第2話
我がS大では毎年、六月一日に五月祭という学園祭がある。十月のシーズン中にもちゃんとまた学園祭があるから、S大では年二回、学生こぞっての乱痴気騒ぎが行われるのだが、ちなみにその五月祭は大学当局の予定にはない。つまり学生が勝手に始めた未公認の学園祭であり、だから六月一日が平日ならば当然、授業もある。教授たちは外からバンドのエレキ音や絶叫が届く中で、数人の学生相手に講義せねばならないのである。
聞くところによると、五月祭の発端は六年前、千野くんという名物学生が始めた宴会だったという。彼は大学の裏山の横穴に住み着いてキノコ狩りをしたり、自分で農園を作ったりして生活していたらしく、大学の職員もいいかげんな人が多かったから黙認されていた。
千野くんは変わり者だったが、誰からも好かれるタイプの男だったので、住家の洞穴には来客が絶えなかった。悩み事を相談に来る人がいたり、宴会大臣としてあっちこっちのコンパに招かれたりした。当然ながら、千野くんの存在を知らない学生は、当時のS大には一人もいなかったというほどだったという。
ところがある日、実は千野くんは偽学生で、正体はただのおっさんだという噂が流れた。大学の職員が調べたところ、その噂は本当だったので千野くんに退去を申し出た。当然、学生たちは反対の声を上げ、署名運動などあったそうだが、千野くんは「もう十分楽しんだから…」と大学を去る意思を表した。
こうして、その夜から二日間にわたって千野くんの盛大な送別会が行われた。それが六月の一日と二日だったという。翌年の六月一日になって、ひょっとしたら千野くんが帰ってくるかもしれないと誰かが言い出して宴会が始まり、その翌年も、またその翌年も、今年こそ帰ってくるぞといって宴会が行われた。それが自然発火して毎年六月一日には軽音楽部がステージを組んでライブをやったり、模擬店が出るようになったりして、四年後には五月祭実行委員会が生まれて現在のような大規模の学園祭となったのである。
そして、この年もめでたく大学当局の中止勧告を振り切り、五月祭が決行されることになったのだった。
キャンパスの雰囲気が一変している。仮装して歩く人がいたり、実行委員会主催のアホコン(アホさかげんを競うコンテストらしい)の出場者募集の巨大看板などが並んでいる。模擬店は、ゲイバー、露天風呂、見せ物小屋、毒キノコジュース屋、ヌード撮影会、テントを並べてラブホテルなど、終戦直後の闇市といった様子になっているが、祭りの基本はやっぱり酒で、模擬店の三店に一店はアルコールを扱っている。当然、学生たちは夜どうし飲み続けるわけで、朝になると地面はアルコールと嘔吐物で浸り、急性アルコール中毒になった者は、拍手で出迎えられた救急車に担ぎ込まれ、バンザイで見送られていくのである。在校生の僕ですら、こんな大学、いまどきあるのかとも思ったし、こんな大学なんてなくなった方がいいんじゃないか、と思ったものだ。
さて、そんな中で我ら社科研では、南京大虐殺の記録映画の上映会を企画した。
上映は午後一時と四時の二回で、その合間には金剛寺さんのミニコンサートが予定されていた。ちゃんと宣伝ビラの隅に「ジョニー金ちゃんのステージあり」と小さく書いてあった。
上映三十分前、会場となった教室で、金剛寺さんはギターのチューニングをしていた。
上映会の方のお客はポツリポツリと三人きただけで、先輩たちが言うには「まあ、これくらい」ということだった。
一時間三十分の映画上映が終わると、リーダーがスクリーンの前に立ってマイクを取った。
「えと、次はジョニー金ちゃんのオンステージです。正統派フォークソングの決定版。お暇でしたら聴いてってください」
戦争の記録映画のあとに何故にほのぼのフォークを聴かされるのか理解できない客は、席を離れるタイミングを失ったようで、帰ろうにも帰れぬようだった。
「それではどうぞ、金ちゃん」
まばらな拍手の中、金剛寺さんは客席から背中を丸めて現れた。顔に表情がない。目に見えて緊張している。
「僕がジョニー金です。えと、今年も五月祭が、ついさつき始まりましたけど……」
このダジャレには、誰も笑わなかった。ただでさえ静かな教室が、水を打ったような静寂で包まれた。
