第3話

 ギター一本で地味なフォークを歌うには厳しい時代だった。三十数年前にさかのぼって僕の父親によると、深夜のテレビ番組『イカすぜ!バンド天国』がバンドブームに火をつけて、昨日までお寺のお堂で練習していたようなアマチュアバンドが一躍スターになったりしたらしい。当時の十代の若者はみなエレキギターを買って、髪を茶色金色に染め、流行りのグループのコピーバンドをつくって楽しんでいたらしい。

 現在の我がS大でも、ギターケースを担いで歩く学生はいないわけではなかった。S大には古くから軽音楽部とフォークソング部があるが、部室からはエレキギターの電子音が聞こえてくるだけだ(つまりフォークソングではない)。そんな中で、金剛寺さんと僕はギタークラブの活動を始めたのである。講堂の裏は寂しいから、活動場所を近くの講義室に移した。

「……テレるな」

「いいから、早くやってくださいよ」

「……まだ完成してない曲だよ」

「いいから、どうぞ」

 金剛寺さんはギターの弦に指をかけた。僕は金剛寺さんのオリジナル曲をリクエストしてみた。

「……やっぱりテレるな」

「僕にテレてどうするんですか。さ、はやく」

「わかったよ、もう」

 そして、ようやく歌い出した曲というのは、愛と夢と心と翼、くさいフォークには欠かせない単語の全てをぶち込んだ、聴いてる方が恥ずかしくなるほどのメッセージソングだった。タイトルはたしか『大きな夢』だったと思う。


  君は夢を持っているか

  誰にも負けない大きな夢を

  持っていればそれでいい

  とてもすごい事だから

  たとえバカにされても

  自分を信じればそれでいい

  輝く明日は君のため……


 どこかで聴いたようなメロディだ。何だろうと考えたら、すぐにピンときた。それはラジオ体操だ。

「こんなもんだけど、どうだった?」

 何と感想を言うべきか悩んでいるうちに、金剛寺さんは歌い終わっていた。

「えっと、その……」

「いいから、何でも言ってよ」

 正直に本心を述べるわけにはいかない。かといって下手なお世辞も言えない。つらいところである。

「その、フォークソングらしい曲ですね」

「……そう」


 新たに『ギタークラブ メンバー大募集』のビラをキャンパス中に貼って、大勧誘作戦を開始したが、新入部員は一向に来なかった。

 始めの二、三週は廊下から靴の音が聞こえると、

「来たんじゃないですか、来ましたよ、来ましたよ」

 とドキドキしながら、通り過ぎる人影を見送ったりした。

 部員がいなくてはクラブの理想も絵に描いたモチどころか壁にこすり付けた糞である(と金剛寺さんはしつこく言った)。二人で肩を抱き合って歌ってもしょうがない。

 だからこそ、金剛寺さんの部員を増やす執念は僕が入ってからはすさまじく、四週目にもなると、

「中村くん、この部屋で待っててもダメだよ」

 と夕暮れに赤く染まるキャンパスに出て、足早に帰ろうとする人を掴まえては、

「ギタークラブに入りませ~んか、ちょっと歌っていきませ~んか」

 というセリフをメロディに乗せて歌いながら手当たり次第に勧誘しようとしたりした。

 ただ、その次の週からは、部員を入れることを諦めて、人目を気にせずに二人でフォークソングの名曲を歌ったりした。クラブ活動が終わってからは飲み屋で安い酒を煽りながら、クラブの未来を語り合ったりした。キャンプはどこに行こうか、女子部員でかわいい子が来たらどういうサインを送り合おうとか、ありえないことばかり話して。

 そして、気が付けば一人も部員が増えないまま半年が過ぎようとしていた。この大学で昔ながらのフォークソングを歌おうという若者は、金剛寺さん一人になっていたのである。


 夏休みに入ってからも、僕たちは相変わらずだった。大学の夏休みというのは、もううんざりするほど長くて、これといって予定のない暇な大学生にとっては、ただ食って寝るだけの日々が続く。

 八月の末、金剛寺さんが夢見たフオークキャンプは叶わなかったが、社会科学研究会で合宿することになった。

 この夏、先輩たち四人は床屋代をケチるため、散髪を霧子さんに任せていたのだが、霧子さんは人によってヘアスタイルを替えることなど考えなかったから、みんなそろってマッシュルームカットに仕上がっていた。おかげでバスに揺られて琵琶湖沿岸の田舎町まで向かう最中ずっと、乗客から絶えず視線を浴びていた。

