第14話 青年と老獪
『お前さんはそこで何をやっとるんだ』
『あ、ウルドゥ! お、おはよう! あの、そのっ、こ、ここここれはっ』
『ああおはよう。しかし、朝っぱらから若いもんが地べたにへばりついて、みっともないったらありゃせんの』
『う……』
歩いてきたウルドゥの呆れ声に、バルドががくりと項垂れる。アズーロは瞳を瞬かせながら、不思議そうに二人のやりとりを見守っていた。
『それが人ん家の前でやることか。ジェンマが見たら泣くぞい』
『うう、ウルドゥ、もうそのくらいで勘弁してくれよ……』
『ふん。ほれ、さっさと立たんか』
情けない声を出すバルドに、ウルドゥは不機嫌そうに鼻を鳴らした。本気で怒ってはいないようだが、呆れてはいるらしい。
ウルドゥに促されたバルドはきまり悪そうな顔をしながら立ち上がった。それから横に放り投げていた籠を取り、前にいたアズーロに差し出す。
『放り投げちゃったけど、壊れてはいないから。ティファナに渡しておいて』
苦笑しつつ、バルドが言う。アズーロは頷いて籠を受け取った。
『変なことしちゃってごめんよ』
バルドにそう言って頭を下げられる。たぶん先程のことを謝られているのだろう。
(バルドって、謝ってばかりだな。でも良い人っぽい)
アズーロは気にしてないよと伝えたくて首をぶんぶんと横に振った。そして、そういえば彼に挨拶をしていなかったな、と思い出す。
(使うなら今だよね)
せっかく覚えた言葉を使ってみたくなるのが人間だ。アズーロはまずウルドゥに顔を向けた。
「ヨルノ(おはよう)、ウルドゥ。ヨルノ(おはよう)、バルド」
『おお、おはようさんだの。ティファナに教わったか。うんうん。そうやって少しずつ、覚えていけばいい』
アズーロの言葉にウルドゥが微笑んでくれる。
拙い言葉でもやはり会話が出来ると一気に親近感が増すものだ。孫を見るような優しい表情にアズーロは心の底から嬉しくなった。
が、すぐ目の前ではバルドが再び違う意味での喜びに打ち震えている。
『か、可愛い……たどたどしいのが余計にやばい……』
しかもまた何事かぶつぶつ言っている。アズーロはちょっと困ったが、この人はこういう人なんだな、と気にしないことにした。
『アズーロ。そいつは放っておけ。朝食がまだなんだろう? 先に帰っていなさい。儂はこ奴と話があるからな』
地面に置かれていた桶をウルドゥがアズーロに手渡す。
両手が塞がったアズーロに家の方を指差し、帰っているようにと伝えたウルドゥは、やや厳しい顔でバルドに向き直った。
『っげ』
『「げ」ではないわ馬鹿者が』
なんとなく先生に怒られる生徒のような構図を読み取って、アズーロはウルドゥに言われた通りティファナの元へと戻った。第一村人であるバルドとの接触はまずまずだったかな? と思いつつ。
そして、アズーロが家に行ったのを見送ったウルドゥは、はあ、と大きく溜息をついた。
びくりと肩を震わせたのはバルドだ。
『あ、あの! ウルドゥ、べつに俺、あの子に悪さをしようとしてたわけじゃなくて……!』
彼は必死に弁明をしようとした。籠を持ってきたらたまたまあの子が外にいて、つい話しかけてしまったのだと。
しかし、ウルドゥはそのことについてはどうでもいい、と言わんばかりに片手をひらひらと振り、それから神妙な顔をした。
『んなことは最初からわかっとるわ。お前さんに話したいのは、今後のあの娘の事だ』
今後、と言われてすぐにバルドは理解した。どう見てもこの地の者ではないアズーロは流れ者の部類だ。
ということは決定権は村長にある。流れ者がこの村でどういう扱いになるかは、二つに一つだ。
『……村長のところに行ってたんだ』
『そうだ。これから暫くの間、あの子の様子を見ることになる。引受人としては儂らが認められたが、あの娘自身が村民から認められねば住むことはできんからの』
『良い子そうに見えるけど……』
『仕方がない。掟だからな』
身寄りのない女性が一人で生きていけるほど、この国は甘くはない。むしろ最も悲惨な目に遭っているのが女性といえるだろう。数が少なくなっているからこそ、余計に。
力無き【ヌッラ】の女性達の歴史は一言では語れないほどに惨いものだ。
それこそ、血と涙と怨嗟に塗れている。
『なあウルドゥ。アズーロは俺たちと同じ【ヌッラ】なんだよな? まさか【アヴェーレ】じゃ……』
『……当り前だ』
バルドに聞かれて、ウルドゥは一瞬返事に詰まったが肯定した。自分達と同じ、この村に住む人々と同じ【ヌッラ(力無き者)】であると断定して良いものか判断に迷ったが、今はそうしておいた方が良いと感じて。
それに、たとえ力があったとしても、ウルドゥは自分が知る【アヴェーレ(力有る者)】達とアズーロは違う気がした。リジャ平原のあの焦げた有様は、水の力を誇る彼等アヴェーレ達とは決して同じには思えない。
だがそれについて考えるのはまだ時期尚早だ。
アズーロはこの村に来てたった二日目。
彼女が何者であるかよりも、孤独な少女を守ってやる方が重要だとウルドゥは考えていた。
『拾った以上、あの娘の面倒はできるだけ見てやりたい。だからバルド、お前さんが嫌でなければ、色々助けてやってくれんか。アズーロは髪と目の色が儂らとは違う。苦労することもあるだろうからな』
『い、嫌なわけないよ……! あんな可愛い子、あ、いや、違くてっ。俺ができることならなんでもやるよ!』
『……下心が見え見えにも程があろう』
『し、下心っ!?』
指摘され、バルドは素っ頓狂な声を上げた。まだ初老なはずのウルドゥの目には、やれやれという呆れと老獪な鋭さを持つ光が煌めいている。まだまだひよっこの青年が、叶う筈もなかった。
『……まあいい。あの娘が気に入ったなら正攻法でいけ。それに村に残れるようにしてやれ。儂らはそうする』
言うだけ言って、ウルドゥは『そんな邪な気持ちじゃなくて、ひと目見てなんかこう、ビビっと!』とか何とか話し続けているバルドを放置し帰宅した。
バルドが一人で喋っている事に気付いたのは、それから五分後のことである。
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