第二話①

国粋派こくすいは?」

 随分懐かしい名前を出したものだ、と私は思った。

 泰葉様がそんな言葉を口に出したのは、山縣から報酬を貰った二日後のことだった。

 ラジオで国粋派のニュースでもあったのだろうかと耳を傾けたが、十七氏族の内の一つである近衛家の放蕩娘・近衛史華このえふみかが去年創設した交響楽団が洋楽を演奏しているのみだ。

 泰葉様は煩わしそうにラジオの釦を押して、僅かな音量で流れていた音を消した。

「ようやく分かったわ。これが何を意味するのか」

 泰葉様は、四つに折り畳まれた懐紙を手渡した。何か妙な紋様が小さく描かれているもので、私には見覚えのないものだった。

「これは?」

「この間、鼎から殺害を依頼された男の懐から抜き取ったのよ。殺せる人間とその報酬を用意してくれるのはいいけど、いい加減、どこの誰が私達を利用しているのか知りたいのよ」

「それが国粋派ですって?」

 半井家を出奔した我々を手引きしたのは、大室鼎おおむろかなえという人物だった。どういう人間なのかをよく知りもせず、その誘いに乗った泰葉様ではあったが、半井家の秘密を暴くという考えとそれを実行するに足る機運が合致しただけの話で、実の所、大室鼎とその手下である山縣容堂が何者なのかまでは知らなかった。

 ここまで数人の人間を依頼で殺したきたが、カーミラ事件として世の中を騒がせているものの、ここまで警吏の目を欺いているということは、それなりに強大な組織なのだろうということだけは推察できる。

「この紋様は?」

「それは、旧・鏑坂かぶらざか家の家紋よ。十五年前の動乱の後始末で事実上消滅してしまった家ね。今時、鏑坂家の人間を殺害する事に価値を見出すのは国粋派位しか考えられないわ」

「偶然ということは?例えば、あの男の出自ではなく、今現在の立場が原因であるとか」

「有り得ない、とは言わないわ。ただ蓋然性を比べて、高い可能性を言ってみただけよ」

 もし泰葉様の予想が正しく、私達のパトロンが国粋派だとするのならば、厄介な事になった。

 いや、そもそもとして。

 泰葉様の能力は確かに人間離れしてるといえど、銃火器が発達した現代において、殺人の手段として泰葉様を利用する事に何の価値があるというのだろうか。

「普遍的価値が無いのだからこそ、私を求める者に答えが潜んでいるのよ」

「とすると、泰葉様は初めから?」

「ふふん……。今思いついただけ」

 どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべてから、そんな情けないことを堂々と言ってのける泰葉様に対して苦笑しながらも、少し考えてみる。

 本来であれば気侭な——換言すれば天真爛漫な泰葉様に変わってモノを考えるのは私の役目なのだ。

 泰葉様は、煩わしい世俗のことなど気にせず、自由気侭にいた方が、彼女らしい。



 国粋派。

 二十年前の華東かとう国の侵攻に端を発して秋津国内で活発化し始めた秋津改革派に反対する士族達が名乗った派閥である。

 彼等の主張は諸外国の物理的・精神的な侵略を言語道断とし、純粋な秋津人のみで国政を行うべきだというものであり、過激派に至っては秋津人以外の人種全てを打倒するべきだと発言した士族も存在する。

 当時、秋津改革派の藤代妙典ふじしろみょうでんが、華東国の強気に見えた侵攻の裏には欧州からの技術援助があることを知り、秋津国においても諸外国の文明と技術を会得するべきだという彼の主張は、知識人階級の間で強く広まっていた。

 一方で国粋派は、華東国からの侵攻を運良く防げたのを良い事に、秋津国単独の技術と戦力のみで十分に独立を保てると主張した。寧ろ、イタズラに海外の技術を取り入れることで、秋津人の結束は大きく揺らぐというような主張も声高に叫んでいた。

 そして三年の時を経て、国内は保守派とも言うべき国粋派と秋津改革派の両陣営で大規模な内戦が発生する。

 およそ二年続いた内乱は、藤代妙典と彼に戦力、技術、資金、土地、兵器など様々な方面から支援した十七の氏族による秋津改革派の勝利で幕を閉じる。

 その後、民主主義に舵をとった秋津はミナホと名を改めて、先進国から技術指導者を招聘し、国力の増強を図った。

 それは明らかに他国の侵略を断固として阻止するべく取られた政策であり、逆説的に言えば、初代行政府長の椅子に座った藤代妙典は将来的に他国の侵攻を確実視していたという証拠でもある。

