第18話 未熟な歓談


『好きな食べ物って……! 俺なに言ってんだ見合いじゃあるまいしっ。それに彼女は言葉がわからないのに! ああアズーロごめん、ちょっと待って……』


(あ、赤くなった)


 バルドは青い顔で項垂れていたかと思えば、今度はなぜか赤い顔でわたわたと慌てはじめた。


 よく変化する彼の表情を見ながら、アズーロはどうしたものかと悩んだ。

 会話をしようと苦心してくれているようだが、やはりやり辛いのだろう。


(うーん……何か良い方法はないかな?)


 もっと効率的に、伝わりやすいやり方はないかと空を見上げながら思案する。

 視界一面に澄んだ水色が広がっていて、絵筆でぼかしたような白い雲が浮いた姿は日本の秋晴れとよく似ていた。


 なんとも心地の良い、清々しい天気だ。


(今って何時くらいだろ……太陽の位置からして八時とか九時とか、そのくらいかな?)


 何時で何月で、何日なのか。ここに曜日の概念などはあるのか。

 年数は西暦と似ているのか。


 そういったことすら聞けない自分がもどかしい。


 身振り手振りのジェスチャーでは、要望くらいしか伝えられない。

 言葉が通じないというのは、こんなにも不便なものなのだ。


 アズーロは真剣に考えた。


 そんな彼女の隣では、緊張し過ぎておかしなテンションになっているバルドがうんうん唸っている。

 はたから見れば変な光景だが、アズーロ達は全く気付いていない。


(あ、そうだ)


 考えた末にアズーロはとあることを思いつき、「ソレ」を探して草の生えた周囲を見回してみた。


(あった……!)


 幸いにも目当てのものはすぐに見つかった。


 ぱっと立ち上がり、何歩か歩いてソレを地面から拾い上げる。

 バルドは未だに『ええと、女の子との会話って何話せばいいんだ? いや聞きたいことはたくさんあるけどっ。兄弟はいる? とか好きな人は? とか彼氏いる? 俺とかどう? っていや初っ端からがっつき過ぎだろ絶対引かれるって!』などと、わけもなくもだついている。


 その間にアズーロは拾い上げたものを手にバルドの隣に戻っていた。

 ぶつぶつ独り言を続ける彼を横目に、ちょうど二人の間に空いた土の地面へがりがりと何やら書き始める。


 アズーロが拾ってきたのはなんでもない、ただの木の枝である。


 まず、彼女は地面に枝で三日月を描いた。ウルドゥが描いてくれたのと同じ月だ。

 記号の部類なら、もしかしたら彼に伝わるかもしれない。そう思って。


 さすがのバルドも、アズーロが木の枝で地面に何か描いているのに気付いた。

 彼はじっと地面を見て『ルナ?』と呟く。


「うん。ウルドゥに教えてもらったよ」


 アズーロが笑顔で頷くと、バルドは赤い顔で首振り人形のようにこくこく頷いた。

 気を良くしたアズーロは、続けて簡単に皿やコップ、スプーンなどを描き、一つ一つ声にした。


(絵は得意じゃないけど、これなら伝わりやすいよね)


 いわゆる筆談だ。


 食器類などは世界が違えど形状はほぼ同じだった。


 この村に来て見た生活用品、もしくは住居の様子なども、時代はやや古代的だが、現代日本の教科書で見たのと類似している。だから絵で描いても、バルドに伝わるのだ。


『そっか。こうやって地面に描いたらわかりやすいな。―――あ、そうだ! アズーロ、それちょっと貸してくれる?』


 バルドがアズーロに手を差し出した。枝を渡すと、バルドは彼女が描いた絵の上に何か文字を書いていく。恐らく名前だ。


(わ……! ここの文字だ! 作りは簡単だけど、結構独特な字体かも)


