ジョディの災難 2
「ともさん、さっきの話って本当ですか。
犯人は左利きだって言うの」
ジョディ一家が帰ってしばらくしてのこと。
その日の診療の最後の業務。
診察室の掃除と床の消毒をしながら、僕はともさんに聞いてみた。
退屈凌ぎに僕の邪魔をしていたスキッパーも、興味深げにともさんを見上げた。
「さあ、どうだろうね。
あの娘さんが左利きなら、お父さんには正面から輪ゴムをはめてもらうつもりだったよ。
そうすれば、犯人は右利きってことできるからね。
あの場合犯人が右利きであっても左利きであってもおかしくないだろ?
実際のところどっちもありだ。
お父さんの答えによって如何様にでも、娘さんが犯人ではない。
そんな風に言いくるめるつもりだったのさ。
誰がやったにせよ。
あんなのは、考え無しかも知れないけれど悪意のない悪戯だよ。
縛縄を解けば、腫れなんて明日になりゃ引いてしまうしね。
大事にいたらなかったのだから犯人探しなんて無駄なことさ。
見てれば分かったろ。
少なくとも、娘さん。
あすかちゃんだっけ?
彼女が犯人じゃないことは確かだと思うよ。
そもそも俺がうっかり子供の悪戯なんて言ったのがまずかったんだよ。
犯人なんて表現を使ったのも穏やかじゃなかったな。
やらかしちまったよ」
ともさんは、俺が悪かったなと笑いながら頭を掻いた。
こういう仕事をしていると時として。
人間に連れてこられる動物よりも。
動物を連れてくる人間の方が、よほど病気っぽいことがあるのに気付く。
加えて動物と飼い主さんの関係も、ややこしいことが少なくない。
人間が動物を手なずけているのやら。
動物が人間を手なずけているのやら。
そこのところが、良く分からない関係性を目にすることも多々ある。
家族よりも何よりもひたすら動物が大事。
などというのはほんの序の口。
動物と自分を同一視しているのではないかと思われる人も、少なからず存在する。
幸い僕もともさんも出くわしたことは無いけれど、明らかに常軌を逸した人もいる。
『可愛そうな動物を一生懸命介護する健気なわたし』
なんて言う戯けた演出をして誰かに褒められたい。
ただそれだけの為に、わざわざ動物に怪我を負わせて病院に連れてくる。
この世には、そんな常軌を逸した人だっているのだ。
本当に油断がならない。
「そう言う困った人は、代理ミュンヒハウゼン症候群って病を患った病人なんだぜ」
ともさんが教えてくれた。
自分の子供や要介護者への虐待で極く稀にそんな事例が見つかるそうだ。
虐待の対象がペットに向くこともあると言うことらしい。
当事者が病に至るまでの闇黒な心の変遷を想像すると、なんだか遣り切れなくなる不幸な病気だ。
ジョディの場合は、有難いことに背景にそんな深刻な事情などは無かった。
後日、娘さんの友達の何気ない行為の結果と分かった。
その日、娘さんの家には数人の友達が遊びに来ていた。
その内の一人がブレスレッドに見立てたティッシュを、ジョディの手首に輪ゴムで止めた。
悪戯ですらなかったということだ。
だがそれがことの発端となった。
ひとしきり遊ぶうちティッシュだけが手首から落ちて、後には輪ゴムだけが残った。
輪ゴムは一日かけてじわじわと皮膚に食い込んで、やがて縛創が生じたのだった。
原因を作った友達もことの次第を知って泣き出してしまったと言う。
やはり悪気や悪意があってのことではなかったのは確かだった。
強圧的な父親と影が薄くておとなしそうな母親。
そして父親に反発を感じているらしい娘さん。
日本の何処にでもありそうな家族ではある。
ありふれた家族の内幕がペットを拡大鏡として、ちょっぴり垣間見えてしまう。
時としてそんなこともある。
もちろんジョディの飼い主一家の場合。
突然の愛犬の苦しみにご両親も娘さんも気が動転してしまった。
それで互いの心に配慮をしあう余裕がなかっただけだったのかもしれない。
普段は明るくて仲の良い家族なのだと信じたい。
しかし、獣医師は動物の診察中。
飼い主さんに対しても無意識で観察の目を向けている。
そうして心ならずも、隠された人間関係を透かし見てしまうことも多いのだ。
以前何度かビーグル犬を連れてきていたご夫婦がいた。
ともさんが犬の健康管理について質問をしている際のことだった。
答えを巡ってご夫婦がちょっとした諍いをした。
抑制された短かいやりとりだった。
だが二人の間で交わされたひんやりとした言葉の応酬に僕は震えた。
二人の言葉には、僕みたいな若造の甘やかな結婚観に水を差すのに十分な毒が含まれていたのだ。
何気無い口論にも思えた。
だが他愛のないと言う感じではなかった。
あの時どうしてその言葉を選んだのか。
後で笑って説明できそうにない突き放したような会釈の無さを両者に感じた。
ふたりのやりとりは、決して直接的な非難や罵りにはなってはいなかった。
ただそこには相手への気遣いや思い遣り。
そうした優しい感情だけが意図的に省かれた寂寥感が存在したのだ。
上手く説明できなくてもどかしい。
その時の二人のやりとりを文字で書き起こしてみたところでどうだろう。
いっそ事務的とでも言えそうな会話が記述できるだけで、何処に問題があるのか。
何度読み返してみたところで分かりはしないだろう。
けれどもその場には、ふたりの遣り取りに気圧された僕が居た。
例え男女の機微についての経験不足を問われようともこれだけは言いたい。。
目の前の夫婦が演じた役どころの主題は何あろう。
お互いの心に対する冷たい無関心だったろう。
夫婦を演じる男女の台詞のやり取りは寒々しく、これはもう名演だったと断言できる。
かぶり付きで一場を観ていた僕にトラウマを植え付けるほどの演技だったのだからね。
それだけは本当のことだ。
ドン引きするくらいに驚いたので、今でもありありと思い出せる診療風景だ。
つらつら考えてみるに、あの夫婦は以前から病院へはいつも一緒に来ていた。
それなのに、最近は犬についてこちらが質問しても。
それぞれの知っていることを、それぞれ別々にしか答えなかった。
そのことに思い至った。
飼い主が夫婦やカップルで来院した場合。
問診では、お互いが知っている情報をその場で多少なりとも擦り合わせて返答する。
答えをまとめ、ふたりの内のどちらか一方が主と成って返事をする。
その上で言葉が不十分であれば、もう一方が補足すると言うのが普通のパターンだ。
数か月ほど前にはご夫婦の様子に違和感を感じなかった。
と言うことは、この二人もしばらく前は病気の愛犬を前にして。
お互いを補完し合いながら気遣いのできる。
そこいらのごくありきたりな夫婦だったはずなのだ。
だが今日ここに至って。
二人はこちらの質問にバラバラに答えるか。
相手の答えに異議を唱えるだけの関係になっていた。
思うに。
最近生じた険悪な関係性から更に一歩進んで。
あるいは退いて。
お互いに対する怒りを表明する意欲すら失ったのだろう。
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