第5話 密談、からの釣り

天文二十四年(一五五五年)三月 若狭国 熊川城


 俺は伝左が乗っている馬に乗せられて沼田上野之助の領地である熊川の屋敷へと向かっていた。

 熊川は小浜の湊からから南東に下った所にある。今日、熊川に来たのは上野之助にお願いがあるからだ。


 きちんと手土産も持ってきているし、機嫌は取れる筈。俺は抱えている籠の中の物を確かめる。

 熊川の辺りは自然が広がっていて空気が美味しい。と同時に人が居なさ過ぎて不安にもなる。そんな不安を紛らわせるために伝左衛門に話しかけた。


「良いところだな、伝左」

「左様にございますなぁ。いやあ、空気が美味しい」


 しかし、そんな俺の思いとは裏腹に段々と人が居なくなっていく。小浜から道が狭く細くなっていくのだ。琵琶湖へと通じる要衝だと思うので、開発しても良さそうなのだが。後々、ここに宿場町を築くのは検討である。


 ただ、この時代に琵琶湖は無い。近淡海と呼ばれているようだ。そして浜名湖が対となる遠淡海と呼ばれているそうだ。ま、今は関係無いが勉強になった。覚えておこう。


 熊川に到着すると上野之助が今や遅しと俺達を出迎えてくれた。そこまで歓迎されるとこそばゆく感じる。

 そして驚愕する。これは、屋敷と呼んで良い代物なのだろうか。何と言うか、大きなあばら家と言った方が正しいかもしれない。


 どうやら、沼田家は貧窮しているようだ。だから上野之助の顔色も悪いのだろうか。貧乏暇無し。

 碌に食べずに働いてばかりいると見た。そう思うと心が痛む。


「ようこそお越し下さいました。当主の上野介光兼にございまする」


 上野之助の横に五十手前の男性が立っている。彼がどうやら熊川の国人であり、上野之助の父である沼田光兼のようだ。その光兼の口が止まらない。


「しかし、遊んでばかりの上野之助が若様に仕えていたとは。書ばかり読み耽って全く働かない放蕩息子だと思っていましたが――」


 しかし、これは困ったぞ。俺は上野之助と内密な話がしたい。どうにかして上野介光兼を引き離したいところではあるが、向こうも向こうで俺に良い顔をしたいらしい。


「父上、若様と川辺まで遊びに出て参りまする。留守をよろしくお願い申す」

「ん?」


 どうやら俺が思案していたことに気が付いてくれたらしい上野之助。俺はこれ幸いとばかりに上野之助の口車に乗ることにした。


「そ、そうだったな。熊川にはその名の通り良い川があるとか。早速案内いただきたい」


 そう言って熊川城を後にする。俺と伝左、上野之助の三人で森の中を歩いて散策しながら話をする。

 今回話したいことは二つ。銭を稼いでもらいたい。そしてその銭で兵を育てて欲しいの二点である。


「少し難しい話をするが良いか?」

「勿論でございます。陰陽道・易学・天文学には通じております故」


 そう言ってにこやかに笑う上野之助。しかし顔色は悪いので印象は良くない。だが、不思議と悪い気はしなかった。この男、どうやら知識欲が強いようだ。意識せずに励んでしまうのだろう。だから顔色が悪いのだ。

 そう思うと嫌悪感は消え失せてしまったのだ。


「うむ、上野之助にお願いしたいのはこいつの栽培だ」


 そう言って大事に抱えていた籠を上野之助に手渡す。上野之助はその籠の中を覗いて腰を抜かした。

 籠の中には大量の生椎茸が入っていたのだ。この時代の椎茸は良い出汁が取れると高値で取引されているのだ。


「こっ、こここ、これは」

「お主は鶏か。落ち着け」


 上野之助が動揺しているのが分かる。そりゃそうだ。この椎茸を売り払ったら上野之助の欲している銭が大量に手に入るのだ。ただ、俺はこれをタダで上野之助に譲るつもりはない。あくまで貸し渡すだけである。


「落ち着いたか」

「は、ははっ」


 伝左が上野之助を落ち着かせる。馬じゃないのだから脇腹を触っても落ち着いたりはしないぞ。


「上野之助、俺を笑うか? 武士が、国主の嫡男が銭儲けなどと」

「いえ、滅相も!」

「本当の事を申して良いのだぞ」


 ふふふと俺は笑う。下賤な銭を稼ぐという行為が下に見られることは十二分に理解しているつもりだ。武士の行うことではない、と。だが、上野之助は必死に俺の発言を否定した。


「何を仰りますか! 銭が無ければ何も出来ぬことは重々承知しておりまする。当家の屋敷をご覧になってそう仰られておるのでございましょうや!」

「そのようなつもりはなかった。済まぬ、許してくれ」


 この言葉には俺も謝罪をするしかなかった。上野之助は「こちらこそ声を荒げて申し訳ございませぬ」と頭を下げた。俺は上野之助を信頼に足る人物と判断することにした。気を取り直して椎茸の説明を続ける。


