第20話 自立

いつ満タンになったのか分からないゴミ箱に入り切らず、行き場のなくなったゴミがテーブルの上にまた積み上がっている。

椅子にかけられたパジャマは、確かもう半月くらい着ていない。

スマホやモバイルバッテリーの充電コードが、あちこちに散らばっている。

床も半月は掃除していないかな……。

もし友理が今ここにいたらどうしていただろう?

……きっと又、初めてうちに来た時みたいに、小言を言いながらテキパキと片付けてくれたかな。

でも……友理は、もう二度とうちには来ないかも知れない……。

もう私のことが好きじゃなくなっていてもおかしくない……。

月曜日に夏さんに話しを聞いてから、同じ友理の先輩である尚美さんと千玲さんとも簡単に話してみた。

彼女たちはみんな友理のことを、優しくて、頼りがいがあって、可愛い後輩だと言った。

ゴミをまとめた袋を一つ、また一つとゴミ収集所に持っていく。

何往復かしたころ、やっと家のゴミを全て片付けることが出来た。

「……テーブルも拭かないとね」

もう一人、一番話したくて、話せていない人がいる。

林恵来。友理のネット友達。

その子は普段、夜の十時以降くらいにしかスマホを見ないらしい……。

でもその子も高校生だから、そんな遅くに連絡して勉強の邪魔にならないか心配で、まだちゃんと話ができていない。

そこで、とりあえず日曜日に会う約束を取り付けた。

夏さんが予めその子に私を紹介してくれたお陰で、とてもスムーズに会えることになった。

友理の周りにいる人はみんな、凄く優しい人達ばかりだ……。

友理が傍にいない金曜日だった。

夜に少し掃除をして、来週の授業の準備もしておいた。

本当は土曜日にする予定だったけど、尚美さんが友理の好きな漫画喫茶を紹介してくれたから、土曜日はそこに行くことにした。

猫喫茶はたくさん見てきたけど、今は漫画喫茶なんてものもあるのね……。

本屋と喫茶店が一緒になったブックカフェは結構あるから、中の本が漫画になったものだと思えばいいかしら……?

とにかく明日、東門とうもんにあるその店に行ってみれば分かることだわ。

……東門かぁ……。

この間と同じ場所に車を停めるのは心理的にキツイから、今回は他の物に乗っていこう。

今私は、友理の好きな物、好きな場所、見た風景を少しずつなぞっていきたい。

明日やることが決まると、なんだかやる気が湧いてきた。

明日への期待のようなものかな。

朝、パタパタと落ちてきた雨粒が木の葉のぶつかってたてた音で私は目を覚ました。

夏の雨はいつも来るのも行くのも急だ。

十二時頃、雨が少し止んだタイミングを見計らって、尚美さんが言っていた漫画カフェにやってきた。

中威ちゅうい……飲食廣場フードコート……」

二十世紀末の雰囲気の建物だ。

地図には地下一階と書いてあったから、てっきりエスカレーターを探し回る必要があるのかと思えば、入るやいなやあっさり見つかった。

一人分の幅しかない、小さいエスカレーター。

東門にこんな所があるなんて知らなかった……。

目的の喫茶店もエスカレーターを下りたすぐの場所にあった。

「お帰りなさいませ!」

な、何……?

店の入口で私を出迎えた店員さんが着ているのは、……たしか……十九世紀の欧州の……家政婦の……衣装……?

「す、すみません、お尋ねしたいのですが……ここは喫茶店……なんですよね?」

「そうですよ、ご主人様!ご来店は初めてですか?」

「はい……」

まるで未知の世界に飛び込んだかのような気分だわ……。

どういう理由で私を『ご主人様』と呼んだのか…………。

このカフェは、私の想像していたものとは大分異なった雰囲気のものだった。

店員さんは、私をお店の隅にある席に案内した。

外は雨だというのに、店内の客は随分と多いように感じた。

「ご主人様、メニューをお持ちしました」

「ありがとうございます……」

とりあえず何か飲むものを注文しようとメニューをめく捲っていくが、次第に自分がなにを読んでいるのか分からなくなってきた。

『心よりお慕いしております』セットってな……何……?

文字は読めるのだが、メニューにしては文字の組み合わせがおかしい気が……。

こ、こんな変な料理を友理は注文して食べていたの……?

「あの……、すみません、何かお薦めの飲み物ってありますか?メニューだとよく分からなくて……」

「くすくす、ご主人様ったらお可愛いですね!では、当店の一番人気の『ツーピース』で宜しいでしょうか?ホットココアになります!」

「あ、はい、それで。あ、それと……、その呼び方は少し……」

こんな要求をされたのは初めてなのだろう。

店員さんが困惑した表情を見せる。

このお店に来る客はみんな、こういうのを目当てで来ているのだろう。

「分かりました。ご主人様のご命令でしたらしょうがないですね。では姫様とお呼びしても宜しいでしょうか?」

「ひ、姫様!?……でも、ご主人様と呼ばれるよりはマシかしら……」

「はい!では姫様は何か読みたい本はございますか?漫画や雑誌、画集など、何でもお好きにご覧になられますよ!」

「そうねぇ……、魔法少女が出てくる漫画はあります?」

「魔法少女、ですか。そういったジャンルのがお好きなんですね~」

「あ、いえ、私ではなくて、私の……か……好きな人が、こういうのを好きだと聞いたので見てみようかと……」

好きな人、と口にした瞬間、顔がカッと熱くなった。

「なるほど……、姫様には慕う方がいらっしゃったんですね、少しショックです」

「ん?……え?ショック?」

店員さんは私の反応を綺麗にスルーして本の紹介に入った。

「魔法少女を題材にした漫画ですと……、最近出た『街角まちかど』という作品が良いかも知れませんね。ただこの本は今の所店には置いてなくて……、宜しければ私が後ほど、姫様にその作品を詳しく紹介させていただきますが如何でしょうか?」

