東京大空襲<起> 3

 「確かにドラム缶ならビックの薬浴も簡単に出来そうですね」

「だろ。

病院にはシャワーしか無いからな。

そのベビーバスじゃお尻しか入らんよ」

ともさんはスキッパーがベビーバスに浸かり込んでいる様子に目を細めて顎をしゃくった。

「けれどそう深いとビックの出し入れが大変そうですね」

僕は腕組みをしながらしげしげと立派なドラム缶を眺めたものだが、ともさんは怪訝そうな顔をして口を開いた。

「パイよ。

何を他人事の様に。

主役は君だよ?

薬浴は大切な治療手技の一つだからね。

手取り足取り教えて進ぜよう」

ともさんは破顔一笑、つるりと顔をなでて汗を拭った。

「ところでパイよ。

ドラム缶風呂を見ていきなりラバウル航空隊とはレトロな連想だったね。

パイはミリタリーなおたく野郎だったっけ?」

とも大先生がのたもうた。

『それはこっちの台詞だよ。

戦闘帽被ってこの寒空にドラム缶風呂に浸かってるだなんてさ。

ともさんこそシチュエーション萌えこじらせたミリオタだと思っちまったぜ』

心の声そのままで反論したかったがそこは僕も大人、ぐっとこらえた。

「違いますよ。

ほら岩田さんのおばあちゃん」

僕は生温かな現場感覚で、ちょっぴり上から目線のまま話題を逸らした。

「以前にゃんたに酷い目に遭わされた三毛猫を連れてくるおばあちゃんだよな。

あの猫、名前はそめだっけ?

そめを抱いている佇まいはお上品な深窓のご老嬢って言う印象だけど、その岩田さんのおばあちゃんがどうしたって」

「この間またそめが怪我しちゃって。

ちょうどともさん獣医師会だか何だかの集まりで留守の時ですよ。

例によって暇だったもんで、治療が終わった後、おばあちゃんと話し込んじゃったんですよ」

「それとラバウル航空隊がどう絡んでくるんだい?」

「もうすぐ3月10日でしょ」

「ああ?東京大空襲?」

「そう、東京大空襲」

僕もともさんも東京の生まれで、ともさんは子供の頃深川に住んでいたこともあった。

僕は両親が東京もんだったので、折に触れてよく戦争の頃の話を聞かされた。

とは言っても両親ともにまだ子供に毛が生えた程度の年齢だった。

そのせいもあったろう。

戦中の話と言えば怖かったりひもじかったりの体験談ばかりだった。

先の戦争と言えば、僕の中の知識とイメージは聞かされた話より、本や写真集から得たものの方がよりリアルで鮮明だった。

「猫の話をしていたら、なぜか戦争中の勤労動員やら空襲の話になって」

「それで?」

「それでですね・・・」

 あの日、岩田さんのおばあちゃんの話しを聞いていた時もそうだった。

何がスキッパーの興味を引くのか、何やら居住まいを正してこちらに鼻先を向ける姿が目に入った。


 1945年3月10日午前0時8分。

その時刻を持って、カーティス・E・ルメイ准将率いるアメリカ陸軍航空隊第21爆撃集団による、東京の下町を中心とした地域に対する焼夷弾攻撃が始まった。

334機のボーイングB29爆撃機は防御のための機銃や搭乗員の数まで減らして攻撃に臨んだ。

一機あたり約六トンの焼夷弾を搭載し、墨田・江東地区の人口密集地域へ、無差別爆撃を敢行したのだった。

低空から進入したB29は隅田川を挟んだ、本所、深川、浅草、日本橋の一帯を、まるで野焼きのように計画的かつ効率的に焼き払っていった。

爆撃は深夜の午前2時半まで続き火勢は朝まで衰えることはなかった。

 この、人の手の作り出した火と炎の狂宴が、草原を焼き払う野焼きとは決定的に異なる点。

それは、圧倒的な光と熱の中に消えてゆく一切合切。

燃え上がる一切合切が、今日を生き明日に夢を見る、善や悪や老いや若さ、強さ弱さ高貴卑賤、それらのすべてを併せ持った普通の人々とその平凡な暮らしであることだった。

ゲルニカ然り、南京然り、ドレスデン然り、スターリングラード然り、ロンドン然り・・・・・・。

それは世界のあちらとこちらの自称選良が、卑しい夢想に酔い痴れる度に繰り返される愚行だった。

そうして、いつだって酷い目に遭うのは民草と相場が決まっていた。

このことに洋の東西で違いなどありはしない。

 情けないことに僕ら愚かな民草は、その場のノリや情実で指導者を選んでしまう。

自分たちが納めた税金の使い道にも無頓着だ。

加えて僕ら愚かな民草は、国家が宛う補助金やら手当と称するある種の賄賂を、大喜びで受け取る厚顔で無恥な性質を兼ね備えていることも自覚している。

思えば古代ローマの昔から、僕ら愚かな民草はパンとサーカスってやつが大好きなのだ。

だから僕ら愚かな民草は、国家や社会がしでかした作為無作為の活動の結果、世界の何処かで誰かが飢えたり殺されたりしても何の感慨も抱かないし興味も無い。

そのことの意味を知ろうともせず、パンとサーカスが供給される限りは、誠実かつ生真面目に内向きで狭く薄い日常を生きていく。

 地球上の何処であっても僕ら愚かな民草は、自分の二の腕が及ばぬ範囲や、見ようとしなければ見えないほどの遠く彼方には無関心だ。

同時に僕ら愚かな民草は人類共通の特性として、個人で把握できる他者の数はせいぜい五百人程度が限界だ。

要するに僕ら愚かな民草は、氏族レベルの小さな世界認識で生きる様に進化してきた動物なのだった。

 あるいは僕ら愚かな民草は、屠場に牽かれる仲間を横目で見ながら残飯を貪る、ある日の豚なのかもしれない。

残飯を貪るある日の豚のように、快楽にくるまれた無関心に頸までどっぷりつかり、自分に及ぶ災厄にも気付かぬ振りをする。

そうした僕ら愚かな民草が等しく抱え込む正常性バイアスののほほんとした闇の帳は、ただひたすらに温く心地よい。

  

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