第一話 ②

 カーミラ事件が世を賑わせている。

 邏卒局は組織をあげて事件の解決に乗り出すと新聞紙面に堂々と発表したせいか、特捜本部とやらまで立ち上げる話も出てきているらしい。

 仏田と小塚の事件は恐らく模倣犯だろうというのが専らの見解だが、これまで一連の事件と目されているそれらを除いた十五の殺人事件はどれも、被害者に共通点は見出せなかった。

「ええと、それを俺にわざわざ説明するということは」

 俺は課長に呼び出されて向かった執務室で、そんなことを聞かされていた。

「要するに、特捜本部にお前と柳井を出向させる」

「……ってことは、半井のお嬢さんの件は?」

 頭頂部の肌色が見え始めている日下くさか課長は二重顎を揺らして不機嫌そうであった。どうせ邏卒局の上層部辺りから厄介なことを言われたのだろうと邪推してみる。

「あれは二課に引き継がせる。そもそも、失踪事件なんぞ、邏卒局の治安部に任せておくものだろう。それが十七氏族の娘だか何だか知らんが、上の連中が余計な色目を使いおって」

「はぁ、であれば、これから引き継ぎ作業に入りますね」

「いや、もう今からカーミラ事件の捜査に加われ。引継ぎ作業は柳井にさせろ」

「了解です。では、これで失礼」

 執務室の扉を閉めながら、俺は苦笑した。あの様子を見ると、カーミラ事件がいつまで経っても解決出来ていないことを相当強く叱られたのだろう。

 半井泰葉の失踪事件から担当が外されたのは少々予定外だが、それは業務の合間にでも出来ることだ。

 それに、カーミラ事件そのものにも、半井とは言わずとも何処か十七氏族が関わっているような気配を感じるのだ。

 少なくとも、警吏がメンツを賭けて捜査を行なっているにも関わらず、ここまで手掛かりが掴めないというのは、貴族かそれに準ずる力のある者が裏で手を回している可能性は捨てきれないのだ。


 報告書を眺めているだけでは、何も進まないので、柳井に引継ぎの作業を指示してから現場へ向かうことにした。

 昨日深夜に犯行が行われたと思われる浅葉の現場は、路地裏とはいえ争うような音があれば付近の家屋の住人には気付かれるであろう場所だった。

 邏卒局の局員が数名付近を捜索しているが、今朝上がって来た報告書以上の手掛かりは今のところないようだった。

 近くにいた邏卒局員を呼び寄せる。

「担当の警吏は?」

「山縣殿であります」

 山縣容堂。俺は、あの陽気な同僚のことを思い浮かべていた。五丁堡ごていほの出身で、警吏の癖に博打に目がない男だ。数度程、酒席を共にした事があるが、矢鱈と花街に詳しかった。

「それで、山縣は?」

「夜勤の様でしたからね、朝方には一度休憩に戻りました」

 ということは、あの報告書は山縣の書いたものか。あの男ならば見落としは無いとは思うが、と腰を落として地面についた血痕を眺める。

 報告書である程度は把握しているが、やはり昨晩の雨で殆どが流れてしまっている様だ。

 だが、それでも尚血痕が残っているところを見ると、死体がここに横たわっていた頃の光景は凄惨なものだったのだろう。

 被害者の大久保仁おおくぼひとしは、首を牛刀で切断されていたらしい。凶器も現場にそのまま捨て置かれていた。首筋にやはり、血を舐め取った跡もあり、今のところカーミラ事件に連なる殺人と断定されている。

「この大久保仁については?」

「まだそう多くは分かってないですが、ここから近い酒屋で下働きしていたそうです。住まいは裏手の下宿を一部屋借りていたみたいですね」

「当然そっちも調べたんだよな?」

「ええ、山縣氏が向かってましたね」

 それなら後で報告が上がってくるだろう。そちらは一旦置いておくとして、ずっと気になっていたもう一つの血痕を見る。

 報告書通り、やはり何か引きずった後と、大久保と比べて出血量の少ないであろう僅かな血痕。

 それは路地裏から通りまで続いていて、途中で途切れている。

「自動車……?いや、まさか」

 街を見れば、東都であれば一日に数度は見かける自動車であるが、まだまだ高級品ではある。おいそれと購入できるモノではない。

 山縣は手押し車や大八車の様なものを使用して運搬したのであろうと推測しているが、当時雨で濡れていた地面にも関わらず、それらの車輪らしき細い轍跡は残っていない。

 それは、自動車をも使用のできる資本力のある人間が関わっているという証拠なのではないだろうか、とも思ってしまう。


 一通り現場を見終えると、ふと思い立ち、半井家の屋敷の前を通って事務所に戻ることにした。

 八年前に欧州から設計士を雇って建てられた洋館は、その邸宅そのものの巨大さはともかく、庭はかなりの広さを誇っている。住み込みの従者も何人かいると聞いているが、今外から見えるのは庭木を剪定している庭師だけだった。

 庭師の男が竹を組み上げて作った梯子を下ろして、汗を拭う。

 すると一人の女中が館から出てきて、笑いながら庭師に手ぬぐいを渡している。

 なんとも牧歌的な光景にすら見える。

 こんな光景の裏に、半井家は何を企んでいるのだろうか。


 ——何故、俺の村を地図から消したのだろうか。


 怨みとは別の部分で、純粋にその真実を知りたいというのもまた、事実であった。

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