「はは、今年もにぎやかでいいですね。それじゃあ歌います。『川の歌』という曲です」
この曲は名もなく消えていったあるフォークシンガーのデビュー曲で、僕はこの時初めて金剛寺さんの歌声を聴いた。率直に表現すれば、NHKのアナウサーが歌っているような特徴のない声だった。しかも金剛寺さんは演奏中に何度もトチって、そのたび壊れかけのプロペラ機がやっとこさ飛んでいるのを手に汗握って見ているような気分で、がんばれがんばれと小さな声で応援する始末。
「ステキ! ジョニー」
一曲終わると、わざとらしい声援と拍手が金剛寺さんに贈られた。金剛寺さんは深く礼をしている。
「アンコール、アンコール」
「すいません、アンコール曲は準備してないんです」
「じゃあ終り?」
「はい、終り」
結局、観客は拍手するタイミングを失って、なんとも後味の悪いミニコンサートになってしまった。ふと見渡すと、お客は僕たちの他に気の弱そうな女性が一人だけになっていた。身内以外は自分一人だと悟った彼女は、ただで逃げるわけにはいかぬと察知したのか、
「……す、すてきでしたよ」
と震える声で言い捨てると、逃げるように去っていった。
「けっこうギター上手になったね、金ちゃん」
「そうそう」
みんなは金剛寺さんを囲んだ。
「どうでしたか皆さん、正直に感想を言ってください」
金剛寺さんは真剣だった。アーチストにとって、適当に褒められるほど辛いことはない。
「う~ん、選曲が良かったよ」
「そう、金ちゃんと調和してた」
先輩たちはうまくかわす言葉を用意していたようである。
「あの、金剛寺さん!」
僕は金剛寺さんに駆け寄った。
「中村くんはどうだった? 初めて聴いたと思うけど……」
「よかったです! よかったですよ!」
これはお世辞だが、言葉通りの単純なお世辞ではなかった。じつのところ、僕は感動していたのである。失礼だが、ギターを弾けば、誰でもサマになるのかと驚いていた。これといって趣味もなく大学に入って何もするがなかった僕には、何かに熱中している人がただうらやましかった。
「ギターって、いいですね」
「それじゃあ、君もギターやればいいよ。教えてあげるから」
「教えてもらえますか?」
「もちろん。じゃあ、僕のギタークラブに入れば?」
「ええ、もう、入ります、入部、入部」
「よし、じゃあ今夜、僕の部屋で飲もう」
「ええ。もう、飲みましょう」
僕は、我ながらノリやすい性格だと思いながらも、新しく何かを始めるときに沸き起こる独特の興奮で満たされていた。
S大の近郊は小さな学生街で、狭い道路に昔ながらの下宿屋が並んでいる。
「ここだけど……」
金剛寺さんの部屋は「登り内荘」というボロアパートにあった。いまどき珍しい南京錠のドアを開けると、グッと臭気が迫る。
「好きなところに座って頂戴」
「は、はい」
「はは、ちょっと散らかってるな、片付けるか」
ちょっとどころではない。部屋全体がゴミ箱仕様で、畳の上のいろんな物が層を成している。そのくせインテリアにはこだわっているようで、のれんや置物、壁にはポスター、天井からピアノ線で戦闘機のプラモデルがぶら下げてあった(それもゼロ戦とグラマンが空中戦しているように演出してある)。
「中村くんは、タバコ吸わないの?」
「はい、吸いません」
「そう」
金剛寺さんはジッポーのライターでタバコに火を付けた。
「僕は、一日に二箱は吸うんだ。ベビースモーカーだね」
それを言うならヘビスモーカーだが、きっとなにかダジャレをかまそうとしてできなかったのだろう。ともかく煙りが充満してきたので、金剛寺さんは換気扇を回した。なにゆえ四畳半の部屋に換気扇があるのかと思ったら、それは換気扇ではなく、分解して翼とスイッチ部分だけにした扇風機だった。
「これ、手製の換気扇、いいでしょ」
「はい、そうですね」
「そうそう、とりあえず酒だね」
金剛寺さんは足もとにあったウイスキーのビンを机にあげて、そこらに転がっていたコップに注いだ。
「あれ、氷がないな。ちょっと買ってくる」
金剛寺さんは外に出て、僕はこの部屋に一人残された。
