とも動物病院 1
とも動物病院は、東京の西郊に位置する武蔵山市にあった。
武蔵山市はなだらかな丘陵の続く地勢を生かして発展した市だった。
丘陵地は東京近郊ながら多くの自然が残されたほぼ手付かずの土地だった。
そこに目を付けたのが大手の電鉄会社だった。
電鉄会社は右上がりの昭和経済の勢いに乗り、丘陵地のど真ん中を走る新線を建設した。
新線に沿った手付かずの丘陵地に大規模ニュータウンを開発する。
そこに自社の通勤電車を使う勤め人を住まわせようと言う壮大な目論見だった。
武蔵山は元々、区部へ農作物を供給する東京のヒンターラントという性格の強い土地柄だった。
高度成長時代が始まる頃の町村合併で、武蔵山は地域を広げ町となった。
しかし、市に昇格する人口には到底届かず悲願の郡部脱出は叶わなかった。
土地の有力者の運動もあったろう。
高度経済成長時代の強気もあったろう。
色々な要素が電鉄会社の思惑と化学反応をおこし、丘陵地に一つの都市が生まれたのだった。
武蔵山町はこうして武蔵山市に昇格した。
郊外都市としての機能が充実してくる。
するとニュータウン周辺の未開発の土地にも使い道が生まれた。
時代は重厚長大を良しとする工業社会と成っていた。
万事がイケイケどんどんの時代ではあった。
豊かさを目指す社会は一方で、公害と称される大気や水を汚染する宿痾も抱え込んだ。
この点で武蔵山市の開発を進めていた市長と市議会は賢明だった。
高度成長時代に郊外型の新興地帯が目を向けがちだった、工業団地の建設には手を付けなかった。
武蔵山市は工場のかわりに、幾つかの大学や研究施設の誘致を構想した。
そのことが功を奏し、最近では郊外型の文教地区として注目を集めるまでになっている。
武蔵山市の丘陵斜面に整然と広がる瀟洒な住宅街。
平地林に囲まれた学究施設群。
それらは人々の目に、学園研究都市と言う二十一世紀を予見させる風景として写ったろうか。
文字通りゼロから出発した戦後日本が、苦労して辿り着いた蓬莱の地。
そう表現しても、決して過言ではなかったろう。
ニュータウンには、広い敷地と手入れが行き届いた芝生が誇らしげな建て売り住宅が並ぶ。
そうした家々には、都心へ勤めに出るサラリーマンのお父さん達の夢と悲哀が詰まっていることだろう。
子供たちが学校から帰宅する午後には何処からともなくピアノの練習曲が聞こえてくる。
駐車場には磨き上げたられたマイカーが止められている。
日本の経済をけん引する自動車は、お母さんたちの買い物の足としても大活躍だ。
晴れた日にはバルコニーに布団が干され、家族の洗濯物が満艦飾の様に翻る。
専業主婦が当たり前だった時代。
お父さん達の肩の荷は重く、お母さん達の肩凝りは軽く見られていた。
「昼間ひっそりとしていて、布団や洗濯物があまり見られない街じゃ、動物病院ははやらないらしいよ」
往診に行く途中ハナミズキの樹列が美しい街路を車で走り抜ける時。
ともさんが自慢げに語っていた。
すかさず、それにしてはうちの病院の経営は苦し過ぎやしませんかと。
ツッコミを入れておいたけどね。
まあとにかく、そうした家計に余裕のありそうな多くの家の庭に目をやれば。
やはり小綺麗な犬小屋が設えてあるのがお約束だった。
門柱の上で首に鈴をつけた猫がのんびりひなたぼっこをしている。
それもまたありふれた光景だった。
もちろん、肩で風を切って歩く、目つきが悪い割に栄養状態が良さそうな野良猫もよく見かけた。
駅前のペット屋さんでは、ワシントン条約違反の小動物の二種類や三種類は容易に手に入りもした。
要するに、ともさんの言ではないが、武蔵山市は開業を目指す獣医師にとって求めて止まない。
良く肥えた畑が広がる豊穣の地だったのだ。
とも動物病院は、ともさんこと田山智獣医師を院長にいただく。
只今売り出し中である新進気鋭の動物病院だった。
パイこと僕、加納円(かのうまどか)がたった一人のスタッフ、いわゆる代診だった。
この時代。
昭和の動物病院には、動物看護士さんなどと言う気の利いたスペシャリストはいなかった。
それこそ診察の補助から掃除洗濯の果てまで。
