とも動物病院 2

 代診。

 この二文字の単語は、普通の世界に暮らす人々にとって聞き慣れない言葉だろう。

広辞林によれば“医師の家に常に居て、医師に代わって患者の診察をする者”とある。

これをアンブローズ・ビアス宜しく我々の業界流に言い換えるとこうなる。

“修行という名目の元。

きわめて安い給料で診療から雑用一般。

時には院長個人または家族の私用に至るまで。

一年三百六十五日身を粉にしてご奉仕する下女もしくは丁稚小僧"

少なくとも昭和の御代ではそうだった。

 建前上は、将来動物病院の開業を目指す新卒の獣医師が就く、修業時代の職分と言うことに成る。

学校では学べなかった、小動物の臨床についての細かい技術的なあれこれや。

動物病院の経営的そもそも。

そんなこんなを学ぶ研修者として、日々研鑽を積むのが代診というわけだ。

わけだが、有り体に言ってしまえばだ。

院長と代診の関係性は日本伝統の徒弟制と同義。

それ以上でもそれ以下でもなかった。

 僕の場合、学校を出て最初に勤めた病院は、代診先をどう選ぶべきか相談に行った教授に勧められた。

それこそ業界の西も東も分からぬままに決めた動物病院だった。

「忙しいがなんせ症例が多いからとても勉強になるぞ。

お前にはうってつけだな」

そう教授に言われてあまり考えずに選んだ職場だった。

実は教授と院長が裏で出来ていて、半ば売りとばされたのも同然だったことを後で知った。

事情通には有名な病院で、確かに症例が多くてもの凄く勉強にはなった。

ところがどっこい、体力的にも精神的にもきつい職場だった。

当時としては代診という分際には珍しく、そこそこ高いお給金も出た。

それでも労働基準法の番外地であるということでは、凡百の病院と変わるところはなかった。

そこは二十代半ばの、まだ青春したい盛りの坊ややお嬢ちゃんにとっての生地獄だった。

修道院が経営する蟹工船もかくやという勢いで、エバーグリーンが寂しく朽ち果てる場所であった。

 仕事初めの初日から三日間、下調べの間もなく難しい手術が続いた。

新人は訳の分からぬまま、文字通り下働きとして追い使われた。

ベッドに潜り込むのが日を跨いだ二時三時という毎日だった。

あまりに忙しくてろくに休む暇もないと、人間は余り物を考えなくなる。

そうした生活が一年も続くとあれだ。

「年末は十二月三十一日まで。

年始は一月一日からお仕事さ」

などと、へらへらしながら友達に言えるようになる。

それを異常ともおかしいとも思わなくなる。

今思えばブラックな日常ではあった。

けれども、過労死なんかしている暇がない位、本当に勉強にはなった。

かなり早い時期からソロで手術をやらせてもらえた。

脳みそが消化不良を起こすほどの症例を目にすることもできた。

 今思えば、駆け出しの獣医としては望むべくもない教えを受け、教育病院並の臨床経験も積ませてもらった。

だが、そうした獣医師としての知識と経験と引き替えに、僕の私生活は干ばつの続いた大地のように荒廃した。

ぺんぺん草はおろか名もない雑草に至るまで枯れ果てた。

「二兎を追う者は一兎をも得ず」

などとしたり顔の向きもあろう。

そんなことは重重承知している。

「どんな仕事だって修業は辛く苦しい」

「若い時の苦労は金で買ってでもしろ」

そんな御託も耳タコだ。

だがしかし、失われた青春は二度と戻らない。

半端な了見だと腐されようが。

ハンチクな奴腹と笑われようが。

時はバブルの最盛期だったのだよ?

煌びやかな街に踏み込むことさえなかった日々に悔いはある。

アッシーでもメッシーでも良い。

軽薄な馬鹿を演じてみたかった。

 閑話休題。

 そうした代診生活が三年あまりも続き、そうと知らぬ間にバブルは弾けた。

日々を上手に回転させることに倦み疲れていた。

臨床という名のはずみ車の運動エネルギーが、ゆるゆると尽きかけていた。

丁度そんなタイミングで「うち来い」そうともさんが言ってくれたのだった。

渡りに船だった。

 山手線のような日常から抜け出せるのならば、乗り換え先は中央線でも東海道線でも、常磐線だって良かったのだ。

人生では珍しいことだが、ある意味その時の選択は一択と言えた。

「行きます。

尽くします。

働きます」

僕はともさんの気がこの瞬間に変わりはしないかと。

にじり寄るようにしてその有難いお言葉に縋りついた。

ともさんは「助かるよ」と破顔一笑していた。

どうも僕自身でも気が付いていなかった内心を、易々と見透かされていたようにも思う。

 ともさんも開業前は代診をしていたわけだ。

元々が人情に厚い人だった。

だから僕の心や身体の状態が、まるで我が事のように分かっていたのかもしれない。

実際の所当時のとも動物病院は、代診を使うどころか院長自身の生活さえやっとという有様だった。

内情を知ったとき、僕は有難いやら申し訳ないやらで言葉を失った。

そんな状況だったのに手を差し伸べてくれたともさんに、僕は一生頭が上がらない。

 いつもにこにこしながらノンシャランと仕事をしているともさん。

ろくに使えない代診を、成り行きとは言え雇う羽目になってしまったあの時。

ともさんは、いったい何を思いどう考えていたのだろう。

 僕自身独立を果たしてからもう随分になる。

けれども、あの桜舞い散る夜。

ともさんがどうして僕を誘ってくれたのかを、未だに聞けない自分がいる。

 少なくとも僕の選択は正しかったし、振り続けたサイコロは良い出目が続いた。

だがともさんの選択は正しかっただろうか。

僕といたことで少しは良い賽の目が出たのだろうか。

 生意気で頭でっかちだった。

そんな僕を、ともさんはついぞ嫌な顔ひとつしないで、教え導いてくれた。

驚いたことに、とも動物病院では、滅私奉公を求められなかった。

僕の意識としては弟子という立場が一番しっくりくる境遇に身をおいた。

マスターとパダワンという関係だと言えば分かり易いかもしれない。

そう、“マスターとも”はお師匠として。

弟子に粉骨砕身を求めることなく、獣医師として生きていく術を授けてくれたのだった。


 とも動物病院での最初の日。

僕は夕焼けのきれいな武蔵山の丘陵をぼんやり眺めながら、病院前に置かれたベンチに腰を下ろしていた。

傍らでは、今に至る何十年にも渡る。

気の遠くなる程長い付き合いと成った相棒。

自称ジャックラッセルの総帥であるスキッパーが、新たな同僚と親睦を図る為だろうか。

分別臭い顔付をしながら鼻をヒクヒクさせていた。

 僕に取り、働くことと学ぶことが、脅迫者かストーカーのように背後からのし掛かる年月。

顔上げようにも地面しか見えない日々が終わっていた。

背に負っているぬらぬらと不定形な重荷を下ろし恐る恐る顔を上げた。

するとそこには、真夏の空にポッカリ浮かぶ雲に似る、眩しい明日が見えたのだ。

体の中で再び回り始めたはずみ車の勢いで、目の前が急に開けていく。

そんな弾む様な嬉しさが胸に溢れかえった、あの日のことは忘れない。

 ともさんの人柄や行動が引き起こす人間味あふれた物語を目撃し。

スキッパーの不思議を驚き怪しみ。

そして最後にはそれらを楽しみながら。

僕はとも動物病院の日常に、端役のひとりとして参加していくことになる。

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