戯子《やくしゃ》

吾妻栄子

第一章:客席の女

 また、あの女が来ている。

 ほの暗い客席の並んだ顔の中にあの蒼白い小さな面を認めると、胸の奥が微かに熱くざわめいた。

“庭には花が”

 紅白粉を施して舞台に立つ俺は今、“女”だ。

 しかも、綺羅を纏った昔話の深窓のご令嬢ときている。

“蝶の舞う春の眺めよ”

 白玉じみたあの女の顔は客席の一角から一心にそんな俺を眺めている。


*****

「今日も凄く良かった」

「本当に素敵」

 芝居がはねた後に集まってくる女たちはまるで本人たちがこれから芝居でも始めるかのように念入りに化粧して着飾っている。

「見に来てくれてありがとう」

 俺はいつも通り笑顔で自分を取り巻く幾つもの仮面じみた顔を見回す。

 と、向こうに歩いていく紺地の上着の背中が目に飛び込んできた。

 いいや、あれは貧乏臭い女だ。遠目にも色褪せた粗末な服と分かるじゃないか。野暮ったい装いじゃないか。

 今、この俺を囲んでくれている皆の方が遥かに小綺麗で粋ななりをしている。

 ざわめく胸を押さえるべく、俺は遠ざかっていくあの女の姿を努めて突き放して眺める。

 豊かな黒髪を無造作に束ね、か細い体に洗い晒した紺地の服を纏った後ろ姿が夜道の闇に紛れていく。

 足早に、一度も振り向くことなく。

 あの女は舞台を降りた役者には一片の興味も無いのだ。

 芝居の間はあんなにも一心に眼差しを注いでくれるのに。

「本当に嬉しいよ」

 あの女の姿を飲み込んだ夜の路地から音もなく吹いてきた風は、埃っぽい匂いを含んでひやりと肌寒い。

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