第19話 光芒(ひかり)

きつい日差しが、袖に覆われていない腕をジリジリと焼く。

夏は完全にその姿を表し、深圳に根を張ったようだ。

これ以上耐えられないというところまで暑くなったかと思えば、突然の雨がその熱を束の間洗い流し、雨が止めばまた暑くなる。最近はずっとこの繰り返しだ。

気温に加えて湿気も高くなった空気が気持ち悪い。

……もう一時限目が終わった頃かな。

そろそろ……友理が、集めた宿題を持ってやってくる。

そわそわしながら、首を伸ばして職員室の入り口に友理がやって来ていないか確認する。

まだ友理にどう話しかければいいか分からない。

友理をあんなふうに泣かせてしまったのはきっと私のせいだから、それに向き合うのが怖い……。

でもずっと逃げ続けていたら、友理は今度こそ本当に私から離れていってしまう…。

予想通り、大して待たない内に友理が職員室前に姿を見せた。

慌てて、自分の席に椅子を戻し、友理がやってくるのを待つ。

「玖嘉先生、宿題を持ってきました」

冷たい声、冷たい表情。

声色にほんのかすかに寂しさが滲んでいる。

「うん、ありがとう……」

自分が本当は大して友理を知らないことに気付いてから、見慣れたはずの友理が、よく知らない誰かのように思えた……。

「じゃあ私はこれで」

躊躇ためらうことなく踵を返す友理。

行かないで。

そう言おうとして薄く開いた口は、終ぞ声を出すことはなかった。

ピシャリと閉まるドア。

うぅ……、このままじゃ駄目よね、なんとかしないと……。

それじゃ――


「先生、夏葵沙かきささんを連れてきました」

「あなたが夏葵沙さんね?こんにちは」

「あ、え……こ、こんにちは、先生……」

私は友理を知るために、彼女の親しい人たちから話を聞くことにした。

はん先生から部活の名簿を見せてもらい、友理が所属する部活の部長である生徒を探しだしたのだ。

「連れてきてくれてありがとう。教室に戻っていいわよ」

夏さんの呼び出しをお願いした生徒を帰し、夏さんをまっすぐ見つめた。

「突然ごめんなさいね。どうか緊張しないで、座ってちょうだい?」

「は、はい……。その、どういったご用件でしょうか?」

以前に友理が見せてくれた写真に写っていた子で間違いない。

今私と夏さんは、長廊下のベンチに座っている。

この廊下は然程人が通らず、静かに誰かと話したい時に丁度いい。

「えっと……、ごめんなさいね。私は李玖嘉。一年生の英語を担当しているの」

「あぁ、この学校で玖嘉先生を知らない人なんていませんから、自己紹介なんてしなくても大丈夫ですよ」

夏さんが少し可笑しそうに笑いながらそう言う。

明るくて接しやすい子のようだ。

「あ、そう?ありがとう……。今日来てもらったのはね、あなたが部長をしている部活のことを聞きたくて。あと、友理さんのこととか……」

「え、友理……?……すみません、良ければ…何があったか教えていただけませんか?」

教師に突然呼び出されたかと思えば、親しい友人のことを聞かれたのだ。

当然の反応だと思う。

私もそれを予想して、予め答え方を準備していた。

「近頃、呉友理さんが元気なさそうに見えたから、彼女の最近の様子を少し聞きたくてね……。普段の様子はどうなのかとか、話題に何か心当たりはないかとか教えてくれると嬉しいわ。あ、本人には内緒ね!」

「わぁ……、そんなに友理のこと気にかけてくれているなんて……。私感動しました!友理が羨ましいです!これが所謂『他の人の先生』なのかぁ……。安心してください、絶対誰にも言いません!」

「あはは……、そんなことないよー」

ここまで純粋に信じられると逆に申し訳なくなる……。

なんせ私は、教師として友理にしてはいけないことをいくつもしているのだから……。

とにかく、夏さんが素直な子で良かった。

「まずうちの部活は『ココ部』と言って、これはある漫画雑誌の名前からつけられています。活動内容は、アニメとか漫画とかゲーム……いわば二次元に関係する同好会みたいなものですね。私と友理を入れて部員は四人しかいませんけど……」

アニメとか漫画とか……、確か前に友理が好きだと言っていたっけ……。

部員が四人ってことは、あの写真に写っていたのは部活の子達と、友理が言っていたネット友達なのだろう。

「部活での友理は、比較的静かですかね…?でも別に性格がすごく静かって訳でもなくて、他の三人が全員先輩だからっていうのが大きいと思います。話に割り込んだりもしませんし。あ、でもいざっていう時は結構頼りがいがありますよ。好きなものには凄く一生懸命知ろうとしますし…、私達先輩が知らないことを友理は結構知っていたりします」

「そうなんだ……」

漫画やアニメなどの文化に疎い私には、よく分からない部分もあったが、夏さんが話してくれた友理は確かに私の知らない友理だった。

「あ、そうだ。最近の撮った友理の写真ありますよ、見ます?」

写真?

