第2話 約会(デート)
鉛色の空、ざわめく冷たい風、放課後の放送……
そうだ、ここは……学校。
「そこの生徒さん、大丈夫?一人でそんなところに座ってたら風邪引くわよ?」
柔らかい声に誘われるようにして顔をそちらに向けると、新しく来た李玖嘉先生がそこにいた。
この学校に着任して然程経っていないけど、彼女はもう既に校内の有名人となっていた。
「私……もう勉強したくなくて……」
正直、こんな話を何のためらいもなく、初めて会った学校の先生にこぼした自分にびっくりした。
「えぇ、どうしたの?よかったら私に話してみない?」
玖嘉先生は怒ることなく、優しく微笑んで私にそう言った。
高校受験が終わった後の夏休み、私は数万文字に及ぶ小説を書いた。
私は幼い頃からアニメやマンガ、小説と言った類のものが大好きだった。
そして、いろんな称賛の言葉を密かに期待しながら家族に小説を見せた。
でも返ってきたのは「勉強に影響しなければいい」というそっけなく冷たい一言だけだった。
小説を書くことを否定されたわけじゃないし、書いた作品を貶されたわけでもない。
でも家族のその冷たい態度には正直悲しくなった。
高校に上がると、私は一心に自分の趣味のことだけを考えるようになり、授業でも家での勉強でもなかなか集中できない状態が続いた。
たぶん人はこれを幼稚な反抗心や抵抗だというだろう。
高校の主要科目は中学のよりも多いことも相まって、私の成績は滑る落ちるようにして一気に落ち込んだ。
元より成績を重視する両親とは当然のように喧嘩になった。
このことを余すことなく全部玖嘉先生に打ち明けた。
先生は時節うんうんと相槌を打ちながら真剣に私の話を聞いてくれた。
「じゃあ最近はまだ小説を書いているの?」
「い、いえ……」
言い訳に聞こえるかもしれないが、最近の私の状態はたしかに良くなかった。
玖嘉先生が困った顔を見せる。恐らくこんな悩み相談を受けるのは初めてだったのだろう。
「私は、勉強と趣味は両立できるものだと思うな。それに勉強は誰のためでもない、自分のためにするものよ。私はそういった作品を作ったことはないからよく分からないけど、勉強で得た知識はきっとあなたのその趣味にも役立つんじゃないかしら?」
彼女はクイッと眉を上げて、自身に満ちた得意げに笑って言った。
「とにかく、女の子も貪欲になっていいのよ。いい成績を取ってご両親を黙らせなさい。趣味も一緒に楽しんじゃいなさい。成績も趣味も全部手に入れるの。こんな事でずっとメソメソしていたって何にもならないわ。私だって貪欲に今まで生きてきたのだから大丈夫よ~」
すこし大袈裟にそう言う先生はキラキラ輝いていて、私の目に眩しく写った。
その笑顔は私の心奥深くを光照らしたようで……。
ジリリリリリリリリ!!!
机の上の目覚ましが鳴った。
ジリリリリリリリリ!!!
今日は土曜日なのに……目覚ましオフにするのを忘れてた……。
さっきのは夢…?
いや、夢じゃない。あれは私の記憶。高校に入ったばかりの頃の記憶だ。
あの時から私は真面目に授業を受けるようになり、成績も一気に学年上位まで上り詰めた。
放課後は好きな本を呼んだり、小説の書き方を研究したりした。
ちょうどこの時から私は玖嘉先生が気になるようになって、彼女に関する様々なことにアンテナを張るようになった。
そして,昨日の放課後、信じられないことに、私はその玖嘉先生に告白された。他でもない愛の告白だ。
先生は私に告白したあと、まだ仕事が残っていると学校に残り、私を一人家に帰した。
突然すぎるにもほどがある幸せの到来。まるで実感がわかない。
ずっと片思いしていた人に告白されたというのに、嬉しさよりも信じられなさが勝っている。
「今日から友理は私の彼女ね」
先生の言葉が頭の中で繰り返し反響している。
つまり、今の私は玖嘉先生の彼女で、玖嘉先生は私の彼女で…。
ドクン、と心臓が跳ねて慌てたように胸を打つ。
(うぅ……)
全部先生のせいでこんな……
二度寝できない……
「月曜日には先生に会えるよね……」
玖嘉先生と私が恋人、玖嘉先生と私が恋人……。
そればかりが頭をグルグルして、期待感と非現実さがごっちゃになって、この週末は異常に長く感じた。
週明け私はどんな顔をして先生に会えばいいんだろう……?
