宇宙の彼方

豆茶漬け*

宇宙の彼方

ふわふわと揺蕩う感じに身を任せる。ここが何処で自分が何者なのか思い出すことが億劫だった。ただ揺れ動く感じに身を任せて目を閉じているのが心地よかった。もしかしたら自分は水なのかもしれない。水の一部でその流れに身を任せているのかもしれない。そうであればこの 目を覚ます必要もないだろう。

だけどそんな自分の意思とは反対に体は上へと引っ張られる。誰かが自分のことを引き上げている。やめて欲しいと率直に思うが体が浮上する感覚は無くならない。このまま流れに身を任せていた方が楽なのに、どうしてそれを邪魔しようとするのか。せめてもの抵抗として目をぎゅっと瞑る。

目を瞑る。つまり自分には目という器官が存在するのか。

そこまで考えてはっと目を覚ます。目を開けるのと同時に今まで忘れていた呼吸を再開する。その瞬間多量の水が口の中に入り込み気管支の中に入り込む。脳が空気を欲しているが入ってくるのは水ばかりでどうすることもできない。

手で喉を掻きむしりながら水の中から逃れようと暴れる。暴れれば暴れるほど体が沈んでいるように感じる。なんとかここから脱しようと手を上へと伸ばす。誰でもいい、誰か自分を助けてくれ、と願いながら精一杯手を伸ばす。

するとその手を掴む者がいた。その手を掴んだ人に引っ張られるままに体が上へと上がる。そして大きな水飛沫を撒き散らしながら水中から顔を出す。大きく咳き込みながら何処かの縁にしがみつく。ようやく空気を吸えたことでさらに肺が驚いたのか咳がなかなか治らない。息をするのがこんなにも辛いだなんて想像もしていなかった。

すると誰かが自分の背中を撫ぜた。

「大丈夫?」

その誰かが軽やかな声で言う。はっとして顔を上げるとそこには長い黒髪を一つに括った女性が心配そうにこちらを見ていた。その女は縁を掴む手とは反対の手を掴んで自分のことを支えていた。そして反対の手で背中をさすっていた。

「大丈夫?」

また女が聞いてきた。自分は酸欠の頭で女をぼうっと見つめる。女は自分からの返事がないことを不思議そうに見ている。

「もしかしてお話しできない?」

女は眉を顰めながら伺うように聞く。その反応を不愉快に感じながら声を出そうとするとまた咳き込んだ。

「無理にお話ししなくても大丈夫だよ。」

げほげほと咳き込む自分の背中を優しく撫でられる。

「それじゃ、そこからあがろっか。」

そう女がいいながら手を思いっきり引かれた。突然のことにバランスを崩しながら水の中から引き上げられ地面へと転がされた。硬い地面が地味に痛かった。抗議のつもりで顔を上げて声を上げようとするがうまく発音ができず掠れた音しか出なかった。女はそんな自分の様子に気づいていないのか自分を引き上げたことに満足そうに笑う。そしてしゃがみ込み倒れ込んでいる自分と同じ目線になる。

「私の名前はアイ。君の名前はユウって言うんだよ!よろしくね、ユウ!」

そして自分に向かって手を差し伸べる。初めましての握手を求めるように。自分、ユウはその手を見つめたのち盛大に顔を顰めその手を振り払った。

「誰がよろしくするかよ、バーーカ!」

嗄れた聞き取りにくい声で初めて話した言葉がこれだった。


***


2xxx年。

地球は人間が住むには汚れ過ぎてしまっていた。大気汚染や海水の上昇に伴う土地不足。住む場所はどんどん少なくなっていくのに対して人間はどんどん増える一方だった。そんななかで世界各国が話し合った結果立ち上がったのが月面移住計画だった。

当初の月面移住計画では今地球にいる人々が少しずつ月に移り住むという計画だった。しかしもともと地球で生きることに慣れていた人間たちは、月で過ごすうちに色々な障害を抱えることとなった。そしてその障害は酷いもので突然死などが含まれ、人類は早々に月面への移住を断念せざる終えなかった。しかしこのまま地球に住み続けることも難しく、どうにかして人類という種を守らなければならなかった。

そして次の月面移住計画が立ち上がった。それは胎児の段階から月の環境で育てた子供たちを中心に人類史を作り上げるという計画だった。この計画では特殊な培養液である程度まで育てられた子供たちが月で目覚め、文字通り生まれた段階から月の環境に適応することを目的とされている。理論上、この計画は成り立つはずだった。

しかしここで一つ問題が生まれた。

順調に育った子供たちの誰一人として目覚めることがなかったのだ。


「そんななかで一番初めに生まれたおめでたい人間がユウくんなのです!」

目の前の女、アイはホワイトボードにこれまでの歴史を綴った紙を広げながら胸を大きく張って誇らしげに言う。ユウはなにがそんなに誇らしいのかまるでわからずじとっと睨む。ユウが睨んでいることに気がついたのかアイはきょとんとした顔をする。そしてすぐに破顔する。なんでこいつはすぐに笑うんだとイラつきながらこの部屋で一つだけの机に足をかける。

「足をかけるなんてはしたないですよ!下ろしてください!」

アイはユウの行動をめざとく注意する。ユウは舌打ちをするだけで足を下ろそうとはしなかった。

「他に誰が見てるわけでもないのになんでいうこと聞かなきゃいけねぇんだよ。」

そっぽを向きながらボソボソと呟く。アイに聞こえないように言ったはずなのに、アイに聞こえていたようでアイは悲しそうに眉を下げる。そんな顔をしても無駄だぞ、という抵抗のつもりでそんなアイに気がつかないふりをする。

「たしかに、まだこのプラネットで目覚めたのはユウくんだけだけど、きっとこれからもっとたくさんの人で賑わうようになりますから。だから、そんな寂しいことは言わないでください。」

