それでも僕には歌いたい歌がある(んだよ)
シゲゾーン・シゲキ
第1話
人間は百四十億個の脳細胞のうちの二、三パーセントしか使用していないというが、人それぞれの個性もまた、すべて使い切っている者などほとんどいないだろう。それでも、超天才が存在するように、個性を百パーセント使い切っている人間も、きっとどこかにいるのではないか。
これは、そんな個性の出しどころをまちがった世にも珍しい人間の物語である。
その人、金剛寺さんのおかげで、僕の学生生活は予想もしない方向に展開した。僕は一日も退屈しなかった。つまらぬ思い出も、その時は輝いていた。
※ ※ ※
僕が初めて金剛寺さんを見たのは、僕の大学の入学式の日だった。
京都市街から電車とバスで一時間の山奥にある我がS大学は、偏差値でいうと五十を大きく下回っており、フリー大学のレッテルを貼られた反動と失うものが何もない強さからか、学生たちには異様な活気があった。
入学式の後、各サークルの新入部員獲得合戦の花道を、新入生の僕はついさっき知り合ったH君とキャンパスを歩いていた。
サークル勧誘を避けて歩いていくうちに講堂の裏に入ると、男が一人でポロロンとギターを弾いていた。背中を丸めて、ひどく寂しい姿である。
あっ、こっちを見ている。これ以上近寄ると話し掛けられそうだったので、僕らは進行方向を変えた。
「あんな奴がさ、一ヵ月ぐらい経ったら五月病になっていなくなったりするんだよね」
と僕は笑っていたが、その人こそ、数年にわたって僕を虜にする金剛寺さんなのである。
初めて金剛寺さんと話したのは、その翌日だった。大学で真面目に学問しようと思っていた僕は、「社会科学研究会」というお堅いサークルに入ることにした。
キャンパスの外れのいかにも手造りのような掘っ立て小屋が活動場所で、しばらく入り口の前でウロウロしてから、ちょっと勇気を出してドアを開けると、中には年齢のよくわからない人たちが六ほど座っていた。女性は一人いる。
壁には「反原発」「怒りをうたえ」「造反有理」といった落書きやビラが隙間なく貼ってあった。あちこちに本や雑誌が積んであって、本来の広さよりもずいぶん狭い部屋になっていた。なんというか、一九六〇年代を彷彿とさせる、時代遅れを通り越した博物館のようなところだが、そう、僕はこの世界観に憧れていたのだ。
「君、入部希望者?」
「はい」
「うちは差別論とか現代思想とかやるんだけど、いい?」
「はい」
新入部員は僕だけだったので、質問攻めにあった。
「君、下宿かい? 出身はどこ?」
「富山ですけど」
「君、中村くんだったね、下宿はどこ?」
「一乗寺駅から線路沿いに歩いて二分のアパートです」
「学部は?」
「社会学部です」
我がS大は学生数二千人ほどのちっちゃな大学で、社会学部と文学部があった。
「シャカケンは、セクト入ってないから安心していいし。運動団体でもないし」
「シャカケン?」
「社会科学研究会のことね」
顔の大きな先輩がタバコを吸いながら言った。
「中村くんの得意分野は?」
「特にありませんけど」
「そうそう、これから学習会するんだけど、君いける?」
「はい」
「君さ、ギター弾ける?」
「は?」
この意表を付く質問をしたのが金剛寺さんだった。
「ひ、ひけませんけど……」
傍らの黒いギターケースと貧乏臭いスケベ顔に見覚えがある。僕の頭の中で、きのう講堂の裏にいたギター男と一致した。
「じゃあ、教えてあげるよ、ギター」
余計なお世話ですとは決して言えず、僕は「はい」とうなずいてしまった。
「そろそろ始めようと思うんだけど、みんな席に着いてくれ」
このサークルのリーダーらしい老けた学生が仕切って、討論が始まった。
「今日はベルリンの壁崩壊後の社会主義国の変化について話し合おうと思うんだけど。今日の報告者は石下くんだな」
「はい、ワイですわ。始めまっせ。えと、ベルリンの壁崩壊とともに、社会主義とマルクスも崩壊したといわれてますけど、ほなら………」
それから熱い討論が始まった。難しい単語が飛んでいる。おとなしそうな先輩たちが別人のようになって激論を交わしていた。僕は口を挟むなどできず、眺めるだけで精一杯だ。
