第7話 狼少女、ワイルドになる。

「ああっ! 危ない、後ろーっ!」


 聞こえてきた大きな声に、耳がピクピク動いた。


 後ろ?

 何のことか分からずに振り返ったけど、その瞬間言葉の意味を理解した。

 倒れていたはずのモシアン先輩がいつの間にか立ち上がっていて、模造剣を高々と上げていたのだ。


「死ねーっ!」


 血のように赤い目をギラつかせながら、剣が振り下ろされる。


 ……ん、赤い目? 

 先輩の目って確か、青だったような……って、それどころじゃない!

 咄嗟に両腕を上げて頭を守ったけど、途端に衝撃が走った。


「痛っ──っ!」


 腕に激痛が走り、たまらず地面に倒れ込む。

 コイツ、無防備な相手に躊躇いなく剣を振るいやがった。

 あの勢いで振り下ろされたんだ。模造剣とはいえ、頭に当たったら無事じゃすまなかっただろう。

 腕だって、ヒビくらい入っていても不思議じゃない……さっきまでのアタシだったら、な。


「はははっ、よくも卑怯な手を使ってくれたな……ん?」


 卑怯な手って、もしかして剣を投げたことか? 

 だけど、背後から不意打ちしてくる奴に言われたかねーよ。


 そしてコイツ、アタシに起きた変化に気づいたみたいだ。

 剣を止めたアタシの腕を見て、モシアン先輩は目を丸くしている。


 ついさっきまで、半袖の制服から伸びていた腕は、人間のそれと変わらない白い肌をしていた。

 だけど今は違う。

 その腕は今、狼のように黒い毛で覆われていた。


「ガルル……」


 荒く喉を鳴らして、睨み付ける。


 今のアタシは、さっきとは違う。半袖から伸びる腕が、スカートから出る足が黒々とした毛で覆われている。


 本当ならコレを使うつもりはなかったけど、やむを得ない。

 まさか『』をすることになるなんてな。


「おい、何だよあれ?」

「なんか、ワイルドになってないか」


 事態を見守っていたギャラリーからも、驚きの声が上がる。


 人間と人狼の見た目の違いは、頭に生えた耳と狼の尻尾の二つ。

 だけど危険を感じたり、狩りや戦いなどより強い力が必要な時に行うのが、この『変身』だ。


 手足が狼の毛で覆われて、その姿はより狼に近くなる。

 顔だって毛こそ生えていないものの、まるで日焼けしたみたいに一瞬で黒くなっていて、さっきまでと違うのは一目瞭然のはず。

 人間の中には、人狼は満月を見たら変身するって思ってる人もいるけど、それは違う。満月なんて見なくたって、アタシの意思一つで変身できるんだ。


 そして変わったのは、見た目だけじゃない。この姿になれば、力や瞬発力と言った身体能力が上がのだ。

 さっき模造剣による攻撃に耐えられたのも、変身のおかげ。腕を覆う黒い毛が盾となって、モシアン先輩の攻撃を受け止めたのだ。


 背後から不意打ちしてくるなんて、まともな奴のする事じゃねー。

 アタシは模造剣を押しのけて、モシアン先輩を睨みつける。


「先輩、負けて悔しいからって、これはないんじゃないか?」

「なっ⁉ この、誰が負けただ!」

「アンタだよ! いくらまともにやっても勝てないからって、こんな事して恥ずかしいって思わないのか! こんな事をしたって自分が弱い卑怯者だって、アピールするだけだっての!」

「――っ! このバケモノが!」


 しまった、失言だった!

 激高したモシアン先輩は再度剣を振り上げ、何度も叩きつけてきた。


 ──痛っ!


 ──やめっ!


 ──やめろ!


 いくら固い毛で覆われているとはいえ、ダメージが無いわけじゃない。ちゃんと痛いものは痛いんだ。

 だと言うのにこの先輩、まるで容赦がない。それに、やけに一撃が重いじゃないか。


 さっきまでとは比較にならないくらい、強力な攻撃。

 おいおい嘘だろ。いくらぶちキレてるとは言え、まるで別人じゃねーか。


 モシアン先輩は赤い目をギラギラさせながら、何かに取りつかれたみたいに攻撃を繰り返し、アタシはついに膝をついた。


「はははっ、死ねよ!」


 こ、このままじゃマズイ。

 慌ててゴロゴロと横に転がり逃れるも、当然先輩は追ってくる。


「おい、ヤバいって。モシアンの奴、本当にあの子を殺す気じゃないだろうな?」

「先生かガーディアンはまだかよ!」


 周りの慌てた声にも構わず、モシアン先輩の容赦ない攻撃は続く。


 ヤバい!

 いくら守りが固いとは言え、これ以上はマズイ。

 だけどその瞬間、アタシ達の間に一つの影が割って入ってきた。


「伏せろルゥ!」

「えっ?」


 そいつはアタシを守るように覆い被さると、その背中に先輩の剣が振り下ろされた。


「──がっ!」

 

 声にならない声が漏れる。

 本当なら私が食らうはずだった一撃を、ソイツは代わりに受けたんだ。


 そして庇ってくれたソイツの顔を見て、アタシは叫んだ。


「ハイネ!? お前、何やってるんだよ!」


 現れたのは、予想外の人物。

 だけどいつものポーカーフェイスはそこには無く、痛々しく顔を歪ませている。

 手加減なしに振るわれた剣を背中に受けたのだから、無理はない。


 バカ、なんでこんなことしてるんだよ。早くどけよ!

