爆破事件、連続する1
「おはよう。朝からジョギングとはなかなか健康的な生活だな」
「うわ」
朝、余裕があったのでその辺を一周して家に戻ると、ドクターシノブが腕を組んで壁に凭れて待っていた。皺のない黒いスーツにキラリと光る銀縁眼鏡、そして長い手足が絵になっているようで絵になっていない。背景が安っぽいアパートだからである。
「おい貴様、何を会釈してスルーしようとしている。それが客に対しての態度というものか?」
「えっ、客だったんですか」
「一番奥の部屋の扉の前でわざわざ待っていたんだぞ、客でなければ不審者くらいしかそのようなことはしない」
どちらかというと不審者な気がする。
「でも今からシャワー浴びるんでちょっと」
「な、しゃわー……だと」
ドクターシノブの動きがゆっくりになって止まり、それから咳払いをしようとして噎せていた。顔が赤い。この人、年の割には純情である。
「そ、そうやって心理戦を仕掛けるというのか……さすが元魔法少女……いや、魔女め!」
「魔女ではないですけど」
「揺るがん! 揺るがんぞ! フハハこれを見ろ!」
そうやってドクターシノブが取り出した木箱の蓋を開けると、ふっくらと、つやつやと、大きい明太子が所狭しと並んでいる。美味しそうなピンクと橙の中間をした色合いに、散る赤い唐辛子の欠片。ずっしりむっちり大きな身は今までに見たことのないサイズだった。
「ほわーぉ……」
「貴様の嗜好など把握済みだ。この明太子が惜しければ貴様の粗末な朝食に私を招待するがいい」
「ぜひお越しください。さ、どうぞ」
「シャワー浴びた後にしろ! 私は車で待機しておくっ」
入れろと言ったくせに、ドクターシノブはさっさと階段を降りて行ってしまった。少しでも早く明太子を堪能したかったのに、もったいない。こうなったら急いで身支度を整えて明太子を迎え入れねば。
「ただいま」
『オカエリナサーイ。今日ノ運動時間ハオヨソ48分デス』
「オートクッカー、明太子が貰えるよ」
『オメデトウゴザイマス! 明太子ハヒカリサンの好物デスネ! 明太子ノレパートリーヲ検索シ、ヒカリサンノ嗜好カラ最適ナ調理法ヲ推測シマス!』
「よろしくね」
シャワーを浴びて急いで汗を流し、ついでにお風呂掃除を済ませてから出る。日に日に気温は高くなり、今日は特に日差しが強いらしい。ジーンズとTシャツでいいかと適当に着替えてから玄関の扉を開けて外廊下から見下ろすと、黒い車の中からドクターシノブが出てきた。
「し、湿度が高いが」
「シャワー浴びたばかりなんで」
「……そうか。そ、そんなことよりオートクッカー、調子はどうだ」
『コンニチハ、オ客様。私ハオートクッカー。美味シイオモテナシハマカセテネ!』
「おい貴様、自分を作った相手も忘れたのか。私だ。ドクターシノブだ」
『ドクターシノブデシタカ。イラッシャイマセ。ドウゾオクツロギクダサイ』
「数日の内にさも住民のような顔をしているだと……」
オートクッカーがドクターシノブをもてなしてくれている間に私は木箱をうやうやしく掲げ、そしてじっと目に焼き付けたのち、半分は冷蔵、もう半分はラップに包んで冷凍に素早く仕舞った。これで残りを持って帰られる心配はないはずだ。
それから冷凍ご飯を取り出してレンジに入れる。昨日の炊きたてを素早く冷凍したので、まだ味はさほど落ちていないはずである。あとは冷凍小松菜から作る手抜きおひたしでいいか。
『ヒカリサンハトテモ優シイデス。色々ナ料理ヲ作レテ幸セデス』
「幸せの概念を学習したようだな」
『今ハ名前ヲ考エテモラッテイマス。末永ク愛用シテモラウタメニ、素敵ナ名前ヲ付ケテモラッテ、愛着ヲ抱イテホシイノデス』
「い、意外と知能派に育っているな。製作者の知性が反映されたのか」
