第7話 焼餅(やきもち)

スマホの画面が光り、玖嘉先生からの電話が鳴った。

「もしもし、友理?そろそろ東門とうもんに着くんだけど、今どこにいるの?」

「先生、こんばんは。ばい小学校のバス停にいます」

「分かったわ、多分数分で着くからね」

「はい、待ってます。お気を付けて」

恵ちゃんと別れて然程経たない内に先生と会うなんて…。

なんて充実した一日なんだろう。

すぐに先生の車が道の向こうからやってくるのが見えた。

バス停には他の車は停車してはいけないのを思い出し、先生の車が止まって慌てて乗り込む。

車に乗り込んだ刹那、百合の花の香りとひんやりした空気を感じた。

「先生こんばんは…」

今日の先生は、ポニーテールに淡いブルーのワンピース。

学生の私と比べても、先生の方が十代の少女に見える。

「友理~!」

えへへ、うふふ、とお互いに顔を見合わせて笑い合う。

「今日はなに食べる?」

目的地が決まらないまま、車が発進する。

「そうですね…うーん…」

実は行ってみたいファストフード店が近くにあるのだが、先生は高級レストランみたいな所が良いかなとか、行っても自分じゃ払えないしとか、でも先生にそんな高いお金を払ってもらうわけにも行かないしとか考えたら言い出せなかった。

「じゃあバイキングはどう?前に行ったレストランの向かい側にバイキングレストランがあるのよ~」

んんん、やっぱり……。

迷った結果、私は自分の提案をしてみることにした。

「やっぱりこの近くで食べませんか?」

「いいよ~」

さんちょうでもいいですか?」

「いいよ~!友理が良ければどこでもいい!」

前に先生と行った高級レストランがの周辺の静かな雰囲気とは違い、今日来たここはショッピングモールが集まった、人の多いにぎやかな場所だ。

周辺をぐるぐる回り、十数分かけてやっと車を停める。

車を降りると、先生はすぐにはしゃいで私の左腕に自分の腕をからめた。

夜の東門は特に人が多い。

あちこちの店がスピーカーを外に向けて大音量で音楽を流している。

深圳に住んで十数年になるが、私の耳はこのうるささにはまだ慣れていない。

往来の激しい街道に怯えるように、先生は私の左腕を強く抱きしめる。

な…なに…、なんか柔らかいのが腕に当たって……、まさか、先生の…胸…!?

先生の胸が私の腕に押し付けられている。

ふわふわと……柔らかくて……

気持ちいい……

私と先生はどっちも女で恥ずかしがる理由なんてないはずなのに、やっぱり恥ずかしくって顔が赤くなる。

腕の場所をどうにか変えようとするが、先生はその腕をがっちり掴んでそれを許さない。

少しでも腕を離そうとするが、先生ががっちりと掴んでそれを許さない。

もうどうにでもなれ……。

すれ違う人々に、ぴっとりくっつき合う私達は姉妹に見えるのかな。(当然私が姉である。)

きっと、カップルだなんて誰も思わない。

その体勢のまま、私達は東門の鴻展こうてん中心城ちゅうしんじょうにやってきた。

ここには庶民に優しいコスパのいいチェーン店が連なっている。

室内に入ると、先生の腕がやっと少し緩められた。

私は先生を連れて、地下一階の比較的人が少ない『大家楽カフェ・デ・コラル』に連れて行った。

ここには当然、きれいなお姉さんのウエイトレスも、広い座席も無いし、少し声が大きければ隣の席の人にも会話が聞かれてしまう。

こんな場所…先生は嫌がらないなのか?先生意外と美食家とかだったりしたらどうしよう?などと考えたら不安になってきた。

「わぁ、良さそうな場所じゃない!私は、ニュージーランドステーキにするわ。友理は?」

座ってメニューを開くと、先生は即座に食べるものを決めた。

「えっと、じゃあ私はソーセージと卵のサンドイッチで…」

注文を終えると、先生の表情が突如厳しいものになった。

さっきの恵ちゃんと同じ顔だ。

「昨日は学校で聞き忘れていたのだけど…、友理今日は誰と出かけてたの?どこに行ったの?」

真向かいに座る先生が、まるで尋問でもするような表情と口調で問い詰める。

「え……、と、部活の人達とご飯を食べて、アニメフェアに行ってました」

「ふーーーん、部活の人ね……。誰なの?」

やたら長く、ふーんを伸ばしてから、コップを持ち上げ一口飲む先生。

本当にドラマの中の、取り調べをしている刑事さんみたいだ。

「……部活の先輩三人と、あとネット友達と……」

「ぶっ!」

突如水を吹き出す先生。

「せ、先輩……!?三人も!?あとネット友……!?」

「お待たせ致しました。三十一番テーブルの料理は以上です」

まるで先生の言葉を遮るように、ウエイトレスが料理を持ってやってきて、素早く並べていく。

お陰で、無意識の内に意識を料理に逸らすことができた。

「流石ファストフードね!料理が出てくるのが早いわね」

「わ、先生の牛扒ステーキ大きくって美味しそうですね」

先生の意識がさっきの話題に戻らないように、慌てて相槌を打つ。

「友理も食べてみる?」

そう言いながら、小さく切った牛扒をフォークで刺して私の口元に伸ばす。

「はい、あーん」

え、こんな、他の人が見ている中でやるの?

