東京大空襲<起> 4

 心行くまでパンとサーカスを楽しんだ僕ら愚かな民草は、その代償を支払わなければならない。

好むと好まざるに関わらず、国家の要請があれば兵士として戦場に駆り出される。

そんな面倒を受け入れなければならないだろう。

僕ら愚かな民草の中から十把一絡げに掴み出された兵士にとって、『お国はどちら?』と問われて答える“おくに”とは何処を指すだろう。

生まれて育った故郷の市町村ならばしっくりくる。

しっくり具合をせいぜい大きく見積もっても“おくに”に相当するのは、日本で都道府県アメリカで州と言ったところが限界だろうか。

 以下は平和な時代を生きるふやけた僕個人の想像である。

“おくに”の懐かしい家族に恋人や友人、遊び学んだ山谷や街並みを思う時、兵士はそれらを守ることに命を賭ける。

それらを守ることに納得できればあるいは、結果として目の前に死が迫ったとしてもだ。

何となく引き合うような気がしてしまうのではないだろうか。

 そんな観点から、つらつら民草を構成する個人と国家の関係性に思い致してみれば、国破れて山河在りとは正に至言だ。

国家などと言う後付の共同幻想が消滅しようが新たなる幻が立ち上がろうが“おくに”の本質たる風土は営々と未来へ続いて行くだろう。

そうであるならば、僕等の心も体もその一部であると確信できる“おくに”のことならば守るに値すると信じられる。

“おくに”のことなら大切であると実感できる。

だがその実得体の知れない、国家というパンとサーカスの勧進元についてはどうだろう。

パンとサーカスの勧進元としか認識できないシステムを、命を懸けて守ろうとする個人など本当にいるものなのか。

『身棄つるほどの祖国はありや』という一節を頼りに休日の雑踏の中。

青臭い若輩者は道行く人を捕まえて丁寧に聞いて回りたい気すらしたのだった。

 

 だからなのだろう。

一機のB29に乗り込んでいた十人近くのアメリカの兵士も、地上で炎で焼かれた人々とはまた違った意味での犠牲者だったかもしれない。

僕はそう思ってしまったのだ。

 当時、飛行機に乗り込む兵士は、まずはエリートといえた。

あの夜東京に襲い掛かった重爆撃機ボーイングB29には、少なくとも四人の士官が乗り込んでいた。

彼らは全員が志願兵で、一握りの士官学校出である本職を除けば、大学を卒業したばかりか未だ学窓にある者が多かった。

銃器を扱ったり機関や無線を担当するのは下士官だったが、中には十代の者すらいた。

彼らは文字通り全米からより抜かれた知力、体力、運動能力共に優れた若者だった。

何れはアメリカの社会で枢要を占めていこうかという人材でもあった。

 戦略爆撃は、第二次世界大戦で作戦としての有用性が広く認識され、各国それぞれのやり方で手を染めた戦い方だった。

それは、アメリカにとってその国力の強大さを遺憾なく発揮できる分野だった。

五年にわたるヨーロッパの戦いで、アメリカはそのごく初期からイギリスに本拠地をおき陸軍航空隊の爆撃機を投入した。

アメリカを中心とする連合軍は、ドイツの工業地帯や軍の施設に対する攻撃を行い、やがては都市に対する無差別爆撃にまで手を広げていった。

多いときには一回の作戦で千機を越える大型の重爆撃機がドーバー海峡を越えてドイツに向かったのである。

 アメリカの航空兵にとって不幸なことにナチスドイツは日本とは違った。

ナチスドイツは自国や占領地域に対する敵の蹂躙を黙って見過ごすほど寛容ではなかったのだ。

ドイツ空軍による航空迎撃戦は苛烈を極めた。

結果として航空兵にとっての作戦飛行は、地獄への道行きとさほど変わりが無くなった。

それでもアメリカは、あっぱれ民主主義の国だった。

納税者の子弟を戦場に送り込む以上は、十分な働きを見せれば戦死する前に国へ帰還させる。

そうした制度を一応は定めていたのだ。

 特攻などと言う用兵の外道を採用して恬として恥じなかったどこぞの国と比べればどうだろう。

一見すると大違いの様に思える軍のスタンスだった。

ところが、兵士にとって救いがあるように思える本国への帰還制度には、大きな落とし穴があった。

帰還が認められる十分な働きとは、防備の固い敵地に対する二十五回の出撃任務を意味したのだ(戦争後期では三十五回)。

即ち、二十五回出撃して生き残っていれば、英雄として晴れて帰国することができると言う触れ込みだった。

 現実は厳しかった。

結論から言えば戦争初期においては、どの爆撃機も25回もの出撃を全うする事などできなかったのである。

例えばイギリスに基地を置いていた第8航空軍の第457爆撃群は、14ヶ月間で実に全搭乗員が3回入れ替わる損害を出している。

一爆撃群には32機の爆撃機が所属していた。

1機に十名の搭乗員とすると単純計算で一年あまりで1000人近い若者が失われた計算になる。

そこにあったのは、必ず帰って来いと肩を叩かれ声がけされるものの、事実上はカミカゼアタックとさして変わらぬ兵士の命の軽さだった。

こうして爆撃機の主力をなしたB17とB24だけでも、ヨーロッパ戦線では8000機あまりが犠牲となった。

それぞれの爆撃に搭乗する兵士の多くが二度と再び故郷へ帰ることはなかった。

 爆撃機に乗る若者たちは年相応に、まだ瑞々しい感受性を持っていたことだろう。

志願とはいえ国を遠く離れ消耗品の様に使い倒された若者たちだった。

そうした若者たちが,、せっせと焼き尽くした眼下の都市と人々に、どういう感慨を持っていたのか。

今自分が焼き払っている命と同様、一瞬先をもしれぬ己の生にシニカルな無頓着さを装っていたのか。

あるいは故郷の家族や恋人を思いながら、自分の手を血で染めることで彼らを守る。

そうした暗い情熱を瞳に燃やしていたのか。

 バリーリンドンではないが、美しく生きた者も醜く生きた者も、遠く時の彼方に消え去り、今となっては誰にもそれを知るすべはない。

しかしそうして次代のアメリカ合衆国を担うはずだった優秀な若者の多くが炎の中に散った。

生き残った者も二度と屈託のない笑顔で明日を語らなかっただろうことは容易に想像できる。

 ヨーロッパに比べれば楽な任務とはいえ、この日のB29に乗り込んでいた若者たちはそういう人間たちだった。

彼ら自身自らの命を決して楽観してはいなかったろう。

できることなら大学でレポートに苦しみ、週末のデートで息抜きをしたかったろう。

かなうことならヤンキーズスタヂアムでホットドッグを頬張り、ファインプレーに歓声を上げながら仕事の憂さを晴らしたかったろう。

国を遠く離れ、敵国人とはいえ女子供を殺してまわることに喜びを覚える人間など、サイコパスでもない限りまずは居なかったはずだ。

南京や重慶の爆撃に参加した我々の父や祖父がそうであったように。

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