第12話 ヴェルア家の畜生と追いかけっこ


 元気よく廊下へと飛び出した俺は、走り去るドロテーヌの後を追う。


 幸い、部屋を出た時に廊下の角を曲がる後ろ姿が見えたので、見失う事はなかった。


「待ってよ!」

「うるさいっ!」


 叫ぶドロテーヌ。


 現状、この屋敷に居る有象無象どもの中で一番うるさいのは貴様だ。自分を客観視できない人間ほど哀れな存在はないな。


 まあ、俺は世界一心優しいので、多少の無礼は大目に見てやろう。せいぜい、清らかで寛大な心を持つこの俺に感謝することだ。この下等生物が。


 込み上げてくる怒りを抑え込みながらドロテーヌを追い続けていると、やがて屋敷の外――玄関口の先にある庭へ出た。


 美しく剪定された草木が立ち並び、花壇には色とりどりの花が咲き誇っている。いつ見ても自慢の庭だ。


 クローズ家が雇っている庭師の腕がとても良いのだろう。会ったことはないが。


 こんなにも手入れが行き届いた、素晴らしい庭の木を燃やした不届き者が居たらしいが、許せんな! 誰のことだか知らないが!


「ついてこないでッ!」


 ――おっといけない。庭に見惚れてドロテーヌを無視するところだった。


 俺はヤツの後を再び追いかけ始める。


「ねえ、どこまで行く気なの?」

「はぁ、はぁ……だから、あんたがついて来なくなるまでに決まってんでしょ……!」

「僕はまだまだ走れるけど、大丈夫?」

「あー! ムカつくムカつくムカつくううううううっ!」


 圧倒的な持久力の差を思い知らされ、発狂するドロテーヌ。ここまでくると哀れだな。


 ガキを見下して気持ちよくなっていたその時。


「ふんぬっ!」


 突然ドロテーヌが庭の柵をよじ登り始めた。


「ど、ドロテーヌ?」


 少なく見積もっても自分の身長の倍以上はある柵を、何の躊躇も無く登るとは。


 知能はともかく、身体能力はそれなりにあるようだな。


 流石はヴェルア家の猿――もとい人間といったところか。


「森の中は魔物がいて危ないんだ。そこは越えちゃだめだよ。降りてきて」

 