「国粋派は最後、筑紫ちくし島における普賢の戦いにおいて、当時の国粋派首領であった蜘蛛御前の降伏で消滅した、か」

 私は泰葉様と違ってまともな教育を受けている訳では無いため、大凡の流れしか理解はしていない。

 とはいえ、大雑把に知っておけば良いだろう。国粋派云々よりも、私は泰葉様が望むことを叶えるのが職務なのだから。

 不思議なことではあるが、それを思うと自分が不死者という奇妙な存在であることすら、喜ばしく思ってしまう。


「出るわよ、黒澄」

 その日の夜。

 晩御飯も済ませて、私はお茶を飲みながらのんびりと寝るまでの時間を過ごしていた頃。

 前触れもなく泰葉様は言う。

「どこに出かけるんですか?」

「バーよ。何でも最近、欧州のを真似て新しく開店したみたいよ」

「バー……?」

 思わず鸚鵡返ししてしまう。初めて聞く単語だった。

「要するに外国の居酒屋みたいなものらしいわ。何でも色々な種類の外国のお酒があるみたいよ」

 相変わらずの舶来通っぷりだ。目を輝かせて泰葉様を止めるのも私の役目なのだろうが、以前彼女が何処からか貰ってきたウィスキーなる洋酒をもう一度飲めるというのならば、やぶさかではない。

「しょうがないですねぇ……。その代わり、泰葉様は飲み過ぎないでくださいよ」

 泰葉様は、半井の屋敷を出てから酒の飲み方が変わった。

 屋敷にいた頃は上流階級の会食に合わせた控えめな飲み方だったのだが、今ではその頃の面影もない。

 ある意味自由を満喫しているようにも見えるのだが、私からしてみれば、弱音を吐きたがらない泰葉様の唯一の投げ場所のようにも思えるのだ。

 壁掛け時計を一瞥する。

 まだ時刻は夜九時を指していた。

 今から出れば、日付が変わる頃には泰葉様も満足されるだろう。そんな事を思いながら私はパナマ帽を手に取り、深く被った。


 やはり新しいモノの価値は若者が一番最初に気づくらしい。

 そのバーとやらも学生街である茶瑞ちゃばたに建てられていて、私達の家のある仏保からは歩いて十数分の距離にあった。

 泰葉様が居酒屋なんていうものだから、店内は騒がしいものだと思っていたのだが、存外落ち着いた雰囲気であった。

 背の高い椅子——確か以前泰葉様がスツールという名前だと教えてくれた——に腰掛けて数人がガラスの器に酒を入れて飲み交わしている。

 私と泰葉様も並んで椅子に座ると、最近よく見る洋風の給仕服とは少し細部の異なる制服を着た男がテーブル越しに近づいた。

「店主、ここは何があるの?」

「品書をどうぞ」

 渡された厚手の紙を二人で覗き込む。

 発音するのも難しそうなカタカナの名前が数種類並んでいる。泰葉様はそれの一つ一つがどんなものであるのか想像を張り巡らせながら、じっくりと考え込んでいるようだ。

 私はあまり悩むような性分ではないので、品書を一度見てからすぐに男を呼んだ。

「以前ウィスキーというものを飲んだのですが、同じものはありますか?」

「成る程。それでは、こちらでどうでしょうか」

 指差したのは、ローヤルパレスという名前。値段はそこそこだった。

「では、中々値は張りますが、それで。泰葉様はどうされますか?」

「そうね……この、蜂ぶどう酒を貰おうかしら」

「かしこまりました」

 店員の男は恭しく頭を下げると裏に引っ込んでいった。

 直ぐに私達の注文した酒が来たので、二人で杯の縁を濡らしていく。洋酒というのは、ミナホ原産の酒とも、華東国の酒とも異なり、不思議と酔いの侵攻が心地良い。

 泰葉様も大分満足されているようで、普段は滅多に見せない笑顔を振り撒いていた。釣られて私も笑う。

 酒が唯一の泰葉様の逃避先とすら思うこともあるが、それで泰葉様が楽しまれるのであれば、私はそれでも良いと思い始めていた。

 罪の無い者の命を無碍にしても、それで泰葉様が自由でいられるのなら、私はそれを肯定する。

 誰しも自分の命が一番だと思うように。命を失うことのない私にとっては泰葉様の命が一番なのだから。

 そんな事を思っていると、視界の片隅で、私の横に誰かが座った。

「マスター。アタシにも強い酒を頼むよ」

 低いが女性の声だ。

 杯を傾けていた泰葉様がその声を聞いて声の主を一瞥した。


「あら……鼎。貴女も洋酒が好きなのかしら?」


 泰葉様を唆し、私達を半井家から出奔させた張本人。大室鼎がそこにいた。

 大柄な身体を全身で震わせて、大声で笑う。


「アタシは強けりゃ何でも好きさ。酒ってもんはな」

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