友理と玖嘉
唐豆乳
第1話 付合
「
「あー、玖嘉先生の授業午後なのかー」
朝。今日も教室は
李玖嘉先生は新しく赴任してきた先生で、卒業と同時にうちの高校に英語教師としてやってきた。
他のおばさん先生たちは一年中同じような服ばかりなのに、玖嘉先生は色んなスタイルの服をおしゃれに着こなしていた。
綺麗な服を着て触り心地が良さそうな髪をなびかせる様は、まるで雑誌に載っているモデルのようだった。ポニーテールに、シンプルなニットとスカートを合わせただけでも、その一挙一動で周りをキュンとさせてしまうのだ。
顔が良ければどんなスタイルもお手の物ということなのだろう…。
私も例に違わず先生の魅力にやられた一人だ。
他の皆と違うところと言えば、私の好きは「恋」だということかな。
自分は先生と恋人関係になりたいのだということは割と早い段階で自覚していた。
その感情を認めず目を背けようとしたことはないけれど、ほぼ諦めてはいる。だって私は「生徒」で、先生は「先生」だ。しかもどっちも女。どう考えても恋人になれる要素は一つもない。
それを分かっていたから、私は必死にその感情を押し殺そうとした。
届かない人に叶わない恋をし続けるのは辛い。
(恋人になれなくても、玖嘉先生を近くで見ていられるだけでいいんだ)
そう自分に言い聞かせれば、そもそも期待すらしてなかった自分の恋心は落ち着いた。
幸運なことに、高一の後半期のクラス替えの結果、私のクラスの英語授業は玖嘉先生が担当することとなった。
しかも英語係の私は毎日先生と話せるチャンスを得たのだ。
ルンルンとスキップしたくなるような気持ちで、今日も玖嘉先生のいる職員室を訪ねる。
「先生、今日の宿題集め終わりました」
そう声をかけると、パソコンの画面を見ていた先生が振り返ってこちらを見る。
「あっ、ありがとう
「分かりました」
長い
「最近みんな何か勉強で困ってることとか無い?」
宿題を提出しに訪ねてくると、玖嘉先生は度々こうして似たような質問をしてくる。
「うーん、そうですね…。この間授業でやった文法がよく分からなかったって人が結構いるみたいです」
「そうなの…。友理、あなたはどう?やっぱり難しかった?」
「私ですか…」
思わず苦笑が漏れる。
「文章の品詞を区別するのは少し大変でした」
「そうなのね。なら午後はその部分をもう一度詳しく解説しましょうか」
先生が話題になる理由は、もちろんその外見の可愛さもあるけど、教師としての責任感の高さや授業のレベルの高さもその理由の一つだ。たとえ先生が美人でなくても、生徒たちに慕われる先生であっただろう。
授業を聞いていれば、先生が授業のためにどれだけ準備に時間を掛けているか伺い知れる。
「先生、お疲れさまです」
「ありがとう。こちらこそ、友理がよく手伝ってくれているお陰で随分助かっているわ」
幸運なことに私は、他のどの生徒よりも先生と話す機会が多いどころか、時々こうして褒めてもらえる。
職員室から教室に戻ると決まって玖嘉ファンのクラスメイト達に、
「ねぇねぇ、今日先生なに着てた?」
「友理また玖嘉先生と二人っきりでお喋り?羨ましい~」
なんて言われるのにも慣れてきた。
席に戻れば今度は隣の席の
「玖嘉先生は今日もモテモテだねぇ~」なんて感慨深そうに呟いている。
外見レベルの高さから、優しくて真面目な性格…これほど完璧な人間を好きにならない人なんているのだろうか。
毎週金曜日の午後は、玖嘉先生の授業の時間だ。
玖嘉先生の授業が終われば自習とホームルームの時間、そしてそれも終われば待ちに待った土曜日。
一週間で一番待ち遠しい時間がやってきたが、今日の金曜日は少し違うようだ。
午後二時十分、玖嘉先生が教室に入ってくる。
授業初めの挨拶、「よろしくお願いします」の声量が他の授業と格段に違う。
今日の授業では、私が午前中先生に話した部分が再度丁寧に説明された。
先生が作ったプリントを見れば、生徒たちに理解してもらうために様々な工夫をこらしているのが見て取れる。
抽象的で分かりにくい文法も、先生の解説によって知識となっていく。
たまにうっかりその美貌に見惚れて解説を聞き流してしまうこともあったが、いつも先生の授業内容の濃さが私を勉強モードへと引き戻した。
授業が終わると、大抵誰かしらが教科書やノートを持って教卓まで質問しに行く。
しかしそれが、玖嘉先生と話すためのフェイクだというのは周知の事実である。
そのため、先生はいつも時間ギリギリまで教室から離れられない。
なんだか今日はいつも以上に聞きに行っている人が多いように見える。
大勢の生徒に囲まれて質問攻めにされている先生に、少し同情さえ覚えてきた…。
そんなことを思っていたら、突然、先生が私の方を向いて手を振った。
「友理、少し来てくれる?」
え、私を呼んでる?