まだ起床すらしていないのに、私の心はもう月曜日にまでワープしていた。
「おはよ~!」
月曜日だと言うのに、隣の席の
できるだけ学校に行きたくない私とは大違いだ。
「晴星、おはよう」
挨拶を返しながら席につく。
やっと玖嘉先生に会える緊張で暴れだす心臓を抑えながら歩いてきたが、席につくと少し落ち着いてきた気がする。
「晴星、今日の玖嘉先生の授業って何限目だっけ?」
「三?限目じゃなかったっけ?ていうかあんた英語係でしょうが」
「う、うん、ちょっと確認したかっただけ」
少し友達と話してチャイムが鳴れば朝読書の時間、そして授業が始まる。
玖嘉先生に告白されても、私の一日は相変わらずのままだ。
そりゃそうだ。先生と恋人同士になったからといって、生活が劇的に変わるわけではない。
何考えてんだろ、私…。
月曜日の一限目は、週末気分から抜け出せていない生徒たちにとっては、まるでお経のように聞こえるのだ。
数名の真面目な人を除いて、大体のクラスメイトの目に光がない。
かくいう私も、終わりのチャイムが鳴ったときには授業の内容を思い出せなくなっていた。
毎日一限目と二限目の間の休み時間は、前日の宿題を集めて職員室に持っていく時間だ。
週末分の英語の宿題をみんなから集めて廊下を歩く。
トクン、トクン。ぶり返す緊張が鼓動を早める。
どうしよう、どんな顔をして先生に会えばいい?
そもそもあれは先生の冗談なのではないだろうか?
からかわれただけで、私が勝手に本気にしただけという可能性はないだろうか?
いやいや、でもあの口調は本気っぽかった。そんな気がする。
万が一本気だとして、先生はなんで私を選んだの?
ていうか、付き合うって何をすればいい……?
私のいる教室から職員室までは一分もかからない。
グルグル考える頭で何も結論が出せないまま、私は職員室のドアの前に立っていた。
「もうやるっきゃない……!」
深呼吸をして息を整え、何事もない感じを装ってドアを開いた。
宿題を抱えて先生のデスクに近づいていく。
「先生、週末の宿題全員分集めておきました」
「友理~、ありがとう!そこに置いてくれればいいよ」
私に気づいた先生は、いつもみたいに椅子をクルッと回してこちらを向いた。
本当にいつもどおりだ。強いて言えば、先生の髪がピンクのバレッタで丸く留められて、まるでドアノブのように見えることくらいか。
見たことがないが、新しいヘアアレンジの研究かな……。
髪型のおかげか、いつもより先生が幼く可愛く見える。
「週末の宿題はどうだった?難しかったかな?」
「いえ、それほど……。週末は時間があるのでゆっくり出来ましたし」
話題もいつもどおり勉強のことだけ。
まるで何もなかったかのようで、本当に自分の勘違いなのかと不安になってくる。
あれはまさか本当に冗談のつもりだったのだろうか……?
「友理は休みの日もずっと勉強しているの?」
「えー、と……、私はどちらかというと、土曜日に宿題を終わらせたらもう教科書には触らないタイプですね」
えへへ、とごまかすように笑う。
でも私が先生と話したいのはこんな事ではない。
「そうなの」
なんてことないように頷く先生。
先生、あの言葉の真意はなんですか?
口から零れ落ちそうになった言葉を、ぐっとこらえた時。
「友理、金曜日の放課後時間ある?」
……え?
