3話 あなただけ見つめてる③ 黒翼

 あれからたった数時間のこと。

 僕と萌芽の悪い噂が広がっているようだった。

 学生にはよくある話だろう。嘘かほんとかも分からない話は絶えず、尽きない。これもそれの一種だ。萌芽もそれなりに人気であるし、僕のようなカーストの底辺にいる奴が萌芽を助ければ、その話も悪く目立つだろう。

 こうなってくると、萌芽には本当に申し訳ないことをしたと思う。

 謝りに、萌芽のいるクラスに向かいたいのだが、そうも行かない。

 そのことを聞きつけた連中が、僕の元に来て真偽を確かめようとするのが後を絶たない。こういうのが何かと面倒臭く、対処の無いことだ。黙秘しようが、正直に関係性を言おうが、適当にあしらおうが、全て聞いた連中の憶測が入った話へと展開するからだ。要は、話を盛るのだ。

 けれど、こういう時、御幸は良い働きをしてくれる。

 御幸がそれらの生徒を、興奮させないように追い払ってくれたのだ。

 本当に感謝している。

 それと共に、早く萌芽に会って謝罪をしたい……そんな罪悪感に包まれる。

 放課後、僕は御幸と共に萌芽のクラスへと向かった。

 けれど、彼女の姿は無くて、他の子に行方を尋ねてみると、どうやら上級生に呼ばれてどこかへ行ってしまったらしい。その上級生というのは、萌芽がマネジャーをやってるサッカー部の男子のようで、仲がよさそうに行ったようなのだが……。

「なんか事情あるっぽいし、行こうぜ」

「……」

 僕は昨日のことを知っている。

 それに、今日のことで女子生徒が何かしらの妬みを持っていることは分かった。

 念のため……僕が勘違いしていればそれでいい。

「いや、探そう」

 僕のことをこの男はやはり分かっている——御幸はふっ、と笑って、親指で廊下の方を指した。

 萌芽がついていったグループは大所帯だ。恐らく廊下にいた生徒たちに聞けば、自ずと彼らの軌跡の通りに向かうことが出来る。

 彼らのことを聞いていく度に、良い噂と悪い噂を耳にする。

 サッカー部としての功績、選手の総合評価も高く、人気があるようだ。

 一方で選手たちの悪い話が立っている。強姦紛いのことや近辺への迷惑行為など、問題も多々あるみたいだ。それは一部が目立っているだけでそう言われているらしく、当然違う奴もいる。

 萌芽の場合、どちらと関わっているのだろうか。

 僕の中で、不安の暗雲が立ち込める。

 御幸は僕を不安にさせないように、前向きな言葉を掛けてくるが、何が何だか分からなかった。

 今度は偶然なんかでは無かった。

 校内にある使われていない倉庫——道行く人に尋ねるうちに辿り着いた場所。

 またもギリギリのところだった。

 制服を無理やり脱がされそうになって、胸が開けた萌芽と、その悲壮な表情。

 萌芽を力づくで抑えつけて、ズボンを下ろそうとしていたサッカー部の問題児たちの、獣のような目と肉欲を求める表情。

 僕と御幸に視線を向けた萌芽の、今にも泣きそうな目は何を訴えていたか。

 口だけ動いていた。

『助けて』

 僕が声を出す前に、御幸の方が怒りの沸点を超えていたようで……。

「何やってる、てめぇら‼」

 こうなってしまうと、御幸を止めることは出来ない。だから僕は後方から加勢することに決めた。

「なんだ、お前? ジャマすんなよ」

 サッカー部の奴はそう言って、御幸に襲い掛かろうとする。


 …………どんより。


 僕はその時、御幸に襲い掛かる奴の背後に、忌々しい形をした真っ黒な翼が生えたのを目撃した。

 その翼は特に何もしていないのだが、御幸が奮った拳がそいつの顔面にめり込み、一撃で意識を断つと、その翼が空中に霧散した。

 何が見えていたのか、幻覚でも見たのか。

 そう思った矢先、次々に御幸へと殴りつけようとする奴らの背後にも、それが見えた。

「ちょっと手伝ってくれよ!」

 御幸の言葉で、はっ、として僕も颯爽と向かう。

 御幸の意識の外にいる連中へ、僕は拳を振るった。蹴りで相手との距離を測りながら、相手が攻撃態勢に入った瞬間、攻撃に転じた時の隙を狙ってカウンターを喰らわせる。

 五分もしないうちに、その騒動が終わる。

 ある程度、蹴散らしたあたりで、他の奴らは僕たちには勝てないと悟り、倒れた仲間を放って去っていった。

 怯えた表情で、僕と御幸は隅に座る萌芽の元に駆けつける。

「萌芽!」「天海ちゃん!」

 僕は萌芽に自分の着ていた上着を背中から被せてやり、御幸は萌芽に声を掛けていた。

 萌芽の恐怖に染まった顔が、ようやっと落ち着きを取り戻して頭を上げる。そして僕たちの顔を何度も見ると、溜まっていたものを出すように大粒の涙を目から落した。

「う゛ぇぇぇえええええ‼ 怖かったよぉ!」

 僕と御幸は顔を合わせた。御幸の顔がそうだったが、多分僕もそうなのだろう。きっと安堵の表情をしていたに違いない。友人を助けることが出来た安堵でもあった。

 このことは教員たちにも伝えた。

 その二日後、サッカー部に一時部活動停止が言い渡された。

 身の危険を感じた萌芽はサッカー部のマネジャーを止めるようだ。当然だろうが、サッカー部のマネジャーは彼女だけでなく、後三人ほどいるから彼女たちに迷惑をかけない配慮もあったはずだ。そう言う意味では、萌芽は止めざるを得ない状況だった。

 萌芽を犯そうとしていた連中には、萌芽に告白した先輩は居なかったようで、それだけが萌芽にとって心の救いだったと思う。

 その先輩が萌芽の前で土下座して、部員のことを謝っていたのを僕と御幸は確認している。

 本当に良い人なのだと分かる。

 だからこそ僕には、何故先輩からの告白を受けないのか、分からなかった。


 そして、同時に僕の目に違和感が付きまとっている。

 あの騒動から——僕の視界に映る、黒い翼。

 禍々しい闇に包まれていて、全てを飲み込もうとするかのような圧倒的存在感が。

 連中から生えていた翼とは比べ物にならないほど。

 ……萌芽の背中から生えていた。


 御幸は恐らく見え黒翼ていない。

 最近は僕と御幸、萌芽の三人でいる。

 昼休みには中庭で飯を喰らう仲でもある。

 御幸が楽しそうに萌芽と喋っている風景を尻目に、僕の目は黒い翼に釘付けになっていた。

 僕が言っている、圧倒的存在感とはキューピッドみたいな可愛らしいものでは無い。

 学校の校舎を覆い隠すぐらい雄大に広がったそれ《黒翼》は、頭を上げた僕の視界から青い空を断絶した。


 僕は怖くなって、次の日、学校を休むことにした。

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