アイがホワイトボードの前からユウの目の前に立っていう。そんなことを言われたところでユウが目覚めてから2週間経ったがいまだに誰かが起きてくる様子はないから、アイの言うような未来がユウには思い描くことができなかった。ユウが目覚めたプラントは今はもう誰も入っていないから稼働していないが、それ以外のプラントにはお寝坊さんたちがまだまだたくさんいて絶賛稼働中だ。

ユウが生まれたのは人間の母親の胎ではなく無機質な培養液の中だった。ユウは月面移住計画の計画の一環で生まれた、悪く言えば実験体なのだ。そして目の前に立つ女ことアイはそんな実験体を見張る監視員といったところか。

こんな奴と仲良くなんかできるもんか、とユウは目の前で目線を合わせようとしてくるアイから顔を背けながらそう思った。こいつは母親でなければ血の繋がりもない。赤の他人の上にユウのことを見張る敵と言っても過言ではない。

「ユウくんが全くやる気を見せてくれないので今日の講義はここで終わります!」

一向に視線を合わせようとしないユウに諦めたのかため息をつきながらそばを離れていく。その気配を感じながら、授業が終わったならこんなところにいてやる必要はないと考えさっさと部屋を後にしようとする。

「ユウくん。今日の夜はメンテナンスを行います。いつもの時間にいつもの場所に来てくださいね。」

後ろからアイが声をかけるがユウは返事をすることなく部屋から飛び出した。部屋を飛び出すと迷路のような廊下が広がっている。ユウはまだここに生まれてから日が浅いこともあって全ての部屋や通路を把握しているわけではない。ユウの行動範囲はユウが生まれた場所であるプラントと、ユウの部屋としてあてがわれた場所とアイの部屋、そしてリハビリを行う部屋だけだ。その他の部屋は興味があったがどこでアイと出くわすかわからなかったからなかなか探索をできないでいた。

それにユウは生まれたばかりで体の動かし方も学ばなければならなかった。ユウには本来であれば生まれてから今の年齢に至るまでに学ぶはずだった持っていて当たり前の知識が全てなかった。息の仕方、体の動かし方、文字の読み書きなど、足りてないものが多すぎた。しかしそんななかでも例外として言葉だけはなぜか話すことができた。それは初めての授業の時にアイに理由を聞いてみたがアイにも詳しいことはわからないそうだ。ただ、ユウたちがあのプラントでぐうすかと寝ている間ずっとアイが話しかけていたそうだ。

全員に話しかけていたのかと訊くとアイは答えない代わりに笑ってみせた。そんなアイを見て変な奴だと口を瞑った。

部屋に着くとまず行ったのは体を動かすことだった。手を握ったり拳を突き出したり、足を上げたりなど同じ動きを反復して行う。こうすることで筋肉の使い方を覚えるのだ。初めの1週間は立つこともままならなかった。ようやく立つことができて歩く練習も始めてなんとか自室から少しなら歩けるようになったのだ。本来月には重力という人間を地面に縫い付ける不可思議な力はないと教わったが、このプラネットの中では地球に近い環境を保つために重力が設定されているらしい。ユウはそんなものなければこんな煩わしいことしなくても済んだのかと思うと、その重力のことが憎らしくなる。

一通りの動きを終えて汗を拭う。ほんの少しの動作なのに体は疲労を訴える。どうせ生まれるならもっと強い体にしてくれればよかったのに、とユウは心の中で愚痴る。

ユウは廊下に顔を出し左右を確認したのち、一旦部屋の外に出る。たまにアイがこの辺りをうろついているから出くわさないためには周囲の確認をしっかり行う必要があった。

「よし……あいつはいないな。」

ユウは疲れた体に鞭をうって歩き出す。そろそろ膝が震えてくる頃だろうが気にせず歩く。先程の教室に使った部屋とは反対の方向にむかう。二本通路を通り過ぎた先にある部屋に用があったのだ。

そこは食堂となっていた。ユウは目が覚めてからまず体が鉛のように重く、思い通りにならないことに驚き、次に空腹感に驚いたのだ。お腹が空くと人間は胃が捩れるような思いをするのだと初めて知り、本当に人間の体は不便だと文句を言ったこともあった。そんなとき、アイがこの食堂のことを教えてくれた。この食堂で人間はご飯を食べるのだと。

まだここまで歩けなかった時はアイが食事を部屋まで持ってきてくれていた。アイが持ってきた食事はプレートの上にカラフルなゼリー状のものが敷き詰められていた。ユウはこれが美味しいものなのかどうかよくわからなかったが、味は嫌いじゃなかった。そんなことよりもアイに食べさせられる方が何十倍も嫌だった。

そんなことを思い返していると食堂にたどり着いた。そろそろ動かし続けた足が限界を迎えそうだ。

ユウは目の前の扉を開けて中に入る。食堂はユウの部屋よりも二回り大きい程度でこのプラネットに眠る子供の数を考えると小さい場所だった。

ユウは誰もいない食堂をまっすぐ進み壁にあるレバーを引く。するとがしゃんと音がして食事が落ちてきた。ユウは蓋を開けて中からトレーを取り出す。それを持ったまま近くのテーブルにトレーを置き椅子に座る。

「はぁーーー。つっかれたぁ。」

ユウは背もたれにぐでっとだらしなくもたれながら深いため息をつく。全ての筋肉を弛緩させるように力を抜く。

「どうせ生まれるなら完璧な状態にしておけよな。」

一度抜いた力を再び入れるのが億劫で椅子に溶けたままになる。人間の体こんなに大変だなんて、きっと生まれる前の自分は想像もしていなかっただろう。ユウは自分以外の人間はアイしか見たことないから本来の人間がどんな形で生まれて育つのか知らなかったが、すくなくとも自分のようなチグハグな状態で生まれてくることはなかっただろうと考えた。