将来の独立開業を目指す新卒獣医師が、院長先生のやりたがらない全ての業務をこなした。
丁稚奉公の小僧のように、文字通り身を粉にして働いた。
ともさんは僕とは研究室が違ったものの、同じ大学で学んだ先輩だった。
色々と可笑しいやら切ないやら。
それなりに感慨深いともさんとの最初の出会いについて今ここでは触れない。
しかしながらつらつら思うに。
世に棲む日々とは、一刻毎に出題される小問の選択肢に、迷い戸惑いながら駒を進める。
それはもう実物大の双六みたいなものだ。
節目節目では大問が出題されるので気を抜く暇もない。
選択しあるいは選択させられた解答が正しかったかどうか。
正答は努力や才能と同程度の重さで、偶然やたまたまに左右されるから厄介だ。
人はみな須(すべか)らく博打打みたいなものなのだ。
人生の辻々で選択を迫られては、エイヤットとばかりに神頼みのサイコロを振り続ける。
桜の美しいある春の宵のことだった。
ともさんから突然電話が掛かってきたのだ。
「突然思い立った」
電話口で陽気に笑うともさんに呼び出され、僕は深夜のファミレスに赴いた。
僕は当時他の病院でやや煮詰まった代診生活を送っていた。
鬱々と忙しい日々を消化するだけの代診生活だった。
その頃の僕には、明日への希望や展望が全く見えなくなっていた。
これも何かのご縁だったのだろう。
その夜ボロアパートの一室に僕が不在であったなら。
ともさんが暇を持て余し春の陽気に誘われるかのような気紛れを起こさなかったなら。
僕はとも動物病院の代診には成っていなかっただろう。
数年ぶりに再会したともさんは、学生時代と変わらなかった。
フーテンの寅さんテイストの容貌のままだった。
僕はうかつにも、ともさんのちょっと強引で難解な優しさ。
そのことをすっかり忘れていた。
『だからなんだよ』と自分に言い訳する暇も有らばこそだった。
ともさんへ挨拶を済ませるやいなや。
当時かなり弱っていた僕の心から、郷愁や哀愁に近い思い。
そんなこんなが堰を切ったように溢れ出した。
会う前はまったくそのつもりが無かった。
そうであるのにも関わらず。
僕としたことが不覚にも。
ともさんのごつごつした懐かし過ぎる優しさに、つい甘えてしまったのだ。
みっとも情けないことだった。
代診生活が煮詰まっていて辛くてたまらない。
惨めなこの気持ちが何処から来ているか分からない。
そんな締まらぬ愚痴を、我知らず垂れ流してしまう始末だった。
苦いばかりで香りもこくもない不味いファミレスコーヒーだった。
ともさんはそんな不味いコーヒーを啜りながら、らしくもなく静かに僕の話を聞いてくれた。
「上水のな、土手の桜が見事なんだよ。
パイよ。
ちょっと歩こう」
ひとしきり、僕は愚にもつかぬ繰り言を吐き出していた。
気が付けば僕は、自己嫌悪が炊き上げる瘴気に息を詰まらせ言葉を失っていた。
境南上水の土手沿いで束の間咲き誇った桜花は、もう盛りの一瞬を過ぎていた。
誰も見る者とて居ない初春の深夜。
桜は風も無いのにはらはらと、音もなく花びらを散らしていた。
水銀灯の冷たい光の中。
舞い落ちる無数の小さな青白い炎が見えた。
舞い落ちる炎は熱を放つことも無く、ただそこに振りしきるだけだった。
ゆっくりと歩いて夜桜見物をしながら、ともさんは取り留めの無い話をした。
レコードジャケットと中身のレコードがまず一致していない不思議のこと。
二日酔いの後、自分で自分に施す点滴の気持ちよさ。
墨東地区で過ごした高校時代の奇譚じみた思い出話し。
父親の転勤先で覚えた博多弁の、重心が低い勢いと似非な凄み。
等々。
話には相互にまるで関連性がない。
それなのに、どの話にもともさんらしい強烈な個性が、通奏低音のように流れていた。
こじゃれた短編小説の様に粒だったともさんの記憶が、それぞれのエピソードのぶれない軸になっていた。
上水が堰を作り、蜜のように重く纏わりつくぬばたまが、土手の一角を覆う場所があった。そこで、ともさんがカランと言葉を紡いだ。
「パイよ。うちに来い」
その刹那、僕の世界の色が変わった。
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