第2話「契約」

「てめぇ……」


 フェスは静かに立ち上がり、まじまじとその青年の顔を見た。年齢ねんれいは二十代前半くらい……。


短髪の茶髪で整った顔をしている。服装は、紺のパジャマ、素足にサンダルを履いていた。フェスはもう一度、聞き返す。


「本当に……見えるのか?」


(ふっ、バカな質問だな……)


 そう思いながらも、フェスは確かめずにはいられなかった。青年は不思議そうに首をかたむけて……。


「あぁ、見えるよ。……その格好、コスプレ?」


 青年は近づいてフェスの角に触ろうと手を伸ばした。


「おい……」


「おっ、ごめん。それって本物なの?」


「ああ……」


「マジかよ……、死神?」


 青年はうつむいて少し震えた声で言った。


「すごい……」


「あん?」


「本当にいたんだ! 死神!!」


 顔をあげて、嬉しそうに青年は叫んだ。


(なんだこいつは……バカなのか?)


 フェスは青年の予想外の反応に戸惑う。


「ねぇ、鎌持っていないの?」 


「あぁ? 俺は……」


「あっ!? もしかして……」


「聞け! 俺の話を!!」


 騒いでいると、ナースステーションから若い看護師が出てきた。青年を見るなり、眉間みけんにシワを寄せ、厳しい口調で言う。


「ルークさん! また勝手に病室から抜け出して! 駄目ですよ!」


「やべっ!」


「おいっ、待て!!」


 フェスは慌ててルークの後を追いかけた。


「おい!」


 フェスの声に振り向くことなく、ルークは廊下の曲がり角を曲がった。


フェスも後を追うように曲がると、ルークが病室に駆け込んでいく姿が見えた。


「逃がさねぇ……」


 フェスも急いでその病室に向かう。扉は少し開いており、中の様子をのぞくことができた。部屋の中には、ベッドに横たわった子どもと話をしているルークの姿があった。


「また、抜け出してきたの?お兄ちゃん」


「へへっ、約束しただろ?おとぎ話聞かせてやるって」


 ルークは息を切らしながら笑って誤魔化した。


「でも……、また倒れちゃうんじゃない?」


 心配そうに子供は言う。ルークはゆっくりと首を振って答えた。


「大丈夫だよ。そんな事よりほら、この話は知っているか? 死神の話だよ」


 そう言って、ベッドの横にあった椅子に腰掛けると子供の視線の高さに合わせるように前屈まえかがみになって優しく語り始めた。


 その様子をただ黙って見ていたフェスは忘れかけていた何かを思いだすような感覚を覚えた……。


(何だ? これは……)


 すると突然、激しい頭痛が襲う。


「ぐっ!?」


 頭を抱えて、その場にしゃがみ込む。その声に気がつき、ルークは驚いて振り返った。


「あれ? さっきの死神じゃんか」


「ねぇ、誰いるの? お兄ちゃん 」


 不思議そうな顔をする子供に、ルークは笑いながら答える。


「何でもないよ……。あー、お兄ちゃん、急用を思い出したんだ。だから今日はこの辺で帰るね……」


「えぇ~、もっと聞きたいよぉ」


 残念そうに口をとがらせる子供をでながら、申し訳なさそうに謝った。


「ごめんな……。今度また来るよ……」


 そう言うと、ルークはこちらに近づいて来る。


「……くっ、 死神じゃねぇ。悪魔だ」


 割れるような痛みは次第に消ていき、フェスは何とか立ち上がった。


「大丈夫? 」


 ルークは手を差し伸べるが、フェスは一歩下がりそれを拒否した。


「助けなんざいらねぇ」


「冷たいなぁ……、仲良くしようよ。俺はルーク。君は? 」


 ルークは口をふくらませて不満げに言った。フェスはため息をつき、仕方なく名乗る。


「……フェス」


「へぇー、フェスか。なんか悪魔っぽくないけど……」


「いちいち、イラつく野郎だな」


 こうゆう奴は苦手だ。自分のペースが崩れてしまう。さっさと契約をしてしまおうと、そう思い話を切り出す。


「おい、この俺と契約しろ」


「えっ? 契約って何? 」


 ルークはぽかんとした表情で聞き返す。


(こいつ……、契約を知らねえのか?)


 昔は天使や悪魔が地上に降りて来て、人間の願い事を叶えるなんて事が度々あった。


だが、今の人間は悪魔が見えない所か、その存在すら信じていない。だから、契約という概念自体忘れられてしまったのだろう。


フェスは苛立ちながら、もう一度言い直す。


「ちっ、めんどくせぇな……。いいか、一度しか言わねぇぞ。よく聞け」


「うん」


 ルークは戸惑いながらもうなずく。その様子を見て、フェスは少し間を置いてから口を開く。


「この魔神フェスが、てめぇの 願いを一つ叶えてやるって言ってんだ」


 それを聞いたルークは目を丸くする。


「俺の願いを叶える? ……何でも? 」


「あぁ、何でもだ。だが、対価は払ってもらうがな」


 真剣な顔のフェスに対して、ルークは腹をかかえて笑い出した。


「あっははっ! いや、ごめん。あまりにも突拍子もないこと言うからさ……、俺は別に願いなんてないよ」


 ルークは首を横に振った。だが、フェスは想定内とばかりに鼻で笑う。


「ふん、本当にそうか? てめぇにはあるはずだ、そう……例えば、自分の病気の事とかな」


 その言葉を聞いて、ルークは黙ったままうつむいた。


(やはりな……、こいつから死の匂いがしたあの時から予想していた)


