第5話 いざ、探索

 通路や小部屋は岩肌が剥き出しになっているが、構造は四角く幾何学的。ダンジョン内は昼も夜も、外が雨天であろうと常に暗いものの、松明が無ければ行動に支障が出るような暗さではない。ダンジョンの構造が月に一度変化することも相まって、"何らかの意志"がこのダンジョンを造っていることは間違いなかった。


 とはいえダンジョンの真相は、真理を追究する学者や神の領域へと踏み入らんとする超人が気にすることであって、ファルベラに住まう冒険者たちにとっては、ダンジョンが無限のリソースであることのみが重要であった。勿論リファールたちも例外ではない。


 リファールたちは周囲を警戒しながらダンジョンを突き進んでいく。彼らの目下の課題は、ケルピーの確保でもスキルの確認でもなく乗騎の確保であった。とにかくリファールが何かしらに騎乗しないことには、前衛が機能不全になっている状況を脱せない。冒険者に向いていないという評をこれでもかと体現していた。


 そんな彼らだったが、ダンジョンに侵入して一刻が経った頃、ようやく最初の魔物と遭遇する。


 人より一回り大きい程度の、犬と狼の中間のような外見の魔物が一匹。それはハウンドと呼ばれている魔物だ。ハウンドは黄土色の毛を逆立てながら、喉を鳴らして相対した侵入者たちを威嚇する。相手の数が多いため、襲い掛かるタイミングを見計らっているのだった。このダンジョン内で生きていくには必要な慎重さだが、しかしそれが今回ばかりは仇となる。


「『仮使役』」


 言葉を発すると同時、アリシアの双眸が紫色の煌めきを帯びる。『仮使役』は『魔物使役』のスキルの中でもっとも基本的な術であり、一体の魔物を使役するために30秒を要する。使役できる魔物ならば実質一体を戦闘不能にできるようなものだが、戦闘の最中で用いるにはこういった睨み合いでも起こらない限り難しい。


 睨み合いが終わるより早く使役は完全に完了し、ハウンドは威嚇を止めてその場で静止する。それを見計らって、リファールがハウンドの背に跨った。左手で首元を抑え、右手で剣を抜刀して振り回してみると、確かにこれまでの稽古と比較して剣筋のキレが段違いによくなっていた。


「どう?」

「問題ない。乗れてる」


 リファールが腹を軽く小突くと、ハウンドが歩き始める。首を抑える左手を操作すれば、リファールのほとんど意図する通りにカーブする。調教された馬に乗ったことすらなかった彼は、未知の感覚に心を躍らせながらハウンドを乗りこなしてみせた。


 ハウンドという騎獣を得た一行は、更に深部へと歩を進める。今度はすぐに第二の魔物と遭遇するのだった。ゴブリンが三体、通路の先にある部屋の中央にふんぞり返っている。完全に警戒を解いており、リファールたちに気づく気配はなかった。


「ゴブリンか」

「試し斬りにはちょうどいいんじゃない?」


 リファールはハウンドを駆る。躍動する獣の肉体に体幹を合わせ、一気呵成に彼我の距離を詰める。ゴブリンたちはまだ気づく気配はない。ハウンドは背に人を乗せていながらギアを上げていき、ゴブリン達が状況を理解するよりも早く到達する。


「はぁッ!」


 ゴブリンの一体を選んで突進し、剣を振り下ろす。騎乗中に他の前衛スキル相応の攻撃力を得ている上に、ハウンドの全速力という速度も乗った刃はゴブリンの肉体を容易く一閃してみせた。


「まず一体! 次!」


 ゴブリンたちはそこでようやく異常に気づいたが時すでに遅し。ハウンドは無防備なゴブリンへと飛び掛かって爪牙を見舞い、その上に乗るリファールが追い討ちをかけるように剣で一撃を入れていく。人馬ならぬ人犬一体となった攻撃により、ゴブリン三体は瞬く間に物言わぬ死体と化した。


 戦闘が終わり、後ろで控えていたアリシアがやってくる。


「騎乗スキル、さすがに乗れたら強いのね」

「ダンジョンでは乗騎の供給がないことが問題だから。乗ってなお弱かったらこのスキル何なんだって話だし……」


 リファールはそう言いながら、周囲の死体を確認する。ゴブリンの死体は皮が主に取引の対象になっている。とはいえゴブリンは体格の小さな魔物だ、皮を採取するには死体のほとんどの部位が傷ついていてはいけない。ゴブリンは、その実力こそ初心者冒険者にとっても大したものではないが、素材を回収するという視点では初心者には敷居が高い。そんな魔物だった。そして先ほど撃破したゴブリンたちだが、ものの見事にズタボロである。皮など剥ぎ取る余地もなかった。


