして、背中の半ばまでかかっているまっすぐな黒髪は日の光に当たってきれいやな。
けど、今はそれ以上に目を引くものが目の前にある。ふさふさの耳ともふもふの尻尾や。室内で気が緩んでるのかテレビに夢中やからかは知らんけど、お耳ぴこぴこ、尻尾ゆらゆら状態で俺を惹きつける。そんなに誘われたら、思わず触りそうになってしまうやないか。
「ふぇ? 義隆、なんかゆうた?」
俺の呟きが聞こえたらしい美尾ちゃんが、こちらへと振り向く。
「ああ。俺が仕事で家を出てるとき、美尾ちゃんはどうしようかなって考えてたんや」
「このおうちに居たらあかんの?」
「一人で朝から夕方まで留守番できるんか?」
昼ご飯さえ用意しておいたらとりあえずは生きられるんやろうけど、絶対暇になるやろうしなぁ。ちなみに、食べ物は何でも食べられるらしい。玉尾さんが妖孤は普通の狐とは違うから人と同じものを用意してくれたらいいとゆってた。これはかなり助かる助言やったな。
「それやったら義隆の職場について行けばええんと違うん?」
「いや、さすがにそれは無理や。あ、そのときだけ稲荷山に帰るのはどうやろう」
「えー」
美尾ちゃんは口をとがらせて俺の案に不満の意を表す。まぁ、せっかくホームステイしたってゆうのに自宅へ帰るんはなぁ。俺が仕事に行ってる間は構えないからとはいえ、あんまりな提案か。
「それなら、逆に玉尾さんに来てもらえばええんか」
「あ、そうやね。そっちの方がええな」
とりあえずの方針が決まった。今度玉尾さんに伝えておくとしよか。
男の手料理、というかほとんどを買ってきたお総菜で間に合わせたお昼ご飯を美尾ちゃんと一緒に食べた後、俺達は近所のスーパーマーケットに行くことにした。今まで名所ばかりを案内していたせいもあって、こういった生活感あふれるところに連れて行くのは初めてやな。
「『すーぱーまーけっと』かぁ。物がたくさん売ってるお店ってどんなところなんやろ。楽しみやなぁ」
「普段食べる物がたくさんあるからきっと驚くで」
「ふーん。って、あれ?」
「どうしたんや?」
スーパーマーケットへ向かっていると、不意に立ち止まった美尾ちゃんが視線をとある女の人に向けてた。
服装はこれといった特徴はないんやけど、見た目は二十代の清楚な美人さんやな。全体的にほっそりとしてて腰まで届く黒髪が印象的や。
「あの女の人がどうかしたんか?」
「あの人、うちと同じで人間やない」
「えっ、そうなん?」
俺にはただの美人さんにしか見えへんねんけど。
そんな俺達の視線に気づいたのか、その女の人はこちらへと顔を向けはった。そして一瞬不思議そうにしたかと思うと、少し視線を下げたところで驚いた表情となる。
「初めまして。うちは美尾って言います。お姉さんのお名前は?」
「えっと、冬山美雪ですけど、あなたは……」
「稲荷山に住んでるんです」
「稲荷山? ああ、
美尾ちゃんの正体がわかったらしい冬山さんは、謎は解けたとばかりに相好を崩しはった。正体不明の人外に見られてたら警戒もするわな。
「それで、こっちは御前義隆ってゆうんです。うちが今居候させてもらってるんです」
「居候!?」
「あー、ちゃんと保護者の許可はもらってますよ」
自分で自己紹介する前に状況の説明をせんといかんとはな。やっぱり人間と人外が一緒にいるのは珍しいんやろう。
「それと、初めまして。御前義隆です」
「ああ、ごめんなさい。私は冬山美雪です」
俺の挨拶に対して冬山さんは丁寧にお辞儀をして返してくれる。しかしこの人、人間やないんなら一体なんやろうか?