「あのね…、もっと友理と仲良くなりたくて……」
口の前に手を当てて、うつむきがちに声を潜めて囁いてくる。
「だから…」
「あ、あります!時間あります!」
思わず先生の言葉を遮って食い気味に答えてしまった。
「そう?良かった~」
可愛い!嬉しさでぱっと華やいだ顔も、はしゃいでいるのを他の人に気づかれまいと頑張って抑えているのもすごく可愛い……!
「
「あのバス停のそばにある店のことですか?」
「そうそう。金曜日学校が終わったら、そこの入り口で私を待っていてくれる?」
「わ、分かりました」
「うんうん、ありがとう~。じゃあもう行っていいよ」
「はい!先生ありがとうございました!」
即座に回れ右をして職員室を出た。
嬉しさが、軽やかな足取りになって現れる。
もし他の人の目がなかったらスキップでもしてたかも知れない。
「…あんた何かいいことでもあったの?」
晴星がいぶかしげに尋ねてくる。
「ん?なんで?」
「なんかやけに嬉しそうだからさ」
そんなに分かりやすかったかな。
「まぁ、ちょっとね」
「なによなによ。あ、先生に褒められたとか?」
うん、まぁ普通はそう考えるよね。
まさか本当は先生に告白されて、更にはデートに誘われただなんて、言っても信じられないだろう…。
「うん、まぁ、そんな感じ……」
晴星はまだ何か聞きたそうにしていたが、適当に誤魔化して話を切り上げた。
三限目は玖嘉先生の授業だ。
例え私と先生の間に特別なことが起こったとしても、先生は先生で、私は生徒。
授業はしっかりやらなければならない。
一週間、私達はいつもと変わらぬ日々を過ごした。
そして、金曜日。
「やっと、金曜日だ……」
先週、先生に呼び出された時と同じように、早々に荷物を片付けチャイムと同時に教室を飛び出す。
先生の言っていた待ち合わせ場所に向かって、大きく息をしながら走っていく。
重いリュックを背負って走る感覚は、寝過ごして朝ごはんも食べずにダッシュする感じを彷彿させる。
この先に先生が待っていると思うと、足を止める気になれなかった。
「はぁ…、はぁ…」
やっと、遠くに立つ先生の姿を見つけ足取りを緩める。
先生も私に気付いて手をふる。
「お、お待たせしました……」
手を振替しながら駆け寄ると、先生が驚いたように言う。
「どうしたの友理、汗だくじゃない!走ってきたの……?」
「すみません、デートなのにこんな格好で……」
「ううん、そんなことないわ。でも走らなくても良かったのよ?私も来たばかりなんだから」
先生はそう言いながらバッグからティッシュを取り出し、私の顔の汗を優しく拭き取っていく。
今までにないほど近くにある先生の顔。
ほのかに柑橘系の香りが先生から漂ってきた。
「よし、それじゃあ行きましょうか」
「はい…」
夢見心地過ぎて呼吸を忘れるところだった。
鏡を見なくても分かる…。私の顔はきっと赤い。
先生は可愛らしい小さな車に歩いていくと、私が立つ店の隣に車をとめた。
「さぁ、乗って」
運転席から掛けられた声に、慌てて助手席に乗り込む。
小さい車の中は意外と空間が広くて、ほのかな百合の花の香りが漂っていた。
この密閉された空間は、玖嘉先生の絶対領域なのでしょ。
小さい密閉空間に先生と二人きりだと思うと、一気に緊張してきて、シートベルトを締めるのにも手こずってしまった。
やっとの思いでシートベルトを締め、ほっと一息つく。
「友理さ~ん?」
「あ、はい!?」
「今夜は私とのデートなので夜ご飯は外で食べてきます、とご両親には言った?」
「い、言いました」
先生がいとも簡単に言ってのけた『デート』の三文字。
私……本当に玖嘉先生と、デート、するんだ……。
「よろしい。ではしゅっぱ~つ」
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