第二章:戯班《げきだん》の面々
「それでさ、俺も酔っ払ってて
まだ微かに酒の臭いを漂わせて相手はカラカラと笑った。
「それは災難だったね」
舞台では俺の運命の恋人役を演じる
浮気性と言うより、常に大勢の女が自分を待っていて競い合う様子が好きなのだと思う。
世間で言うところの不身持な役者ではあろう。
しかし、売れっ子になってから自分を役者の家に売った母親を探し求め、とうに死んでいたと知って大泣きした鴻哥を知っている人間としては、より多くの女の情を手の中に掴んでいなければこの人は自分を支えられないのだとも感じる。
そもそも役者という稼業自体が移ろいやすい人の情を集めて成り立つものだ。
「お前も今度、
俺の表情をどのように取ったのか、相手はどこか挑む風な顔つきで告げた。
「いいよ」
苦笑いしつつ、首はしっかり横に振る。
「兄貴はともかく女形の俺が行ったら向こうが白けるだろ」
本当のところは、紅白粉を塗りたくって男の欲しがる「女」を演じる女をこちらが金を払ってまで目にしたくないのだ。
自分が舞台を下りて素顔に戻ったのに、そんな相手といても疲れる。
「お前みたいな男を好む女も沢山いるだろ」
鴻哥は今度はどこか憐れむような笑いを浮かべて呟いた。
「怖い女も多いからさ」
俺の演じる女は本物の女より女らしいとは良く言われるが、それは結局、男の頭の中にある綺麗事の偽物ではないのだろうか。
*****
「
名前だけだと魚みたいな顔をした役人風の中年男が浮かんでしまう。
「ああ、晩唐の女詩人さ。最初は妓女で凄い美人だったそうだ」
俺と一緒に
化粧一つを取っても彼が施すとその役者が一段垢抜けて見えるのだ。
これはこれで裏方として得難い才であろう。
“舞台で演じるより舞台を作る方がいい”と本人もよく口にする。
「最後は下女の
あまり才女には相応しくない罪状に思えるが、こいつの
「とにかくありきたりな無芸無才の佳人よりそういう才気のある女の話の方が今時の客には受けるはずさ」
そこまで語ったところで、俺を眺める黒縁眼鏡の奥の瞳がどこか冷たく光った。
*****
「それじゃちょっと
黒縁眼鏡の下の薄く小さな唇が低く声を発した。
阿迅がこういう言い方をするのははっきり批判する口調よりもっと根本的に駄目だと見ている時だ。
だが、演じるこちらにもこちらの考えがある。
「だって、この女は元は妓女だったんだろ。詠んだ詩も色恋沙汰が多いみたいだし」
最後だって恋敵と疑った下女を殺して破滅した、いわば色狂いの女だ。
「違う」
相手は首を横に振ると刺すように呟いた。
「身を売っても誇りを忘れない女だったからこそ魚玄機は人の心を動かす詩を残せたんだ」
インクで汚れた阿迅の両の拳がズボンの膝の上で微かに震える。
まるで想い人を侮辱された男だ。
阿迅も役者の家に売られた
「
緑翹役の
これは俺らより三歳下の弟分だが、気の利く女中役を得意としており、普段も兄貴分たちが争おうとすると収めようと動く。
「色気のある方が客は喜ぶぞ」
二人の女から愛される陳公子役の
しかし、当の阿迅は頑なに
「お前ならもっと出来るはずだ」
“地味だが声には舞台を引き締める力がある”と評された声で相手は続ける。
「次の稽古までよく考え直して欲しい」
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