第6話 孫犬丸と金吾

天文二十四年(一五五五年)七月 越前国 一乗谷


 俺は伝左に先導され越前は一乗谷へと向かっていた。大叔母である高徳院が臥せっているというのだ。父の名代としてお見舞いに名乗りを上げたのである。


 別に本当に大叔母のお見舞いに向かったわけではない。朝倉宗滴という男に興味を惹かれたからである。その越前の軍神、朝倉の九頭竜と呼ばれる男を一目見てみたい。その野次馬心が俺を突き動かしていた。


「伝左、一乗谷にはまだ着かぬのか?」

「今少しにございます」


 馬に揺られ過ぎて尻の肉がぼろぼろと取れそうだ。この山の向こうに一乗谷はあると言う。その山を超えるのが大変なわけだが。


 訳も分からず戦国時代に飛ばされ、あれよあれよと過ごしてきたが。この時代で俺に何をしろと言っているのだろうか。別に腕っぷしに自信があるわけでもない。かといって頭が良いわけでもない。


 判断力に優れているとも思えないし、自身のことを凡人と言って差し支えないだろう。それともこの環境ならば俺も英雄になれるのだろうか。


 いつも通り、そんなことを考えているといつの間にか一乗谷に到着していた。そんな俺達を待ち受けていたのは三十代になったばかりであろう男性とその家臣達である。


「これはこれは。武田様のご一行ですな。某は朝倉式部大輔と申す。以後、お見知りおきの程を」


 胡散臭い笑みを浮かべた男が近づいてくる。正直、気は進まなかったが俺は下馬し、礼には礼をもって丁寧に対応することにした。


「私の名は武田孫犬丸と申します。この度は大叔母である高徳院様のお見舞いに参上仕りました」

「ややっ! 孫犬丸様でございましたか! 長旅でお疲れでしょう。ささ、こちらでゆるりと休まれよ」


 俺の背中に手を添えて優しく誘導してくる朝倉式部大輔と名乗る者。俺はそれを緩やかに断って本題を切り出した。


「いや、それには及びませぬ。それよりもお願いがあるのですが……」

「何でございましょう」

「朝倉金吾殿にお取次ぎ願いたいのですが、能いますでしょうか?」

「金吾殿……にございますか。しばしお待ちを」


 そう言って朝倉式部大輔は家臣と二、三ほど言葉を交わし、家臣を走らせる。その間、俺は朝倉式部大輔という胡散臭い者から様々な接待を受けたのであった。


 最後には「高徳院様に良しなに」と必ず付け加える。抜け目のない男である。そうして時間を過ごした後、先程の家臣が戻ってきた。なにやら朝倉式部大輔に耳打ちしている。


「お待たせいたし申した。金吾殿のもとへ参りましょうぞ」


 どうやら朝倉宗滴に許可取りをしていたようだ。朝倉式部大輔に先導され、朝倉宗滴のもとへ向かう。その道中、何やら余人が忙しなく動いている。どこかに出陣するのだろうか。


「お初にお目にかかりまする。拙僧が朝倉金吾にございまする」


 そこには齢八十に届こうかという老人が背筋を伸ばし矍鑠と佇んでいた。剃髪しており、顔の皺の深さが経験を物語っている。


「ご丁寧に痛み入りまする。武田孫犬丸にございまする。不躾なご訪問、誠に申し訳ございませぬ」


 白湯が運ばれてくる。七月だというのに、少し肌寒い。山の中だからだろうか。白湯をありがたく思う。一口啜る。ほっとため息が出た。


「して、拙僧に何か用がおありで?」

「いえ、用というほどのものではありませぬが……この戦乱の世、如何に生き抜くべきか迷うておりまする。民の安寧を願うのならば強者に膝を折るべきでしょうか」


 そう尋ねると朝倉宗滴は白湯を口に含んでから静かに口を開いた。


「孫犬丸殿はお優しいのですな」

「民があっての将、民があっての国と心得ておりまする」

「お若いのに感心なことだ。しかし、その強者が信に値しない者であれば如何する御積もりか。そのまま膝を屈したままにするのか。民が虐げられるかもしれぬというのに」

「それは……」

「民を心から思うのであれば、孫犬丸様が日ノ本を纏める。それくらいの心意気がないと行けませんぞ」

「そうなると私が朝倉家も食らわなければなりますがよろしいので?」

「それが民のためと仰るのならばそうすべきでしょう。しかし、それは苦難の道ですぞ。世を平らかにする武はもちろんですが、必ずや国衆や公家衆から詰られ、謗られましょう。それに耐え得る強い心が必要になりまする」


 強い心。太平の世を築くという確固たる信念。これを俺が持つことが出来るだろうか。それならば、いっそのこと、毛利元就や織田信長に臣従してしまった楽なのではないか。そんな気持ちが沸いてくる。


「武者として生きるのならば、犬ともいえ、畜生ともいえ、勝つことが本にてございますぞ。勝たねば意味がありませぬ。しかし、これは最後に勝てば良いのです」

「最後に、勝つ?」

「そうです。臥薪嘗胆という言葉をご存じですかな?」

「はい、存じておりまする。夫差と勾践の故事にございます」

「ほっほっほ。噂に違わぬ聡明さじゃ。そう、勝てぬ場合は辛酸を舐めてでも膝を屈する。匹夫の勇と大義の勇を勘違いしてはなりませぬ。勝てぬ時は勝てるまで待つのです」

「勝てるまで、待つ」


 驚いた。まさか朝倉宗滴からこのような言葉が出てくるとは思わなかった。大名は勝てなければ見放される。国衆から、家臣から、領民から見放されるのだ。


 だというのに勝てなければ臣従しろと、あの朝倉宗滴が言ったのだ。これで驚かないわけがない。俺は思わず朝倉宗滴の言葉に聞き入る。


「其方はまだ生を受けて三つ。経験も無ければ知識も足りぬ。だが、風格というものは生まれ持って備わるものである。迷ったら臣を信じなされ。心を信じなされ。世は全て願う方向に進むのです」


 朝倉宗滴はそう言った。俺に出来るかどうかではない。大事なのは俺が何をしたいかなのだ。この言葉が俺の中で何度も反芻される。そして頭から離れない。


「色々と話し過ぎたようですね。今日はこの辺にしておきましょう。式部大輔」

「はっ」


 俺は最後に深く頭を下げる。「ご指導、痛み入ります」その一言を添えて。

 朝倉宗滴は優しく、静かに述べた。「生は自由です。好きにお生きなさい」と。ここから、俺の戦いが始まったのであった。

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