「なんか、ワイら、ビートルズみたいやな」

「いえ、地球人とは見られていないようです」

 さて、僕たちがお世話になった宿は、琵琶湖のほとりにある「つづらお荘」という民宿で、素泊まり三千円だった。本来なら夕食付きだが、高いだけの懐石料理を食べるのはバカバカしいので、素泊まりにしてもらったのだった。ここはリーダーが子どもの頃によく家族で泊まった宿だったそうで、夕飯は村に一軒のレストランでとる予定だった。

「あっ、ここだ。あった、まだあった」

 リーダーは宿の隣のレストランを見つけて安堵している。この辺りはとことん田舎で、スーパーなど見当たらない。もしこの店が休日だったり潰れていたりしたら、僕たちは晩飯抜きになるところだったのである。

「よし、サマーバカンスだ、バカンス&サマー!」

 チェックインしてから、先輩たちは海パンに履き替えて琵琶湖に飛び込む。

「ほらっ、みんな見ろ、速いだろ、ほらっ」

 リーダーは得意の犬かきで泳いでいる。

「確かに速いけど、あれでほんとに革命を目指してるのやろか」

「いいじゃない、夏休みなんだから」

 霧子さんもうきわを持って水面に入っていった。

 紙野さんは立ち泳ぎをしながら釣りをするという器用なことをしている。無言で。

 僕は村を歩いてみることにした。この辺は民家も数えるほどで、あとはニワトリ小屋や神社くらいしかなく、村はずれに商店が一軒あっただけだった。その店は田舎にありがちのなんでも屋で、食料品から文房具や靴など、狭いスペースに無理やり詰めてある。宴会係の僕は、ここで夜のおつまみを買い込んでおいた。


 さて、疲れるほど遊んでからは、景色が一望できる大部屋で学習会となった。今日のテーマは「森林伐採における南北問題」だったのだけれど……。

 リーダーが窓際でタバコを吸っていたら、

「ああ!!」

 と叫んだ。

「どうしたんですか、リーダー?」

「ああ!!」

 午後四時、隣のレストランのシャッターが見る見るうちに閉まっていくではないか。

「どど、どうすりゃいいんだ、晩飯は……」

「他にメシ屋くらいあるやろ」

「いえ、何もないですよ」

「そうだ、この村に食堂なんてないんだ。みんな、どうする?」

 討論会のテーマが、南北問題からすぐさま晩飯問題に変更された。

「紙野くん、釣り竿もってきたんだから、魚を釣ればいいわ」

「……ムリです」

「神社のお供え物を盗むのはどうだ?」

「断食するという手もある」

 一人として真面目に考えないところは先輩たちらしいが、その中で僕はちゃんと策を立てた。

「あの、僕はこの辺を歩いてみたんですけど、あの向こうに商店がありましてね」

「なんだ、そうか」

 でも、コンビニみたいにお弁当があるわけではない。

「それで、近くの空家に鉄板が落ちてたから、そこの岸辺でバーベキューといきませんか?」

「なるほどね」

「よし、決定」

 さっそく買い出しに行って肉と野菜をたんまり買い込んでから、霧子さんは野菜切り、金剛寺さんと僕はかまど造り、リーダーと石下さんは薪集め、紙野さんが肉の見張りと各自役割分担して夕飯のために働いて、日没までにはなんとか準備が整った。

 乾杯してアルコールが入ってくると、みんな段々気持ち良くなってきて、おのおの花火を手にとった。

「おし、みんな準備はいいか?」

「それにしても、すごいな、この花火の数」

 食糧調達のついでに、あの商店にあった花火を残らず買い締めてきたのである。この夏きっと、村の子どもたちは花火がないと泣くだろう。

「さあ、契機付けに打ち上げからいくぞ」

 だが、花火がしけっているのか、まったく火を吹かなかった。

「あれっ? これもダメじゃないか、どれもしけってる」

「ああいう店じゃあ、去年売れ残った花火も置いてるんだろうな」

「まあ、しょうがないね」

 すっかり盛り下がってしまったのを気にしたのか、この時リーダーがある提案をした。

「そうだ、諸君、恥ずかしい話合戦をしよう。一人ひとつ、誰にも話したことない恥ずかしい話するんだ」

 リーダーは革命を夢に持つだけあって大のイベント好きで、よくこんなナントカ話合戦をしようと提案した。「初恋話」とか「初キス」とか「今年の抱負」とかテーマはいろいろで、この日の夜は事前に考えていたのか知らないが「恥ずかしい話」合戦だった。

