第19話 小さな兄の小劇場
『ねえあなた。今日は午後から、アズーロに村を案内しようと思ってるの。どうかしら?』
『いいんじゃないか。みなにも紹介せねばならんしの』
『じゃあわたしが一緒に行ってくるわね』
『ああ。頼んだ』
昼食後、アズーロはティファナに連れられ外出することになった。
ワンピースの上から薄水色のケープを着て、頭はまとめ髪にしたうえですっぽりとフードを被る。
そうすれば、ひと目では黒髪だとわからない。ガストから、あまり髪を露出しないほうが良いと言われたからだ。
けれど瞳の色はどうしようもなかった。カラーコンタクトなどという概念自体が無いからだ。
(髪を染めてる人もいないみたいだし……)
見る限り、老齢ゆえに白く髪色が変わっている人はいても、水色以外の髪をした人はいない。
染髪技術も発達していないのだろう。
『それじゃあ行きましょうか』
『はい』
頷くアズーロに優しく笑いかけてから、ティファナは彼女を連れて家を出た。
『―――ギーバ、いる? 今ちょっといいかしら。紹介したい子がいるの』
ティファナはまず自宅から田んぼを三つほど挟んだ場所にある家へアズーロを案内した。
少し距離はあるが、ティファナ達の家からすればお隣さんにあたるようだ。
軒先で声をかけると、奥から中年の女性が顔を出した。
年の頃は三十半ばといったところだろうか。
『おやティファナじゃないか! 紹介って……ああ、この子が噂の女の子だね』
水色の髪を高く結い上げた女性は笑顔でティファナを出迎えた。それからアズーロを見て納得したように頷く。この女性がギーバのようだ。
『やっぱりみんな知ってるのね』
『そりゃあね。昨日のうちに話は聞いてたよ』
ギーバは前掛けにしているエプロンの裾で手を拭うと、そう言って肩を竦めた。健康的に日焼けした肌とにっと笑う表情が印象的な女性だ。背も高く快活そうに見える。また彼女の足元には五・六歳くらいの小さな男の子がいて、見知らぬアズーロを見るとさっとギーバの後ろに隠れてしまった。
彼女と顔立ちが似ていることから、おそらく子供なのだろう。
『これっ、オレイオ! ちゃんと挨拶しな!』
ギーバの叱責に、少年が肩をびくつかせた。
『うふふ。オレイオ、こんにちは』
『こ、こんにちわ』
ティファナが話しかけると、オレイオと呼ばれた少年はおずおずと顔を出して挨拶をする。どうやらかなり人見知りらしい。
そんな少年に、ティファナはにっこりと笑いかける。
『貴方にも紹介するわね。この子はアズーロっていうのよ。リジャ平原で一人でいるところを連れ帰ってね。これからしばらくわたし達のところでお世話することになったから、よろしくね』
『……うん』
ティファがそう紹介すると、オレイオは一瞬ちらりとアズーロを見上げてから神妙そうに頷いた。
『リジャ平原なんて、あんなところで一人でいたってのかい? よく無事だったねぇ!』
『ええそうなの。それも異国の子みたいでね。言葉が通じなくて』
『そりゃ難儀な! おや、ほんとだ。フードで隠れてるけど、よく見れば綺麗な黒い髪をしてるね。初めて見たよ!』
ギーバはまじまじとアズーロを眺めると、彼女の髪を見て感心したように呟く。
『わたしも驚いたわ。それでね、事情を聞こうにも話が通じないから、しばらく様子を見ることになったのよ』
『なるほどねぇ。よしきた! あたしに何か出来ることがあればいつでも言ってくんな!』
『ありがとう』
ギーバがにかりと笑い、ティファナが頭を軽く下げたのでアズーロも倣いお辞儀する。
「よろしく、お願いします」
『うん、可愛い子じゃないか。アズーロ、あたしはギーバだよ。よろしく! そうだ、村の男どもに何かされたら遠慮なくあたしに言いな! とっちめてやるから!』
『あらあら、心強いわね』
両手を腰に当て、あっはっは! と豪快に笑うギーバにアズーロは目を丸くしたが、ティファナは朗らかに微笑んでいる。
(ギーバさんって感じの良い人だな。姉御肌っていうか)
アズーロがもう一度頭を下げると、ギーバが笑いながら彼女の頭に優しく手を置いた。
『言葉も通じないんじゃ不安だろうけど、ティファナ達もあたしもいるから安心おし。オレイオ、あんたもアズーロの事、ちゃんと見てあげるんだよ!』
ギーバに促されたオレイオが真剣な顔でこくりと頷く。少年はアズーロをじっと見ると、初めてくしゃりとした笑顔を見せた。そして彼女の目の前までとことこと歩いてくると、えっへんと小さな胸を張る。
『アズーロ。ぼくのいもうとね!』
『おやまあっ』
嬉しそうに言うオレイオにギーバが吹き出し、ティファナは微笑ましいとでも言うようにクスクスと笑い出す。
『ふふっ。オレイオはお兄ちゃんになれて嬉しいのね』
『八人兄弟で一番の末っ子だから、下ができた気分なのかねぇ』
得意げな顔のオレイオはきらきらした目でアズーロを見上げている。両手を腰に当てている格好が母親のギーバそっくりだ。
(か、可愛い……! )
アズーロはまさか自分が妹扱いされているなどとは露知らず、弟がいたらこんな感じかな? と小さな少年の愛らしさに感動していた。
元の世界では一人っ子だったため、兄弟というものに憧れがあるのだ。
一人娘であることに不満はなかったが、母親が仕事の時は兄弟がいたらどんな風に過ごしただろうと想像することはままあった。
『アズーロ! あそんであげる!』
「え?」
ふと元の世界のことを思い出していると、袖をくんと引かれて我に返った。気づけばオレイオがアズーロの袖を掴んでにこにこしている。そのまま小さな手に腕を掴まれ、ぐいと引っ張るように連れ出されてしまう。
『いっくよー! バルドのまね!』
驚くアズーロにかまわず、オレイオは家の庭先でおもむろにバルドの名を上げ彼の真似をし始めた。畑を耕す動作やら、頭をがしがしと掻く仕草など、そういえばやっていたなという細かいところまで再現していく。
それがまた可愛らしく、アズーロは知らぬ間にくすくす声を上げて笑っていた。
オレイオに盛大な拍手を送ると、彼は満面の笑みで、次はエバ! と楽しそうに続けていく。
『おやまあ』
『あらあら、うふふ』
ギーバとティファナの二人は顔を見合わせ、微笑ましい様子を眺めた。
アズーロも知らない小さな兄の小劇場はそれからしばらく続き、ギーバが『昼寝の時間だよオレイオ!』と告げる頃にやっと終わったのだった。
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