第3話 迷う心




「……な、陽那ってば!」


 昔のことを思い出していたせいで、名前を呼ばれていたのに全く気がつかなかった。

 肩を揺すられ、驚いて声を出しそうになった。でも、なんとか飲み込む。


「陽那、大丈夫? 何度も呼んだのに、全然気づいてなかったけど」


「あ、ごめん。大丈夫。ちょっと、ぼーっとしていただけだから」


 話しかけてきたのは、クラスメイトで友人の美咲だった。心配そうに顔を覗き込んでいたので、慌てて取りつくろう。


 色々と考えている間に、周囲と相談してもいい自由時間になっていたらしい。周りでは誰の名前を書こうとしているのか、友達同士で話している人がたくさんいた。

 みんな、とても楽しそうだ。この選択で自分達の未来が決まると、本当の意味で分かっていない。前までの私がそうだったように。

 この中で、一体どれだけの人が幸せな結婚をしたのだろう。私以外の人は、みんな幸せだったのだろうか。


「ねえ、もう誰を書くか決めた?」


 またぼーっとしていた。嬉しそうな美咲の声に、現実に引き戻される。気になって仕方がないといった様子に、私は苦笑してしまう。


「美咲はもう決まったの?」


 答えたくなくて、逆に質問をし返す。そうすれば話したくてたまらなかったようで、身を乗り出してきた。


「私は、絶対に御手洗君を入れるんだ。っていうか、私以外の子もみんなそうでしょ」


「……そう、だね」


 その名前に、心臓を掴まれたような気分になった。やっぱり人気があったんだ。分かっていたことなのに、改めてその事実を突きつけられると意味が詰まりそうになる。


「本当に大丈夫? 体調がわるいんじゃないの? なんかおかしいよ」


 普段の私だったら話に乗るはずなのに、嫌そうに答えたから変に思ったんだろう。美咲が手を伸ばして、おでこで熱をはかってくる。


「誰の名前を書こうか迷ってて、考えすぎただけだから。大丈夫だよ」


「そう? それならいいけど。誰を書くかは決めたの?」


「えーっと」


 私は、思わず用紙を隠した。後ろめたいことなんてないのに、御手洗君の名前が書いてあるのを見られたくなかった。


「まだ考え中かな」


「考え中って。今日までに提出なんだから、もう決めとかないとやばいでしょ。陽那も、御手洗君の名前は書くの?」


「……えっと」


「とりあえず書いときなよ。書くだけなら、タダなんだからさ。それに、考え中ってことは、他に書く人も決まってないんでしょ。もしかしたら、相性がいい可能性もあるじゃん」


 いいどころか、100パーセントの結果が出る。そんなことは口が裂けても言えず、私はあいまいに微笑んだ。


 でも美咲の言う通り、誰を書くか決めないとまずい。提出期限が早いのは、それだけこの制度に熱をかけているのと、みんなすでに誰を書くか前もって考えてあると決めつけているからだ。

 日本に住んでいれば、制度を知らないなんてありえない。18歳になるまでに、誰を書こうかみんな想像を巡らせる。

 今の私は、他の人から見ればおかしいのだ。美咲もさらに心配そうにしてくる。


「まさか、誰の名前も書かないなんてことはしないよね」


「さすがに、それはないよ。そんなことしたら、どうなるか分かっているから」


 本音を言えば、誰の名前も書きたくない。でも、それは出来なかった。許されないのだ。

 もしも白紙で提出しようものなら、まず親と一緒に呼び出されて面談が行われる。そこでも書こうとしなければ、施設に送られるらしい。施設では、同じような人と無理やりマッチングさせられて、結婚するまで出させてもらえない。

 あくまで噂だけど、信ぴょう性は高かった。


 とにかく誰かの名前を書かなきゃ。御手洗君以外の誰かを。彼以外なら、どんな人でもいい。

 今日中に、その人を決めなければいけないなんて、時間があまりにも足りなすぎる。もっと前の時間に戻れていたら、候補を決めておくこともできたのに。戻ってきたのが神様の仕業だとしたら、意地悪な性格をしている。



「……邪魔」


 考えていたら、突然美咲じゃない声が聞こえてきた。声のした方を見ると、美咲の隣に彼女よりもずっと背の高い人影があった。


「そこにいられると通れないんだけど」


 美咲は、通路を塞ぐような形で立っていた。確かに通行の邪魔だった。でも冷たさしかない言い方に、美咲が顔を歪ませる。


「回り道すればいいじゃん。別に、ここしか通れないわけじゃないんだから」


「なんで、俺がそんなことをしなきゃいけないんだ。迷惑なのはそっちだ」


 棘のある言葉にものともせず言い返すと、ぶつかるぐらいの勢いで脇を通り抜けていく。そして私達のことなんか目もくれずに、自分の席に座った。


「なにあいつ、ムカつく」


 美咲は聞こえるぐらいの大きさで文句をこぼすが、悪いのは完全にこっちだ。


「私達も邪魔をしてたし、しょうがないよ」


「でも、あんな言い方ないでしょ!」


「お、落ち着いて。それよりも、美咲は他に誰か候補を書くの?」


「私? そうだなあ」


 なんとか話題を変えると、そこまで怒りが大きくはなかったのか、すぐに切り替えた。良かったと内心でほっとしながらも、私は横目で先ほどの彼を見た。

 すでに希望調査の紙を提出したらしく、周りの騒がしさなんか気にしないで、机に突っ伏している。


 確か、彼の名前は……


「……片岡かたおか陽祐ようすけ


「なんか言った?」


「ううん。なんでもない」


 呟いた言葉に反応した美咲が尋ねてきたが、私は首を横に振った。

 そしてもう一度、彼のことを見て、ある考えが頭の中に浮かんだ。





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