第3話 初秋


 記憶の扉にその鍵を使って開ければ、そこから秋の河原が見えてくる。


 秋の夕暮れにあの人といたことを僕は今でも覚えている。


 その人は小さな僕の頭をかすかに撫でてくれた。


 風が頬を当たり、小さかった僕は揺らぐ。


 


 その指先は温かった。


 その人とだいぶ長い間を過ごしたと思う。


 その人は僕にビー玉をくれた。


 ビー玉は淡い青色をしていた。


 それを太陽にかざすとキラリと虹色に光った。


 幼い僕はそれを何度も日にかざした。


 


 これが僕の生まれて初めての記憶だ。


 いつまでたっても秋だったら、この記憶も永遠に封印できるのに、世界はどんどん時を委ねてしまう。


 あの頃にあった、かすかな優しさはどこへ行ってしまったのだろう。


 秋を感じなくなってから、陽射しが歪んで見えるようになってしまった。


 空気の線が細く見える。


 宙に溶けて、かたちの境目がわからなくなっていく。


 


 どこに行っても同じ。


 どこに逃げても同じ。


 どこへ出かけても同じなんだ。


 どこにもあるべき僕がいない。


 


 同じ道の繰り返しを歩んでいる。


 黒い砂を噛みしめている。


 


 この道を何度、通ったことだろう。


 言葉で刺されても、どこも身体は痛くない。


 でも、こんなに頭は痛いし、頭は垂れてばかりだ。


 


 どこを走っても、どこを回っても、何にも変わらない。


 どこに行っても同じなんだ。


 


 これでいったい何回目だろう?


 言葉の嵐に僕は呑みこまれる。


 ひとつひとつの言葉をいちいちチェックしてはこだわり、ぎくしゃくしてはうろたえ、時には空に向かって大声で泣きながら笑うしかない。


 


 小さい頃に見た世界はもっとはっきりと見えていた。


 人生を走る列車も休まず、動いていた。


 でも、轢かれたんだ。


 僕はそのレールの下に。


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