そしてこの時もう一人、沈黙を守っている人がいた。僕のとなりの金剛寺さんである。三十分ほどして、僕と目が合った。
「じつは僕はね、こんなことなんて全くわからないんだ。ドイツ人がどいつかも知らない。はは」
「……はは」
僕は頑張って笑った。
「ところで中村くん、ギタークラブって知らない?」
金剛寺さんは討論そっちのけで雑談しようというのだった。
「……知りませんけど」
「ビラ、見たことない?」
「いえ、全然」
「このさ、野原で動物たちが楽しそうに歌ってるほのぼのしたビラ。『みんなで歌おうよ』って書いてあるやつ」
「あ、そういえば、そこの便所の便器の上で見ました。カラスが口笛吹いたり、イヌがギター弾いてたりする絵のやつで?」
「そう、それ。僕はそれの部長やってるんだ。たくさんビラ貼ったけど、新入部員は一人も来なくてね、はは」
「ハハッ、……はあ」
討論は延々と深夜まで続いた。
その後一ヵ月たっても、社会科学研究会の新入部員は僕一人だった。
このサークルでは、毎週火曜日に集まって読書会や討論などしているのだが、活動とは別に、キャンパス外れの掘っ立て小屋が溜まり場となり、毎晩のように宴会を開いていた。新入生の僕も、これが大学生活なんだと思い込んでこまめに参加していた。
「あの、先輩方、鍋の具はどうするんですか?」
「具はね、いま霧子くんが裏山で山菜とキノコ採ってるはずだけど。でも、ちょっと遅いなあ」
五月の初め、あらためて僕の歓迎会が開かれることになり、小屋にカセットコンロを持ち込んで鍋の準備をしていた。
「あの、ずっと気になってたんですけど、この部屋にどうしてテレビが二台もあるんですか?」
机の上には、山積のゴミに埋もれて古めかしいテレビが二台並んでおり、このテレビのせいでこの部屋がずいぶん狭くなっているのだが、先輩たちはそんなことに関心がないようだった。
「これは一台が画面が映るけど音が出なくて、もう一台はその逆。二台で協力する連帯テレビなんだ」
「まあ、二台一緒にチャンネル替えるのが面倒で、めったに付けへんな」
「それに、あと、この小屋はサークルのものなんですか? そうじゃないような気がするんですけど」
「当たりだね。ここは昔、倉庫だったらしいんだけど、リーダーが社科研を旗揚げする時に占拠してね。初めの頃はよく職員が排除に来てたけど、僕たちも根気良く立てこもってたから、もう諦めてくれたんじゃないかな」
「……はあ、そうですか」
五分後、霧子さんが帰ってきた。不気味なツヤを持つキノコや草花を抱えている。
「お待たせ、さあ食べましょ」
これから順に先輩たちを紹介させて頂くと、まず社科研の紅一点である霧子さんは西太后にそっくりな肌の白い美女で、よっぽどモテる人だろうと最初は思っていたが、そんなことは全くなかった。というのも、霧子さんは休みのたびにインドに旅立つそうで、何のために行くかといえば麻薬を吸うのが目的だった。このS大学に入学したのもキャンパスの裏山にトリップ茸が生えているからだということで、なんでも去年の秋に一度、裏山で採集したキノコに塩をかけて食べて食中毒を起こし新聞に載ったことがあるという。現在では、マリファナの国内持ち込みに成功し、下宿先の一室で栽培していた。後に、僕は一度だけ霧子さんの部屋に入ったが、鉢植えにマッジックペンで『まりふぁな』と書いてあったのが印象的だった。
「それじゃあ、カンパイするぞ、諸君」
リーダーが立ち上がった。社科研のリーダーである馬場崎さんは三浪の末にやっとこの大学に滑り込んだ人で、すでに額の末端からハゲが始まっている。
「それでは、中村くんの社科研入部を祝して、乾杯!」
「カンパイ! カンパイ!」
さて、話していると、本日の主役である僕のことはすっかり忘れ去られ、僕があまり理解できない毎度の討論になった。
「最近、ほんまに左翼は肩身が狭いで。まるで変人あつかいじゃ。公安がうちの大学の学生課にワイのこと調べに来たっていうやないか。この前、職員に警告されたで」
と、コテコテの関西弁を使う石下(いしおろしと読む)さんは、若い頃の高倉健のような角刈りで、筋金入りの青年活動家だ。爆弾こそ造らないが、それに近い思想を持っている団体にも所属していた。