「駄目そうだ」

「ゴブリンは今回の主目的じゃない。スキルの確認は済んだことだし、この調子でケルピーを探しましょう」




◇◆◇◇◇◇




 それからしばらくダンジョンを進んでいくと、今までの殺風景な部屋とは異なる景色の部屋へと出た。岩肌が剥き出しになった通路を抜けると目に飛び込んでくるのは、鬱蒼と茂る木々と下草。ダンジョンで薬草の採取を行うのであれば、第一階層のこうした部屋で探すことになる。他のエリアと違うのは植生だけではない。生態系が違えば当然、そこに棲む魔物も変わる。


「……いた。『仮使役』」


 白い毛並みをした鹿のような魔物が下草を齧っていた。ケルピーである。頭から三日月状に角が生えているが、これはオス独特の特徴だ。それを目聡く発見したアリシアが、確認とほぼ同時に使役を試みる。相手が全く気付いていない状態での使役は無事に完了し、アリシアは使役が完了した個体を目前まで呼び寄せる。


「ケルピーを確保した。乗ってみて」

「分かった」


 リファールがハウンドから降り、ケルピーへと乗り換える。背に跨り、左手を角に添える。ケルピーは角に触れられると怒り狂う魔物であるが、『使役』が効いているためか嫌がる素振りを全く見せない。彼はそのまま左手を用いて前後左右の操作、足で腹を叩いての進行、停止を確認した。


「乗れそう?」

「むしろハウンドより乗りやすい」

「それならよかった」


 これで残る仕事はこのケルピーを連れて来た道を戻り、無事に帰りつくだけだ。だがその前にやるべきことが一つあった。乗騎としての役割を終えたハウンドの処分である。


「ハウンドはここに待機、しばらくしたら『仮使役』は切る。使役出来る枠は空けておいた方がいいし」

「そっか。じゃあ達者でね、ハウンド」


 リファールのかけた声に応えるかのように、ハウンドは一度吠えてみせる。


「あんまりそういう声掛けしないで。変に情が湧いたら嫌でしょ」

「そうだけどつい口を突いて出ちゃうんだよな」

「根が善人なんだから……」


 アリシアは呆れたように言う。だがその表情はこれまでのクールな表情とはまた違ったもので、リファールは言葉にしないながらも好印象を抱くのだった。




◇◇◇◇◆◇




「……来た道を辿ればいいから楽だね」

「えぇ。このまま何もなければ、半刻くらいで――」


 アリシアがそう言おうとした瞬間だった。二手に分かれる通路の片方、一行が進む道ではない方から男の悲鳴のような声が上がった。シチュエーションを総合的に判断しても、十中八九厄介ごとなのは確定。こうした場合、自パーティの戦力が余程潤沢でない限りは助けに行かないのがセオリーだ。だがそれはつまり危険に陥った者をみすみす見捨てる行為であり、その決断で良心が苛むようであれば話は別だ。


「助けに行こう」

「本気?」

「……ダメか?」


 無理強いはしない。それでもその表情から、リファールは見ず知らずの誰かを本気で助けようとしていることを、アリシアは既に察している。ふと彼女の脳裏に浮かんだのは、路地裏で自殺を止めた時の彼の顔だった。


「……そういえば見ず知らずの女が死のうとしてるだけで止めに来る男だっけ。あなたは」


 それに救助という選択肢は倫理的なものを無視してもメリットがない訳ではない。救助をするしないで相手の生殺与奪の権を握るにも等しいと考えれば、多少条件を吹っ掛けても問題は起こりづらい。一行が提案するとしたら、ケルピーを出口まで運ぶ際の露払いをタダで任せるなどだ。


「よし! そんなに遠くないはずだ、俺が先行する!」


 リファールが足でケルピーの腹を蹴って走らせる。悲鳴が聞こえた方向まで続く一本道の通路をひた駆け、視界が開けた。


「あ、あんた味方か?! 頼むた、助けてくれ……!」


 背後からやってきた、ケルピーに乗った少年に視線を向ける中年の男。彼が相対している魔物は、人の倍ほどはあろう背丈と丸太のような腕を持つ豚面の魔物だった。それは咆哮し、新たに現れた人間を敵対者と認識して襲い掛からんとする。


 魔物は世間的にオークと呼ばれている。第二層を主な生息域とし、その巨躯から繰り出される怪力は『剣術』のような前衛のスキルを得た初心者冒険者を力づくで捻じ伏せることを可能とすることから、"初心者狩り"とも呼称される強力な魔物だ。

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