どうやらドクターシノブも機械と会話することに抵抗がないタイプのようだ。ドクターシノブによるとオートクッカーには学習メモリが多く搭載されており、使う人間の暮らしや日々のレシピなどから個々のライフスタイルに合わせた個体へと育っていくらしい。無駄に高性能である。
製作者として出来栄えを確かめているのか、ドクターシノブはオートクッカーから今までの献立や摂取した栄養成分などを聞き出していた。特に何も言わないので、またどんぶりにご飯を入れて、その上につやつや光る明太子をひとつ贅沢に君臨させた豪華朝ごはんを出す。自分の方により大きな一切れを乗せてしまったのは許してほしい。
「頂きます。ドクターシノブもどうぞ」
「頂きます」
『ヒカリサン、今日ハ何ヲ食ベテイマスカ?』
「明太子だよ。明太子と白いご飯と小松菜のおひたし。ご飯は普通サイズだよ」
『栄養成分ガ、ヤヤ偏ッテイマス。コレカラノ食事デハ塩分カナリ控え目、たんぱく質多めヲ目指シマショウ』
「はーい」
『オートクッカーヲ使ウト、モット栄養管理シタメニューガゴ用意デキマスヨ。ワスレナイデ使ッテネ』
「かわいい」
『アリガトウゴザイマス。ヒカリサンモ、音声分析ニヨルト今日モ元気デカワイイデスヨ』
「……随分仲良くなったな」
ドクターシノブが明太子をほぐしてご飯と一緒に食べながら、じっとこちらを睨んでいる。自分の作った製品が可愛く育っているので惜しくなったのかとやや身構えたが、別に持って帰る気は無いようで安心した。使い心地や不便なことなどを聞いてきているあたり、さらなる開発のためのテスターとしてくれているようだ。もうオートクッカーなしでの生活は出来ないくらいに馴染んでいるので、このまま置いておいてくれるのはとてもありがたい。
「ときに、」
粒のしっかりした美味しい海の宝石を堪能し、ご飯も何度かお代わりしてお腹いっぱいになったあと、ほうじ茶を飲みながらドクターシノブが古風な話の切り出し方をした。
「その……、先日は貴重な話を聞かせてもらったにもかかわらず、碌な応答も出来ずに申し訳なかった。隠してきた過去を語るには勇気がいっただろう」
「いや別にそんなにではないですが」
「残りの商品券も渡さないまま帰ってしまったしな」
すっと差し出された封筒は素早く受け取ってしまったけれど、前回のことをいちいち気にしていたらしい。人の家の経済事情や魔法少女のくせに俗っぽい動機に触れて動揺したことを申し訳なく思うとは律儀な人である。普通は心の中でちょっと引くものの適当に流すくらいの対応だろうに。
「貴様の求めていたことは理解した。だからこそ、私は改めて我々Sジェネラルへの加入を要請したい」
「嫌です」
「まあ聞け。効果的な説得のために、まず給与の提示からはじめようではないか」
腕時計から照射された契約条件に書かれた給与欄は、かなり美味しい数字が並んでいる。
「勿論様々な福利厚生を始め、最新の開発機器や飲食部門についても好きに堪能するがいい。もちろんこれは今のまま資格取得を目指し学業を続けて両立させる前提での話だ」
「なんと……」
「我々は情報管理については政府レベルのスキルを保持している。当然貴様の経歴に影を落とすこともなく、給与は様々なルートを辿って違和感なく口座に振り込まれるようにしよう」
「ほう……」
美味しい話だ。さすが相手をよく分析して攻略する、やり手の秘密結社である。
更にあれこれとメリットを並べ立てるドクターシノブの勧誘は魅力的で、出掛ける時間が迫っていなければ頷いていたかもしれなかった。さすが悪の組織である。
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