序章③ とある女学生の話

 責務。

 私にはたかむら家の血を継承させなければならない責務があると、幼い頃から繰り返し言い聞かせられて来た。

 時折りそれが重責に感じることもあったが、ミナホという新しい国家を牽引する十七氏族の一つとして誇らしい気持ちもあったのは確かで、同時に、欧州諸国を始めとする国際社会の中にあって、間違いなく弱者的立場であるミナホという国をより堅固に、より豊かにしていく為にも、その責務というのは間違いなく果たさなければならないという義務感もあった。

 その責務を果たす為ならば、或いは篁という血族を後世に残す為であるのならば、どんなことでもやってのける覚悟をしていたつもりだった。

 しかし、ミナホの基盤を支える十七氏族という存在には、何か人智を超えた深い闇が存在しているのだと、知ってしまった。

 それはその一端だったのかもしれない。だとしても、それはあまりに現実離れしていた光景にしか思えなかった。


 半井泰葉が姿を消して半年が経った。

 西刻せいこく女学院では、上流階級の息女達が通う品格ある高等学校と言えども、やはりそこに通うのは年頃の少女達なのだ。半井泰葉が行方不明になったという事件は、様々な憶測が時に面白おかしく、時に不安を煽るような内容で飛び交っていた。

 近頃流行りのエス文学にでも影響されたのか、想いを寄せる先輩に相手にされず世を儚んで自殺したなんて噂も耳にしたことがある。

 ここまで荒唐無稽ではなくとも、貴族らしく家督争いに負けて殺されただとか、服毒自殺をしたのを半井家が世間に隠しているなど、十七氏族にまつわる貴族らしい噂も多くある。


 遠戚に当たる私ですらも、その真実は知らされていなかった。半井家と篁家は遠い親族ではあるが、同じ十七氏族に列席する貴族として、互いに距離を取っていたのも事実である。

 とはいえ、親戚同士として会話したことがない訳では無かった。だが、私の知る半井泰葉とは、同い年だというのにどこか達観していたような印象が強い。幼い頃、大人達が難しい話をしている時なんかは二人でよく遊んだものだが、それでも半井泰葉に対しては友人というよりも年上の女性という感覚があったのを覚えている。

 噂話の真偽はともあれ、行方不明である半井泰葉が死んだとは思えなかった。そもそも私が、十七氏族という存在そのものに対して、ある種の疑念を持ち始めたのも、彼女が発端であった。


 彼女が姿を消す数ヶ月前。図書室の本を読み耽っていた私は迎えの運転手を待たせていることに気づき、慌てて校門へと向かっていた。

 強い西日が差し込んでいた。あの昼間の太陽と同じなのかと思うくらいに、真っ赤な夕日の光が校舎内を赤く染めていた。

 通り過ぎた空き教室に、不意に人影が見えた。あんなに急いでいた筈なのに、たかが視界の端に入ってきた人影に気を取られたのは、私の意識の領域外のところでそれが異様な光景だと気づいてたからなのだろう。

 半井泰葉が、いつも連れ歩いている付き人に覆い被さっているのが見えた。

 初め、私はその光景を甘酸っぱい主従間の密会だと思ってしまった。だが、それは違った。

 従者は頭蓋から夥しい量の血を流しているし、半井泰葉は血というよりも最早脳髄を啜っているのかと思う位に、音を立てて何かを夢中で喉に流し込んでいた。

 半井泰葉の息は荒く、淫靡な視線で従者の死体を見つめている。悦楽的な息遣いすら聞こえる。

 熱いものが喉を込み上げてくる。悍ましい光景だった。半井泰葉に見つかれば何をされるか分かったものではないと、今すぐ逃げるべきだと、私の本能が警鐘をガンガンと鳴らしていた。音を立てないように、恐る恐る空き教室から離れる直前、横たわった従者の死体が不思議と私を見ているような気がして、その光景は無事に家に帰り着いた後でも脳裏から離れなかった。


 その恐怖体験について私が誰にも話さなかったのは、誰も信じてくれないだろうという考えよりも、あれだけ派手な殺人が起こっているのだから私が騒ぎ立てずとも事件になっている筈だという、今にして思えば哀れなまでに楽観的な考えがあったからに他ならない。

 しかし、翌日。

 騒ぎになるどころか、半井泰葉は何事もなかったかのように登校していた。

 それも殺したはずのあの従者を引き連れて。

 悪い夢だったのだろうか。

 そう信じてしまえれば楽だったのだろう。だが、私は半井家の次期当主である彼女が、不可解な存在である事に対して、別種の恐怖を覚えた。半井泰葉という存在は、近い将来、篁家に害をなす存在なのかもしれない、と。

 篁家を守るのは、私の責務なのだ。

 その日から私は、半井家と半井泰葉という存在について、密かに調べ始めたのだった。



都子みやこ様。今日は何か良いことでもあったのですか?」

 迎えの運転手が珍しく私にそんなことを訊いてくる。

 自動車は未だ羨望の的になるらしく、毎日迎えに来る自動車に乗り込むのは少し気恥ずかしい。道ゆく人々の視線を集めてしまうからだ。

 一昔前は馬車と専門の馭者を雇っていることが貴族のステータスだったが、今ではそれが自動車とその運転手にとって代わられている。

 汽船便も今では全国の港を網羅しているし、来月には新たな汽車路線が開通するらしい。ミナホが敗戦してから十五年。海外から新しい技術が続々と入り込んできているのを、毎日のように実感するのは、まさに今この時が、ミナホという国家が列強国に追い縋るための期間なのだろう。


「はい。些細なことですけれど」

 そんなに顔に出ていただろうか。私は自分で表情の緩みを直すように、頬の辺りを掌で揉んでみる。

 ようやく、殺されたのにも関わらず、翌日何事もなかったかのように生き返っていた従者の名前が分かったのだ。それは些細な一歩かもしれないが、半井泰葉の謎を解く大きな一歩になるかもしれないのだ。

「それはそれは。このところお嬢様は難しい顔をして調べ物をしておりましたから。半井家は秘密主義ですから、なかなか骨の折れる仕事ではないですか?」


 流れゆく窓外の景色を見ていた私は、運転手の言葉に耳を疑った。

 運転手は肩越しに私を見ている。

 何故私が半井家について調べていることを知っているのか。

 そんな疑問はすでに吹き飛んでいて、胸中にあったのは、半井家の秘密とは触れてはいけないものだったのだという、確信のみだった。

「そんなに青い顔をされても困りますね。安心して下さい。いくら十七支族の末席といえども、殺しはしませんよ。ただ貴女には、表舞台からの退席をお願いしたいだけです」

「……貴方は……」

 迂闊だった。

 そう思わざるを得ない。運転手の顔など覚えてはいなかったが、恐らく半井家から遣わされて来たであろうこの男は、酷く見知った顔だった。

 半井泰葉に殺された、あの従者であった。


 男の手が伸びる。

 視界が歪む。


 それを最期に、私の意識は遠くなって、後に残るのは何もない暗闇だけだった。

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