第1話 いつも通りさ、きっかけなんて。
「––––勤労少女。生憎だけど、うちは金には困っていない。君が外で働く必要はない。火遊びもほどほどにな」
服から髪からローブまで全身黒尽くめの不気味な魔女。不本意ながらの姉であり母であるその魔女はいつも通りにそう言って、今日も仕事先へ向かう俺を見送った。
そんな戯言には耳を貸さず、俺は家を出た。第一、俺は男だ。『少女』などと言われる謂れがない。
それもこれも、あの魔女がこれまでに俺に飲ませてきた薬のせいだ。
魔女。他人はあいつのことをそう呼ぶし、見た目からして伝承に伝わる魔女をあいつ––––トーコそのものだと思っている。無論、俺もその一人だ。
俺は今年で16になる。男なら当然、それなりに手足も太くなって、髭の一本も生えるだろう。
しかし、俺にはそれらの兆候は見られない。
魔女の言いなりに伸ばした黒い髪は艶やかに、手足は細くしなやかに。肉なんて尻くらいにしかついていない。声だって変わっていない。普通の男と比べても、明らかにおかしい。しかし、不思議と俺はそれを不思議と思わなかった。見るからに胡散臭い魔女に育てられている人間が普通のわけがない。頭のどこかでいつもそう思っていたからだ。
街を歩く度に尻を触られる。そいつらを捻り上げ、腕を折るのももう飽きた。見た目、発育具合と違って、なぜか腕には自信があった。わかるのだ。目の前のゲス野郎共は、俺より弱い。ゲス野郎が下衆顔を晒すより先に、俺はそいつらの顔に拳を叩き込んできた。
そんな俺が働くのは下町でも最下層、ゲス野郎共が集まる酒場だ。
ある日、裏通りで歩いていたら、偶然、俺より少し歳下の女が襲われていた。よくあることだ。俺がそうなんだから。
無視して通り過ぎようとして、下衆共の一人が俺の行く手を阻んだ。
「よぉ、嬢ちゃん。一緒に遊んでいかねぇか」
茶目っ気などかけらもない、自分が捕食者だと思い込んだ声。ーーめんどくせぇ。そう思った矢先、襲われていた娘と目が合った。
ーー気づけば、その裏通りで未傷なのは俺とその娘だけ。
腰の抜けた娘をとりあえず職場まで送り届け、その日は終わった。が、
「お願いです。ウチの店で働いてください」
娘は懲りずに裏通りに現れて、俺にそんなことを言ってきた。当然、無視した。が、二度、三度、不幸にも俺は娘に遭った。
そして、その全てで娘はゲス共に襲われていた。当然、俺も襲われる。
娘に遭ってから4度目。俺は折れた。で、店は案外と居心地が良かった。
娘はわざと襲われていた、というわけではなかった。切実に俺の腕を必要としていたのだ。無謀にも、同じ通りに何度も通っていたらしい。
「父も母も死んで、店を一人で守り切れる気がしない」
それまで雇っていた給仕もシェフも親が死んだ途端に賃上げの要求をするようになり、身に覚えのない借金取りが営業時間に現れるようになった。
ため息しか出なかった。が、やることもなく生きることに飽きはじめていた俺にはちょうどよかった。
「俺の名前はアナトリ。法とか秩序だとか、そんな意味らしいが性に合わない。好きに呼んでくれ」
そう言ったとき、娘の顔は可哀想なほど緩んで、その後に泣いていた。
泣き声に紛れて、途絶え途絶えの声で娘は名乗った。
「……カチュア––––お願いだから、助けて」
その翌日から、俺は店で働くことになった。
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