 だけどアタシが言うよりも先に、モシアンの野郎が叫んだ。


「邪魔をするなら、お前も死ねえ!」


 コイツ、相手が誰だろと関係なしか。ハイネごと、アタシをやるつもりだ。

 けど、狼の素早さをなめるな!


 瞬時に身を低くして、壁になってくれていたハイネの横から、モシアン先輩の足元へと回り込んだ。


「なっ!?」

「ガルルッ!」


 この動きは予期していなかったのか、モシアン先輩の動きが止まる。

 ハイネのおかげで、反撃のチャンスができたんだ。絶対に逃すもんか。

 


「今度は手加減なしだ。うりゃああああっ!」

 

 渾身の力を足に込めて――先輩の股を、思いっきり蹴り飛ばした!


「ヴアッ──っ!?!?」


 今度こそ、本当に勝負あった。股を蹴られたモシアン先輩の顔を見て、確信する。


 模造剣でぶっ叩かれたハイネも相当痛そうだったけど、モシアン先輩の悶絶ぶりはその比じゃない。

 なんつーか、痛みとか絶望とか、ありとあらゆる負の感情を詰め込んだみたいな、えらい顔になっていた。

 ヤベエ、夢に出てきそう。男ってこれやられるとメチャクチャ痛いって言うけど、想像以上だな。アタシ女だからわかんねーけど。


 かと思えば先輩、「あぁ……」って声にならない声を漏らしながら白目を向いて、ズシンと仰向けに倒れちゃった。

 えーと。とりあえず、勝ったのかな。


「……ルゥ、お前やることが無茶苦茶すぎるな」


 起き上がったハイネが、なんだか引いたような顔してる。

 けど、それよりお前平気なのか!


「背中、大丈夫か? 背骨、折れて無いよな?」

「これくらい平気だ。少し痛むけど、すぐ治る」

「ならいいけど。それよりお前、何であんなムチャしたんだよ!」

「それはこっちのセリフだ。剣術部がもめてるって聞いて来たのに、何でお前が暴れてるんだよ。それにその姿……」


 黒い毛で覆われたアタシを、まじまじと見る。

 そういやまだ、変身したままだったっけ。けど先輩もやっつけたことだし、もういいか。

 スッと体の力を抜くと、さっきまで腕や足を覆っていた毛は引っ込んで、顔の色も元へと戻った。


「今のは変身ってやつか? トワ先輩から聞いたことはあったけど、本当に狼みたいになるんだな」

「なんだ、知ってたのか。これやると疲れるから、あんまり使いたくねーんだけどな」

「そうか。ならどうしてその使いたくない変身をして騒いでいたのか、詳しく聞かせてもらおうか」

「そ、それは……」


 ジトっとした目で見られて、タジタジになる。

 ひょっとしてハイネ、怒ってる?


 そう言えば、前にもエミリィとケンカして止められたっけ。なのに今回またこれだもの、そりゃあ怒るわな。

 けどしょうがねーじゃん。モシアン先輩が稽古にかこつけて、下級生を痛ぶってたんだもの。


 だけど困っていると。


「あ、あのー」


 ふとオドオドした声が聞こえてくる。

 見るとさっき先輩にボコられていた男子が、側に来ていた。


「その人、モシアン先輩に酷い目に遭わされていた僕を、助けてくれたんです」

「そうなのか?」

「はい。だからその人が悪いわけじゃなくて……助けてくれて、ありがとう」


 ペコリと頭を下げられて、アタシは戸惑いながら、「お、おう」と返事をする。


 確かに助けはしたけど、それはアタシが勝手にやったこと。お礼を言われるなんて思ってなかったから、変な感じがするなあ。

 そうしていると今度は校舎の方から二人、男子生徒と女子生徒が、こっちに向かって駆けてきた。


「おーい、ハイネー!」

「どう、騒ぎは収まった?」


 ハイネの知り合い? するとハイネ、「ガーディアンの先輩達だ」と教えてくれた。


「この倒れているのが、暴れてたモシアンって奴だな。ハイネ、お前がやったのか?」

「いいえ、やったのは俺じゃなくて……」


 ハイネが再び、ジトッとした目で見てくる。

 あのさ。やむにやまれぬ事情があったってのは分かっただろう。だからそんな、怖い顔するなって。


「先輩達、ここはお願いしていいですか? 俺はトワ先輩に報告に行ってきます。ルゥ、お前も来い。念願のトワ先輩に会えるぞ」


 え、アタシも行くの?

 けど、仕方がなかったとは言えこんな騒ぎを起こしたんだ。叱られないかなあ?


「安心しろ。お前が悪いわけじゃないってのは、さっきので分かった。ちゃんと説明すれば、先輩もそこまで怒りはしないだろうさ」

「ちょっとは怒られるかもしれないんだな」

「それは仕方がないだろう。それと……」


 ハイネは言葉を止めて、延びているモシアン先輩を見る。


「あの先輩、何か変わった事はなかったか?」

「変わったこと? そりゃあ、後輩をタコ殴りにするのは変わってると思うけど」

「そうじゃなくて、もっと明確におかしな事。例えば……目の色が変わるとか」


 目のいろ? やけに具体的な例えを出すなあ。

 そしてそれには、心当たり有り有り。

 モシアン先輩の目の色が、あの時赤く変わっていたもん。


 そのことを告げると、ハイネは静かに「そうか」と呟く。

 でもアタシはそれよりも、これからトワに何て言われるかの方が心配だった。


 そりゃあ、もっとトワに会いたいとは思っていたけどさ。

 さすがにこんな会い方は、望んでなかったよ!


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