第17話 心臓


 僕は唇を舐めた。


 ここでキレたらいけない。


 心臓が揺れ動いている。


 心臓が叫んでいる。


 男のくせに、とでも言いたいのだろうか。


 知るか、そんなこと。


 自分の身体を傷つける男はほとんどいない、という妙な知識は覚えていた。


 自分が何者なのかさえ、わからないのにどうでもいいことはちゃっかり覚えている。



「なるべく切らない方がいいよ。リスカって中毒性があるから」


 僕のことをどうも憐れんでいるようだった。


 そのとき、遠くから雄叫びが聞こえる。


 ギギギィーと金属と金属がこすれたような声が耳を貫いた。


 パニックになった犯罪者がいるんだ。


 ちょっとフン、と思った。


 僕はパニックなんて絶対にしない。


 こんなことになってまで、人に迷惑をかけているなんて情けない。


 その声の主はどうも若い人間のものではなかった。



「ばあさんが保護されたんだよ。磯崎先生たちも大変だな、みんないろいろあって」


 なぜ、少年院にばあさんがいるのか、僕にはわからない。


 それとも、ここは凶悪犯だけを集めた専門の施設なのだろうか。


 ばあさんが無差別殺人でもしたのか。


 怖い。


 世の中が本当におかしくなっているんだ。


 こんな僕でさえも、怖い、と思った。


 ここにいられた囚人は死刑を待つか、未成年であれば一生隔離しておくんだ。



「何ていうことをお前は言ったんだ……」


 つぶやきが聞こえたのだろう、院生の顔色が急に悪くなった。



「人が心配してやったのに人の気づかいもわからないなんて、どうせ、お前なんか一生ここから出られねえよ。人が優しく声をかけたのに拒んじゃって、それじゃあ、前に進まないね」


 そのあとも僕は無反応を貫いた。


 唇は笑うようにしたが、そのとき、僕は深く睨んでいたのだろう。


 院生はぎょっとなった。



「こいつやばい」


 だったら、最初から寄ってなんか来るな。


 僕はお前なんかよりもずっと恐ろしい人間なんだから。


 僕と関わった人はみんな不幸になってしまう。


 死んだ女の子たちがあの世で僕を殺さない限り、永遠に許されない。


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