 食い入るように字を見つめるアズーロに気付かず、バルドはさらさらと続けて書いていく。


『これが皿(ピア)で、コップは(タァザ)で、スプーンが(キアオ)だよ』


 バルドはアズーロが描いた三つの絵の上に文字を書いた。書き終わると、ひとつずつを差して発音をしていく。


 彼が書いた文字の形は日本語の平仮名によく似ていた。けれど、ところどころに丸い点や斜めの直線が加わり、文字というよりはマークに近いだろうか。


「皿(ピア)、コップ(タァザ)、スプーン(キアオ)」


『うん。そうそう、上手。アズーロも書いてみる?』


 バルドが枝をアズーロに返してくれる。それから自分が書いた文字の上を指差し、とんとん、と地面を叩く。ここに同じように書いてみて、と。


「やってみる」


 アズーロはバルドが書いてくれた文字を真似して、上にもう一つ同じ字を書いた。書き順などはわからなかったため、ひとまず平仮名と同じような要領で書いていく。


 「あ」の字を書く時のように、左から右へ線を引き、それから縦の部分を書いた。

 書き終わってからバルドを見てみると、彼は満面の笑顔で頷いてくれた。


『うん、すごい上手! ってか、アズーロのほうが俺より字、綺麗だな!』


 そう言ってから、彼はおもむろに、ぽんぽん、と頭を優しく撫でてくる。アズーロは一瞬ぽかんとした。が、次の瞬間にはぽんっと頬が熱くなった。


(お、男の人に頭撫でられた……!)


 かあっと顔が赤くなっているのを感じながら固まっていると、目の前のバルドの方がものすごい勢いで真っ赤になった。


 どうやら無意識だったらしい。


『わ、わわわわわっ、ごっ、ごめんっ!!』


 彼は慌てて手を離すと、『その、つい村の子供らと同じようにしちゃって……!』と何やら弁解しているようだった。彼が両手を合わせて頭を下げるので、アズーロも慌てて両手を振って「大丈夫!」と答える。


 こういう時、言葉は通じなくとも相手の顔で嫌かどうかがわかるもので、バルドはアズーロが笑顔なのを見て盛大にほっとした。


 そして、ぺこぺこと何度か頭を下げてから、言いにくそうに話し出す。


『えと、その、俺……字はあんまり上手くないんだけど、良かったらこれから教えるよ……?』


 バルドが空中に枝で書く仕草をして、自分とアズーロを交互に指差す。ジェスチャーの意味を読み取ったアズーロは、ぱっと顔を明るくして笑顔で頷いた。


(字を教えてくれるって言ってるんだ……! 助かる!)


 彼の有り難い申し出に、アズーロは今でもなんとか伝えられる言葉で礼をした。


「ありが、とう、バルド。よろしく、おねがい、します」


 告げてから、深く深く頭を下げる。


『っ!! っっが、がわい゛い゛……っ!!』


 すると、アズーロの片言の礼と丁寧なお辞儀がどこかのツボにはまったらしいバルドが、口元を抑えながら打ち震えていた。もちろん、顔は首まで真っ赤だ。

 それに気付かず、アズーロは初めて自分で書いた文字を嬉しそうに眺めていた。


(言葉も、字も覚えたら、この世界でもなんとかやっていけるかもしれない……頑張ろう!)


 この世界に来てまだたった三日。


 わけがわからないながらも、事態は良い方向に進んでいる。そう思えて嬉しくなった。


 アズーロはほんの少しずつではあれ、未来のことを考え始めていた。


 ―――それから、アズーロが書いた辿々しい絵の名前をバルドが書いていく、というやりとりが続いた。もちろん、発音も込みだ。


 家や水桶の名前から、山や川、空や雲、それにバルドが身につけている腕輪だったり、はまっている石だったりと、身近なものの名前と文字が二人の間で交わされていく。


 それはまるで、言葉を覚え始めた小さな子どもがする児戯のようであったけれど、テリノ・アシュト村そのもののように穏やかで優しい歓談は、ウルドゥが二人を呼びにくるまで、続いた―――

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