「他の奴らが羨ましいぜ。」

まだプラントの中ですやすやと眠っている奴らのことを思い出して言う。一日三回アイがプラントの奴らの様子を見に行っており、ユウはアイに遭遇しないように気を張りながら数日おきにプラントを見に行っていた。プラントのある部屋は電気がないのかとても暗いが、プラント自体が不思議な光で一つずつ包まれており、その光のおかげで部屋は薄い光で包まれていた。

そのプラントの中ですやすやと眠る他の子供の顔を見るたびになんで目覚めたのが自分だったのかと思った。

このプラネットには千個のプラントがあるとアイが言っていた。だから目覚めていないのはユウを除いた999人ということになる。

ユウを含めた千人がたとえ目覚めたとして、やはりこのプラネットは千人が共同生活をするには小さすぎる気がした。まるで、初めから千人も順調に育つとは考えていないかのように。

そこまで考えてユウははっと思考をとめる。変なことを考えて気分を悪くするのは良くないと頭を振る。そしてようやく背もたれから体を起こし食事を始める。

毎日同じ形態の同じ味の食事。ユウは生まれてから今日までこのプレートの食事しか食べていない。だから正直に言えばこれが美味しいものなのかどうかもわからない。それでも腹が満たされればそれでいいと思って、味もよくわからないものをせっせと食べていく。

ユウが食べ終わる頃には時間は夜になっていた。このプラネットでは朝や夜の区別がつきにくく、共用部分の灯りの具合と各部屋にある時計で時間を判別していた。時間は地球上のどこかの時間を参考にしていると言っていたが、ユウは自分をこんな場所に追いやった地球の人たちが嫌いだったから詳しくは覚えていなかった。

時間の間隔がつかなくてもユウはそれほど困ったことがなかった。

食べ終わった空のプレートを蓋つきのゴミ箱に捨てて食堂を出る。

食堂を出たユウは頭を掻きながらアイの部屋を目指した。アイには会いたくないがメンテナンスの時間に部屋に行かないとアイの方からユウの部屋にくるのだ。

来た道をまたゆっくりと歩いて戻り、自分の部屋も通り過ぎて一本目の道を曲がる。アイの部屋は少し奥まったところにあり、気を抜くと迷路みたいなプラネットで迷子になる。

「あら、今日はちゃんと来てくれたんですね。」

アイの部屋にノックもせずに入るとアイが柔らかい笑顔を浮かべながらユウを向かえいれた。ユウはふくれっつらで仕方なく来てやったんだと言わんばかりの態度で部屋の中を進む。

アイの部屋は女性にしては簡素で机と本棚、ベッドくらいしかなかった。本棚の中にはユウがまだ読めないいろんな言語の本が並んでいた。

「さぁ、こっちに来てください。」

余所見をするユウに気にせずアイは声をかける。ユウは眉を顰めながら仕方なくアイの指示に従う。アイの目の前に座ると初めてアイの方を見た。アイは丸い形をした何かを目のところにかけていた。

「お前……それなんだよ。」

ユウが怪訝そうに聞くとアイはきょとんとした顔をしたのちユウの意識がどこにあるのかを察した。アイは目元にかけていた眼鏡を取り外してユウの目の前に掲げる。

「これは眼鏡というものですよ。視力が落ちてしまった人の矯正道具です。」

アイはユウの手の中に眼鏡を落とす。ユウは眼鏡を360度回転させて観察する。

「ふーん。……じゃあお前、目が悪いのかよ。」

「そういうわけでもないんですけどね…。集中したい時とかにかけるといい感じに集中できるんですよ。」

「それって使い方間違ってるんじゃねぇの?」

ユウは眼鏡をアイに押しつけるようにして返す。アイは苦笑いを浮かべながら眼鏡を受け取り机に置く。

「本来の使い方とは確かに違うかもしれないですね。」

アイは机に置いた眼鏡を大事そうに見つめる。ユウはそんなアイの様子には気が付かず、手を差し出す。

「早くしろよ、メンテナンス。俺はさっさと部屋に戻りたいんだけど。」

仏頂面でユウはアイを睨みつける。アイは困ったように笑いながらユウの手を取る。

「はい。わかりました。それじゃ、メンテナンスを始めますね。」

そういいながらユウの腕から肩にかけてを触っていく。

メンテナンスとはユウの体の状態を確かめることを指している。筋肉のつき具合をみて、動作の確認、記憶力の確認など、昨日のユウと比べて今日のユウがどれだけ成長しているのかを確認するのだ。ユウはただアイが聞いたことに答えて、アイに体を触られてるだけで何がわかるんだと不思議に思いながらもメンテナンスを受ける。

「うん。ユウさんの頑張りがしっかりと体に出てますね。この調子で頑張っていきましょうね。」

最後に背中をそっと撫でた後、アイが満足そうに頷いてユウの背中をぽんと叩いた。

「へぇへぇ。言われなくてもちゃんとやるっつうの。」

ユウは鬱陶しそうにアイの手を跳ね除ける。ユウはこのメンテナンスがどうにも苦手だった。ここまで完璧に管理したがるのにここにいるのはアイとユウとまだ目覚めない奴らだけ。月なんて地球から遠いところにわざわざ作ってまるで要らないものを捨てただけなんじゃないかと思えてしまう。