「しかしのう、オルグは肝心よ。人は変わりうるで。ワイも、いまじゃあ立派な左翼になってしもたからな」
石下さんは一年ほど前に右翼から左翼に転向した経歴を持っていた。いまでは、幕末の浪人のように、いつか革命を起こすんだという闘志を常として内に秘めたちょっぴり近付き難い人になっていた。いや、いまどき革命って……。
「あの、よく知らないんですけど、どういうのが左翼なんですか?」
と僕は尋ねると、石下さんは吐くように答えた。
「とりあえず何でも反対するんや」
デモ行進や座り込みが趣味である石下さんは、何の関係もない企業の労働闘争にも好んで参加していた。もし六十年前に生まれていたら確実に学生運動の闘士になって火炎ビンなんか投げていた人だろう。ついでに関係ない話を書いておくと、石下さんはカラオケが大好きだったのだが、といってもレパートリーは右翼教育の時に覚えた歌しかなく、ゆえにしょうがなく軍歌などを歌うらしいのだが、日の丸とか皇軍とかの歌詞が出ると、いつも困った顔をして口を噤んでいた。
「しかしやな、ワイはもう左翼を廃業しようと思ってるんや。時代遅れやし、それに左翼はモテへん」
「何? 何だと、石下!」
リーダーがタバコをくわえたまま激怒した。
「何を言うか、ちょっと待て、いまタバコの火を消すからな」
リーダーは歳を食っているせいか説教好きで、よくタバコを吸いながらゴミ箱を灰皿にして後輩に説教をたれることがあったが、過去に一度、しゃべり出してから数十分後に、熱弁を振るうリーダーの横でゴミ箱が炎上したことがあって以来、説教する前には必ず禁煙するらしい。
「革命はどうしたんだ、革命は!」
説教が続く中、霧子さんはもくもくとキノコを齧っていた。金剛寺さんはギターを抱えて暗い曲を弾いている。
「はっ!」
そんな時、僕は部屋の隅の机の下に、人の気配を感じた。
「なんだ、紙野さん、ここにいたんですか?」
「ああ、……こんばんわ」
本人よりもその影の方が存在感があるといわれる紙野さんは、気が付けばいつも部屋の隅に隠れてじっとしているハチュウ類のような人だった。
「紙野さん、今日は何を読んでるんですか?」
紙野さんはカバーを外した岩波文庫を片手に持っていた。
「……これだけど」
「また、そこでニーチェを読んでるんですか?」
「……そうだけど」
紙野さんは、デカルトやニーチェを読み込んでおり、彼の「ツァラトゥストラはかく語りき」の文庫本は、チェックしない箇所にチェックした方が早いと思うほど至るところに蛍光ペンでチェックしてあった。
「そこ、狭くないですか?」
「……いえ、ぜんぜん」
紙野さんが膝をかかえてボーと座っていると、彼の半径一メートルはいつも牢獄のように見えたものだった。
こんなふうに、僕たちは毎晩のように集まっては宴会を開き、無駄で無意味でバカバカしい時間を過ごしていた。
宴会とはいっても、酒やつまみはすぐ消える。あとは夜通し無駄話をするだけで、みんな大学の近所に下宿があるのに帰ろうともせず、意味もなく朝まで起きてしゃべっていた。何故に眠いのを我慢して会話に参加しなければならないのかなんてその頃は誰も疑問にはせず、人間の生理的欲求に逆らってまでとことん語り合った。基本的に会話の内容は、政治的討論から下ネタ、悪口、噂話ばかりだったけれど、いまにして思えばどうしてあんな下らない話題で会話が続いたのか不思議だ。話が盛り上がると一時間なんてすぐだった。時計が早回りしたんじゃないかと本気で思うほど夜がふけるのは早かった。やがてじわじわと空が青くなり、小鳥の囀りが聞こえてからやっとおのおの眠り始めるのである。
それでも、いざ世界で何か事件が起こると、先輩たちは食事するのも忘れて語り合った。いまも世界は確実に動きつつあったが、日本だけが取り残されたようにノンビリしていたのはないだろうか。こんな時代に、平和の国に生まれた彼らが、何故それほどまでに世界の心配をするのか、僕にはずっと不思議だった。だって、どう考えてもこの先輩たちは、自分の心配をした方がよい人たちなのである。
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