第15話 村長ガスト


『あんたがアズーロか。言葉がわからんというのは聞いておる……しかしそれにしても、その土色の瞳に黒い髪……儂も初めて見るわい』


『村長でもか』


『ああ』


 白い豊かな髭を蓄えた老人は、ランタンの灯る部屋の中で薄く溜め息を吐きそう言った。


 それに相槌を返したのはウルドゥだ。


 夜になって、アズーロはティファナとウルドゥと共に村長むらおさのところに来ていた。

 これから村に住むにあたり面通しをしにきたのだ。


(このお爺さんが、この村で一番偉い人なんだ……)


 アズーロは自分より頭一つ分は背の高い老人を見上げた。

 老人というには体格がやや良すぎるが、頭は禿げあがり、口元には白く豊かな髭がある。

 貫禄のある面には年月を思わせる皺が深く刻まれており、薄い水色の瞳には理知の光が窺えた。


 村長の家はテリノ・アシュト村の中心にあり、ティファナ達の住む家より二倍ほど大きな、古いが広い屋敷造りになっている。屋敷の周囲はぐるりと土壁で囲われ、他とは見るからに違っていた。


『緊張しなくていいのよアズーロ。大丈夫だから』


「は、はい……」


 ティファナがアズーロに寄り添いながら励ましてくれる。だがそれは無理な話だ。


 ここに来る前、二人から土間に描いた絵で説明を受けていたアズーロは、高校受験の面接の時より何倍も神経を張り詰めていた。

 なにしろ、ここで暮らしていけるかどうかの瀬戸際だ。緊張するなと言われても難しい。


『リジャ平原で一人でおったと聞いたが。髪や目の色は違うが、村の少女とそう変わらんようだの。不審な点は見当たらん』


『ああ。儂らもそう思っておるよ』


『ねえガスト。この娘なら大丈夫よ』


 村長の名はガストと言うらしい。アズーロは日本のファミレスの名前を思い出した。


『ティファナ。ほんにお主はお人好しじゃのう。昔っからひとつも変わっておらん。……ウルドゥよ、この娘、確かに【アヴェーレ】では無いんじゃな?』


 ガストは苦笑してティファナに答えたが、すぐに眼光鋭くウルドゥに詰問した。

 髪の色などより最も重要なことだ。ウルドゥも必ず聞かれるだろうと予想していた。

 答えはすでに決まっている。何より、ここまでの間アズーロからは全くその片鱗を感じなかったからだ。


『ああ』


 ウルドゥはガストの目を見てはっきりと答えた。そして暫し互いに見合ったまま、無言になる。


 長い知り合いだとしても、村全体に関わる事であれば話は別だ。その意味を、それぞれに理解していた。


 そうして、腹の探り合いを経て先に諦めたのがガストだ。


『……ふむ。ならば仕方あるまい。これよりひと月の間、この娘の様子を見よう。その後皆が認めれば、村民として暮らすことを許す』


 重々しい口調で、しかしきっぱりとガストが宣言した。これで、アズーロはこのテリノ・アシュト村での正式な滞在を許可されたことになる。

 村に属せるかどうかについては、またひと月後に村民投票によって決められる予定だ。


『感謝する。ガスト』


 ウルドゥは深々と礼を取った。ティファナも頭を下げたので、アズーロも二人に倣う。するとティファナがこっそり指で丸をつくり、にこりと笑ってくれた。それで、滞在を許可してもらえたのだとアズーロにもわかった。


「あ、ありがとうございます……!」


 お礼を言って、もう一度深く頭を下げる。すると、ガストがふ、と顔を和らげた。

『礼儀正しい子じゃの。孫に見習わせたいわい』


 アズーロを見てうんうんと頷いたガストは、今度はウルドゥに向き直ると村長の顔からただの昔なじみに表情を戻し、肩を竦めてにかりと笑った。


『にしてものう、ティファナは昔からじゃが、慎重なお前にしては珍しいの。まだ出会ってたった二日の娘を、気が早くも村民として迎え入れろなどと』


『……男なら捨て置いたがな』


 軽い口調で話し出したガストに、ウルドゥが苦笑して答える。どういう風の吹き回しだと言いたいのだろう。


『まあ、村としても女性が多くなるのは助かる。気に入る男がおればええが、会話すらできんようではまだまだ先の話になりそうだの』


『本人にもその余裕はないだろうしな』


 昨日より少しは落ち着いたとはいえ、アズーロはずっと心細げにしている。

 無理もない。きっと家や家族が恋しいのだろう。まだ年端のいかぬ少女なのだ。そんな彼女に恋愛ごとなど、考える暇があるはずもない。


『しかしこの子はどこから来たのか……土色の瞳に黒い髪など見たことも聞いたこともない……あ、いや、まさか……』


 ティファナと話すアズーロを見ていたガストが急に声色を変えた。彼はまるで何かを思い出すようにぶつぶつと呟いている。


『どうした、ガスト』


 ウルドゥが声を掛けると、ガストははっと我に返り、それから何事も無かったような平然とした顔をした。


『いや。儂の思い違いじゃ。なんでもない。……しかしティファナよ、その子の髪はなるべく隠して暮らしたほうが良いじゃろうの。良くも悪くも人目を引きかねん』


『そうね。普段はフードを被ってもらおうと思ってるわ』


『それがええ』


 無理やり話を切り替えるように、ガストがティファナに話題を振った。


 けれどウルドゥは彼の反応を見逃さなかった。

 村で最も長く生きた長老が一瞬青褪めたなど、かつてここが【アヴェーレ】達の襲撃にあった時以来だ。


『ガスト———』


 そう思い、ウルドゥがガストに訊ねようとした時。


『ねえお祖父ちゃん! 終わった!?』


 水色の長い髪をポニーテールにした少女が、部屋に飛び込んできた。

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