第26話 許されるわけないだろ!!!


 グレゴワールの妻、ジョゼット・クローズは、息子であるアルベールのことを怖れていた。


 自身が産んだ子供であるはずなのに、得体の知れない化け物としか思えないのだ。


 彼女がアルの行動に明確な違和感を覚えるようになったのは、四歳を過ぎた頃。アルは、全てを見透かした上であえて他者を泳がせて楽しんでいるかのような、不気味な態度をとるようになったのだ。


 例えば深夜、ジョゼットがこっそりと屋敷を抜け出し、密通している相手に会おうとした時のこと。


「――おやすみなさい、お母さま」

「ひっ!?」


 玄関の扉を開けようとしたその時、突然背後から声を掛けられる。振り返ると、そこには不気味な笑みを浮かべたアルが立っていた。


「お、おやすみ、アル……」

「……あれ、こんな夜遅くにお出かけですか?」

「え、ええ。ちょっとした用事があるの!」

「ふーん。お父さまがお仕事で帰ってこない夜に用事でお出かけですかぁ……」

「あ、アル……?」

「行ってらっしゃい、お母さま! よく分かりませんが、頑張ってください!」

「…………い、行ってくるわね。あはは……」


 間違いなく、アルはジョゼットの行いを理解しているのである。この一件でジョゼットは密通をやめ、貞淑な妻として振る舞うようになったのだ。


 それから数日後。


「おはようございます、お母さま」

「ひぃっ!」


 ジョゼットが居間でくつろいでいると、突然背後に立っていたアルから声をかけられる。


「……あ、アル……おはよう」

「お母さま、最近は夜遅くにお出かけしませんねぇ」

「えっ! ……ええ」

はもうなくなってしまったのですか?」

「そそそっ、そうね。もうお出かけはしないわ……」

「そうですか! では、夜もゆっくりお休みできますね! お疲れ様でしたお母さまぁ!」

「………………」

 

 ――アルが家にいる限り、ジョゼットは常に監視されているような気分になり、心が休まることはなかった。


 そしてアルが七歳になった時、事件は起きる。


「じょ、ジョゼット様っ! エドワール様のお姿がどこにも見当たりませんっ!」

「なんですって……!?」


 長男であるエドワールが失踪したのである。それは、あまりにも突然の知らせだった。


「さっ、最後にエドの姿を見たのは誰っ!?」

「それが……」


 ――使用人の報告によると、最後にエドが目撃されたのは、アルを連れて地下室へ入っていく時のようだ。


 おまけに、それより前にはリーズのことを地下室へ連れ込んでいたという報告もあった。


「………………ッ!」


 そう聞かされたジョゼットは、嫌な予感しかしなかった。近頃は特に荒れている様子のエドと、常日頃から不気味なアル。この二人が一緒にいて、ただ事で済むはずがない。


 エドの失踪には、アルが絡んでいるとしか考えられなかった。


「ですが、七歳のアルベール様に、十六歳のエドワール様を失踪させるようなことができるとは……とても思えません!」


 メイドは、慌てた様子でアルを庇う。


 この屋敷の使用人のほとんどは、アルに懐柔されてしまっている。そのことも、ジョゼットがアルを不気味に思う理由の一つだった。


「……とにかく。本人に……直接聞くしかないわね……」


 悩んだ末に、そう決めるジョゼット。夫であるグレゴワールも同じ意見だった為、アルとリーズは居間へと呼び出されることになった。


 ――そこでアルの口から語られたのは、エドが彼らに行った仕打ちについてである。


 アルは涙ながらに、自分は鞭で打たれたと話したのだ。


「そ、それは本当なの……?」

「はい……」

「………………っ!」


 アルの体には、確かに生々しい傷跡が残っていた。


「だから、酷いことをするお兄さまなんか居なくなってしまえって……そう思ったんです……っ! そのせいでエドワールお兄さまは……! うええええええんっ!」

「わ、分かったわ。……もういいから、あなた達は部屋に戻っていなさい」


 ジョゼットは、アルの涙を信じることができないでいた。


 使用人たちは皆アルの味方をし、こちらへ非難の目を向けてくる。知らぬ間に、アルを問い詰めることが許されない空気にされてしまっていたのだ。


 この屋敷は、もはやアルに乗っ取られてしまっている。全ての物事が、アルにとって都合の良いように進行するのだ。アルが裏で何かしているとしか思えない。


 アルは悪魔の子だ。追い出さなければ未来はない。


 その時のジョゼットは、根拠もなくそう確信していた。


 かくして、ジョゼットは密通を辞めた代わりにのめり込んでしまった教団の力を借り、アルを生贄として捧げる決心をしたのだ。


 協力者は、彼女と同じような境遇で、末の娘に手を焼いていたヴェルア家の当主――エリゼの夫である。


 アルとドロテの誘拐は、二人をまとめて処分する為にジョゼットとヴェルア家当主によって仕組まれたものだったのだ。


 しかし――


「お父さま……お母さま……! 僕……怖かったです……! 死んでしまうかと思いました……っ! うえええええん!」


 それでもなお、アルは無事に戻ってきた。


 自身に縋りつき泣きじゃくるアルの姿を見て、ジョゼットは目覚める。


 ――ちょっと優秀なだけで気味悪がってしまうだなんて、自分はなんて酷いことをしていたのだろう。こんなにも可愛らしい我が子を生贄として捧げようとしていただなんて……悪魔に憑かれているのは自分の方じゃないか。


 以来、ジョゼットは心を入れ替えることを決心した。


 その日の夜、洗面所で顔を洗っていたアルの背中を静かに見守りながら、ジョゼットは思う。


 ――可愛さ余って殺そうとしたけれど、それでも優しいアルなら許してくれるはずだ! これからは、アルを可愛がることで罪の償いをしていこう! 心の中で謝れば、きっとアルにだって気持ちが届くはず!


 そう考え、良き母として振る舞うことにしたのだ。


 かくして、ジョゼットが犯人のアルベール誘拐事件は、無事に解決したのである!

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