「え?あ、ありがとうございます。お願いしてもいいですか?」

「畏まりました!では先にオーダーの方入れさせていただきますね」

そう言って、熱心な店員さんはニコっと笑って離れていった。

こんな形で注文するのは初めてだわ……。

てっきり普通の喫茶店に、漫画が並んだ本棚があるのかと思っていた。

こっそり他の客を見てみると、若い人から中年の人まで、幅広い年代の人が熱心にそれぞれ手に持っている漫画を読んでいる。

こんな隅っこでキョロキョロしている自分がとてもアウェーに思える。

注文したホットココアは然程待たずに、さっきの店員さんが持ってきた。

「姫様の『ツーピース』です。ごゆっくりどうぞ」

お礼を言って私がコップに手を伸ばしても、店員さんは戻っていかず、なぜか少し声を潜めて私に話しかけてきた。

「姫様、その、しつけなお願いかとは存じますが、……このお店でバイトしてみませんか?」

「……?」

その言葉を理解するのに少し時間がかかった。

「え?わ、私が、バイト……?……?すみません、よく意味が分からないのですが……。私はここに漫画を読みに来ただけなんですけど……」

「戸惑うのも無理はありません。実は当店では、見目のいいお客様を見かけた場合、このバイトにお誘いしているんです。……姫様のようにここまで可愛らしい方は初めてですが……。お店の前に座っていていただけるだけで結構です!漫画を読んでいただいても構いません。是非ご協力いただけないでしょうか……?」

客としてきたお店に、バイトに誘われたのは人生初めてだ。

でも、友理が好きなお店で店員をしてみるのも案外悪くない?かも知れない。

「さぁ、こちらへ!難しいことは何もないんですから!」

若干強引に、店員さんが私の手を引っ張ろうとする。

「あ、待って、待ってください!私ココアまだ一口も……!」

私の訴えに店員さんは耳を貸すことなく、私を更衣室まで連れていくと、彼女と同じ制服を手渡してきた。

姫様なんて呼ぶくせに、扱いが全然姫様じゃない……!

手渡された制服を広げて見てみる。

こ、これを私が着るの……?

喫茶店に漫画を読みに来ただけなのに、なんでこんな事になったんだろう……。

レースに縁取られた白いエプロンに、白襟の黒いミニワンピース。頭には同じレースで作られたカチューシャ、脚には白いニーハイソックス……。

着終わって更衣室を出ると、店員さんが目をうるうるさせながら両手で口元を覆っている。

まるで神の天啓でも受けたかのような大袈裟さだ。

こうして私は少しの間だけ、この店の従業員として働くことになった。


とは言っても、店員さんと店の前に座って話したり漫画を見たりするだけだけど。

「ここに座っているだけで良いんでしょうか……?」

「良いんですよ!可愛いメイドが二人並んでいれば、それだけで十分魅力的な看板になりますから!」

……本当に漫画喫茶というのはおかしな場所だ……。

「そう言えば、このお店の店員さんたちは、なんでこんな制服を着ているんですか?」

「姫様、これは世間一般ではメイド服と呼ばれるものです。何故、と聞かれると、やっぱり可愛いからじゃないでしょうか?」

今自分が着ているのがメイド服だっていうのは知っているけど…………

漫画喫茶とメイド服の関係性がまだよく分からない……。

でも可愛いは確かに可愛い。

友理がこのメイド服を着たら……?

…………わぁ、どうしよう……。想像するだけで心が洗われるような神々しさだわ。

友理に着てみて欲しいな……。

はっ、駄目よ駄目!ついこの間、友理のことをよく理解しようとせずに、自分勝手に我儘言っていたせいで、友理は……私のもとを離れていったんじゃない……。

ブンブンと首を振って、自分勝手な妄想をかき消す。

友理が着たいと言ってくれるならそれに越したことはないけど、決して無理強いしちゃ駄目よね。

よくよく思い返してみれば、私が知る友理は、夏さん達が話してくれた友理と同じ、優しくて頼りがいのある女の子だった。

自立心が強くて、人にあまり頼らない。

付き合っていた時だって、私が傍にいなくても友理は休みの計画を自分で立てて、目一杯楽しんで、友達も趣味もいっぱいで、何かに依存するなんてことはなかった。

友理は精一杯、青春を謳歌していた……。

一人で自分の道をしっかり歩いている友理はあんなにも輝いていたのに、私はそれをしっかり見ようともしなかった……。

それどころか、そんな友理を束縛して、なんとか自分の思い通りに動かそうとしていた。


そっか…………。

そうだったんだ……。

だから友理はあの時、何でもかんでも自分に意見を求める必要はないと言ったんだ……。

だって友理はとっくに、他人を好きになるとはどういう事かを知っていた。

その瞬間、過去の自分が友理に対してどういう感情を持っていたのかを理解した。

そして同時に、なぜ友理が自分の傍を離れていったのか、自分がどんなに愚かな間違いを犯してしまったのかを知った……。

好きな人、か……。

そうだ、私は……友理のことを……好きになったんだ。

もう遅いかも知れない。友理はもう私のことを好きじゃないかも知れない。友理からの応えも貰えないかも知れない……。

でも大丈夫だ……。

私は自分でちゃんと家を綺麗に片付けられる。

ちゃんと自分の生活を歩ける。

週末も自分の時間を満喫できるんだ。

私は……もう友理に依存しなくてもいい。



だけど……



友理がいないなんて……



やっぱり……寂しい……

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