 初めてロビーで会った時、ルークからはかすかに死臭が漂っていた。それは、普通の人間には感じとれないわずかな臭いだったが、魔神であるフェスにはぎとる事ができたのだ。


この人間はもう長くないと……。


「違うか?」


「……」


 ルークはあごに指を当てて少し考え込んだ後、フェスの目を真っ直ぐ見つめて答えた。


「ねぇ、立ち話もなんだから、場所を変えようよ」


 ◆◆◆◆◆


 二人は病院の屋上に来ていた。時刻は午前十一時を過ぎている。誰もいない静かな場所で、風が強く吹いていた。フェンス越しに見える夜景を眺めながら、ルークは言った。


「ここ、俺のお気に入りの場所なんだ。ここから見る景色が好きなんだよね」


「どうでもいい、早くてめぇの願いを言え」


 急かすようにフェスは言う。ルークは静かだがはっきりとした声で答える。その目は真剣だった。


「実はさ、俺はもう長くないんだ……。そうは見えないでしょ?」


 己を悲観するような言い方ではなく、ただ真実を告げるだけの口調だった。フェスは眉をピクリと動かすだけで、特に表情を変えなかった。


「……一年前くらいから体調が思わしくなくてね。原因不明の難病らしいんだけど……医者からは余命三ヶ月って言われちゃって……。それで今、この病院で入院しているんだ」


 フェスは冷めた目で、苦笑いするルークを見据えた。


(ふん、どうせ……自分の病気を治して欲しいとでも言うのだろうが、てめぇは俺に身体を捧げることになるんだからな)


 悪魔との契約は、何でも叶えられる訳ではない。それは『死』に関する願いだ。ルークの様な死が確定した者を救う事はできない。勿論、死人を生き返らせるのも不可能だ。


(こいつは死ぬ運命にある。だが、それは普通の人間ならの話だ。俺がルークの身体を乗っ取れば、魔神の生命力で病なんざ簡単に治せちまうだろう……奴の魂は確実に死ぬがな)


 そんな事は知らず、ルークは自分の足元を見ながら呟くように言った。


「俺はさ、死ねのは怖くないけど、一つ心残りがあるんだ。それを叶えて欲しい」


 そう言って顔を上げ、真っ直ぐにフェスを見つめる。そして、今までとは違う真剣な表情で告げた。


「俺の代わりに二人の子達を二十歳になるまで育てて欲しいんだ」


「……はぁ?」


 予想外の願いにフェスは思わず間の抜けた声を出してしまった。


「病気じゃなかったらさ……、本当は今頃あの子達を養子に迎えていたと思うんだ……。でも、今の俺にはもう無理だからさ……」


「……」


 何も答えないフェスを見て、寂しそうに笑いながら言葉を続ける。


「だから、もし叶えられるのなら……駄目かな?」


 そう言うと、ルークはすがるような目で見つめた。


「おい、分かっているのか? てめぇ……死ぬんだぞ?」


 フェスは思わず言葉に出してしまった。すると、ルークはうなずいた。どうやら、彼の頭の中にはすでに答えがあるようだ。


「……あぁ、分かっているよ。それと、身体を自由に使って欲しい。俺の姿の方が二人共安心すると思うんだ。対価は……それでいいかな?」


 それを聞いてフェスは驚くと同時に呆れた。


(こいつ正気か……? 死ぬんだぞ?  何で他人の為にそこまでできるんだ……)


 フェスにとって理解ができない行動だった。だが、これは好都合でもある。契約さえできれば後はどうにでもできるのだ。


「いいだろう、契約成立だな……その前に一つ聞きたい」


「ん?」


「なぜ、自分の病気を治して欲しいと願わなかった?」


 興味本位の質問だ。人間は皆、自分の為だけに願うものだと思っていたが、この男は違った。


だがら、考えを知りたかったのだ。ルークは少し考えた後、ゆっくりと口を開いた。


「……確かに、治して欲しかったさ。だけど、それが出来ないってことはなんとなく分かっていたんだ。それにさ、俺が死んだ後、あの二人がどうなるかが一番心配だったんだ」


 そう言いながら、爽やかに微笑む。まるで、子どもを想う父親の眼差しだった。その瞳を見ると何故か心がざわついた。


「覚悟はできているって訳か……。じゃあ、さっさと始めるぞ。手を前に出せ」


 言われるままにルークは手を差し出す。フェスも自分の手を出し、重ね合わせる。


「始まりの悪魔の名において……我、魔神フェスは、ルークとの契約を望む」


 その言葉を合図に、二人の身体が眩く光る。


「彼の者の願いを聞き入れ、対価と引き換えに叶えたまえ」


 言い終わるとフェスの身体が消え去り、その場に残されたルークの身体は力が抜けたように倒れこんだ。


 ◆◆◆◆◆◆


 ───翌朝


 目を覚ますと白い天井が目に飛び込んできた。そして、周りには点滴やベッドなどが見える。ここは病室のようだ。どうやら、気を失っていたのを看護師が見つけて運んでくれたらしい。


(今まで……寝ていたのか)


 ふと、頬にふわっと風を感じる。窓が少し開いているようだ。ベッドから起き上がり、窓の外を見る。


心地よい風が優しく燃えるような赤い髪をでた。空はどこまでも高く青く、雲一つ無い快晴で視線を上にあげると、眩しい太陽の日差しが金色の瞳を一層輝かせていた。

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