急いで席を立って教卓に走り寄る。そばにはまだ三人のクラスメイトが並んで、質問の順番を待っている。
「放課後ね、職員室に寄ってほしいのだけれど、いいかしら?」
「放課後ですか…?はい、大丈夫です…」
よく分からぬままそう答えると、先生はにっこり笑って席に戻るよう促すと、また質問に答えるのに戻っていった。
結局、自習開始のチャイムが鳴ってからやっと、先生は生徒たちから解放された。
ずいっと、晴星がこちらに顔を寄せる。
「玖嘉先生なんだって?」
「放課後職員室に来てほしいって。多分授業のこと聞きたいんだと思う」
かくいう私もこうして呼ばれるのは初めてで、なんで先生が私を呼んだのか分からないんだけど。
でもわざわざ放課後に呼ぶなんて…。
いやいや、何期待してるんだ私。
頭の片隅に、ありもしない可能性を思い浮かべながら、じりじりと最後のチャイムを待つ。
そして、チャイムが鳴った瞬間に予め片付けておいたリュックを引っ掛け、先生の待つ職員室に向かった。
一秒でも長く先生を待たせることなどあってはならない。
「先生…!」
「あ、来たね友理」
職員室に他の人の姿はなかった。
「ごめんね~、放課後なのに呼んじゃって。何か他に用事があったりとかは…」
「あ、ないです、大丈夫です!」
他に用事があったとしても、先生の用事が最優先なのは変わらないから問題ない。
「そう、それなら良かった!」
そう言って先生は、あの、何人もの生徒の心を射止めた、絶大な殺傷力を誇る笑顔を見せた。
「じゃあ隣『
職員室の隣には、机と椅子が数個置かれただけの小さな部屋がある。
あまり他の生徒達に知られたくないことをする時、先生たちはこの空き部屋を使う。
故に、生徒たちには「小屋」と呼ばれ、いつの間にか先生たちもそう呼ぶようになった。
小屋に入ると先生はドアを閉めた。小さい部屋に私と先生二人っきり。
「友理、今日の授業はどうだった?」
そう聞きながら、先生はゆっくりドアから離れ私の方に歩いてくる。
「とっても良かったと思いますよ。例文とか出てきて、すごく詳しく説明してくれて分かりやすかったですし…」
先生が、私と向かい合うようにして足を止める。
私よりも、先生は丁度ゲンコツ一個分くらい高い。
…160センチ程かな…?
「そうか…」
力のない返事。どこか自信なさげな表情。
まさか先生は自分の教え方に問題があると思っているの?