見る見る、と頷く。

「これです。この間の部活報告会で、ジブリについて紹介している所です」

黒板の前に立って笑顔で話しているのは確かに友理だ。

「これが友理がその時のために作ったパワポです。内容も面白いけど、この文化に詳しくない人にも分かりやすくまとめられていて、生徒会の人たちも感心してました」

友理そんなもの作ってたんだ……。

友理が作ったパワポを一ページ、一ページめくっていく。

本当に細かく書いてあって思わず引き込まれる。すごい……。

「友理の演説も一緒に聞けたらもっと良かったんですけど、ムービー撮ってなくて……。たまにネット上で、自分の感想とか考察とか載せているみたいですよ。この間なんか短編小説書いて投稿したらしいですし」

「あー、小説……」

前に友理がそんなことを言っていたのを思い出した。

「あれ、玖嘉先生知っていたんですか?まさか玖嘉先生と話していたなんて…、友理も隅に置けないですね~」

意味深に頷きながらニヤッと笑う夏さん。

「あ、うん、少し小耳に挟んだだけね……」

「そうなんですね~。確か来月の雑誌に載るみたいですよ。原稿が見たいなら私のところにありますけど、見ます?」

「……え、いいの?見る!」

友理が書いた物をみれば、何か分かるかも知れない。

「じゃあフレンド申請してもいいですか?」

「あ、そうね…。ありがとう、夜見てみるわ」

こうして、私は夏さんと連絡先を交換した。

「やった!玖嘉先生の連絡先貰っちゃった~!」

そう言ってはしゃぐ夏さんに、心がほわっとする。

「もし良かったら他の二人の連絡先も送りますよ」

「本当?お願いできるかしら?」

他の部員の連絡先が貰えたのは予想外の収穫だった。

でも、私には他に連絡先が欲しい人がいる。

「その、夏さん……。友理さんには他の友達も、いるんじゃないかしら……?」

「他の友達の連絡先ですか?んー、すみません、他の子は接点があまりないので分からないです。直接友理のクラスに行って聞いてみたらどうですか?」

「うぅ……、友理さんには知られたくないから、あまり堂々とクラスに行けないのよね……。だから、クラスの子以外の友達の連絡先があると嬉しいんだけど……。例えばネットの友達とか……?」

そう。私が一番欲しかったのは、前に私が友理に会うことを許さなかったネット友達の連絡先。

「ネット友達……。あー!いましたいました!恵さま!」

「恵……さま?」

「あ、すみません興奮しちゃって……。友理のネット友達です。林恵来っていう子で、南山才育なんさんさいいく高校の一年生。身長159センチで、まさに女の子って感じの子です。誕生日は九月十二日……」

「あ、いいのいいの、そこまで詳しくなくても平気よ、ありがとう……」

ここまで詳しいと、夏さんの友達なんじゃないかと思えてくる。

「その恵さんの写真もあったりする……?」

「あります!どうぞ!」

間違いない。写真に写っていたもう一人の子だ。

友理が会いたがっていたネット友達……。

「せ、先生……?お顔が少し怖くなっていますけど…、写真に何か問題でもありました?」

「え?ううん、なんでもないわよ?可愛いなって思っていただけ」

「そうですよね~、本人は写真よりもっと可愛いですよ」

友理が言っていたのがこの子だと確認して、夏さんから連絡先をもらう。

去り際、夏さんは最後にこう言っていた。

「友理のことはあまり心配しないでいいと思いますよ。友理は、なんていうか結構大人?ですから。いや、大人っていうのもなんか違いますけど……。とにかく、自分で自分のメンタルを維持できる子なんです。転んでも自分で起き上がろうとするっていうか……。あ、もちろん、玖嘉先生みたいな方が支えてくれたら起き上がるのは早くなると思いますけど!……えへへ、すみません、なんか分かりにくいこと言っちゃって」


家に帰って、早速もらった原稿データを読み始めた。

ストーリーは正直、二次元文化に縁がない私には少し読みづらいものだった。

二人の主役は魔法少女という存在で、どちらも十分強いが故にそれぞれがそれぞれの戦い方で単身戦っていた。そしてある事件がきっかけで二人は出会い、協力し合い、より高みに行くようになった。

魔法少女というのがどういう危険な職業なのかはよく分からなかったが、それぞれの強さを持つ二人の少女が、パートナーになって助け合っていくのは、友理の文才もあって心が動かされた。

自分の彼女がこんな小説を書いていたなんて……。

友理は前に教えてくれたのに、私はそれに興味を持つことすらなかった……。

私の彼女がこんなにすごいんだってことに……何故今まで気付こうともしなかったんだろう……。


「ごめんね……友理……」

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