「ユウくん、貴方がとっても頑張っていること、私は知っています。」

はっとして顔を上げてアイをみる。アイは優しそうに笑っていた。そして両手でユウの顔を包み込む。

「大丈夫です。何も不安に思わず自由にここでいろんなことを学んでください。私が絶対にユウくんをこの先に導きますから。」

じっとユウの目を見つめながら言う。ユウは何も言えなくなり口をきゅっと噛み締めた。そして気恥ずかしくなりアイの手を外す。

「……言われなくても。……俺は俺で勝手にやってやる。」

「それでこそ、ユウくんです。」

アイはガッツポーズをしてユウを励ます。ユウは居心地の悪さを感じてさっと立ち上がった。

「もう終わっただろ。俺は部屋に戻る。」

アイの視線から逃れるように部屋を後にしようとする。

「あ、ユウくん。」

その後ろからアイがユウのことを呼ぶ。一瞬ドアノブにかけた手が揺れる。

「おやすみなさい。良い夢を。」

顔を見なくたってアイが微笑んでいるのが想像できた。ユウは返事をせずにそのまま部屋を出た。

アイはユウが出て行った部屋で一人微笑みを消した。そしてじっとユウが出て行った扉を見つめていた。


***


ユウがこの月面のプラネットで生まれてから半年が経った。相変わらず他の子供たちが目を覚ますことはなく、このプラネットではユウとアイだけが暮らしていた。

アイはこの半年も変わらず毎日プラントの中で眠る子供たちに話しかけていた。ユウはそんなアイの様子を後ろから見ることもあれば、一人でプラントに来て寝坊助供をぼうっと眺めることもあった。

半年間、ユウは運動も知識も詰め込んだ結果、年相応とはいかないがそこそこのことはできるようになった。ユウはアイに地球の歴史やら地球の子供たちが学ぶ科目に触れて、まるでスポンジが水を吸うように多くのことを吸収した。

ユウは地球人の歴史を学ぶたびに胸糞悪くなる気持ちを抱えていた。いろんな知識がつく度に自分という存在がいかに軽く実験的なものか知らしめられるのだ。

どうして自分はこのプラネットで生まれたのか。なぜ自分だけが生まれたのか、そういった思いが日に日に募っていく。もしもここではなく地球で生まれていれば、もしも他の子供が目覚めていればこんな気持ちにはならなかったのだろうか。

考えても仕方がないことばかりが頭の中でぐるぐると回り、結末を迎えない物語のように答えも出せないまますぎていく。

「ユウくん。」

そんなどうしようもないことを考えながら窓の外の先にある星々を眺めていると、アイがそばに来ていた。アイは手にユウの食事を持っていた。

「今日はご一緒してもいいですか?」

ユウに食事を差し出しながら笑いかける。ユウは食事とアイを交互に見ながら深いため息をついた。

「……しかたねぇな。」

そう言いながらユウはアイの手から食事を奪い歩き出した。アイはそんなユウの態度にも嬉しそうに顔を輝かせながらユウの後ろをついてきた。


二人はプラントにやってきた。最近、ユウとアイが二人で過ごす時間のほとんどはこのプラントのある部屋になっていた。

ユウは適当に座り込んで食事を地面に置いた。アイもユウのそばに座りプラントを見つめている。

「こいつらも、寝すぎなんじゃねぇか?」

ユウがプレートに乗ったゼリー状のご飯を掬いながら言う。

「そうですね。」

アイは苦笑いをしながらプラントの中を見つめ続ける。

「この子達は、もしかしたら自分の意思で起きようとしてないのかもしれないですね。」

ユウは掬い上げたご飯を口に運ぼうとして手を止めた。その言い方ではまるでユウは目覚めたくて目覚めたみたいに聞こえる。そう思われるのは心外だった。

「ちげぇだろ。単純にこいつらが寝坊助なだけだ。」

ユウは不快そうにそう言うとご飯をぐっと食べる。アイは不機嫌そうなユウの態度に気づいているのかいないのかわからないままそっとプラントの上に手をかざす。ほのかに光るプラントの灯りがアイの手を照らす。

「こいつらが目覚めないせいで、俺はお前と二人っきりの生活を強いられてて本当に迷惑だ。」

ガツガツとご飯を食べながら不満を口にする。アイは気にせずプラントの中を見続けている。そんなアイの態度も気に食わなくて、つい突っ掛かりに行ってしまう。

「おい。なんか言えよ………!」

プレートを地面に置いてアイの肩を掴もうと膝たちになる。その瞬間、バツンと大きな音が鳴って全ての灯りが消えた。

一瞬にして真っ暗になった視界に慣れず、唐突に暗闇に放り出されたユウは自分がどこにいるのかもわからなくなってパニックに陥った。

「お、おい!なんだよ、これ!!」

ユウは戸惑ったまま足を恐る恐る進めてアイの方に向かおうとする。しかし暗闇に平衡感覚を奪われたのかふっと足元の感覚がなくなった。

「!」

落ちると思った瞬間腕を力強く引かれる。引っ張ったのはアイだと頭ではわかっていたが、落ちそうになる恐怖で声が出なかった。

アイはユウの腕を掴んだまま何処かへと歩き出す。ユウはこの暗闇で何も見えないのにまるでアイには見えているかのような足取りだった。

「おい……おい………!」

ユウの声が聞こえていないのかアイはずんずんと進んでいく。やがてプラントがある部屋の外に出た。そうすることでプラネットの外の光が入り込む廊下に出ることができた。

僅かの灯りのおかげでユウはようやく視界を取り戻した。そしてどこか焦ったようなアイの様子を不思議に思いながら、力強く握られた腕を自分の方に引っ張りアイの足を止める。

