序章② とある追跡者の話

 我々はそれをカーミラと呼んでいた。

 欧州から伝わり、知識階級の間で数年前に爆発的に流行した幻想文学の登場人物の名前からとられているらしいが、あいにく私はそういった方面の知識には乏しく、何につけても西洋諸国の文化に擬えて比喩する近年の流行には辟易するほどであった。

 とはいえ、職務は職務だ。

 いかにカーミラと揶揄される連続殺人犯の事件に興味が湧かなかろうとも、我々警吏けいりはそれを解決しなければならない責務がある。

 十三年前、近代諸国と並び立つ国家を目指す為に政治体制を抜本的に見直した我が国ミナホは、欧州はフランク民主主義国から客員顧問を雇い、その助言に従い軍組織とは別の治安維持を図る邏卒局らそつきょくを設立。その中で、犯罪の捜査に特化した職務だけを行う邏卒官を警吏と名付け警吏課が出来上がった。

 ミナホの中央集権化は、それに付随する富の一極集中を強め、伴って各地域からの人口の流入が始まっている。

 それらが齎すのは、政治的なメリットのほかに、治安の低下と犯罪率の増加を意味している。

 東都邏卒局警吏課は、それ故に他の地域の数倍にも及ぶ人員を配備しており、犯罪の規模や種類によって務める担当課を定めた分業制度を導入していた。

 そして、その九つある部署のうちの一つ警吏第一課に、瀬尾棗せおなつめ——つまり俺は在籍していた。


「当直はもう帰ってるのか」

 始業時間ギリギリのタイミングで俺はあてがわれている文机につくと、昨晩からつい先程まで事務所に詰めていた同僚達の報告書に目を通した。

 邏卒局では、緊急時対応の為に各部署とも少人数が夜番を持ち回りで担当する。

 その書類束の中には、半年前から不定期に東都で発生している連続殺人事件——通称カーミラ事件の新たな発生を報告していた。

 被害者は大久保仁おおくぼひとし。東都北東部に位置する浅倉の繁華街路地裏で遺体が確認されたそうだ。発見時刻は早朝四時半。右頸部から刃物のようなもので切り裂かれたらしい。現場は悲惨な状況だったようだ。

 カーミラ事件の被害者に共通しているのは、首筋に近年女性の間で流行している舶来化粧品の歌劇口紅が付着していることだ。まるで傷口から流れ出る血液を吸っているかのように痕を残すそれが、吸血鬼カーミラを連想させるらしい。

 連日報道機関はこの事件を面白おかしく報道しており、被害者に老若男女の区別がないことから、巷間を恐怖に陥れている。


 俺は煙草を咥えて紫煙を吐き出す。

 カーミラ事件は、恰も一人の女性が引き起こした連続殺人事件のように扱われているが、邏卒局では犯人は二人組だろうということで結論が出つつある。それに、二人ともが女性ではない可能性すらある。

 現場に残されるのは、二組の足跡と女性物の化粧品の跡。だが、遺体は女性の腕力では到底為し得ない方法で殺害されているのも屢々しばしば存在する。

 まるで吐き出した紫煙のように、犯人像というのは、犯行直後にはくっきりと浮かび上がりそうなものなのだが、時間が経つにつれ、それはあやふやな形となって霧散する。

 しかし今回は少なくとも被害者は二人らしい。

 というのも、死体から僅か数メートルの距離に、血を流した人間の身体らしきものを引き摺った跡が残っているのだ。

「これまでならば、死体はそのまま放置していた筈だが……何故昨夜の事件は、もう一方の死体を隠蔽した?」

「これまでは決まって、犠牲者は一度に一人。それが今回は二人ですか。今までも複数の殺人があって、今回に限って証拠を残してしまったのか……或いは犯人にとって普段とは違う事態が起こってしまったのか」

 俺の独り言に答えるように、背後から声がした。報告書を覗き込んでいた柳井燈やないあかりがそこにいた。

「それよりも、俺達が先にやらなきゃいけないのは、こっちの事件だぞ」

 通常、一課に所属する警吏は二人一組で行動する。俺の場合の相方というのが、まだ入局して一年程度しか経っていない柳井燈だった。

 近年では貴族の娘達が結婚前に箔をつける為に、事務仕事などに従事しているという話はよく聞くが、警吏などという危険な仕事に就く女性はこれまで殆どいなかった。

 だが、柳井燈は少々放埒過ぎる性格の持ち主のようで、半ば実家である柳井家と縁を切ってまで、警吏を目指していたらしい。

 彼女にその覚悟をさせるだけの理由があるのかどうかまでは感知していないが、それなりの能力はあるため、今のところ俺に不満はなかった。

 強いて言うならば、天真爛漫な性格が俺とソリが合わない程度くらいだろう。


「半井家のお嬢様が行方不明になった事件ですか?いくら名誉貴族の御令嬢とはいえ、たかだか子供一人の捜索願にそこまで力を入れる必要あります?」

 呆れたように柳井は言うが、俺個人としては、この事件の真相は是が非でも掴んでおきたい情報であった。

 とはいえ、邏卒局の警吏としてはあまり重要な事件ではないということも、ある程度理解はしている。

「昨日聞き込みに行かせたよな?何か分かったことがあるか?」

「別に新しい情報は無かったと思いますけど……そういえば、半井泰葉さんの通う西刻女学院の同級生にも話を伺いましたが、彼女の側仕えの使用人が一人、行方不明になる数ヶ月前に辞めたそうですね」

「……おい待て、それは初めて聞くぞ。側仕え?そんな奴がいたなんて聞いてないぞ」

「結構格好いいって校内では噂になってたみたいですね。というか先輩、半井家も葬儀を済ませてほぼ諦めてるんですから、我々も違う事件を追った方がいいんじゃないですか?」

 元々柳井は貴族に対して良い印象を持っていないようだ。自身も貴族の出だというのに、いや、だからこそなのかもしれないが、貴族の令嬢が行方不明だという本来ならばそこまで大々的に捜査が行われないこの事件に対しては乗り気ではないようだった。

「……そうだな。これ以上手掛かりが掴めなければ、四課の方に回して、俺たちもカーミラ事件の方に回るとするか」


 とは言うものの、俺はこの事件を諦めるつもりは毛頭無かった。

 少なくとも、半井家に関係する事件である以上、手を引くという選択肢は俺には無いに等しい。

 俺から何もかもを奪った半井家に対する復讐は、まだ何も達せられていないのだから。

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