 俺が伝えるのはあくまでも椎茸の繁殖の原理だけだ。俺だって詳しい事実は分からないが、椎茸が菌糸で繁殖することは理解している。つまり、原木に菌を付着させて定着させれば良いのだ。菌に雌雄などは無い。


 上記と共に菌と温度と湿度の概念を伝えれば上野之助であれば理解してくれる筈。それにどうせ上野之助のことだ。試行錯誤も楽しいと言い出すに違いない。少しだけ彼のことを理解できてきたと思う。


 しかし、何でも根掘り葉掘り聞いてくるな。菌とは何か。湿度とは何か。光合成とは何か。問われ過ぎて発狂するかと思ったわ。俺も上手く答えられたか自信が無い。


「成る程。菌に気温に湿気にござりまするか。勉強になり申した。日の光も考慮する必要はございましょうや」

「そうだな。日の光も重要だと思うぞ。日の光は湿気に影響する。まずは菌を栽培、培養するのだ。容器に入れて白い菌糸がどうやったら増えるか調査してほしい」

「培養……培養にございまするか。良い響きの言葉にございますな。承知いたしました。身命を賭して我が成し遂げてみましょう」

「そう肩肘張るな。これは挑戦である。挑戦には失敗が付き物だ。失敗したら何故駄目だったのか考えて修正して再び挑戦する。失敗を恐れるな。失敗は成功の母ぞ」

「ははっ」

「とまあ、堅苦しい話は此処までにしよう。上野之助、今度は俺に釣りを教えてくれ」


 本当に川辺へと連れてきてくれた上野之助に釣りを教えてもらう。どうやら伝左も釣りは得意らしく、俺そっちのけで二人は釣り勝負を始めてしまった。


 実は釣りは初めてなのだが、中々に良いものだ。『一生幸せになりたかったら釣りを覚えなさい』なんて言葉があったな。正にその通りかもしれん。それに、考え事には最適だ。


「おお。上野之助殿より一匹多く釣れてしもうたわ」

「なんの。某もすぐに釣ります故、お気遣い無く」


 二人は俺を他所に釣りを楽しんでいる。俺はまだ釣れていないというのに、こ奴らばかりばかすかと釣りおって。もう既に俺は蚊帳の外である。そんな時であった。俺の腹が鳴ったのは。


「わ、若様。この釣った魚を焼いて食べましょう! 美味ですぞ」

「要らん。俺は自分で釣った魚を食う!」


 意気地になって伝左の提案を一蹴する。そして直ぐに後悔した。伝左のあの申し訳なさそうな悲しそうな顔といったら。この世の終わりのような顔をしておった。


 折角、彼らが楽しんでいるというのに俺が台無しにしてしまったわ。それに合わせて再び腹が鳴る。


 いかんいかん。こんなことを考えていたら気が滅入ってしまう。まだ時間はある。一匹くらい、俺にだって釣れる筈だ。焦らずに考え事をしながら待とう。考えるのは勿論、どうやったら滅びずに済むか、である。


 西はこのまま毛利が大きくなるだろう。史実通りであれば尼子は劣勢になる筈だ。今の内に誼を通じておきたい。甲斐の武田宗家とも結びつきを強めるべきである。となれば、越後の上杉は敵に回ってしまうな。


 母が公方様の妹ということは三好からも敵視されているだろうな。ただ、六角は祖母が六角家の出なので味方だ。つまり、浅井は将来的には敵になるのか。嫌な位置に浅井が居るものだ。


 美濃の斎藤は今であればやや味方であろう。これは十兵衛のお陰だが代替わりすれば敵になるであろうな。それであれば織田は味方、今川は敵になりそうなものだが果たして。いや、そんな大局を見据えている場合ではない。


 若狭八万石などあっという間に吹き飛ばされてしまうというのに、その八万石さえ統一できておらん。熊谷と沼田は懐柔できている。残るは熊谷を除いた粟屋、内藤、武藤の武田四老に宿老の松宮、逸見だ。そう考えると敵しかおらんな。


 内藤は若狭の守護代だ。それなりに影響力は大きい。熊谷は武田四老の一角とはいえ粟屋や逸見、内藤に比べれば家格は落ちる。それに、熊谷と言っても伝左の信を得ているだけであって、俺が熊谷家から信頼を得ている訳ではない。