 俺は仕方なく注意を促してやる。


「うるさい!!! あたしに指図しないで!!」


 だが相手は言葉の通じない猿だった。


 コイツが魔物に喰われて死ぬのは別に構わないが、そうなった場合、何もせずに見ていた俺に責任が発生してしまう可能性がある。


 面倒だが、柵の外側に先回りして、降りてきた所を確保するか。


 まったく世話の焼けるガキだ。いっけなーい、殺意殺意☆


「…………ふぅ」


 俺は必死で心を落ち着かせた後、急いで庭の外に出て、柵の反対側へと回り込んだ。


 そして、今まさに屋敷の外へ脱走しようとしているドロテーヌの真下に陣取る。


 普通に正面の門から出た方が早かったな。馬鹿め。


「あいつ……やっと諦めて居なくなったのね。まったくせいせいするわ!」


 ドロテーヌは、こちらに向けた尻を無様に揺らしながら呟いた。


 声をかけて脅かしてやろうかとも考えたが、この滑稽な姿を下から観察している方が面白そうだ。


「……………………」

「よいしょ……っと。それにしても変な形の柵ね。趣味が悪いわ!」


 ローパーの触手をモチーフにデザインされたこの柵の曲線美が分からないとは、美的センスゼロだな。


「………………」

「もうちょっと上り降りしやすい形にしなさいよ!」


 それにしても、一人でよく喚く猿だ。もたもたしていないで早く降りて来い。


「……ふう、やっと降りれたわ!」

「お疲れさま」

「きゃあああああああっ?!」


 地面へ着地した瞬間、俺に背後から声をかけられ、飛び上がって驚くドロテーヌ。


「いっぱい走って満足したでしょ? お屋敷に戻ろうか」

「あんたしつこ過ぎっ!」

「僕だって好きで追いかけてるわけじゃないよ」

「だったらほっときなさいよバカ!」


 パン! という音がなる。


 ドロテーヌが、この俺に対して平手打ちしたのである。


「……………………」

「……と、とにかく! これ以上痛い目に遭いたくなかったら――」


 すっぱぁん! と良い音がなる。


 気づくと、俺はドロテーヌの右頬に仕返しビンタしていた。


 実に爽快だ。エドワールお兄さまも、俺をビンタした時はこんな気分だったのだろう。


「は…………?」


 何が起きたのか分かっていないらしく、頬を押さえて何度もまばたきするドロテーヌ。


「あ、あんたいま――ッ!」


 なんか喋りそうだったので、今度は右手の甲で左頬をはたいた。


 完璧な往復ビンタが決まり、べしッ! という音が鳴る。


「ぁ……?」

「すまん、思わず手が出た。貴様の態度がふざけているせいだ。責任を取って土下座しろ」

「は……?」

「聞こえなかったのか? それとも、猿だから人間の言葉が理解できなかったのかな?」

「……!」


 やがて、ドロテーヌは状況を理解し始め、涙で潤ませた目を吊り上げる。


 そして、顔を真っ赤にして俺のことを睨みつけた。


「ついに本性を現したわね……!」

「な、何を言ってるのドロテーヌ? 僕は野蛮な猿のしつけをしただけだよォ?」


 俺がそう言うと、一瞬だけ辺りが静まり返る。


「だ、誰がサルだってぇッ!?」

「人は理性があるからこそ本性を隠す! だから本能の赴くままに振る舞う貴様は猿! 何か間違っているかなァ?」


 舌を出して問いかける俺。


「き……っ」

 

 と、謎の声を発するドロテーヌ。

 

「き?」

「きいいいいいいいいいいいいッ!」


 突如として、激昂したドロテーヌが猿のように叫びながら飛びかかってきた。


 ふむ。どうやら、ついにその正体を現したようだな。


 幸いなことに、今なら誰も見ていない。捻じ伏せて下僕にしてやる。


「かかって来い」

「キョエエエエエエッ!」


 ドロテーヌは、絶叫しながら俺に向かって右こぶしを突き出した。


 俺は咄嗟に魔法で焼き払おうとしたが、思い止まる。


 流石にそれをすると殺してしまう。平和に生きていくと誓ったじゃないか。


 ――仕方がない。ライフで受けるとしよう。


「キャイッッ!」

「ぐふぅっ!」


 ドロテーヌの一撃が腹部にヒットし、俺はその場でうずくまった。


「くッ!」


 こ、こいつ、予想以上に力が強いな……!


 魔法を使って焼き殺すという選択が取れないこちらの分が悪すぎる。


「………………!」


 ――そうか、俺がエドワールお兄さまに勝てた理由はこれか。


 ゴミみたいな性格のお兄さまも、俺に魔法を撃つことは躊躇したのだ。


 加減を間違えたら死ぬからな!


「死ね死ね死ね死ね死ねッ!」


 そうこうしている間に、ドロテーヌがうずくまる俺の上にまたがってくる。


「くそっ!」


 もっと体を鍛えておくべきだったか。何発か殴られながら後悔した。


「死ねバカッ!」


 絶叫しながら、俺の顔面に向かって全力で拳を振り下ろそうとするドロテーヌ。


 だがその時。


「………ぇ……? なに……よ……これ……っ!」」


 突如として、ヤツの動きが緩やかになる。


「今だッ!」


 俺はその隙に、奴の鳩尾みぞおちへ渾身の一撃を叩き込んだ。


「うッ!」

「もう一発!」


 渾身の一撃が一回だけとは言っていない。


「ごふぅっ!」


 かくして、ドロテーヌは気絶して俺の上に覆いかぶさるのだった。ビクトリー!


 しかし――


「な、何事だ……?」


 同時に、俺の方にも物凄い眠気が襲ってくる。


「ぐ、ぐう……っ! ぐう、ぐう、ぐう、すやすや」


 間違いない。催眠魔法だ。何者かが俺とドロテーヌに向かって催眠魔法をかけたのだ。


 そういえば今日は、原作でエドワールお兄さまが暗殺される日だったな。


 その対象が鑑定の儀で目立ちすぎた俺に変わっていてもおかしくない事くらい、気づけたはずだ。そもそも、お兄さま俺のせいで行方不明だからな!


 もっと警戒しておくべきだったか。


 俺はそう思いながら、おねんねするのだった。


「すー、すー、むにゃむにゃ」


 ――そしてこの後、俺はついに初めての人殺しを経験し、更なる覚醒をすることとなるのである。

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