「で、美雪はんは一体なんやの? うちはお婆さまと同じ――」
「待って美尾ちゃん、ここじゃまずいわ」
「それじゃ俺の家で話をしましょか。近いですし」
さすがに人通りのある道で話してええことやない。慌てて言葉を遮る冬山さんと驚いた美尾ちゃんを連れて、俺は自宅へと戻ることにした。
自宅に着くと、俺は玉尾さんと同じように冬山さんを居間に通してお茶を出した。つい先日まで来客そのものがなかったのに、今では女の人がよく訪れる。いずれも人間やないけどな。
それはともかく、俺の差し出したお茶を一口飲んだ冬山さんは、道端やと話せんかったことを口にし始めた。
「へぇ、御前さんっていいお家に住んでいらっしゃるんですね」
「ありがとうございます」
「そんで、美雪はんは一体なんなんやろう? うちは妖孤やけど」
「玉尾殿のお孫さんですものね。ふふ、尻尾はいくつあるのかしら?」
「まだひとつやねん。早うお婆さまみたいに立派な尻尾をぎょうさん生やしたいわぁ」
あのもふもふ群か。あれは俺も触りたいなぁ。
「そうそう。それと私の正体ですよね。私は雪女です。本当の名前はお雪なんですよ。人里にいることが多いから冬山美雪っていう名前を使うことが多いですけどね」
「あー、あだ名みたいな方が実は本名ってわけですか」
「人からするとそう思えますよね」
百年以上前ならいざ知らず、今日日やとその方が軋轢は少ないやろうな。
「けど、なんで雪女のお雪はんが人里にいることが多いん? ずっと山におるんとちゃうの?」
「もちろん冬は山にいますよ。でも冬以外は涼しい場所ならどこにいても同じだから、人里に移り住んでるんですよね」
ああ、なんか違和感あるしゃべり方やと思ったら、冬山さんは標準語に近い話し方をするんか。関東出身なんかな?
そんなことを考えながら、ふと疑問に思ったことを俺は口にする。
「別に山の中にいたままでも不都合はなさそうに思えますけど、そうでもないんですか」
「一番の問題は、最近だと山の奥でも人が入り込んでくるから色々と面倒なんですよ。冬以外ですと妖力も弱くなりますから、それならいっその事人里に移り住もうかなって」
「なんか出稼ぎみたいですね」
「私の故郷の人里で一時期よくやってましたね。まぁ、私とは逆に冬だけ外に出ていたんですけど。懐かしいなぁ」
「それやとお雪はんは今、人里に住んでるん?」
「ええ、今はマンスリーマンションに住んでます」
ここで俺は美尾ちゃんにマンスリーマンションについて簡単に説明する。最終的には
「でもマンスリーマンションですか。てっきり賃貸マンションかなって思ってたんですけど」
「本当はそうしたいんですけど、私って一年間ずっと借りられないじゃないですか。だから賃貸って使えないんですよね。冬の間だけ放っておけばいいって思われるかもしれないですけど、ガスや電気のメーターが動いてないと怪しまれちゃいますから。一回それでもめたことがあるんで、今はマンスリーマンションにしてるんです」
何でもお節介なご近所さんに通報されて大変なことになったらしい。
「それとですね、一口に冬って言っても、いつ始まっていつ終わるかっていうのはその年によって違うじゃないじゃないですか。ですから、一ヶ月単位で借りられると山に入る時期を調整できて便利なんですよ。その分割高なのが痛いですけど」
「随分と生々しいですね」
有名な妖怪アニメの歌やとお化けには試験も何にもないらしいけど、人里に関わるとそうのんきなこともゆえんらしいな。
「でも、そんなに住むところに困ってるんやったら、義隆のところに住んだらどうなんやろ? 部屋はぎょうさん余ってるらしいよ?」
美尾ちゃんがそう提案した瞬間、室内が微妙な雰囲気に包まれた。俺と冬山さんは美尾ちゃんを見た後、お互いの顔に視線を向ける。
「あ、あははは、何ゆってるんでしょうね、美尾ちゃんは」
「でも、私としてはそうしてもらえたら嬉しいかなぁ、なんて」
「ええ!?」
「毎年生活費を稼ぐためにアルバイトをしてるんですけど、これがなかなかつらくて正直困ってるんですよ」
冬山さんは自らの苦しい台所事情を俺達に開陳してくださる。美尾ちゃんの提案にあっさりと乗りかかろうとしているんは、かなり苦しい懐事情があるようや。
「男の家に簡単に転がり込むのはいかがなものかと思うんですが」
「美尾ちゃんはどうして御前さんの家にいるんですか?」
「玉尾さんの強いご希望によるものです」
拒否権なんてなかったもんな。それを聞いた冬山さんは、何を想像したのかその端正な顔を引きつらせた。
「それはそれはご愁傷様なことですね。でも、それなら私も大丈夫ですよね? あ、炊事洗濯掃除の家事全般でしたらできますよ」
「それで家賃以外の生活費を一部負担してもらえれば、むしろこっちも色々解決する……って、あ!」
何をその気になっとるのかね、俺は。そんな俺の様子を嬉しそうに眺める冬山さん。美人さんに微笑みかけられるんは嬉しいけど、ここはぐっと我慢して!
「義隆が働いている間のうちの相手もしてもらえそう?」
「そうなんやなぁ」
そう、一番の問題点が解決しそうやから困る。
「それじゃ、決まり、でいいですか?」
最終的には、冬山さんを受け入れるということで話はまとまった。
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