私は胸の前で両手を握りしめ、ファイトのポーズを取りながら、
「本当ですよ!先生の今日の授業、本当にとても良かったです!」
と力を込めて言った。
「でもね、それでも沢山の子が授業の後に質問しに来るの。今日だけじゃないの、前からしょっちゅうこんな感じ。だから私の授業が分かりにくいのかなって思って…。それを聞きたくてあなたを呼んだの」
そうだったんだ…。でもそれは…。
「それはきっとみんな先生と話したいだけですよ」
「え?」
私の言葉が本気で思いもよらなかったというように、先生は驚いた顔をした。
「先生、自分がモテモテなの気付いてないんですか?みんな先生と話したくて、でも授業の後くらいにしかチャンスがないから、必死で質問しに行っているんですよ…」
もう周知の事実かと思っていたが、まさか本人が気付いていなかったとは思わなかった。
「えぇ…、あ、そうなの…?」
先生って、意外と天然なところもあるのかも知れない。
「そうですよ。先生は間違いなく、この学校で一番人気の先生ですよ」
表情を見るに、まだ信じられないらしい。
そんな顔も可愛いな~、なんて思いながら言葉を続ける。
「授業の方法は本当に何も問題ないと思いますよ。逆に先生の解説は詳しすぎるくらいです」
私の言葉に先生が、ふむふむと頷く。
「先生がこんなに力を入れて授業をしてくれるのはすごく嬉しいんですけど、全部あんなに詳しく解説する必要はないと思います。先生の負担が大きすぎると思います。…あ、もちろん詳しいのが駄目って訳じゃないんですけど」
「そうね…、確かに疲れるわ~」
少し甘えたげな口調。
「大して難しくない文法ならそんなに労力かけなくても大丈夫ですよ!もし先生が、みんなにとって難しいのがどこか分からないんなら私が教えますから」
「本当に?ありがとう!そうしてくれるとすごく助かるわ!…友理がいてくれて本当に良かった」
そんなことを突然大げさなくらい心を込めて言われるものだから、思わずドギマギしてしまう。
そう言えば、こんなに長く先生と話したのは初めてだな。
いつもは宿題を持ってくるついでに、授業や勉強のことを話すくらいだったから。
まぁ今話している話題も似たようなものだけど、でも、職員室で話している時の堅苦しい感じとは全然違う。
「私教師になったばかりで、まだまだ経験も少ない新人だから、いつも授業に問題がないかって自信がなくて…」
うつむきがちにそう話す先生は、とっくに成人しているとは思えないくらい幼く見えた。
先生がそんなふうに悩んでいたなんて知らなかった…。
「まったく…自分にそんなにプレッシャーかけるのは良くないですよ…?先生の授業に問題はないですから。実を言うと私は英語が好きじゃありません。でも先生の授業は大好きなんです」
私の言葉で、先生の表情に力が戻ってくる。
「ありがとう!友理にそう言ってもらえて元気出た!」
そして不思議そうに呟いた。
「つまり毎回授業の後にみんなが聞きに来るのは、本当に分からないんじゃなくて、単に私と話したいからってことね?そう言われるとなんだか妙な感じだわ…」
「そうですね、確かに少し変に聞こえるかも知れませんが…」
私からしたら、先生の天然具合も大分不思議に思えるのだけど。
でもみんなの、先生と話したいという直向きな愛が先生に負担を与えていたとは…。
「ありがとう!もう分かったわ。ごめんなさいね、わざわざ来てもらっちゃって」
「いえ、どうせ暇してたので全然。…そうだ、先生って彼氏とかいたりするんですか?」
まるで何かを探るかのように、思わず口にした質問。
「彼氏?いないわよ?」
期待していたどおりの答えに、内心でほっと胸をなでおろした。
「えー、そうなんですか?なら先生の周りの男の人達は見る目がないですね。私が男だったら絶対に先生にアプローチしたのに…」
………。
二人っきりの部屋に沈黙がおちる。
自分がなにを言ってしまったのか気付いた時には、その言葉はとっくに音速で先生の耳に届いていた。
や、やってしまった…。なにを調子に乗って口走っているんだ私!!
終わった、完全に終わった。先生絶対に引いてる…。
ど、どうしよう、死にそう…。
時間にすると恐らくたったの数秒。その数秒の沈黙がやけに長く感じた。
「…女の子じゃ駄目なの?」
先生の声が沈黙を破る。
「友理が女の子だから…、だから私にアプローチしちゃ駄目なの?」
元々そんなに離れていなかった二人の距離を、先生は一歩で縮め、私の手をとった。
柔らかい手だ。
「せ、先生…?」
「友理、私と…付き合って」
時間が止まった。
徐々に、一瞬止まった思考が動き出し、先生の言葉を理解する。
十人中十一人に好かれるような玖嘉先生が私に告白した…?
付き合って、と先生は確かにそう言った。
つ、付き合うって何?あれかな?恋人同士になるっていうあれ?私と?
「男だったら絶対私にアプローチしてた、って友理が言ったんだよ?私は、お相手の性別は特に気にしてないの。むしろ、男性に興味がない……だからね?友理、私と付き合ってほしいの」
今目の前に立っているのは、私が愛してやまない憧れの玖嘉先生。
どんなに愛しても手が届くことはないと諦めていたその人が、今、私に告白している。
あまりに突然過ぎて、目の前で起こっていることが信じられない。
夢じゃない…よね?
ひたすら顔が熱くて、意識が今にもどこかにワープしそうだ。
頭で考えるよりも先に、私の身体が動いた。
こくん、と一つ頷いた私を見て、先生の顔にパッと嬉しそうな笑顔が浮かぶ。
「じゃあ今日から、友理は私の彼女ね」
こうして、私と玖嘉先生は付き合うことになった。
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