見れば見るほど、それは不気味な部屋だった。部屋を散らかしている主な要因は、新聞紙と折り込みチラシである。朝日、読売、赤旗が入り乱れて積んである。他には、雑誌(といってもいまどき珍しい紙のエロ本)、酒ビン、空きカン、お菓子の空袋、それと、なぜかペットフードがある。ただ、ギターだけはちゃんと押し入れに立ててあった。
壁には、ジャンパーが三つかかっているのだが、どれも似たような草色のジャンパーである。これで今日はどれにしようかと迷うのだろうか。
その横には、若い頃のさだまさしの写真パネルがあって、反対側には小学生用の世界地図がドーンとあって、あとはギターのコード表、大きく引き伸ばした家族写真、そのすぐ横にセクシーアイドル四人組の水着ポスター、極め付けに『一日三時間ギターの練習だぁ! がんばれ!』と自らを励ます貼り紙があった。
「ごめん、ごめん、さあ飲もうか」
金剛寺さんは帰ってきた。
「じゃあ、我らギタークラブの未来に乾杯!」
僕たちは薄汚れたコップで乾杯した。
「あの、どうして部屋に世界地図なんか貼ってるんですか?」
「ああ、それね、勉強。僕は社科研にいながら世の中のことは全然知らないから、せめて国の名前くらいは覚えようかと思ってね」
聞きたいことは、まだまだある。
「あの、なんで新聞がこんなにあるんですか? しかも三誌も」
部屋中に、朝日と読売と赤旗の束が置いてある。
「それがね、勧誘がくるでしょ、この辺は。僕は断るのがヘタでね。つい『じゃあ、一ヵ月だけ』とか言っちゃうんだよ」
「読み比べたりしてるんですか?」
「いや、ぜんぜん読まない。読まないのはもったいないから、新聞の束をバーベルにして体を鍛えてる」
と去年の日付の朝日新聞を持ち上げてみせた。
「あの、この部屋で何か飼っているんですか?」
「いや、ぜんぜん」
「じゃ、このペットフード?」
「ああ、それ、ハハハ。じつは先月お金なくてね。食う物なくなったからさ、スーパーに行って、とにかく安くて量が多いお菓子を買ってきたら、それがペットフードだったんだ。失敗したよ」
「……ああ、そうですか」
たしかに間違ってもおかしくはない包み紙だったが、本当に間違える人はよほどのマヌケだと思った。見ると、袋の口が少し開いている。試食したのだろうか。
「腹減ったね、何か食べに行こうか?」
「はい」
「何がいい?」
「なんでも」
「じゃあ、味噌煮込みうどんだな。いい店、知ってるんだ。行こう」
外に出ると、金剛寺さんはバイクに跨がってエンジンをかけた。
「ほいっ」
僕にヘルメットを投げた。
「あの? バイクで行くんですか」
「そう。ちょっと遠い」
金剛寺さんのバイクに乗って烏丸通りをずっと南に下って、京都駅の辺りで止まった。どこに行くのかと思えば、金剛寺さんはぐんぐんと駅の構内に入っていって新幹線のキップを二枚買った。
「あの、どこまで行くんですか?」
「大阪」
「あの、うどん食いに大阪まで?」
「すぐだよ。ほんの八分」
そして、物事を考える余裕すら与えられぬうちに新幹線に乗せられて、ふと窓を覗けば、そこは高層ビルが立ち並ぶ新大阪駅だった。
駅を出てからまた狭い路地をずんずん歩いて、木造の小さな飲み屋の前にきた。看板には「カウンターの店『トコトン』 うどん さけ」とある。
金剛寺さんはガタガタ鳴る戸を開けて、のれんをはじいた。
「こんちわ」
「おう! 久し振りやね、金ちゃん」
店のオヤジはスポーツ新聞を広げながら笑顔で答えた。
「お久し振りです」
「どや、金ちゃん、ギターの方は?」
「はい、ぼちぼち」
「そうかい、がんばりや」
ゴキブリが走ってそうな汚い店だった。指でテーブルを伝うと埃がついた。コップは手垢まみれで、カウンターの上には枯れた花が堂々と飾ってある。天井にテレビがあるけれど映ってはおらず、バカでかいラジオから演歌が流れていた。狭い店内に、お客はサラリーマン風の男が一人だけだった。
店の奥でプスン、プスンと湯沸かし器が鈍い音を立てている。オヤジは「頑張れ、頑張れ」と拳で湯沸かし器を叩きながら、お湯を出していた。
「ここ、落ち着くんだよ。僕の実家もこんな飲み屋でね。落ち込んだりした時にはちょっと無理してここまで来るんだ」
天井の電灯がチカチカ点滅している。
「へい、おまち」
うどんと日本酒が出てきた。
「あの、僕は未成年なんですけど」
「ああ、そう」
金剛寺さんは僕のコップに酒を注いだ。
