第3話 麒麟児、しかし臆病

天文二十三年(一五五四年)十月 後瀬山城 武田氏館


 俺は内心、興奮していた。何故ならば目の前にあの明智十兵衛が居るのだから。

 胡坐を掻いて背を伸ばし、両の手を軽く握り、それを膝の上に置いて佇んでいる。


 ルイス・フロイスが彼を裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷、独裁的であり、狡猾さによって信長の寵愛を受けたと記していたが、果たして噂通りの人物だろうか。俄然、興味が沸いてきた。


 歳は二十五、六と言ったところだろう。精悍な顔をしている。髭は濃くないようだ。眼つきも良く、凛々しい。

 俺はそんな十兵衛が欲しくなった。さて、どうやって引き入れようか。考えを巡らせていく。


「この度は遠路遥々お越し下さり恐悦至極にございまする。私が武田孫犬丸にございまする」


 そう述べて深く頭を下げた。十兵衛は俺にとって又従兄弟に当たるのだろうか。いや、違うな。十兵衛に子が生まれたら又従兄弟になるのか。


「そう畏まられまするな。こちらこそ孫犬丸様にお会いできて光栄にございまする。母もよしなにと申しておりました」


 今日、屋敷を訪ねてきたのは明智十兵衛とその供の藤田伝五の二人である。

 流石に大叔母上は長旅ということで遠慮されたのだとか。この場に居るのは十兵衛、伝五、俺に伝左だ。


「孫犬丸『様』とは他人行儀な。我らは親族故、そのようなご配慮は無用。どうぞ、孫犬丸とお呼び下さい。十兵衛殿」

「それであれば拙者のことも十兵衛と」

「いえいえ、流石に年上の方を呼び捨てにするのは儒の教えに反しますのでご容赦を」


 そう伝えると十兵衛が目を丸くしていた。そりゃそうだ。三歳の赤ん坊が儒の教えなどと宣うのだから。

 これで俺を神童と思って見込みありと考えてくれたら助かるんだが、果たして。


「若狭は如何でしょう。海に面している故、美濃とは違った趣がございましょう」

「はい。小浜の湊にも伺わせていただきましたが、活気があって良い湊にございます。美濃にもあのような湊が欲しいものにございまする」


 美濃には海が無い。ただ、美濃には肥沃な大地がある。美濃一国で五十万石を超えるのだ。この若狭の六倍以上の石高があるのだぞ。それだけでも十分ではなかろうか。


 人間というものは不思議なもので隣の芝生が青く見える。逆の立場だったら俺も湊が欲しいと言っていたのだろうな。そう思うと、自然と笑みが溢れてきた。


「十兵衛殿はこの若狭をどうご覧になられましたか?」

「どうとは?」


 俺は本題を切り出した。十兵衛が若狭を、若狭武田をどう見ているか知りたかったのだ。客観的な意見というのはいつの時代も役に立つものである。自分の思考に偏りがあるか再認識できるからだ。


「我が武田家をです。忌憚の無い意見を頂戴したく存じまする」


 そう言って頭を下げる。教えを乞うのだから頭を垂れるのは必定と思っていたのだが、どうやら違うようだ。

 十兵衛が慌てている。どうか、身分が違うからか。いや、だがこれが良い。十兵衛を大切にしている印象を植え付けるのだ。


「頭をお上げ下され」

「ご教示いただくまでは」


 恐らく十兵衛は困った顔をしてるだろう。それを拝めないのは残念だが致し方ない。

 俺に必要なのは十兵衛から一目置かれること、信を置いてもらうことだ。そのためであれば何だってする覚悟はある。


 十兵衛が白湯を一口。そして重い口をゆっくりと開いた。


「……然らば、家中、穏やかならず内外共に敵多しとお見受けいたしまする。畿内は三好の勢い強く、しかしながら孫犬丸殿は公方様の甥であり、また、六角の又甥にございます。まだ簡単に手出しは出来ますまい。そこで三好は今後、粟屋殿もしくは逸見殿に調略の手を伸ばすでしょう」


 うん。俺も同意見だ。そして三好の勢いが強いと見るや祖父が足利と縁を切るために父を廃嫡する可能性がある。しかし、それに素直に従う父ではない。結果、泥沼に陥ると。主君は名を取り、家臣は実を取る。この相違が和を乱すのだ。


 そうなると、周辺国の格好の餌でしかないわな。三好を始め浅井、朝倉、六角に細川、一色も流れ込んでくるかもしれない。それだけは絶対に死守せねば。


「それを防ぐにはどうすれば良いでしょう?」

「拙者にも分かりませぬ。我が主、斎藤山城守様も御嫡男の新九郎殿との関係が芳しくございませぬ。それが分かれば拙者もどんなに楽になることか」


 そう言って口を噤む。周囲を静寂が支配した。俺は空気を変えようと戸を開ける。肌寒い、もうすぐ冬の到来を知らせる風が部屋の中に入り込んできた。


「……そうか。十兵衛殿程の者でも分からぬのか」


 俺はそうひとり呟く。十兵衛は「申し訳ございませぬ」と俺の独り言に謝罪した。

 それでも俺は諦める訳にはいかない。手に力を込めてぎゅっと握り込む。


「それでも俺は諦める訳に行かぬ。十兵衛殿、今日はお越し下さり感謝いたす。改めて問題を認識することができ申した。誠に有意義でござりました」

「何もお力になれず恐縮ではございますが、そう仰っていただければ重畳にございます」

「これは一つ『借り』にしておきます。何か困りごとがございましたら遠慮なく私を訪ねて下さい。お待ちしております」

「お心遣い、感謝いたします」


 俺は笑顔でそう述べた。これにて俺と十兵衛の面談は終了となったのであった。

 十兵衛を見送った後、伝左が俺に一言。


「牧様がいらっしゃらなかったのは残念ですね」

「いや、そうでもない。毒を仕込むことは出来たからな」

「へ?」

「いや、何でもない」


 今日はあくまで布石に過ぎぬ。本番は二年後よ。それまでに俺は体制を整えねばならん。

 などと強がっているが、十兵衛に嫌われるのが怖くて、断られるのが怖くて誘うことが出来なかった。これは偏に俺の弱さである。 


 共にこの戦乱の世を乗り切りたいと思ったのだ。その想いを伝えんでどうする。人を動かすはその人の熱量だと理解しておったのに。


 頬を叩いて気合を入れ直す。

 祖父のでもなく、父のでもない。俺と同じ想いで動く家臣を手に入れるために。

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