「ほら、友理~、あーんだよ」

「……あう……」

恥ずかしさをこらえ、頭を前に出して先生のフォークを口に含む。

「どう?」

私の好きな黒胡椒味だ。口を抑えて噛みながら、こくこくと頷く。

私も先生に一口あげるべきだろうか……。そんな考えが頭に浮かぶ。

慎重に三文治サンドイッチを一口サイズに切ってフォークに刺す。

「友理、あなたの一口ちょうだい?」

私がなかなかフォークを差し出せずにいると、先生が自ら口を開いた。

「あ、はい……」

ぎごちなくフォークを差し出すと、先生はそのままパクっと口で三文治を受け取った。

「うん、三文治もいいわね。」

ニコニコと美味しそうに牛扒を食べる先生を見て、私の不安も消えていく。

いや、まてよ?先生は何故そんな平然と、私の使ったフォークで牛扒を食べているんだ?

ゆっくりとフォークを口に運ぶ先生……いやいや、待て待て待て。

食べて……、飲み込んだ……。

こ、これって、間接キスになるのか……?

「ゆ、友理?どうしたの?ずっと私が食べているところを見て首振ってるから……、料理不味かった?」

「いえっ!そんなことないです!」

慌てて先生から視線をそらし、自分のサンドイッチをガン見する。

…そう言えば私が今使っているフォークも先生は使ったから、これも間接キス…。

駄目だ、頭がパンクしそう。

「友理、今日は楽しかった?」

いい加減フォークから意識を逸らそうと、咄嗟に「楽しかったです」と答えようとした時、

「先輩たちと一緒で」と付け加えられた一言が、ズシンと冷たい石のように落ちてきた。

なんの感情も込められていないのがとても怖い。

「あ……、えっと、楽しかったですよ、……写真もたくさん撮りましたし…」

「へー、写真…私にも見せてほしいな~?」

意味深な口調の先生に急かされて、スマホを取り出して写真を見せる。

なにも悪い事はしていないのに、なんだか犯罪に使ったものを取り出しているような気分だ。

「……これはある漫画の原稿です」

「あ!これはとある作品のフィギュアなんですよ」

「あとこっちは新発売のゲームの体験エリアで……」

写真を見せながら、会場で見たものを説明していく。

しかし以前先生も自分で言っていたように、あまりこの辺の知識は無いらしく、返ってくるのは単調な相づちと頷きばかりだ。

あまり詳しく語っても先生には退屈かな、と大まかな説明に留める。

写真をめくっていくと、先輩たちと恵ちゃんと一緒に撮った写真が出てきた。

「あ、この三人が部活の先輩たちです。それでこっちが恵ちゃん、私のネット友達です。少し不安だったんですけど、みんなすぐに仲良くなってくれて…」

言い終わらない内に、突如隣から殺気を感じた。

「友理のネット友達も先輩たちも、本当にかわいいわね~」

「可愛い」をやたら強調しながらゆっくり顔を上げて私を見る。

やばい……。

ビシバシ突き刺さる殺気が、これは嫉妬なのだと馬鹿な私に気付かせる。

「あ……、いや、その……ただの友達……です」

「ふーーーん、こんなに可愛くおめかしして、他の女の人と遊びに行ったんだ」

言葉の隅々にまで嫉妬が行き渡っているのが分かる。

モチもそろそろ炭化するのではないだろうか。

あはは、なんて笑いながらそっとスマホの画面を消す。

先生はなにも言わずに上目遣いで私を睨んでいる。

怖いよぉ…。

「……本当に……ただの友達なんです……」

本当に友達以外の何物でもないのだが、口にするとなぜか言い訳がましく聞こえる。

「先生、怒らないでくださいね……」

「怒ってないわ」

「怒ってるじゃないですか……」

「怒ってない」

先生は一旦こうなるとものすごく頑固だ。

「でも!次またこんな他の人と親しくしてたら、……本当に怒っちゃうからね」

私の手をぎゅっと両手で握りながら、拗ねたように言う。

「だって友理の彼女は私だもん……」

当然、先生には怒ったり悲しんだりして欲しくないが、ムッと口を尖らせる先生に、思わずときめいてしまった。

恋人になるっていうのは……こんなにも難しいことだったのか……。

とにかく一旦怒りを収めてもらおうと、辿々しく謝罪する。

「わ、分かりました。ごめんなさい……」

「本当に分かった?」

先生は私を握る手に力を入れて、指でゆっくり手の甲を撫でる。

ぶわっと妖気みたいな嫉妬の感情が襲いかかってくるような錯覚をうけ、こくこくこくと死にものぐるいで頷いた。

「わ、分かりました……!」

「はい、お利口さん」