 沼田なんて申し訳ないが家格は更に下の下だ。なにせ陪臣なのだから。ただ、一番信頼しているのは沼田である。そこで兵と銭を貯めるのだ。


「おおっ?」


 そんな時、俺を現実に引き戻すかの如く竿がしなった。これは大物が掛かった予感がする。上野之助が俺の傍に来て熱を入れて俺に釣りの指導をする。


 やれ竿を右にだとか竿を左にだとか忙しなく助言を送ってくる。この時代、リールなどという便利な道具は無い。竿一本、糸一線の勝負である。上野之助の「今です!」という言葉に合わせて勢い良く竿を引いた。


「おお、立派な魚が釣れたのう」

「こちらは鮎にございまする」


 やっと一匹釣ることが出来た。伝左も上野之助も満面の笑みで俺を迎え入れてくれた。俺も一安心する。彼らが楽しんでいたというのに水を差すのは主として情けない行為であった。


「伝左、先程は済まなかったな。ついムキになってしまった」

「いえいえ! ささ、焼いて食べましょう。某が火を起こしますぞ」


 そう言って火を起こし始める伝左。上野之助は魚の腸を取り、器用に串に刺していく。

 俺は人知れず胸を撫で下ろしていた。伝左に謝ることが出来てホッとしていたのだ。謝るとはなんと難しいことか。


 しかし、それを怠ると小さなしこりがやがて癌になることを嫌と言う程、経験してきた。

 ここでも同じ過ちを繰り返したくはない。俺は此奴等とのし上がりたいのだ。


「ささ、焼けましたぞ」

「済まぬな」


 そうこうしている内に鮎が焼ける。本当は軽く塩を振った方が旨いのだろうが、獲れたてだからだろうか。脂が乗っていて十分に美味しい。ぺろりと平らげてしまった。


「そろそろ日が落ちます故、館へお戻りになりましょう」


 俺よりも先に鮎を二匹ずつ平らげていた伝左がそう述べる。俺は頷いて同意を示した。

 上野之助は釣具を片付け、釣った魚を竿に括りつけてそれを担いだ。


「上野之助、伝左の分も持って帰れ。そして皆に振舞ってやれ」

「よろしいのですか?」


 申し訳なさそうに俺と伝左を見る上野之助。伝左は少し恨めしそうにしていたが、彼らの城と身体付きから判断して大きく頷くのだった。


 三人で熊川の屋敷へと向かう。言葉は交わさなかったが悪い気はしなかった。それだけ打ち解けることが出来たということだと思っている。あとは、俺がそれを口に出して伝えることが出来るかどうかだ。


 恐れるな。今度こそ言葉にするんだ。言葉にして伝えなければ伝わるものも伝わらんぞ。俺は一つ、深呼吸を入れてから覚悟を決めて上野之助に声を掛ける。


「上野之助、俺はお前を信じておる。失敗しても構わん。だが決して裏切ってくれるな」

「は……ははっ」


 上野之助は立ち止まり、二歩下がるとその場に平伏して頭を下げた。こういう時、俺はどうするべきなのだろう。

 少し悩んだ結果、上野之助の両の肩をしっかと掴んだ。顔を上げる上野之助。彼の顔が良く見える。


 ああ、頬はこけて肌もカサカサだ。それだけ困窮していたのだろう。決意を込めて俺は頷いた。

 上野之助は涙を貯めたかと思うと、再び頭を下げて鼻声交じりにこう述べる。


「必ずや、椎茸の栽培に成功して見せまする」

「気負うな。駄目であれば申せ。三人で打開の策を考えようではないか。三人寄れば文殊の知恵と申すであろう」


 俺はカラッと笑う。上野之助の肩をポンポンと軽く叩いてから彼を立ち上がらせて熊川の屋敷へと戻った。

 上野之助が夕日を背負いながら俺たちを見送る。伝左は屋敷に継いでいた馬を走らせながら俺にこう尋ねた。


「いやはや、驚きました。若が椎茸の栽培をお考えになっていたとは」

「白々しい。籠の中身は分かっていたであろうに」

「沼田家を懐柔するために上野之助殿にお渡しするものかと。何故、小さな沼田家にと思いましたが、怪しまれずに事を運ぶためでございましたか。御慧眼、感服致しまする」

「その言葉は椎茸の栽培が上手くいくまで取っておけ」

「承知仕りました。はっはっは」


 伝左の笑い声と馬の足音だけが辺りに響いたのであった。


・―・―・―・―・―・―・

【現在の状況】


武田孫犬丸 四歳(数え年)


家臣:熊谷伝左衛門、沼田上野之助

装備:なし

地位:若狭武田家嫡男

領地:なし

特産:なし

推奨:なし

兵数:0


【補足】

戦国時代の椎茸チートはもう有名な話だと思います。

ただ、孫犬丸は椎茸の作り方なんてわかりません。あとは友情と努力で栽培を目指します。


普通、椎茸の栽培方法なんて知らないよね。

とか言いつつ、椎茸栽培キットを買っちゃった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る