2話 あなただけ見つめてる② 嫉妬

「およ? どうしたなんか変な顔してるよ、仭くん」

「えっ、ああ、そうか? なんか頭回ってなくてな」

 僕は昨日の一件から、なんだか気持ちが入っていなかった。口から聞いたものと、本気で見たものとで衝撃が違う。告白とはああいうものなのか。人の情事を見てしまったことは申し訳ないが、見ているだけでもどこぞから湧き上がる熱が体全身に伝わってきた。それも友人が告白された場面を、だ。告白なんてしたことが無いし、告白をする相手もいない。前にも言ったが、僕には無縁の話だったから、尚更だ。僕が知らない萌芽の一面。——僕はまだ何も知らないのだと思った次第だ。

 そんな気も知らずに、萌芽は僕と学校へ行き、話しかけてくる。

 どぎまぎする僕には、なんだか今のこいつは合っていない。

 それなのに、こいつはとんでもないことを言った。

「そう言えば、昨日、また告白されちゃったんだ」

 信号を待っている間、自販機で買った安いお茶を飲んでいたが、僕はそれを聞いて、口から水鉄砲みたいにお茶を吹き出した。

「えっ⁉ どうしたの‼ 大丈夫……?」

 萌芽がハンカチをこちらに渡そうとしたが、僕はそれを制した。

「あ、ああ。御免、汚かった」

 信号が青になったから渡ろうとしたが、萌芽は僕の腕を引っ張ってベンチに座らせた。そしてハンカチで僕の襟元についたお茶のシミを出来るだけ綺麗に拭き取ってくれた。その行動が、健気というか彼女の本質であるには違いないが、今の僕には毒だ。罪悪感が残る。

 さっさと付き合えばいいのに、と僕が萌芽に思っていたことは軽くなかった。

 このもやもやは、やはり話した方がいいのではないか。

 もう悩んでいても仕方ない。思い切って、言ってみよう。

「あのさ、萌芽」

「うん? 何?」

「お前——なんで……」

 その時、陽気な馴染みの声が左耳から入ってきた。

「おーい! 仭! 天海ちゃん‼」

 僕の決意を邪魔する親友の声が聞こえた時、そいつに対する行動は既に決定していた。

 御幸が息を切らして僕たちの元に来るのを計らって、僕は膝裏を蹴った。

「痛ッ‼ 何だよいきなり」

「なんでもねぇ。後で話す」

「?」、僕に遺憾の意を示すが、当然だろう。

「久しいね、天海ちゃんは。いつもこの暴力男と一緒に行ってるのか?」

「うん。なんやかんやでね」

 御幸が、「ははーん」と何かを悟ったような顔をしているが、何なのかさっぱりだ。何かは分からんがとりあえずムカつくから後でもう一回殴っておこう。

「幸田君は今から? 一緒に行かない?」

「おう、良いぜ。仭も良いよな?」

 と、御幸は僕の肩を組んできた。

「ああ。今日は騒がしい登校になりそうだ」

「それ、仭君も入ってるからね?」

 あー……何とも言えない。否定も出来ない。

 僕は先に歩く二人の背中を追うように、ついていく。

 萌芽のことは気になるが、今はもう気にしないようにした。


      *  *  *



 ところが僕の予感みたいなものは、嫌な方向へと的中する。

 偶然だった。僕がその場面を通り過ぎた時、間一髪という訳でもなく、時すでに遅し、という訳でも無い。最悪の一場面は回避したと言ったところか。

 その場面とは——萌芽が女子生徒達から迫られていたところだった。リーダー格に肩を押されて壁際に追い込まれていく萌芽を目の前に、僕の体は反射的に動いていた。友人に何か良からぬことが起きようとしているのに黙って見過ごすことなんてできない。正義感とかそう言うのではない。ただ、僕の目の前で人に不幸が及ぶのが嫌いなだけだ。

 そこへと歩み寄るまで、僕が聞いた会話はこんな感じだ。知らない生徒はA、Bのように順々に名前を付けることにする。

 リーダー格のAは、萌芽の長い髪を掴んで迫った。

「あんたさ、ちょっと調子乗りすぎ」

「せ、先輩……私、呼ばれてなんでこうなってるのか、分かんないですけど……」

 Aの隣のBが怒りの形相でまたさらに萌芽に迫る。

「あんたがサッカー部の山瀬君を振ったのを知ってるの。あんた、他の子の告白も振ってるらしいじゃない? 自分がそんなに告白されてるからって調子乗ってるんじゃない?」

「別に私は……そんなこと」

「ねぇ、そろそろ言いたいこと分かるよね? あなた、私の山瀬君を取るのは止めて?」

「取ってないですし、ただ仲が良かっただけです」

「言い訳はいんだよ!」

 と、Aは萌芽の髪の毛を引っ張った。

「や、やめて……」

「そうやって可愛い子ぶるのが常套手段なんでしょう? そう言うのがムカつくんだよ」

 Aの声に呼応するように、Bとその取り巻きたちが罵声を上げた。

 僕の限界はそこで来た。

 彼女たちの前に出るよりも先に出したのは、手ではなく声だった。

「何やってる!」

 僕の叫びが集団の女子たちの耳に渡って、こちらに視線を移した。

 萌芽が僕のことを見て、安心し切った表情を見せる。

 だから僕も大丈夫だよ、と答えるように小さく頷いた。

 僕が萌芽の前に躍り出ると、女子生徒の集団はそわそわし始める。その空気を切り裂くような、Aの発言が僕の耳に入り、海馬に伝達した。

「あんた、誰?」

「僕は萌芽の知り合いだ。あんたらこそ何やってたんだ?」

「いえいえ、ただ遊んでただけよ。ねぇ、萌芽ちゃん?」

「……」

 Aは続けて、「あんた、誰にでも色眼鏡使ってるのね。この清楚ビッチが」と、萌芽を罵った。それも僕の背中に隠れている萌芽の方へ、前のめりに視線を向けて。

 いよいよ僕が我慢できなくなって、萌芽の手を取ると、萌芽は「あっ……」と驚いた声を発した。

 耳に入ってはいたが、そんなことはどうでも良くて……この場から萌芽を連れ出すことだけを考えていた。久しぶりに苛立ちを覚えた。

「行くぞ」

 萌芽が何かを言おうとしたのを耳にしたが、僕はあえて無視した。ひそひそと僕と萌芽に怪しい視線を向ける彼らの小言にも、だ。

 これは萌芽から見ると、余計なお世話なのだろう。けれど、考えるよりも先に体が動いていたのだ。僕自身の理性では湧き上がる怒りを抑えられなかった。僕の勝手で物事を推し進めて申し訳ないと思う。

「ごめん、萌芽」

 ——そんな気持ちが口から出てしまった。

 身勝手な僕には勿体ない言葉が、萌芽の口から発せられた。

「ううん。むしろありがとう。やっぱり優しいね、仭君は」

 萌芽はギュっと、僕の手を握り返してきた。

 萌芽の表情はどんなものだっただろうか。

 今の僕には振り返る勇気はなかった。

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