「おいっていってんだろ!」

「あ………ユウくん………。」

ユウに腕を引っ張られて初めてアイはユウに気が付いたかのような声を上げた。ユウはアイの手を振り払い、睨みつける。

「一体何が起きてるんだよ!説明しろよ!」

怒鳴るユウにアイは視線を彷徨わせてどう答えるか迷うそぶりを見せる。そんなアイの態度にも不満が沸々と湧いてきて怒りそうになる。

「たぶん……このプラネットが放棄されそうになってるんです。」

「………はぁ?」

煮えたぎったマグマのような怒りは一瞬にして冷めた。その代わりに困惑がユウの心を揺さぶった。

「ほ、放棄だって?……それってつまり、俺たちを捨てるってことか?……なんでそんな急に。」

ユウは動揺が隠せず後ろに数歩下がって今出てきた扉に体をぶつける。アイは険しい顔でユウの方ではない場所を睨みながら呟く。そのアイの顔をユウは見たことがなかった。

「急なんかじゃないんです。ここの放棄はずっとずっと前から検討されていました。……それこそ、ユウくんが生まれる前から、ずっと。」

「な、なんだよ、それ。そんなの俺は聞いてない!」

何かに耐えるように唇を噛み締めるアイにユウは戸惑いを隠さず肩を掴みかかりにいく。ギリギリと力を込めるユウにも構わずアイは親指を口元にやりがりっと噛む。

「でも、なんで今……?ずっとずっと先延ばしにしてきてたくせに……あ。」

ブツブツと呟いていたアイは何かを思い出したようにユウの手を振り払って走り出した。アイはユウの横を通り過ぎてプラントのある部屋よりもさらに向こうに向かった。

「あ、おい!」

ユウも慌ててアイの後を追いかける。この先はユウが来たことのないエリアだった。この先にあるのは第二プラネットになるはずだった場所で、今は開発が途中放棄されて未完成のままの場所しかないはずだった。

この半年間、毎日サボらずにリハビリを続けた結果そこそこの運動ができるようになったが、何かに追われるように走るアイにはとてもじゃないけど追いつけそうになかった。それどころかこの暗闇の中で見失わないようにするだけで精一杯だった。

「なん、なんだよ……!」

ユウは泣きそうになりながら暗闇の中、アイの背中だけを追う。やがてアイはある扉の前で立ち止まった。そしてそばにあるコントロールパネルをいじると素早く何かを打ち込み扉を開けた。

扉が開くとアイは真っ先に中に入り込んだ。ユウはその扉が閉まる前になんとか中に滑り込んだ。

中に滑り込むと息を整えるのでいっぱいになった。

「マザー!!」

ユウが呼吸を整えているとアイが大きな声で誰かを呼ぶ。ここにはユウとアイしかいないはずなのに、おかしな話だった。

そこでハッとしてユウは顔を上げてアイの方を向いた。今までユウはこのプラネットで起きて動いているのは自分自身とアイだけだと思っていた。しかしその事実はアイから齎されたものではなく、ユウが勝手に思っていただけのものだった。

どうして自分はここに二人きりなんだと思っていたのだろうか。ここにある電気や空気、重力やその他の物資をアイが一人で管理しているなんてどうして思っていたのだろうか。

ユウはアイの姿越しにそれが現れるのを呆然と見ていた。

それは始めは一つ一つの粒でやがて形取るように中心に集まりその形を作り上げた。それは巨大な人間の女性の形だった。長い髪がゆらゆらと揺れる度粒子の粒が辺りに散らばる。きらきらとした粒がユウのそばにまで飛んでくる。

ユウは目の前の物体が何か理解できず、ただ呆気に取られていた。そんな中アイはジッと目の前で女性が形取られる様子を見ていた。

「なん、だよ……こいつ。」

思わず声が漏れる。その声は誰に拾われるわけでもなく宙に消えていく。

「マザー。」

「………」

アイが巨大な光の女性に声をかける。マザーと呼ばれた女性は優しい目でアイを見つめて微笑んでいる。

「マザー。これはどういうことですか。」

睨みつけるようにアイはマザーを見上げる。それでもマザーはただ微笑むだけで言葉を返さない。

「なんとか言ってください!」

ユウは怒鳴るアイの様子を初めて見た。ユウは目の前の光景に気押されていた。

『ハロー、アイ。』

その時ようやくマザーと呼ばれた女性は声を発した。脳内に直接響くような不思議な声だった。マザーは変わらず微笑んだままアイを見ていた。そしてアイはそんなマザーを睨み続けていた。

『ハロー、ユウ。』

突然マザーがユウの方を向き、ユウは驚いて後ずさった。マザーはユウにも優しい微笑みを見せた。

「マザー、私の話を聞いてください。」

アイがマザーの視線を切るようにユウの前に立つ。

『アイ、聞いてますよ。分かっています。貴方の言いたいこと。』

マザーは再びアイに視線を戻すとにこりと笑った。その微笑みがアイの神経を逆撫でしたのかアイはさらに強く睨み上げた。

『アイ。貴方はよく成長しましたね。そんな風に私を見るようになるなんて。』

嬉しそうにマザーは笑う。笑うたびに光の粒が周りに散らばる。

『貴方に感情が芽生えたことが、唯一の計算外だったと言えます。よく、私の計算の外側へといきましたね。』

マザーの一つ一つの言葉が洪水のように押し寄せてくるように思える。

「なぜ……どうして今になってこんなことを……」

アイの顔を見ることはできないが、アイの手は強く握り締められ小さく震えていた。

『これはずっと前から決められていたことです。』

「でもここにはユウくんがいます!」

『ユウが希望になるには少しだけ遅すぎたのです。だから、人間たちはここを放棄して新しい案を進めることにしたのです。』

マザーは聞き分けのない子供に言い聞かせるように優しく手を差し伸べながら言う。アイは忌々しそうにその手を跳ね除けた。アイの手は実際にはマザーの手には当たることなく、マザーの手が光となって霧散した。その直後、何事もなかったかのようにマザーの手は再生した。

