元魔法少女、見破られる3

 私の住んでいるアパートは、大学のある場所から駅3つ分ほど離れたところにある。大雨や炎天下でなければ、ジョギングをしながら通うのが常だった。運動不足になりがちな大学生活で血行を良くすることで頭をスッキリさせ、しかも定期代も浮く。一石二鳥とはこのことである。

 ランニングシューズはなるべく可愛いものを選び、ウェアは大学で着替えるか、面倒であればそのままのこともある。リュックを背負いキャップを被り、量重視な日焼け止めを塗って出発した。


 2限からの授業は心身ともに余裕がある。部屋の掃除や洗濯も済ませたし、ゆとりある出発は大事だ。

 線路沿いは大きな道路や繁華街があるものの、少し離れれば住宅が多い。車の飛び出しに注意しながら走っていると、公園で子供が遊んでいた。まだ幼稚園にも通っていないような、よちよち歩いている子が3人ほどで小さな公園を冒険している。


 そのまま通り過ぎようとして、私は速度を緩めた。私がいる方向とは反対側にある入口から、ちょっとやばそうな人間がフラフラと歩いていた。

 男性、四十代から六十代、中肉やや身長は低い。顔にほてりがあるのと同時に首や手は青白く、目の焦点が会っていない。


 酒の飲み過ぎか、あるいはリストラされてショック状態なのか――はたまた、違法電子ドラッグ中毒者か。


 第3世代VRの普及に伴い犯罪やドラッグについての法律も整ってきてはいるものの、未だに違法な手段に手を出す人は多いという。違法電子ドラッグはVR安全法で定めてある安全装置が作動しないものが多く、劇的な現実感の喪失、多幸感、そして強烈な依存を引き起こすものがほとんどだった。

 違法電子ドラッグは麻薬などの物理ドラッグとは違い、金銭的なコストがかからない。そのため一度使い始めると歯止めが効かないことも多く、現実感を喪失した中毒者がそのまま街なかで事件を起こすこともあった。


「……」


 よちよちと砂場に到達したお子さんの保護者たちは、大人しい我が子の自主性を尊重しているようだ。約20メートルほど先にあるベンチで情報交換に励んでいる。子供とその不審な中年男性との距離は約14メートル。

 私はパーカーのポケットからスマホを取り出し、緊急通報システムを作動させた。


「貴様が助けに行くのではないのか!!」

「うわびっくりした」

「棒読みで驚くな」


 道路と公園を隔てているツツジの垣根から、ドクターシノブが飛び出してきた。両手には律儀にツツジの枝を掲げ持っている。

 そんなところで何をしているのだろう。まさか幼児を観察する趣味があるのでは。

 ツツジの葉が付いているものの相変わらず黒いスーツを着てメガネを掛け、手には黒革のグローブを嵌めている。昨日と同じ格好だが、まさか洗濯していないのだろうか。もしくは同じ服をクローゼットにずらっと並べるタイプなのだろうか。


