第12話 安寧の地


(断られたらどうしよう……でも、やってみなきゃわからない……!)


「あ、あのっ!」


 ティファナ達の思いを知らないアズーロは、食事を終えた途端、意を決して椅子から立ち上がりそのまま床に膝をついた。


 ただの板張りの床は冷たく、せっかく温まった身体の体温を奪っていく。それはそのまま、アズーロの恐れを表していた。

 拒絶されたらという最大の恐怖が、怯える心を今にも押し潰さんとしている。


『えっ?』


 戸惑うティファナの声が聞こえたが、今は構っていられなかった。


 なんとかここに置いてもわなければ。

 その思いしかなくて。

 必死だった。


「図々しいお願いだとはわかっています。でもどうかお願いします! 私をここに置いてください……!」


 伝わらないのは承知のうえで、日本語で二人に懇願し頭を下げる。 


『あ、アズーロ? 貴女急に一体どうしたの』


『……』


 ティファナがわたわたと慌てながら席を立ち、アズーロに歩み寄った。

 しかし彼女は立ち上がらない。


 ウルドゥはそんな二人の様子をじっと見つめている。


 アズーロは手の仕草で伝わるように、右手の人差し指を地面へと向け、それから自分を指差した。

 再び床を指し示し、ぐっと深く頭を垂れる。

 つまりは、土下座だ。


 こんなことをされても相手は困るだけだろう。

 わかっていても、どれだけ厚顔無知だと思われても、そうすることでしかアズーロには伝える術が無かった。


「っお願いします! 私をここに置いてください! 掃除でも洗濯でも、なんでもやりますから……!」


 膝は折ったままで、両手をごしごしと擦り合わせ『洗濯』を表す。それから箒で掃く仕草や、バルドと呼ばれていた青年がしていたように鍬を振る動作も付け加えた。

 仕事をするので置いてほしい、と何度も動きを繰り返し、そして床を示し、何度も頭を下げた。

 それこそ、床に額を擦り付けるほど。


 そこまでやったからだろう。ティファナもウルドゥも、アズーロが何を言いたいのか理解した。

 理解して、ティファナはぐっと瞳を潤ませた。


『わかった……わかったわアズーロ。貴女が言っていることが。ここに置いてほしいって、言っているのね? そんなにまで必死になって……わたし達、貴女に伝えられてなかったものね。ごめんなさいね……とても、不安だったでしょう』