ユウは目の前の存在がなんなのか理解ができなかった。ユウはこんな存在を教えてもらったことはなかった。

「おい。なんだよこれ。なんなんだよ、こいつは!」

ユウがアイの肩に手を乗せて説明を求めるが、アイはユウの方を振り返りもしなければユウの質問に答えることもなかった。

「そんなことは、認められない……。だってここにはユウくんが……こんなにもたくさんの命があるのに…!」

『しかし彼らのほとんどは目覚めることがないまま…。人間たちはもうそれほどに待つことができないのですよ。』

「……っ!だったら……。」

アイはマザーから目を離し下を向く。

「だったら、なんでもっと早くにその決断をしなかったんですか……!」

アイは手の力を抜いて脱力する。足の力も抜けてしまったのかその場に座り込む。ユウは目の前の状況についていけず、ただただ狼狽えるばかりだった。

マザーはそんなアイの様子に困ったように笑いながら扉の方を指を指す。

『アイ、聞きなさい。人間たちはここを放棄する道を選びました。しかし、私は貴方達がここで終わる方がいいとは思いません。』

アイはマザーの言葉に顔を上げる。

『放棄された第二プラネットの方に行きなさい。そこには補給線がまだ残っています。この意味がわかりますね。』

そう言うとマザーの体がブレ始めた。

『もう時間ですね。……時期にここも全ての動作が停止するでしょう。そうなる前に急ぎなさい。』

マザーが優しく促す。アイは少しの間呆然としていたが、やがて意志を取り戻しゆっくりと立ち上がった。

「お、おい。大丈夫かよ。」

ユウがおろおろとしながらアイを気遣う。アイは初めてユウがそこにいることに気が付いたかのように驚いた顔をした後、いつものように笑った。その笑顔はまるでマザーのようだった。

「大丈夫です、ユウくん。見苦しいところをお見せしてしまってごめんなさい。」

「そんなこと……それよりもあいつなんなんだよ。何が起きてるのか説明してくれよ、なぁ。」

ユウはアイとアイの向こう側で消えかけているマザーとを見比べる。アイは困ったように眉を下げてからゆっくりと顔を横に振った。

「今はその時間がありません。……第二プラネットに向かいましょう。」

「第二プラネットって……こんなようなところがまだあるのかよ。」

「第二プラネットは数年前に開発が放棄された場所です。ここよりももっと簡素な作りで、ここほど整えられていません。……それでも、マザーの言うことを信じるのであれば、そこにユウくんが生き残るための手段が残っているはずです。」

アイは話しながらユウの手を引いて進み始める。

「……なんなんだよ。……なんでこんなことになってるんだよ。」

手を引っ張られながらユウはアイの後ろをただついていく。ユウの頭の中は急な展開ばかりでついていけてなかった。ここにきてようやくユウは自分自身が本当に何も知らない、知らされていない人間だったのだと気づいた。

ユウはこのプラネットがどうやってできて、誰が支援をしていて、どう機能しているのか、何も知らなかった。漠然と地球に住む人間達の実験台にされていることだけを理解していて、その他のことを何も理解していなかった。否、理解しようとしていなかったのだ。

自分のことを知る機会を無意識に避けていた。そしてずっと感じていた違和感を突き詰めることも、ユウは避けていた。

アイと二人で過ごす日々が、始めこそあんなに嫌だったのに今ではそれが心地よかった。その心地よい時間を崩したくなくて、あえて見ないふりをしていたのだ。だから今になっていろんなものを急に突きつけられてユウの心はバラバラになってしまいそうだった。

「お前も……お前も、あのマザーとかいうやつと同じなのかよ。」

思わず漏れた声はしっかりとアイの耳に届いた。アイは歩く足を止めて、ぎゅっとユウの手を握り直した。そして覚悟を決めたように振り返ると泣きそうな顔で笑った。

「ずっと言えなくて、ごめんなさい。……私は貴方達を監視する目的で作られたAI搭載型のアンドロイドです。AIとは人工知能、つまり人間の知的的行動の一部をプログラムで模倣した存在のことを言います。だから私は…。」

「人間じゃない。」

アイの言葉をユウが奪う。ユウは打ちのめされたような気分になりながらアイの手から自分の手を引き抜く。

「ずっと、ずっと嘘をついてたのかよ。人間みたいに振る舞って……俺と人間ごっこしてたのかよ…!」

「ユウくん…。」

アイが傷付いたような顔をしてユウに手を伸ばすが、迷ったその手は中途半端な位置で止まり、また元の位置に戻された。アイのそんな表情も作られたもので、本当の心ではないのだと思えば、全てがどうでも良くなってしまう。

「いや……人間ごっこしてたのは俺もか……。」

手で髪の毛を乱雑に掻き分けながら、ユウは涙を浮かべる。本当の人間は、同じ人間の胎から生まれる。そう考えると人工知能として生まれたアイも、培養液で育てられたユウ自身も、どちらも人間とは言えないだろう。

「そんなことないです!」

しかしアイはその言葉を力強く否定する。そして先ほどは迷ったその手をしっかりとユウの手に重ねる。

「私は……私は確かに人間ではありません。人間のような体を持って、人間のような振る舞いをしても、ユウくんのように何かを食べることも、寝ることも、涙を零すこともありません。でも、でもユウくんは……ユウくんは誰がなんと言おうともちゃんとした人間です!!」

「!」

「私はユウくんがここで生まれてからこれまで努力してきたことを知っています。こんな訳のわからないところで生まれて、周りには私以外誰もいなくて、美味しいご飯を食べれるわけでも、快適な遊び場があるわけでも、一生懸命努力しても褒めてあげれるのは私しかいなくて……そんな普通じゃない環境に置かれても、ユウくんは今日まで本当に頑張ってきました!そんなユウくんはちゃんとした人間なんです!」

