東京大空襲<承> 4
僕はボンヤリと現状の説明を考えたが、自分の身に起きた事態をまったく理解できなかった。
途方に暮れてそれでも横になったまま辺りを見回した。
どうやら僕が寝ころんでいた場所は、さほど広くない川のほとりで浅い谷となった場所のようだった。
もし僕が気絶したのであれば、それが出口の際だったとしても、まだ横穴の中に居たはずだと少し頭が混乱した。
おかしいなと思いながら視線をずらしていくと、雑木林にあったのとそっくりな煉瓦で出来た構造物があった。
川は小川より幅があって水量も多かったが、草地の中を流れていた。
石ころのある河原はなかった。
岸辺の一方は平地で反対側は川岸から少し傾斜のある高地になっていて森が広がっていた。
僕が倒れていたのは森のある方で、森に続く斜面に煉瓦の出口?があった。
少なくとも帰り道の見当はついたので、まあ良いかと気絶前後の経緯について深く考えるのはやめた。
横穴の内部で気絶したはずなのに、河岸の草地に横たわっていた不思議はひとまず保留にする。
取り敢えずは常識外れで面妖な状況にパニクらなかった自分を誉めてやるため、軽くガッツポーズを取ってみたのだった。
煉瓦の造作から数メートル離れた場所には、森から降りてくる小道が付いていた。
僕の顔を舐めていた犬がしきりに吠えているので、犬の目線を追ってそのことを知った。
僕は小道が入り込む森の木々が朝の光に照らされて、薄い緑色に輝くその美しさに心を奪われた。
夏だと言うのに森の緑は新緑のように色が浅くて、見慣れない木しか目に入らなかった。
そうして僕は寝ころんだまま周辺の観察を続けた。
自分に起きた事態に狼狽もせず恐怖心に捕らわれることは無かった。
それは気絶から目覚めてから続く、何やらボンヤリした意識のおかげだったような気もする。
周囲にゆっくり視線を廻らせて観察を続け、それが何巡目かした頃合いだったか。
森のほの暗い小道から透明な朝影の中に少女の様な何かが現れた。
少女の様な何かが、にわかに少女であると断定できなかったことには訳がある。
なぜならそこに出現した少女の様な何かは、僕の日頃見知った少女達とはまるで異質の存在だったからだ。
あろうことか僕の直感は、その少女の様な何かを妖精であると告げた。
家の本棚にあったシシリー・メアリー・バーカーの画集に、その少女の様な何かにそっくりな花の妖精が載っていたせいだろう。
もちろんその頃の僕には、洋書の表題や説明など分かりはしなかった。
妖精の載った画集は僕に取り、時折本棚から引っ張り出してきて眺めるちょっと高級な絵本程度の認識だった。
後年、作者の名前を知ったが画集は今でも僕の手元にある。
バーカーの妖精達はチョコレートのオマケカードに姿を変え日本中に出回った。
ある年齢以上の者ならそのカードを、一度は目にしたことがあるだろう。
少女の様な何かは妖精そっくりな生き物だったが、背丈が僕とあまり変わらないように思えた。
『深く考えるまでも無く現実にそんなものが存在する訳がないのだよ自分』
ぼんやりとした意識ながら子供でも普通に持っている常識が常世の理を告げた。
であるならその少女の様な何かは妖精などでは無い。
まんま、少女そのものであると結論付けるしかないことは明らかだった。
僕はコナン・ドイルみたいなロマンチストではなかったからね。
妖精の実在を信じたりはしない。
少女は長い金髪をピンクのリボンで後ろでまとめ、不思議の国のアリスみたいなワンピースとエプロンを身に付けていた。
ワンピースの色は薄い桃色でエプロンはミルクの様に白かった。
本当はまったく違う服装だったのかもしれない。
髪や肌の色調や容貌の形態から察するに、その少女は多分外人と思われた。
外人の女子が着そうな服には全く無知だったので、僕の脳が分かり易く補正して記憶した可能性も大だ。
少女の様な何かは短時間の内に、妖精から少女に変わりやがて外人の女子になった。
まるで出世魚みたいな変遷だった。
僕的には満足いく説明が付いたのでようやく一安心だった。
けれども、その外人の少女にとってはそうでは無かったらしい。
外人の少女は森の出口で僕に気が付くと棒立ちになった。
声こそ上げなかったが悲鳴の形で唇を固定し大きな目を更に大きく見開いた。
目の色はやっぱり青かった。
犬の吠え声に誘われて森の小道を駆け抜けると、寝ころんだ日本の少年といきなり出くわした。
そうして誰何の間も無く視線が合ったのだ。 妖精みたいな外人の少女だって普通に驚くだろう。
寝ころんだままの僕だって驚いたのだ。
僕たちの視線は絡み合ったままで暫しの時が過ぎる。
せせらぎの音と遠くから聞こえる鳥の囀りが優しげに聴覚を試してくる。
澄んだ風が梢を揺らし真空の様に光が白い。
微かな花の香りが嗅覚に尋ね、青い空とお日様が視覚に問い掛ける。
また犬が吠えた。
外人の少女がハッと我に返り「#$%&+*!スケベ!」と叫んだ。
多分犬の名前はスケベと言うのだろう。
いくら外人が飼っているとは言え、変な名前の犬だと思った。
スケベと言う妙な名前の犬はこちらをチラ見して、外人の少女に向かって走り去った。
外人の少女は犬が駈け寄って来るのをろくに確かめもせず、文字通り踵を返して森の奥に消えた。
僕はちょっと、いや、かなり残念だった。
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