「じゃあ、まず中村くんから。はいどうぞ」

「えっ、恥ずかしい話ですか? そうねえ、僕はう~ん、えっと、高校生の頃、指切りゲンマンで、指を折られたことがあるかな」

「う~ん、それくらいじゃあなあ、まだまだだよ、中村くん」

「それじゃあ、リーダーは?」

「俺? 俺はね、そういうと、恥ずかしい話なんてないなあ。ダザイじゃないけど、最近は生きてることが恥かしいかなあ。あっ、そうそう、子どもの頃、酔っ払った勢いで野糞したことあるなあ。気持よかった。朝の空気をいっぱいに吸いながらの脱糞は、人間の喜びの一つというくらい感動的な瞬間だった。それ以来しばしば野糞体験を重ねている」

「その子どもの頃って、何歳くらいのことですか?」

「十二歳くらいだったかな」

 十二歳で酔っ払い、そして野糞、両方の意味で馬鹿馬鹿しい。

 次は、石下さんが言い出した。

「ワイはな、故郷の祭でフンドシを締めることになってしもて、でもワイ、フンドシの締め方なんて知らへんから、下半身丸出しで母親に締めてもろうたことがあるな。十九歳のこと、あれは恥ずかしかった」

「なによ、そんなの、大したことないわよ」

 と、霧子さんが割り込んだ。

「私なんかね、去年、インドから日本に帰る飛行機の中で、ウンコちびったわ」

「なんだ、そんなことなら……」

 と、今度は金剛寺さんが身を乗り出した。

「僕、初めて女の子とデートして喫茶店に入ったとき、オナラをごまかそうとして、うおっ~!って叫んだのよ。そしたら、身が出ちゃったんだなあ。まあ、みんなの想像通りさ」

 金剛寺さんは、その時を再現するような悲痛な顔をした。

「あれ、紙野は?」

「え? いなくなったの」

 消えるのはいつものことが、辺りが真っ暗だったので、ちょっと心配だった。

「お~い、紙野、どこだ?」

「大丈夫よ、あれ見て」

 湖の水面に、一点の光があった。それは紙野さんがくわえるタバコの炎だった。

「紙野さ~ん、恥ずかしい話をどうぞ」

「……僕は、別にないけど、あの、……岸に上がるのが恥ずかしいです」

 波打ち際には、透明人間が脱ぎ捨てたあとのように、紙野さんのシャツと下着一式が並べてあった。

「うおっ! 何だ何だ!」

 この時、かまどの炎から引火して、しけっていた花火が次々と火を吹いた。

「こりゃ地雷源や!」

 足元でしつこくパンパンと鳴る。みんな慌てふためいて踊り出した。

 そして、鳴り止んだところで突然、

「あのさ、ベトナム戦争でさ……」

 と、霧子さんが語り出した。

「ベトナム戦争?」

「そう、ベトナムで米兵がジャングルで巡回してて、不意にベトコンの襲撃をくらったら、米兵はどうするか知ってる?」

「どうするって、撃たれないように逃げるしかないだろ」

「そう、逃げるんだけどね。どっちの方向に逃げるかっていうと、どっちだと思う? それがね、ベトコンのいる方角に向かうのが鉄則らしいのよ」

「なぜですか?」

「ジャングル一帯に爆弾や罠を仕掛けてあるからね。下手に逃げ回ると敵の思うつぼ。罠がなくて、生き残る可能性が高い道は敵のいる方だけってこと」

「へえ~、なるほど」

「でも、何でそんなこと言い出したんだ? 霧子くん」

「別に。思い出しただけ」

「ああ、……そう」

 でも、この話をきっかけに、日頃はうるさい先輩たちが珍しく沈黙してしまった。

「うわぁ!」

 僕の足元で、最後の花火が爆発した。僕たちは黙ってその残り火を見詰めていた。

「もう、ビックリしたよ」

「でも、これで、今年の花火も終わりですね」

 この時僕が考えたことは、ここにいたみんなも考えていたと思う。

 僕たちの日常には死の危険こそないが、この先いくらでも辺り一帯が罠だらけになるような状況にぶつかるだろう。そんなふうに突然困難が降りかかってきたら、ジャングル戦のようにあえて敵の中に向かっていくのがベストなのだろうか。案外これは当たっているかもしれない。でも自分は、戦場の兵士みたいに、真っ向からその困難に飛び込んでいくことができるのだろうか。いまの僕には、想像もできないことだ。

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