ぎゅっと力の加減を忘れたかのようにユウの手をアイは握りしめる。ユウは握られる痛みなんて感じることなく、目の前で必死に訴えるアイを涙を流しながら見ていた。

「ユウくんは人間です。ちゃんと生きています。だってこんなにもあったかくて…」

アイは顔を上げてユウの顔に手を伸ばす。

「こんなにも優しい涙を流せるんですから。」

そしてユウの涙を拭い、笑顔を見せる。その笑顔はやっぱり泣きそうで、でも涙はこれっぽっちも見えなかった。

「………。」

ユウはもう何も言えなかった。ただ、後悔だけがユウの中で渦巻いていた。もっと早くにアイと向き合っていればよかった。そうしたらもっといろんなことを話して、共有して、思い出を作れたのだろうに。なんで自分は、反発するばかりで、アイの言うことを聞かずに今日まで過ごしてしまったのか。ユウは自分の愚かさを恨んだ。

「大丈夫です。絶対に私がユウくんのことを助けます。」

アイがユウの手をそっと引っ張り、前へと一歩踏み出させる。

「最初に約束したでしょう?私が絶対にユウくんをこの先に、未来に導きます。」

そうしてアイはユウの手を引っ張りながら歩き出した。ユウはされるがままに引っ張られていたが、やがて覚悟を決めたようにしっかりとアイの手を握り返した。

ユウは自分もアイと一緒にここを出るための努力をしようと決意した。いろんなことが後手にまわり、取り返しのつかないこともたくさんあるけれど、それはここから無事に出ることができればきっと全てうまくいくから。そう思うことで、自分のことを鼓舞した。

そしてアイに引っ張られるだけじゃなくて、自分の足でしっかりと歩き始めた。ユウの未来をアイに任せきりになるのではなく、ユウ自身の手で良い未来を掴むために。


第二プラネットはユウ達が過ごしていたプラネットに比べるとたしかに開発途中といった感じの場所だった。剥き出しの素材がそのままにされており、どこか冷たさを放っている。

「ここが、第二プラネット……。」

ユウは手を引かれながら周りを興味深そうに見渡す。周りに注意を散漫させるユウの手をしっかりと引きながらアイはどこかを目指して歩く。ユウは初めてここにきたが、もしかしたらアイはここに来たことがあるのかもしれない。それほどにアイの足取りは迷いがなかった。

「ここには、もう何もないと思ってました。」

アイがぼそりと呟く。ユウは思わず聞き返した。

「ここの開発が中止されると決まった時、私はここから人が立ち去っていくのを見ていました。」

遠い昔を思い出すように周りを見渡す。

「ユウくんが生まれるよりもずっと前。この計画が立ち上がった初期の頃は、私たちが過ごしていたプラネットにはもっと多くの人がいました。地球全体の未来を背負った大きな計画に、みんなが期待を寄せていたのです。ですが、何年経っても子供達が生まれることはなく、やがて人間達の希望は、ここから離れていくようになりました。そして、第二プラネットの開発が中止になる頃には誰もがこの計画の失敗を受け入れようとしていました。」

歩きながら語るアイの言葉を一字一句聞き逃さないように気をつけながら、アイの後ろをついて歩く。

「ですが、私がその時駄々を捏ねたんです。おかしな話ですけどね。AIのくせにあそこに生きる子供達の未来を案じたんです。そうしたら、マザーが人間達に可能性を示したんです。」

「マザーって…。」

「マザーは私達人工知能の祖となる存在です。マザーを母体に私たちは生まれるんです。だからみんなからマザーと呼ばれています。」

そこでアイは足を止めた。一つの大きな扉がそこにはあった。アイはユウの手を離し、扉にそっと触れた。

「この先に、補給船と呼ばれる、地球とこのプラネットを行き来する際に使われていた船があるはずです。」

アイは振り返りユウの目をじっと見つめる。ユウもそんなアイの目をじっと見つめ返す。

「ユウくんは先にこの向こうにある補給船に乗ってください。私は補給船がしっかりと動くように準備をします。」

「俺も手伝ったほうがいいだろ。」

「いえ。私一人でこれは行います。ユウくんにはちょっと荷が重いと思うので。」

そう言ってアイはユウを扉の向こうに押しやる。ユウはそのことを不満に思いながらもアイに押されるままになる。

「わかった。……なるべくはやくしろよ。」

「はい。また後で会いましょう。」

そう言って二人は別れた。ユウは扉が閉まりきるまでアイの方を見ていた。アイはユウが扉の向こうに行ったことを確認するとすぐに踵を返して何処かへと向かっていった。

ユウはアイの姿が見えなくなって初めて前を向いた。そこにはこじんまりとした補給船が佇んでいた。ユウはこの鉄の塊がどうやって宇宙を飛ぶのかいまいち想像できなかったが、アイが宇宙を飛ぶと言うならきっと宇宙を飛ぶんだろうと思った。

ユウは船の周りを一周回って入り口を探した。入り口は船の真下にあった。バルブを回し入り口を開けると中に這い上がる。船の中はとても小さくて、この船で一体何を運んでいたのか不思議なくらいだった。

ユウは船の中を興味深そうに眺めながら、アイが戻ってくるのを待った。しばらくすると音を立てながら外で何かが動くのを感じた。船の中からは外を見ることができず何が起きてるのかはわからなかった。

すると開けておいた入り口からアイが顔を出した。

「ようやく来た。」

ユウがアイを引き上げるために手を差し出す。しかしアイはユウの手を取ることはなかった。そしてアイは思いもよらないことを口にした。

「ユウくん。私とはここでお別れです。」

「……は?」

時間が止まったような気がした。

「時間があまりないので手短に。…ユウくんがあの日生まれてきてくれて本当に、本当に嬉しかったんです。ユウくんにはちゃんと人の生活を送ってもらいたくて、私はユウくんに自分のことを話すことができませんでした。」