 ティファナは沈黙を保ったままの夫に振り向いた。ウルドゥもアズーロの思いを汲み取りなんとも言えない顔をしている。


『……可哀想なことをしたの』


『ええ』


 まだ少女と思しき年齢の娘が、なりふり構わずに必死に自分達に懇願しているのだ。しかも言葉もわからない、恐らくこの国の者ですらない、たった独りの少女が。

 そんな風にしなくとも、元より数日、または落ち着くまでは面倒を見るつもりだったというのに。

 そのつもりだからこそ、家にまで連れて来たのだ。

 だがそれを本人は知らなかった。伝える術が無かったせいだ。

 見ず知らずの人間を頼らざる得ない状況で、湯浴みや食事を用意されても、明日をも知れぬ気持ちでは落ち着くことなどできなかっただろう。


 アズーロはずっと不安なままでいたのだ。

 気付いてやれなかった事、なんとかして伝えてやればよかったと、ティファナ達は後悔した。


 だがアズーロの必死さのかいあって、ウルドゥは一つの決心をした。


 この村、テリノ・アシュトでは流れ者は村長の管轄になっている。


 通常、拾った者が数日、もしくは長くとも半月ほど様子を見た後は、その行く先を村長が決めるのが掟だ。


 基本は二つの決定になる。


 最低限の備えを持たせてヌドマーナ首都へと送り出すか、誰か引受人を決めて村に残してやるか。

 その場合、村民からある程度の信頼を得なければいけない。そして、流れ者が他人の信頼を得るのは中々に難しい。


 田舎者は外から来た者を信用しないからだ。

 ただでさえこの村はリジャ神院へと向かう道中にあり、立ち寄る人間によってはその時々で問題が起こる。

 外部の者に慣れている分、対応にも慎重なのだ。

 そうして、村や自分達を守っている。


 だがアズーロの場合、女性であるということが助けになると思われた。 

 この村では女性が少なくなっている。いつの頃からか、生まれる子供は男ばかりになり始め、女子は滅多と生まれなくなっていた。原因はわからない。

 その現象はこの村だけでなく、ヌドマーナという国そして異国にまで及んでいると聞く。


 だがアズーロを置いてやるには良い理由になる。


 それに、ウルドゥはどうもアズーロのことが気になっていた。彼女がいた場所、そしてその状況がだ。


 この少女が現れたことに、何か大きな意味があるような、そんな気がするのだ。


 ならば自分達が引受人になろう。ウルドゥはたった今、そう決めた。

 長年連れ添った妻を見やれば、すべてを悟ったように深く頷いていた。


 妻もまた自分と同じ【ヌッラ(力無き者)】として生まれている以上、素性も知らない相手を受け入れる事の危険性も、また身寄りも無い少女を一人で放り出す事の非情さも理解している。


 むしろ、妻は最初からこうするつもりだったのかもしれない。女性とは、男よりも直感が働くものだから。


 ウルドゥは未来に起こりうる最悪の事態も想定したうえで席を立ち、アズーロの目の前で膝をついた。


『そう泣かんでいい。アズーロ、言いたいことはよくわかった。大丈夫だ。儂らと一緒に暮らそう。いつか、お前さんが家に「還れる」日が来るまで』


 彼はゆっくりとウルドゥに語り掛けた。意味はわからなくとも、ちゃんと本人に宣言しておかねばと思った。


 アズーロはウルドゥの顔を見上げていた。ぱちりと焦げ茶色の瞳を瞬き、わからずとも一音一句聞き逃さないように耳を傾ける。

 嫌がっているような感じは無い。何かを説明されているのはわかる。そして、頷いてくれていることもわかる。

 ということは、伝わったのだろうか。わかってもらえたのだろうか。

 自分の拙い表現でも、二人に気持ちを伝えることができたのだろうか。


「え……あの、伝わった? の? ええと、その、ティファナさん、ウルドゥ、さん」


『アズーロ、大丈夫。大丈夫よ。貴女はここに居ていいの。わたし達には子供がいないから、むしろ居てくれたら嬉しいわ。居たいだけ、居ていいのよ』


 ティファナがアズーロの床についていた手を取り立ち上がらせた。

 そうして、彼女をそっと優しく抱きしめる。


(ど、どうしよう。わかってもらえたのかな? 二人とも頷いてるってことは、良いって意味? わかんない……!)


 柔らかなティファナの胸に抱き締められながらアズーロは状況が分からず戸惑っていた。受け入れてくれたように思うが、本当にそうなのだろうか。


 不安そうな彼女の表情は、ウルドゥが土間に出てかまどから取った炭で何かを書き始めたのを見てがらりと変わった。


(あ、あれは……月、月だ……!)


 ウルドゥは木炭で土間にがりがりと絵を書いていた。それは見るからに夜に姿を現す月そのもの。

 三日月であった。

 彼はその三日月を二つ三つ、四つ……十個ほど書いたあたりで、続くを表すように矢じりの形、「→」を描いた。それからアズーロを見て、ふ、と薄くウルドゥが微笑む。


『儂らと一緒に、暮らそう。アズーロ』


 ウルドゥの言葉は日本語で「ヴィアモ インシィエ」と聞こえた。そして、月の絵を示し「ウーナ」と告げる。


(ルナ? 月のこと? 「ルナ」、ルナ、聞いたことある……! 言い方、同じなんだ……!)


 偶然か、はたまた必然なのか、聞き覚えのある単語にアズーロは驚きと感動を覚えた。

 まさか知っている言葉が聞けるとは思わなかったのだ。

 確か昔、アニメか何かで聞いた「月」を表す言葉で、どこか外国の言語だったと記憶していた。


「ルナ……月ですね。わかります、はい、わかります……っ」


 嬉しくて泣き出したアズーロに、ウルドゥは描いた月を一つずつ示しながら、ルナ、ルナ、と繰り返した。そして、歌うような声で拍子を取って言葉を続ける。それは詩に聞こえた。


『儂らと共に、いくつもの夜を越えよう。月を眺め、仲良く暮らそう』


『三日月が満ち、再び欠けても、絆を温めながら、寒い夜を過ごそう』


 ウルドゥにティファナが続ける。二人とも笑顔だ。

 それを目にしたアズーロの瞳から、ぽろりと涙が零れ落ちる。


 拙い自分の声は、二人にちゃんと届いたのだ。


 アズーロの願いは聞き届けられた。


 そしてこの日、彼女は安寧の地を得た。


 ———土間では、貯め水を張った水がめが、沈む夕日に代わって顔を出した月を映していた。

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