パッと禍々しい空気が霧散し、楽しいお食事が続行される。

早めに食べ始めたせいか夜七時前には二人共食べ終わり、夜の東門をぶらぶら歩くことにした。

ほぼ満席になった大家楽を出ると、人混みは更に数を増していて、他のレストランも順番待ちが必要な状態だった。

「腹ごなしに少し歩きましょうか」

「うん!」

元気になった先生は、さっきみたいに私の左腕をギュッと抱きしめて歩き出す。

必然的にふくよかな胸が押し付けられて柔らかい感触を感じる。

ショッピング街に流れる音楽は音量が大きすぎて、会話にも少し声を張り上げなければならない。

先生は無言で私にしっかりくっついている。

比較的静かな一二三四いちにさんしモール近くに着くと、先生はふぅ、と息をついた。

「やっぱりあそこはうるさすぎて駄目ね。やっとまともに話せそうだわ…。そう言えば友理はこの辺に詳しいのね……」

「んー、そうですね。小さい頃からしょっちゅう来ているので」

「そうなんだ~!私は深圳に引っ越してきてから一回来たくらいで、後はもう全然」

とりとめのないことを話しながら、深南しんなん大道おおとおりのほうに歩いていく。

賑やかで雑多な東門とうもん歩行ビジネス街とはまるで別の世界の深南大道は、人通りも少なく、大きなスピーカーで音楽を流す店もない静かな場所だ。

ごちゃごちゃした商店街を抜けると、先生はきつく抱きしめていた私の腕を離し、その代わりというように私の手をつないでくれた。

目の前には、深南大道を横切るように作られた歩道橋。

そこからの景色はきっと綺麗だろう。

それにこれ以上進むと、車を停めた場所から遠く離れてしまう。

「少し歩道橋の上で風に当たりませんか?」

先生がうなずいたのを見て、私はその手を引いて歩道橋の真ん中まで歩いていった。

眼下の八車線道路には車が絶えず行き来し、そのライトがまるで川を流れる水のように通り過ぎていく。

前の方には駅につながる高架橋が見えた。

そこにはブーゲンビリアの蕾がたくさんなっていて、街道沿いに植えられた木綿の樹と共に街を彩っていた。

道の両端には高層ビルが連なり、観光地にもなっているおうたいきょうたいの窓から淡い黄色い光がこぼれ出ている。

これが深圳最大規模の夜景スポットの景色の一部…。

「深圳は本当に賑やかな場所ね」

眼前の夜景を眺めていた先生が、静かに口を開く。

深圳の人口は一千万を超える。賑やかなのは当然だ。

「今、ようやく……、私は一人じゃなくなったんだ……」

先生の声に少しの寂しさが混じる。

「え……、どういうことですか……?」

目の前の夜景から目を離さない先生の横顔を見つめる。

「……今ここで、好きな人と手を繋いで一緒にいられるのが嬉しい、ってことよ」

そう言いながら先生はこちらに顔を向けて私と視線を絡めると、雛菊のように笑った。

「だからね、ありがとう、友理」

心からの言葉なんだって感じられて、その笑顔に泣きそうになった。

向かいの高架橋をかいごうが走っていく。

列車が巻き上げた風が、先生のポニーテールと前髪をそよがした。

車輪が線路の上を走る音に、先生は顔を上げ、走っていく列車を目で追っていく。

あの列車の乗客がもし窓の外を見ていたなら、手を繋いだ私と先生が見えただろうか。

眼前に広がる深圳の夜景はたしかに魅力的だけど、私は先生の横顔から目をそらすことができなかった。

先週行った福田のイタリアンレストランで先生が私に打ち明けてくれた、彼女が感じている心細さと苦しみ。

そして同時に、初めて先生と会った日に「女の子だって貪欲になっていいのよ」と言いながら見せた笑顔。

そんな自身に満ちた先生が見せた意外な一面。

小さい女の子みたいに甘えたり、寂しげな表情をしたり。

私は先生と違って、この街で生まれ育ち、家族も友達も親しい人たちが皆そばにいて、すぐに会える距離にいる。

玖嘉先生は教師といえども、まだ大学を卒業して一年も経っていない、私よりも少し歳上なだけの女の子だ。

一人で見知らぬ土地で、親子ほど年が離れた先輩教師に囲まれ、心許せる友達もできない。

想像するだけで、それがどれだけ心細く寂しいものか分かる。

先生は私に何を求めるのだろう……。

安心感?

寂しさの埋め合わせ?

分からない。

でももし先生が私を必要と言ってくれるのなら、私はそれに精一杯応える。

私は先生の唯一の彼女なのだから。

今はただ、ひたすらそう思うのだ。

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