「何言ってんだよ。そんな話は後でもいいだろ。……なぁ、いいからこっちにこいよ。」

「いいえ。…ごめんなさい。私はユウくんとは一緒に行けません。」

ユウが伸ばす手をアイは頑なに受け入れない。こんな時になんでこんなことを言うのかユウには理解ができなかった。一緒にここを出て、新しくやり直す流れじゃなかったのかと声に出ない訴えが喉の奥で止まる。

「ここにはユウくんを除く九百九十九人の子供達がいます。このプラネットが活動を停止しても彼らを置いていくことはできません。」

「そんな……ずっと目覚めないやつのことなんて気にすんなよ!!」

「…それはできません。」

「なんで!なんで、目覚めてる俺より目覚めないあいつらの方がいいって言うのかよ!」

「ユウくん。」

アイが身を乗り出してユウの顔に手を触れる。そしてそっと引き寄せ額と額を繋ぎ合わせる。ひんやりとしたアイの温もりが額越しに伝わってくる。

「君なら大丈夫です。ずっと君を見てきた私が保証します。だから、この先には君一人で行ってください。」

大事そうに話すアイに強い意志を感じる。本当にここでアイとお別れなのだと感じてじわじわと涙が目尻に溜まる。

「俺を、導いてくれるんじゃなかったのかよ。」

「最後まで約束守れなくてごめんなさい。」

「俺よりあいつらの方がいいのかよ。」

「そんなことありません。私はユウくんが一番、大好きです。」

「俺一人じゃ、この先生きていけない。お前がいなきゃ、俺は……俺は…!」

「ユウくんは今日までずっと頑張ってきたじゃないですか。ユウくんは努力の天才です。私なんていなくても、きっと大丈夫です。」

「俺は。」

「はい。」

「お前と……アイと、いきたいよ。」

はらはらと涙を流すユウの顔を驚いたようにアイは見る。そしてふにゃりと笑ってみせた。

「初めて、名前を呼んでくれましたね。」

嬉しそうに笑っているのに、その笑顔には涙が流れているように見えた。ユウはとめどなく流れる涙を止めることもできず、アイの綺麗な笑顔をただじっと見つめることしかできなかった。

「もう、時間がありません。最後に。よく勉強して、運動もして、きちんと食べて、よく眠って、たくさんの出会いに触れて、たくさんのお別れに立ち会って…いろんな経験をして長生きしてくださいね。」

そう言うとアイはすっとユウから離れる。ユウは離れていく温もりを咄嗟に引き留めるように手を伸ばすが、その手が届くことはなかった。アイは入り口から身を下ろす。本当のお別れがもうすぐそこまで来ている。

「……アイ!!」

ユウは何かに突き動かされるように衝動的に入り口から下を見る。そこにはアイが驚いた顔でユウの方を見ていた。そしていつもの優しい笑顔を見せて手を振ってみせた。

「さようなら。ユウくん。」

アイはユウの目の前で扉を閉めた。

「アイ!!」

ユウは閉じられた扉に思いっきり拳を叩きつける。その手がアイに届くことはない。ユウはうずくまり、ぎゅっと目をつむり優しい涙を流す。

気がつくのが遅かった。アイとあんなに長いこと一緒に過ごしたのに、自分のちっぽけな自尊心が邪魔をしてアイと向き合うことができなかった。アイはいつでもそばにいて、優しく、暖かくユウのことを守っていてくれたのに、ユウはそれを素直に受け取れなかった。

くそ、と滲むような声で自分自身のこれまでを恨む。失ってからではもう遅いのだと、今になってようやく気がつく。次なんてものは、ないのだと思い知らされる。

ユウが懺悔するようにこれまでのことを悔やみ涙を流していると、船が大きく揺れた。突然のことに受身を取れず、頭をぶつけた。痛みがじわじわと広がるがそれ以上に、もうアイに会えないことが堪えて涙を流す。

「ごめん……ごめんなさい。」

ぼろぼろと流れる涙を両手で隠しながら、誰にも届かない謝罪を口にし続ける。

その間も機体は揺れ、船が動き出していることを感じさせた。このまま進めばもう二度とアイには会えない。アイはユウではなくいまものうのうと眠るあいつらを選んだのだ。それがアイの選択だとしても、ユウは自分の方を選んで欲しかったと、どうしても思ってしまう。

そんな自分勝手に思ってしまう心が嫌だった。

「ユウくん。」

声が聞こえた気がした。

はっとして体を起こす。そして船の中を見渡し、船の先端にある小窓から外を見る。そこではアイが手を振ってユウの方を見ていた。

「アイ………アイ……!」

ユウはしがみつくように窓からアイを見続けた。その間も船はゆっくりと離陸準備を進めていく。アイの姿が徐々に小さくなっていく。アイはずっと手を振っていてくれた。ユウは届かないと分かっていても何度も何度もアイの名前を呼んだ。

そして船が完全に陸を離れ宇宙に飛んだ。

もうアイの姿を見ることはできない。

もう二度と、アイと生きることはできない。

それでもユウは生きていかなければならない。彼女のいない、クソみたいな世界で。

「そんなの……そんなの認められない……。絶対に、絶対にもう一度………!」

その場に項垂れながら力強く目の前を睨む。簡単に諦められるわけがなかった。アイがユウの手を引いて導いてくれたように、今度はユウがアイの手を引いてあげる番だと思った。

「待ってろよ。絶対に、お前のことを救ってみせる。」

頬を伝う涙を乱暴に拭う。そして前を向く。目の前には青い色をした惑星が輝いている。その惑星を親の仇を見るかのような目で睨みつける。


小さな少年が、大人になった瞬間であった。

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宇宙の彼方 豆茶漬け* @nizu

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