「いいえ、飲めませんから」
「だめ、だめ、そんなの理由になんない」
金剛寺さんは無類の酒好きで、酒を飲まない人間は人との付き合いを拒絶したどうしようもない奴だとよく言っていた。一貫して昭和な価値観の人である。
「それで、金剛寺さんがギター始めたきっかけって何ですか?」
「きっかけ? そうねえ……」
金剛寺さんのコップはもう空だった。
「中学一年の時に、堅物の英語の先生がいてね。それがね、独身で、頭がハゲかかってて、授業中に余計なことは一切いわない人でね。その先生がある日、テープレコーダー持って授業に来たんだよ。それでレッスンテープ流すかと思ったら、イマジンが流れてきてね。名曲のイマジンだよ。その教師は腕を組んでずっと背中を見せてた。肩が震えてて、よく見たら、泣いてるんだ。その日は一九八0年の一二月九日、ジョンレノンが死んだ翌日。ちょうどビートルズ世代の人だったからね。それで、僕は自転車買うつもりだった貯金を下ろしてギター買ったんだ」
「それじゃギター歴は、えと、九年ですか」
「いや、始めたのは高校三年の終り。浪人が決まってからだったかな。それまでギターは押し入れで眠ってた。まあ、ともかくギターはいいよ。中村くんもギタークラブで頑張ってくれよ」
「ところで、ギタークラブって、何人ほどいるんですか?」
「あれっ、言ってなかったっけ? 僕一人だよ。去年の秋ぐらいからビラ貼ったりしてるんだけど、誰も来なくてね。毎週金曜日の六時に講堂の裏でやってる」
一人でもクラブといえるのかどうか疑問だが、まあ、だからこの人が部長なのである。
「それじゃあ、これからどんなクラブにするつもりなんですか?」
「正統派のフォークソングを目指したいね。それと仲間をつくりたいな。いい仲間」
S大にはフォークソング部があったが、時代の流れとともに名ばかりのロックンロールクラブになっていた。
「僕たちはさあ、ギター教え合ったり、曲を批評し合ったり、誰かがなんとなく歌い出した曲が、一人また一人と歌い合わせて、しまいにはみんなで肩組んで歌ったりして、そんな僕たちだけの曲がクラブで代々歌い継がれていったりさ。クラブの活動だけじゃない。仲間だからね。東に自殺しそうな仲間がいたら、そんなことはやめろと引き止め、西に学費が払えなくて困ってる仲間がいたら、みんなでバイトして助け合い、夏には浜辺でキャンプファイヤー、円になって歌い、人生を語る。もちろん理想だけどね」
と、金剛寺さんは瞳を輝かせて語るのだった。
「僕は三回生だから、あと一年半か。卒業するまでには形にしたいね」
「卒業したら、どうするんですか、実家を継ぐんですか?」
「じつはさ。卒業したら、プロ目指して東京に行こうと思ってる。難しいけどね。雲つかむようなもんだけど、でも、ともかく三十歳までは頑張るつもりでいる」
「それじゃあ、三一になったら?」
「三一になったら、……そうねえ、……また頑張るさ」
僕は、もしかしてこの人はカッコイイかもしれないと思い始めた。背中を丸めてグィっとおちょこを煽る姿に見とれてしまった。この時、冗談のつもりで、「かっこいい、金ちゃん!」と金剛寺さんの背中を叩いたら、
「先輩にチャンとはなんだ! チャンとは!」
と閉店まで説教されたが、それもまたよかった。
その夜、二人で八千円ほど飲んでいたが、金剛寺さんは僕がおごると言い出した。
「いいから、僕がおごる」
「でも、けっこういってますよ」
「いいかい、僕が年上なんだよ」
結局、金剛寺さんが全額払った。とっくに終電はないから、僕らは朝まで近くの公園でコーヒーを飲んでいた。
翌朝、新大阪駅に行ってからである。
「あのさ、中村くん」
「はい?」
「ちょっとさ……」
「なんですか?」
「サイフ見たらさ、もう小銭しかないんだ。それでさ、電車賃、貸してくれないかな」
「あ、はい」
「それとさ、明日からの生活費がないんだ。五千円ほど、貸してくれないかな」
「はい、わかりました。喜んで」
僕はおごってもらった人にお金を貸した。こんなコントのようなことを日常生活でやってしまう人と出会った喜びで、なんだか得した気分だった。
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