「見ろ! 今まさにいたいけな幼児が危険に晒されようとしているのだぞ! 悠長に魔法少女へ通報している場合か?!」

「いや、別に危険だと決まったわけではないし」

「今こそその力を見せつけろ! 貴様の実力を見せつけ、悪を挫(くじ)き市民を助けるべきだろう!」


 なんか熱いこと言ってる。

 そもそも、見ていたのであれば自分で行けばいいのに。幼子が危険に晒されようとしているところをそのまま観察し続けるなんて、さすが悪の組織だ。


「一般市民の義務は通報のみですし……」

「特殊能力を持っているくせに一般市民を自称するな!!」

「ていうか何でここで隠れてたんですか? 趣味?」

「秘密結社としての活動の一環だ決して趣味ではないそんな軽蔑した目で見るんじゃない」


 一息で言い切ったところが怪しい。もし幼女趣味(ロリコン)ならこいつのすべてをマスコミに暴露しようとこっそり心に誓っておく。


「ほら見ろ、こうしている今にも幼子に近付いていっているぞ」

「フラフラしてるだけじゃないですか?」

「血走った目で見ているぞ」

「VRのやりすぎでドライアイになってるだけでは」

「魔法少女も来ないぞ。私が警報システムをいじらせたからな」

「何をやっているんだお前は」


 街に広がるセーフティネットを何だと思っているのか。

 やはり昨日、手加減をすべきではなかった。すっと片脚を引いて構えると、ドクターシノブが素早い動きで局部を両手で覆い守った。


「やめろ、貴様の敵はあっちだ。蹴り上げるのはやめろ。本当にやめろ」

「急所だし」

「貴様は女だから躊躇なくやれるのかもしれないがな、かなり非人道的な行為だぞ」


 実力の知れない相手にいきなり襲われたら、手加減などと甘いことを考えている場合ではないと思う。反撃されないようになるべく一撃で、確実に相手を仕留めることが重要だというのに。やられる側のくせに文句を言わないでほしい。


「本当にやめろ。目が本気だぞ。やめろ。メイクミー・カステラの新作を食べたくはないのか」


 構えを解いた。心底ホッとした顔のドクターシノブが、咳払いをしてからメガネを掛け直している。あれだけ必死に防御しておいて、かっこつけ直せると思っているらしい。


「念のために言っておくが、私は本来それほど弱い人間ではない。昨日はその、油断をしたせいで失態を晒しただけであって、本来は」

「じゃあドクターシノブがあれどうにかしてください」


 何やら言い訳をしているドクターシノブの背中を押して、公園の方へと押しやった。その先にいる中年男性は、子供へと視線を定めてフラフラと歩いている。


「いや私は貴様の能力を観察しようと思っていただけで」

「そんなくだらないことでいたいけな幼児を危険に晒すなんて、あなたもあの中毒者らしき男とそう変わらないんですね超ガッカリしました」

「貴様、私を侮辱する気か! いいだろう、私の本気を見せてやる」


 適当に煽ったら、ドクターシノブはあっさり乗せられた。秘密結社の代表がこんなに乗せられやすい性格でいいのだろうか。

 背中を押す私の手から離れると、ドクターシノブはスーツの襟を正し、美しい姿勢で中年男性の方へと歩いていった。相手も自分へと向かってくる存在に気付き、ドクターシノブの方へと顔を向けている。おしゃべりに興じていた母親たちも、突然乱入してきた黒スーツの不審者に注目していた。


「おいそこのお前、その様子からして違法電子ドラッグ中毒者と見える。痛い目を見たくなければ、速やかに関係機関へ申し出て治療を受けるがいい」


 居丈高に言い放ったドクターシノブをぼんやりと濁った目で捉えながら、中年男性は僅かな呻き声を上げながらフラフラとまた歩き始めた。中年男性はドクターシノブの方へと歩みを進め、子供たちもその変な雰囲気を察し、母親もベンチから腰を浮かせている。


「言っておくが、私に襲いかかるのであれば、それ相応の反撃を受けることを理解しておくことだ」

「モン……スター……た……おす……素材……」


 どうやら、ゲーム系の違法電子ドラッグ中毒者のようだ。ゲームは特に規制の厳しいジャンルだというのに、これほどの現実喪失状態になるとは。平日の午前中にフラフラしているということは、自宅を警備しながら四六時中VRでもしていたのだろう。生活費をどこから捻出しているのか気になる。


「たお……す……こ……ろす……」

「警告はしたぞ」


 男は震える右手を上げ、それから架空の剣かなにかを掴んだように前へと構えた。母親たちは息を呑み、子供たちのもとへと駆け寄る隙を探っている。

 緊迫した空気の中で、ドクターシノブだけが不敵に笑っていた。


 中年男性とドクターシノブの距離が縮まっていく。私はスマホに目を落とす。

 まだ授業開始には余裕があるので、あと5分くらい見物していこう。





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